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2006年5月22日

自衛隊が軍隊でないという欺瞞

 以下は5月18日付「世界日報」に掲載されたものです。こんなことを書くと自衛隊の内部でも嫌われるだろうなと思いながら…。
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 「平和を愛する諸國民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」
 言うまでもなく、現行憲法の前文である。そして九条には「日本國民は、正義と秩序を基調とする國際平和を誠實に希求し、國權の發動たる戰爭と、武力による威嚇又は武力の行使は、國際紛爭を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戰力は、これを保持しない。國の交戰權は、これを認めない」と書かれている。
 芦田修正を初めとして後で色々な屁理屈がつけられているが、前文や九条二項で見る限り、自衛隊はどう考えても違憲である。そして、違憲でなかったとしても、一項を前提としていたら、何にも使いようがないはずだ。
 この矛盾は占領行政とその中途における方針転換の名残でもあるが、考えてみれば半世紀以上、よくもこれほどの矛盾を保ち続けてきたものだと感心(?)させられる。
 九〇式戦車と、イージス艦と、Fー15を持つ組織が「軍隊ではない」と言ったところで誰が信じるだろうか。しかし、日本では、特に永田町や霞が関では、「自衛隊は軍隊ではない。必要最小限の『防衛力』だ」と言い続けてきたのである。
 とりあえずそれで済んで平和が維持されたのは良いことだったのかもしれない。しかし、その欺瞞は国民の中に、そして当の自衛官にも、「自衛とは、そして自衛隊の役割とはやってきた敵を追い払うことだけである」というイメージを植え付けてしまった。
 しかし、自分自身が拉致問題の調査などで全国を回って実感したことだが、この国はどこからでも侵入できる。韓国のように、海岸にことごとく鉄柵をめぐらし、軍が警備をしていても北朝鮮の工作員は上陸してくるのである。長く入り組んだ海岸線を持ち、領海も広く島嶼も多い日本で水際での撃退など絶対に不可能だ。
 それをさせないためには、敵の意図を早期に察知し、威嚇をもって抑止し、それも聞き入れなければ先制攻撃によって基地や当該施設の破壊等を行わなければならない。実際には最後の段階に至るケースは多くないだろうが、少なくとも伝家の宝刀として、抜ける態勢だけは持っているべきだろう。
 「専守防衛」というのは、自衛隊が憲法違反でないという理屈を立てるための詭弁に過ぎない。冷戦時代、米国の軍事力がバックにある安心感と、左翼の攻撃への対応から、自衛隊の最大の役割は「ともかく軍事力を維持すること」だった。文字通り「自衛」隊である。それはそれで仕方ない面があったのだが、終戦の年に生まれた人がすでに還暦を過ぎているのだ。いい加減脱皮する時期ではないか。
 昨年六月十四日、参議院内閣委員会で拉致被害者をどうやって取り返すのかという質問に対し、細田官房長官は「先方(北朝鮮)も政府で、彼らのこの領土の中においてはあらゆる人に対する権限を持っておりますので、これは我々が説得をして、そして彼らがついに、実は生きておりました、全員返しますと言うまで粘り強く交渉をすることが我々の今の方針でございます」と答えている。本来ならこれだけで内閣が総辞職に追い込まれても仕方ない無責任な答弁だ。
 主権侵害による被害に遭い、憲法が保障しているはずの「基本的人権」を侵害されて苦しんでいる人がいる。放置しておけば次の、主権侵害による被害者が出る可能性も少なくない。それは拉致だけではなく、また北朝鮮だけによるものでもないはずだ。
 私たち自身の安全を守るためにも、もう一度現実的視点から軍事の問題を見つめ、具体的に駒を進めるときだと思うのである。

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