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2006年4月 5日

中国脅威論

最近中国脅威論がかまびすしい。そして、それはそれなりにもっともでもある。
前にインドの公使と話しているときに「Learn from North Korea, Prepare for China」と下手な英語で言ったら、わが意を得たりという顔で同意してくれたことがある。私自身も朝鮮半島が専門だが、北朝鮮という国は同じ共産党独裁の国でも、つまるところ小国に過ぎないのだから、今は振り回されていても、日本が国家レベルで本気になれば問題の解決はそう難しいことではないと思っている。
 それに比べると中国の場合は国のスケールが大きいだけにもう少しやっかいだ。政官財あるいはマスコミにも学会にも媚中派は少なくないし、国際的な影響力も大きい。私たちはより警戒を強めるべきだと思う。
 その前提で、なのだが、少なくとも、「中国の力が圧倒的だ」とか、「今のままではやられてしまう」と、必要以上の悲観論に浸る必要もない。中国という国は近代に入ってから一度も外国と戦争をして勝ったことのない国である。そして今でも経済構造の軋みや公害問題はもちろん、東トルキスタン(新疆ウイグル)やチベットの独立運動などを抱え、国内に火種は山ほど持っているのだ。
 それに比べれば日本は近代に入ってから、世界中の大国と戦争し、負けた相手は事実上米国だけである。牽強付会に「いや、第2次大戦に中国も連合国側で参加していたのだから、中国は日本に勝っている」としたとしても、その「中国」は「中華民国」、すなわち蒋介石の国民党であって共産党ではない。
 「いっそのこと、南京大虐殺を本当にやったことにして、『文句を言ったらまたやるぞ』と脅かしたらどうか」というのは畏友福井義高・青学大助教授が冗談交じりに言った話だが、確かに江沢民時代、山ほど抗日記念館を建てて反日教育を煽った中国共産党にとって、今更「あれは嘘でした。本当は日本軍はそんなに沢山殺したりはできませんでした」とは言えないだろう。

 今月号(5月号)の「諸君!」に掲載されている東トルキスタン人、ラビア・カーディルさんの話(水谷尚子・中央大講師のインタビュー)の中に、拘置所で彼女が漢族の公安に言った言葉が出てくる。
「中国と戦った日本人はなぜ、私たちの所にまで来なかったのか。彼らがきたら、私たちの運命は今とは変わっただろう」
 あくまで結果論だが、戦前日本の対中政策で最大の過ちは、中国の共産化に手を貸してしまったことだと思う。もし日本が国民党との和平を実現していれば、大躍進政策による飢餓も、文化大革命も天安門事件もなかったろう。国民党の腐敗も相当なものだったとは言え、共産主義による人権弾圧から比べれば天と地の差がある。
 その意味で、もし「中国人民に謝罪する」必要があるとすれば、国民党と戦うことによって、共産党政権を作るのに結果的に手を貸してしまったことである。そして補償する方法は唯一、中国共産党の政権を倒すことだ。親中派の皆さんは、本当に中国のことを思うのなら、ぜひ起ち上がってもらいたい(あるいは中国に媚び、共産党を増長させることによって日本国民に警戒心を掻き立て、それによって対中圧力を強めようという深謀遠慮に基づく愛国的謀略なのかも知れないが)。
 いずれにしても、共産党を利することをやってしまったら、それは中国人民への背信であり、東トルキスタンやチベットなど、共産党に侵略された地域の人々への重大な罪を犯していることになる。厳に戒めるべきである。

 米国も含めて、どこの国もそれぞれ欠点、弱点を山ほど抱えているのであって、日本だけに弱点があるわけではない。過度のコンプレックスは現実の対処すら誤らせてしまう。「もうだめだ」などと思っていないで、私たちはもっと積極的に前に出て行くべきではないか。

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