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2006年9月 9日

命の大切さ

 「命の大切さ」ーー中学生や高校生絡みの殺人事件などが起きると、必ずその学校などではこの言葉が出てくる。校長が記者会見して「今後は生徒に命の大切さを理解させていきたい」などといったように。

 しかし、命がどうして大切なのか、普通の中学生や高校生に簡単に分かるとは思えない。インターネットだ、ゲームだと、バーチャルな世界にのめりこんでいれば、現実と仮想現実の境はなくなっていく。いくら言葉で「命を無駄にしないように」と言われても、また惨害は繰り返されるのである。

 ところで、先日警察の人と話をしていて、殉職者の話題に話が及んだ。警察という職場は、減らすことはできても殉職者をゼロにすることはできない職場である。ケースによっては、自分の生命を危険にさらしても、任務を遂行しなければならない場合もあるだろう。しかも、警察官は「警察比例の原則」で、相手に優る武装をしたり、先制攻撃をすることは基本的にはできない。警察は法秩序を維持するために補助的に武器を使うところであり、この点は同じ武器を使う組織でも軍隊とは決定的に異なる。しかも警官が発砲すればその正当性がどうこうと、すぐにマスコミが問題にする。自らを守るという意味で非常に不利なのである。
 その警察で、殉職者は各県警ごとに毎年ご家族を招いて慰霊行事をするとのこと。しかし、その行事は警察内部のものであって、例えば民間人を救ったことによって殉職した警官がいた場合でも、その民間人が行事に呼ばれたりすることはないそうだ(県警ごとの行事だから例外はあるのかもしれないが)。警察の立場からすれば、それを外部にアピールすることはどうしても遠慮がちになるのだろうが、逆に外部の人間はもっとそれを尊重すべきなのではないか。たとえば、中学や高校でも、慰霊行事に参加させてもらうとか、あるいは現職でもOBでも学校に招いて、仲間がどう殉職したのか話をしてもらう場を持つなどの方法もあると思う。
 命が最も大切だとしたら、最も大切なはずの自分の命を捧げる必要はない。市民が危険にさらされているからと言って警察官が自分の身を挺して守ろうとすることはないはずだ。しかし、現実には消防士などもそうだが、どんなに注意しても殉職者をゼロにすることはできない職場がある。戦争になったときの自衛官はもちろん一定数の死を覚悟しなければならない。そして、そのような仕事に着く人がいなければ国家も、私たちの暮らしもなりたたない。
 命の大切さは、死によって親しい人と永遠の離別をせざるを得なくなったときの欠乏感と、公のために命を捧げてくれた人への敬意によって理解されるのだと思う。私も機会を見て警視庁の殉職者の追悼碑を訪れてみたい。

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