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2006年6月17日

北朝鮮人権法可決で思ったこと

(以下は6月16日付の「調査会NEWS」に書いたものです)

 今日北朝鮮人権法案が参議院で可決成立しました。

 会期延長がないということで、正直なところ継続審議になってしまうのではないかと思っていましたので、とりあえずほっとしています。内容的にも評価できるものであり、自民・民主・公明各党の担当者の皆さんのご尽力に心より敬意を表する次第です。

 私は今島根の松江にいます。明日開催される島根県民集会に参加するためです。この集会には加藤博・北朝鮮難民救援基金事務局長と私が講演しますが、空港から松江市内に向かう途中、加藤さんと「10年前なら『北朝鮮人権法』などと言っても誰も相手にしなかったでしょうね」と話していました。世の中の変わりように感慨もひとしおです。

 ところで、ここに来る前に平沼赳夫・拉致議連会長にお会いしたところ、事務所に「人権法に難民の保護をうたっているのはけしからん」という内容のメールが多数来ていると言っておられました。それを聞いたときに、私は、「これこそが今後の運動の中で克服していかなければならないことだな」と思いました。

 「拉致問題だけ協力してほしい」と外国で言ったところで、それは基本的にはエゴでしかありません。「北朝鮮の人権問題は深刻であり、拉致被害者のいる日本はそれを身にしみて感じている。したがって先頭に立って北朝鮮の人権問題を解決します。皆さんも協力してください」というのがあるべき姿でしょう。直接の解決はあくまで日本の安全保障問題として、日本と北朝鮮の二国間でやるべき問題です。

 例えば、アメリカ人が日本にやってきて「うちの息子がキューバに拉致されている。日本は同盟国なのだから助けて下さい」と言ったらどう思うでしょう。「それは、お気の毒だけど、まずアメリカとキューバの間でやることではないですか。もちろん、お手伝いはしますが」というのが正直なところでしょう。

 難民保護について、日本国内の混乱を心配する声もあるようですし、確かにその懸念が全くないとは言えません。しかし、日本の人口から考えれば最大限でもコンマ数パーセント程度の、しかも日本に縁故のある難民を引受けられないほど、この国は包容力のない国なのでしょうか。

 大東亜戦争をアジア解放の戦争だと思っている方は、多少の犠牲を払っても北朝鮮国民を独裁政権から解放することこそ、英霊の思いに報いることと考えていただきたいですし、逆に侵略戦争だったと思っている方は、その償いのためにも北朝鮮の独裁政権から、彼の地に住む人すべてを解放しようと考えてもらいたいと思います。今、本当になすべきことは何なのかを考えれば、そう違った結論は出てこないはずです。
 
 いずれにしても、この人権法可決は今後大きな効果をもたらすでしょう。まさに「攻撃は最大の防御」であり、法律制定の効果を高めるためにさらに次の手を打っていかなければなりません。わたしたちもそのために努力を続けるつもりです。

 今朝、石川県の白山市では、特定失踪者安達俊之さんのお母さんと支援者の皆さんが早朝5時半からの「しおかぜ」第一放送を聞いてくださいました。東京では受信状況が悪かったので心配したのですが、石川ではしっかり聞こえたそうで安心しました。ご家族の思いを何とか結果に結びつけるように、がんばります。今私たちのところに入ってきている様々な情報は、間違いなく近いうちに大きな変化があることを指し示しています。人権法制定をはじめこのチャンスを絶対に逃さないようにしていきます。今後ともよろしくお願い申しあげます。

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