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2006年4月 8日

政党の変化

  私は平成6(1994)年の民社党解党以来、政党の党籍を持ったことがない。
 したがって、民主党の党首選挙も自分には関わりがないのだが、ちょうどテレビを見ていたら、代表選挙に臨む国会議員が何人かマイクを向けられて、「二人の演説を聞いてから決める」と言っていた。時代が変わったなあと思った。
 民社党当時は、国会議員でも本部の専従者でも地方の党員でも、皆大なり小なり同じ民社党員という意識があった。当然党首は大会で選ばれていたし、中途半端なままで終わりはしたが、「議員政党から組織政党への脱皮」というのが常に言われてきたことだった。
 国会議員もそれぞれの所属する県連の代表という意識が強かったから、国会議員が「これから党首選挙の演説を聞いて誰に投票するか決める」というのは、考えられないことだった(もちろん、今回多くの議員は投票する候補を決めていても、事前に「誰に投票する」と言いにくかったからああいう答えをしたのだろうが)。いずれにしても、今の民主党では自分のバックにいるはずの地方議員や党員、支持団体の意向はほとんど判断基準にないと思う。
 出身母体の意向が、かつて議員の自由な活動を縛ったのは事実である。だから、昔がよかったと言って今を否定するつもりはない。どのみち国会議員は国民の投票によって選ばれるのだから、その時点で民意を収斂しているではないかと言われればそれまでである。
 しかし、それを理解した上でも、今国会議員と有権者の間は昔に比べて非常にギャップができてしまっているのではないか。政党助成金が出るようになって、逆に政党は金をもらうための受皿と選挙互助会になってしまっているし、その一方で政治資金規正法の強化で一般からの資金集めは難しくなっている。この状態は国会議員のサラリーマン化をもたらし、一朝有事の際に身体を張って闘う議員を出にくくしているように思う。
 政治は、かつて弓矢と槍でやっていたものを投票に置き換えただけのことである。小泉総理は、それを理解していたから勝てたのだと思う。したがって、後継者と言われる自民党の4人も、無責任な言い方かも知れないが、一度は反小泉で闘わなければ未来はないと思う。
 今回、小沢氏が代表になった民主党がどう動くのか。非常に興味があるところだが、政治が闘争であることを実感し、実際にやってきている人だけに、先代及び先々代の代表から比べれば、存在感は出るだろう。
 いずれにしても、将校だけでは戦争はできない。いくら良い作戦を立案しても、それを実現するためには下士官と兵が必要である。「こんな素晴しい作戦があるんです。これを実行すれば間違いなく勝ちます」と、マニフェストを見せられても国民は信用できないのだ。もう一度、政党がどういう意味を持つものなのか、見直してみるべきではないか。

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