« 2006年5月 | トップページ | 2006年7月 »

2006年6月25日

トイレ

大変お恥ずかしい話を二つ

3月下旬のことである。特定失踪者家族懇談会で鹿児島に行った。開会の前、少々催してトイレに行った。
 所定の作業を終えてふと気がつくと、外で女性の話し声がしている。「掃除のオバサンかな」と思ったが、どうもそうではないようだ。
 しまった、と思っても後の祭り、そう出入りは多くないようなので、声が聞こえなくなってから個室を飛び出したが、運悪く洗面台のところに一人、化粧を直していた人がいて、鏡越しに目が合ってしまった。向こうも驚愕の様子だったが、悲鳴は上げられなかったので目を伏せて外に出た。
 あのとき騒ぎになっていたら私は痴漢の現行犯でつかまっていたかも知れない。もちろん、トイレをトイレとして利用しただけなのだが。
 もう一つ、去年の12月頃だったと思う。九州のある町で宿泊し、夜の11時頃、「しおかぜ」の受信状況を確認しようと、ラジオを窓際に持っていったら、10メートル位も離れていない、隣りのホテルの部屋の窓に女性の影が映っているのである。向こうの部屋は室内を明るくしてあるから外は見えないようなのだが、正直な話、一瞬目が釘付けになってしまった。
 もちろん、こちらから見えるということは、窓を開けるか部屋を暗くすれば向こうからも見えるはずである。「覗かれています」などと通報されたら大変なので、何とか理性を働かせ、カーテンを閉め切ったのだが、今考えるとひやっとする。相手が故意に挑発していたらこちらの理性が勝っていたか分からないからだ。大体ホテルの部屋に戻るときはアルコールが入っているからなおさらである。その延長線上にハニートラップというのがあるのかも知れない。いずれにしても、李下に冠を正さずで、誤解を受ける行動は(謹めるものなら)謹んだ方がいいと思います。

|

2006年6月17日

北朝鮮人権法可決で思ったこと

(以下は6月16日付の「調査会NEWS」に書いたものです)

 今日北朝鮮人権法案が参議院で可決成立しました。

 会期延長がないということで、正直なところ継続審議になってしまうのではないかと思っていましたので、とりあえずほっとしています。内容的にも評価できるものであり、自民・民主・公明各党の担当者の皆さんのご尽力に心より敬意を表する次第です。

 私は今島根の松江にいます。明日開催される島根県民集会に参加するためです。この集会には加藤博・北朝鮮難民救援基金事務局長と私が講演しますが、空港から松江市内に向かう途中、加藤さんと「10年前なら『北朝鮮人権法』などと言っても誰も相手にしなかったでしょうね」と話していました。世の中の変わりように感慨もひとしおです。

 ところで、ここに来る前に平沼赳夫・拉致議連会長にお会いしたところ、事務所に「人権法に難民の保護をうたっているのはけしからん」という内容のメールが多数来ていると言っておられました。それを聞いたときに、私は、「これこそが今後の運動の中で克服していかなければならないことだな」と思いました。

 「拉致問題だけ協力してほしい」と外国で言ったところで、それは基本的にはエゴでしかありません。「北朝鮮の人権問題は深刻であり、拉致被害者のいる日本はそれを身にしみて感じている。したがって先頭に立って北朝鮮の人権問題を解決します。皆さんも協力してください」というのがあるべき姿でしょう。直接の解決はあくまで日本の安全保障問題として、日本と北朝鮮の二国間でやるべき問題です。

 例えば、アメリカ人が日本にやってきて「うちの息子がキューバに拉致されている。日本は同盟国なのだから助けて下さい」と言ったらどう思うでしょう。「それは、お気の毒だけど、まずアメリカとキューバの間でやることではないですか。もちろん、お手伝いはしますが」というのが正直なところでしょう。

 難民保護について、日本国内の混乱を心配する声もあるようですし、確かにその懸念が全くないとは言えません。しかし、日本の人口から考えれば最大限でもコンマ数パーセント程度の、しかも日本に縁故のある難民を引受けられないほど、この国は包容力のない国なのでしょうか。

