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2006年10月31日

自殺

 岐阜の中学生の自殺の話が大きなニュースになっている。
 この事件自体については詳しくフォローしているわけではないので、何とも言えないのだが、気になるのは皆が「犯人捜し」をしているように見えることだ。以下は一般論としてお読みいただきたい。

 特に中学生や高校生の自殺について、誰々の言葉がきっかけになったとか、教師の対応に問題があったとか、ろくに分かっていないと思われる人まで理由をつけたがることが多い。とくにマスコミはそうしようとし続ける。

 もちろん、人が一人、自ら命を絶ったのだから、周囲がその原因について考え、また問われるべき責任は問われることになるのが当然だろう。しかし、その前提の上で言いたいのだが、自殺の原因が、本当に他人に分かるのだろうか。これは友人や教師のみならず、親や、場合によっては本人も、分からないことだってあるのではないか。

 私には自殺した友人、自殺ではないかと思われる死に方をした友人、自殺に近い病死をした友人がいるが、結局その本当の理由は分からない。分からないというより、分かりたくないのだ。自ら命を絶った人間に、「あいつはこうだったから自殺したんだ」とは、とても結論づける気にはならないというのが正直なところである。「犯人捜し」をしているうちにその本質から遠ざかり、本人を冒涜することになってはならないのではないか。同情というのは場合によってはもっとも簡単な優越感の表現でもあるのである。

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