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2006年8月 7日

鉄ちゃん

 「鉄ちゃん」ー言うまでもなく鉄道マニアを揶揄した言葉である。そして、私もこの末席を汚している。

 「鉄ちゃん」という単語は少なくとも私が大学生時代には存在した。したがって少なくとも30年の歴史(?)があることになる。ただ、当時は一般人(非鉄道マニア)に知られていた言葉ではなく、自分の周囲では鉄道写真を撮りに行くことを「鉄ちゃんする」と、動詞形で言っていた。鉄道マニアも市民権を得たことになるだろうか。

 最近では 「鉄ちゃん」の蔑称というか、さらに揶揄した言葉で「鉄」と言ったり、あまり病気が進行していない「鉄ちゃん」を「軽鉄(かるてつ)」と言ったりすることもあるそうだ。先日「読売ウィークリー」で読んだのだが、最近は女性の「鉄ちゃん」もいて、「鉄子さん」と言うとか。まあ、「旅」の比重が高く(つまり一般人でも理解できる)男ほどオタクっぽくはないのだろうが。

 さて、昨日私は久しぶりに「鉄ちゃん」しに出かけた。出張した空き時間に写真を撮りに寄ることはときどきあるが、そのために半日出かけるということになると、少なくとも10年以上やっていなかったのではないか。行った先は常磐線の馬橋から出ている路線延長5.7キロの小私鉄、総武流山電鉄である。車輌はすべて元西武鉄道の車。西武ファン(野球の方ではありません)としては懐かしい車ばかり。

 終点の流山で降りて歩き、さて写真を撮ろうと前にこのブログでも書いたオリンパスOM-2を出し、盛んにシャッターを切った、といいたいところだが、普段の行いが悪いせいか、カメラが故障してシャッターが切れなくなってしまった。いくらいじくってもどうにもならず、結局それでおしまい。携帯で2〜3枚撮ってはみたものの、肝心のフィルムの方は1枚も撮れず、ただ乗って帰ってくることになった次第。

 まあ、ちゃんと撮れたところで腕の方は大したことはないので、下手な写真でフィルムを浪費するよりましだ、と自分を慰めた。乗るのも趣味のうちだし、前に流山に来たのは30年位前だから、それもまた悪くはなかったと思っている。

 ちなみに、自分の学生時代は写真を撮りに行くにしても「マル井写真」(駅のそばで安直に撮る)とか、「キヨスク写真」(駅のホームでさらに安直に撮る)というのは軽蔑されていて、何となく「鉄道写真は何キロも歩いて撮るのが王道」といった暗黙の了解があったように思う。

もっとも、鉄道写真でも走行写真ではなく、形式写真という、車輌ごとの写真ばかり撮る人もいる。私もかつてはやっていたが、こうなると芸術性も何もない。ほとんど解剖学的な視点になってしまう。きれいな風景の中を走る走行写真なら一般人も多少共感してくれるが、車輌ごとの写真を並べて薄笑いを浮べている姿は結構不気味である。何人か鉄道マニアが集まってそういう写真を喜々として眺めていれば、常人はおそらく避けて通るだろう。

 鉄道マニアというのは駅などで立っていると、雰囲気だけでそれと分かる(特に同業者同士は)。何となく自分を見ているようで気恥ずかしくなるときがある(かつて、写真を撮りに行った先で同じ車輌に何人も同業者がいたために恥ずかしくてカメラが出せなかったことがあった)。

まあ、私も含めてこれらの人種は別に他人に害を与えることはないので、暖い目で見てあげて下さい。鉄道でどこかに行こうと思ったときには「乗換案内」の代わりになり、結構重宝するはずです。ただし、「あそこを走っている車輌は昔ここにいた車で…」とか、「この線の運転の仕方は他と変わっていて…」とか若干蘊蓄を聞かされる覚悟は必要ですが。

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