 大東亜戦争をアジア解放の戦争だと思っている方は、多少の犠牲を払っても北朝鮮国民を独裁政権から解放することこそ、英霊の思いに報いることと考えていただきたいですし、逆に侵略戦争だったと思っている方は、その償いのためにも北朝鮮の独裁政権から、彼の地に住む人すべてを解放しようと考えてもらいたいと思います。今、本当になすべきことは何なのかを考えれば、そう違った結論は出てこないはずです。
 
 いずれにしても、この人権法可決は今後大きな効果をもたらすでしょう。まさに「攻撃は最大の防御」であり、法律制定の効果を高めるためにさらに次の手を打っていかなければなりません。わたしたちもそのために努力を続けるつもりです。

 今朝、石川県の白山市では、特定失踪者安達俊之さんのお母さんと支援者の皆さんが早朝5時半からの「しおかぜ」第一放送を聞いてくださいました。東京では受信状況が悪かったので心配したのですが、石川ではしっかり聞こえたそうで安心しました。ご家族の思いを何とか結果に結びつけるように、がんばります。今私たちのところに入ってきている様々な情報は、間違いなく近いうちに大きな変化があることを指し示しています。人権法制定をはじめこのチャンスを絶対に逃さないようにしていきます。今後ともよろしくお願い申しあげます。

|

2006年6月 6日

仏教と神道

 昔ヨーロッパのどこかで、だったか、何かの用紙に「Religion(宗教)」という欄があり、はたと困った記憶がある。
 私の場合お寺は曹洞宗である。家には一応ささやかな神棚があるのだが、仏教と書くべきか神道と書くべきか、悩んだ末に「Shintoと書いても分からないだろうから」という極めて不謹慎な理由で「Buddist」と書いた。
 こんなことで悩むのも日本人ならではかも知れないが、およそ一神教の人には信じられないだろう。
 あらためて考えると、自分にとっての「信仰」という意味ではやはり神道の方になるように思う。仏教は、私には宗教というより、一種の論理学に感じられる。それと荒木家の墓の問題はまた別の認識である。

 まあ、神道でも仏教でも、というのは日本人の大多数の感覚なのだが、占領した米軍は何かカルトのようなものに思ったらしい。確かに、特攻というのは自分を殺すのだから、よほど狂信的な宗教が精神的な基盤になっているのだと思っても不思議はない。しかも、回天や桜花のような兵器では、一旦潜水艦や一式陸攻から切離されれば相手に当たろうが当たるまいが死は確実である。そして、そのために訓練を積まなければならないのだ。もちろん、断れないような雰囲気はあったにせよ、自分の判断で死を選んだということは欧米人には信じられなかったのだろう。しかし、そこには死生観という意味での宗教意識はあったにせよ、宗教によって死を選択したのではない。

 ところで、私の勤務する拓殖大学には拓殖招魂社という神社がある。日露戦争における拓大関係者の物故者19名をはじめ、主に戦争で亡くなった学生、卒業生等の功績を後世(こうせい)に伝えるもので、昭和7年に建立された。
 昭和20年12月 GHQの神道指令により招魂社は焼却させられた。このときは全国の学校からキリスト教以外の宗教施設がことごとく撤去された。キリスト教だけ残したというのもひどい話だが、招魂社が再建されるのは独立回復後、昭和30年になってである。このときは文京キャンパスにあったが、昭和57年には八王子キャンパスに移設された。今は広い八王子キャンパスの一角にある小山の上にある。拓大の八王子キャンパスは、私自身は見たことがないが奥の方に行くとイノシシがでるそうで、招魂社のある小山もちょっと別世界のようなところである。

 考えてみると、日本は領土と人種と文化と言語と固有の宗教がほぼ重なる、おそらく世界でも極めて珍しい国だと思う。このために中にいる限り極めて居心地の良い空間であることは間違いない。神道は外人に布教することもない。私は「万邦無比」という言葉はあまり好きではないが、ある程度特殊性を認識しておいた方が、他国のことも客観的に見られるのではないかと思う。また、外国に対しても日本がどういう国かについてもっと知らせる努力が必要だろう。知らせる努力は同時に自分を見つめることにつながるからだ。

 ちなみに、この次に「Religion」欄があったら「Shinto」と書こうと思っている。「それはどういう宗教だ?」と聞かれるとちゃんと説明できる自身はないのだが。

|

« 2006年5月 | トップページ | 2006年7月 »