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2006年9月27日

安倍内閣

 新内閣がスタートした。色々なことを言われているが、はじめが肝心である。韓国語には「シジャギ パニダ」(始めれば半分終わったも同じ)という諺があるが、体制が整うのを待たずにどんどん突っ走ってもらいたいと思う。

 ところで、小板橋孝策著『下士官たちの戦艦大和』(光人社NF文庫)に次のような部分がある。
 昭和19年10月24日、レイテ海戦での大和艦上の光景である。筆者は重巡「愛宕」に乗っていたが撃沈され、大和で見張の任務についていた。
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 この空襲の終了直前、「大和」の左舷中央、ちょうど艦橋前面付近の外舷に、数発の至近弾が投下された。その爆風がものすごい勢いで左舷艦橋にむかって、いっせいに吹き上げてきた。
 「ヤ、ヤラレタ」
 そのような意味の叫びが、あちこちでドッと湧く。艦はショックで大きく横ぶれに揺ぎ、兵たちの何人かが倒れた。
 この爆風は、「大和」の左舷水線付近に、大きな破口をうがち、たちまち、砂利のような鉄片をまじえて艦橋に吹きつけてきた。
 そのとき、身を乗り出すようにして見張についていた第二艦橋の水平が一人、運悪く、その爆風をもろにうけてしまった。
身体を乗り出していたので、上半身を鉄片まじりの爆風が吹抜けていったのである。その見張員は、うしろの鉄板にガツンとたたきつけられた。
 その上半身はすさまじい状態に変わりはてていた。乗り出していた部分の肉片がすべて削ぎ取られ、剥ぎ取られ、無残にもアバラ骨だけが残り、顔は吹飛び、腰あたりから下、両足だけがズボン姿のままで、二、三回ほどけいれんしていた。一瞬の出来事である。
 この憐れなガラのようになった水平の死体は、やがてドラム缶に入れられ、ロープにつるされて艦橋からおろされる。
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 いうまでもなく、こういう光景は戦争中なら通常の光景である。そして、この水兵のように死んでいった無数の英霊の上にこの国はある。さらに、これから先、このような自衛官が、場合によっては一般国民が出ることも覚悟して、総理が戦いを決断しなければならないときもあるかも知れない。また、総理自身が命を狙われることもあるかも知れない。釈迦に説法だし、総理がこのブログを読むわけではないが、安倍さんには現在の日本国の世界に占める重みと同時に、過去から未来へと続く歴史の重みをしっかり認識して、闘い続けてもらいたいと思う。

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