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2005年10月 4日

「物量」の謎

 米国との戦争で、「物量に負けた」というのは昔からよく言われていることですが、最近私は少々これに疑問を持っています。というのは、ミッドウェーの戦いなど、日本の方が量的には多く、また優秀な搭乗員も揃っていました。あの戦いで米軍が勝ったのはやはり敢闘精神、米国のファイティング・スピリットによるものでしょう。
 もちろん、基礎的な工業力では相当水をあけられていたこと、自国内の資源の量が全く異なっていたのも分かるのですが、それなら何で北ベトナムは米国に勝ったのか。あるいは日露戦争で日本はロシアに勝てたのか、当然の疑問が浮かんできます。
 北ベトナムが米国を征服しようと思っていなかったように、日本も米国に追いつめられて戦っただけで、米国を占領しようなどとは考えていませんでした。守れれば良かったはずで、それならばそれなりの戦い方があったと思います。当初は海軍は近海で敵を待ち伏せ撃滅するのが基本方針でした。そうすれば米国は補給線が伸び、戦力は大きく低下していたでしょう。この点からも当時の帝国海軍、特に不用意に戦線を拡大した山本五十六提督のやったことには大きな疑問を感じます。
 山本は三国同盟反対論者で、それ故に陸軍から疎まれ、右翼に狙われたので危険を避けて連合艦隊司令長官に任ぜられたと聞いています。
 そして、その山本五十六が真珠湾攻撃を指揮するわけですが、この作戦計画を作ったのは黒島亀人先任参謀で、この人にも色々問題はあったものの、真珠湾を叩くということ自体、山本の独断による決定だったことは明らかです。しかし、問題は三国同盟に反対し(すなわち対米開戦に反対し)、滞米経験もあり、米国人の気質を知っているはずなの山本が、なぜ真珠湾を叩いて米国が戦意を喪失すると思ったのでしょうか。その割には地上施設は攻撃していませんし、性格的に考えればかえってファイティング・スピリットを奮い立たせるという懸念をもって当然だと思うのですが。
 しかも山本は真珠湾のときも、ミッドウェーのときも同時に和平交渉の動きを全くしていません。もちろん、連合艦隊司令長官が和平交渉をするわけではありませんが、知己の政治家とか官僚とか民間人とか、誰に頼んだ痕跡もないわけで、そうすると山本はただ太平洋艦隊を叩けば米国は手を上げると思っていたことになります。さすがに連合艦隊司令長官ともなると「自分がその立場にいたらどうだろう」とは、なかなか思いが及ばないのですが、それにしても非常に不自然です。
 海軍では特攻の創始者とされる大西瀧次郎中将が終戦にあたって責任をとり自決しています。しかし、特攻は大西がこれを決断し、伝える昭和19年10月の遥か前に黒島亀人が主張し、準備が始まっており、本人はスケープゴートとしての創始者に祭り上げられた感がなくもありません。
 さらに、A級戦犯として処刑された東条英機総理は「日本軍国主義の悪」をすべて背負わされているわけで、今でもそれは続いています。しかし、東条はもはやほとんど開戦が避けられない状況で天皇への忠誠心から総理を引受けたわけで、直前になって放り出した近衛文麿と比べるとはるかにまともな人のように思います。もちろん、国民に対しては敗戦の責任を負わなければならなかったはずですが、私には山本五十六に比べると東条英機の方が国家に対する貢献は大きいのではないかと思います。
 黒島亀人という人は戦後も自決するわけではなく、天寿を全うしています。旧軍の中にも本来国民に責任を問われなければならなかった人で、それを回避し続けた人間は少なくなかったのではないか、「物量に負けた」というのはそういう意味があるのではないかと思っています。ひょっとしたら、あの戦争で、私たちが結論づけていることの中にはとんでもない勘違いがあるのかも知れません。

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