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2006年12月28日

蓮池さんのこと

以下は特定失踪者問題調査会のNEWS 456号(12月28日付)で流したものです

■蓮池さんのこと
                      荒木和博

 調査会の岡田常務理事から言われて気づいたのですが、蓮池透さんの著書『奪還 第二章』126ページに警察の事情聴取に関する話が出てきます。その中にこんな一節があります。
 
 「弟夫婦への警察の事情聴取は結局、2004年秋に弟の希望通り実家で行われました。その時、驚くような質問を受けたそうです。
 『北朝鮮のパスポートを所有していますね。日本国内へ工作活動に来たのはいつですか?誰にも言いませんから』
『北朝鮮で日本語教育というある意味でスパイ養成に加担したわけですが、どういうお気持ちで?』
弟は、『日本国内になんて、入れるわけがないだろう。日本語教育は、われわれが生き残るためにやったまでなのに…あなた方は助けに来てくれたのか?』と激怒したそうです。状況を聞いた私は開いた口が塞がりませんでした」

 確かに、こう聞かれれば、薫さんが怒るのももっともでしょう。誰も助けに来なかったのに何を言うか、というのは今北朝鮮に残っている拉致被害者からも、私たちはやがて同じ言葉を聞かされることになると思います。

 しかし、それはそれとして、この記述が事実なら、なぜ警察はあえてこういう質問をしたのでしょうか。何も根拠がなくて、皆が腫れ物にでも触るように扱っている帰国した拉致被害者にこういうことを聞くでしょうか。やはり警察は何か極めて重要な情報、捜査上の秘密などという言葉で隠してはならない重要なことを知っていて、そして隠しているのではないかと思わざるを得ません。あるいはそれは警察レベルのことではないのかも知れません。そして隠しているという意味ではもちろん帰国した5人もです(私は少なくとも5人を非難するつもりはありませんし、その資格があるとも思いませんが)。

 ちなみに私はこれまで5人に何度も、もっと積極的に事実を語ってほしいと手紙を出してきました。『奪還 第2章』にはそのことも書かれており、調査会から脅迫状めいた手紙が届いたとされています。そう受け止められているとすれば残念ですが、私たちはほんの僅かな、不確かな情報でも渇望している失踪者のご家族の思いを背に負っているのですから、多少の無理はせざるを得ません。それが脅迫であるとして罪に問われるならそれも仕方ないと思います。

 少し話が変わりますが、平成14年9月17日の、外務省飯倉公館で確認もしていない死亡情報を「確認しました」と伝えられたこと、そうしておきながら北朝鮮の伝えてきた「死亡」日付などの情報は伝えなかったという体験のおかげで、私の国家権力というものに対する見方は大きく変わってしまいました。この件については拙著『拉致 異常な国家の本質』に書きましたが、先日これが原作となった漫画が『撃論』というコミックの中に掲載されています。山本美保さんの事件についても載っていますので、関心のある方はご一読下さい。もっとも、そのときの雰囲気は結局その場にいた者でなければ分からないとは思います。

 さらに話が飛躍します。遡ること65年、ミッドウェー海戦での大敗北を、当時の帝国海軍は隠し続けました。陸軍すら知らない状態であったのですから、その後まともな作戦計画など立てられるはずはありません。残念ながらまだ見ていないのですが、今上映されている映画「硫黄島からの手紙」にも栗林中将が海軍の現状を知って驚愕するシーンがあるそうです。これは決して誇張ではないと思います。

 そのとき、海軍の首脳に何らかのはっきりした方針があって隠していたならまだ良かったでしょう。実際にはそんな高次元なものではなく、単に「認めたくない」「責任を取りたくない」ということだったとしか思えません。そして、そこから始まった壮大なボタンの掛け違えの結果が何であったのかは歴史が教えてくれています。

 私には今、拉致問題をめぐって行われていることがこれと同じなのではないかと思えてなりません。国家としての基本方針が存在しない中で、個別の機関がそれぞれ自分の都合で隠したり、あるいは必要に応じてマスコミにリークしたりする。マスコミはマスコミで、個々の記者は「おかしい」と感じながらもリークする者の意図に沿うように報道してしまう、ということで来てしまっているのではないか。そんな懸念がこの数年脳裏を離れないのです。

 拉致問題は絶対にハッピーエンドでは終わりません。「見なければ良かった」というようなことに私たちは今後何度も直面することになるはずです。しかし、正面から真実と向き合う勇気がなければ、必ずそのツケは私たちに回ってきます。想像もできないような事実を受け止めることができるかどうか、私たち一人ひとりが天から試されているのかも知れません。
 

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