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2005年10月20日

遠藤浩一氏の講演会

 遠藤浩一氏のことは論文・著書等でご存知の方も多いと思います。
 彼と私は民社党本部書記局の同僚として一緒に仕事をした仲です。民社党には「革新」(後に「かくしん」と改題)という月刊誌がありましたが、2年間はその編集部で机を並べていました。彼は一貫して広報・宣伝畑で頭を使う方、私は青年運動等身体を使う方でした。当時から遠藤氏のセンスは注目されていました。彼の文章はお読みになった方はお分かりと思いますが、外野席から無責任な批評をする、単なる政治評論ではなく、ギラギラとはさせず、あえて抑えたトーンながら、極めてしっかりとした国家観、愛国心に裏打ちされたものです。
 彼は劇作家という一面も持ち、台本を書いたり演出をしたりということで、昔は私も遠藤作の芝居を観に行ったことがありました。彼の論文にときどき芝居の話が出てくるのはその名残(?)です。今後も各方面で活躍してもらいたいと思っています。

 そこでPR。戦略情報研究所のホームページやニュースではお知らせしていますが、下記の通り遠藤氏の講演会を行います。お誘い合せの上ご参加下さい。

●60年体制研究会連続講演会(第2回)
 10月24日(月)18:30〜  テーマ 「東京裁判史観に回帰した『1960年体制』」
○参加費は2000円です。予約等はありません。直接会場においで下さい。
○会場:UIゼンセン会館2階会議室(千代田区九段南4-8-16 tel 03-3288-3549)
 ※市ケ谷駅下車3分  日本棋院斜向い (地図は下記をご覧下さい)。

http://www.uizensen.or.jp/doc/uizensen/access.html

 なお、戦略情報研究所の主催ではありませんが、11月には私の友人である山本卓氏の主催する「日本の改革者たち」が主催するセミナーにも遠藤氏が参加します。日時 11月22日(火)18:20〜20:45
会場 都市センターホテル3F「コスモスホール」
      (東京都千代田区平河町2-4-1)
内容 第一部 基調講演 塚本三郎・元民社党委員長
       第二部 パネルディスカッション「媚中は国を誤る〜今こそ中国を窘めるとき」
        遠藤氏の他に塚本三郎・元民社党委員長、西村眞悟・衆議院議員がパネラーとして参加、モデレーターを国際政治経済学者の浜田和幸氏が務めます。
参加費 1万円(食事代・塚本三郎著『内政干渉!』代金を含む)
※完全予約制ですので、ご関心のある方は「日本の改革者たち」(03-3593-0009)にお問い合せ下さい。

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2005年10月 4日

「物量」の謎

 米国との戦争で、「物量に負けた」というのは昔からよく言われていることですが、最近私は少々これに疑問を持っています。というのは、ミッドウェーの戦いなど、日本の方が量的には多く、また優秀な搭乗員も揃っていました。あの戦いで米軍が勝ったのはやはり敢闘精神、米国のファイティング・スピリットによるものでしょう。
 もちろん、基礎的な工業力では相当水をあけられていたこと、自国内の資源の量が全く異なっていたのも分かるのですが、それなら何で北ベトナムは米国に勝ったのか。あるいは日露戦争で日本はロシアに勝てたのか、当然の疑問が浮かんできます。
 北ベトナムが米国を征服しようと思っていなかったように、日本も米国に追いつめられて戦っただけで、米国を占領しようなどとは考えていませんでした。守れれば良かったはずで、それならばそれなりの戦い方があったと思います。当初は海軍は近海で敵を待ち伏せ撃滅するのが基本方針でした。そうすれば米国は補給線が伸び、戦力は大きく低下していたでしょう。この点からも当時の帝国海軍、特に不用意に戦線を拡大した山本五十六提督のやったことには大きな疑問を感じます。
 山本は三国同盟反対論者で、それ故に陸軍から疎まれ、右翼に狙われたので危険を避けて連合艦隊司令長官に任ぜられたと聞いています。
 そして、その山本五十六が真珠湾攻撃を指揮するわけですが、この作戦計画を作ったのは黒島亀人先任参謀で、この人にも色々問題はあったものの、真珠湾を叩くということ自体、山本の独断による決定だったことは明らかです。しかし、問題は三国同盟に反対し(すなわち対米開戦に反対し)、滞米経験もあり、米国人の気質を知っているはずなの山本が、なぜ真珠湾を叩いて米国が戦意を喪失すると思ったのでしょうか。その割には地上施設は攻撃していませんし、性格的に考えればかえってファイティング・スピリットを奮い立たせるという懸念をもって当然だと思うのですが。
 しかも山本は真珠湾のときも、ミッドウェーのときも同時に和平交渉の動きを全くしていません。もちろん、連合艦隊司令長官が和平交渉をするわけではありませんが、知己の政治家とか官僚とか民間人とか、誰に頼んだ痕跡もないわけで、そうすると山本はただ太平洋艦隊を叩けば米国は手を上げると思っていたことになります。さすがに連合艦隊司令長官ともなると「自分がその立場にいたらどうだろう」とは、なかなか思いが及ばないのですが、それにしても非常に不自然です。
 海軍では特攻の創始者とされる大西瀧次郎中将が終戦にあたって責任をとり自決しています。しかし、特攻は大西がこれを決断し、伝える昭和19年10月の遥か前に黒島亀人が主張し、準備が始まっており、本人はスケープゴートとしての創始者に祭り上げられた感がなくもありません。
 さらに、A級戦犯として処刑された東条英機総理は「日本軍国主義の悪」をすべて背負わされているわけで、今でもそれは続いています。しかし、東条はもはやほとんど開戦が避けられない状況で天皇への忠誠心から総理を引受けたわけで、直前になって放り出した近衛文麿と比べるとはるかにまともな人のように思います。もちろん、国民に対しては敗戦の責任を負わなければならなかったはずですが、私には山本五十六に比べると東条英機の方が国家に対する貢献は大きいのではないかと思います。
 黒島亀人という人は戦後も自決するわけではなく、天寿を全うしています。旧軍の中にも本来国民に責任を問われなければならなかった人で、それを回避し続けた人間は少なくなかったのではないか、「物量に負けた」というのはそういう意味があるのではないかと思っています。ひょっとしたら、あの戦争で、私たちが結論づけていることの中にはとんでもない勘違いがあるのかも知れません。

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