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2007年1月10日

弥生慰霊堂

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 昨年9月9日付の本ブログで、警察殉職者の慰霊施設に行ってみたいと書いたが、1月9日にその施設を訪れることができた。4か月もたってやっとなのだから、あらためて自分のいい加減さを実感するが、行ってみて正直なところ驚いたのである。
 私が訪れたのは「弥生慰霊堂」という、警視庁及び東京消防庁の殉職者が祀られた慰霊施設である。警察庁は行政官庁だから、警察の慰霊施設は県警毎にあるそうだ。
 弥生慰霊堂は皇居北の丸公園の中、地下鉄九段下駅から最も近い田安門の裏側にある。地下鉄の出口から地上に出てものの3分ほどのところである。靖国通りを隔てて靖国神社があり、こちらはたびたび行っているのに、警視庁の人に教えてもらうまで、向かい側にそういう施設があることは全く知らなかった。
 インターネット百科事典「Wikipedia」によれば弥生慰霊堂の由来は次のようなものである。警察官の慰霊施設は明治18(1985)年、現在の文京区内に創建された「招魂社」という神社だった。この招魂社は警視庁の管轄で戦前何度か移転したが、敗戦によって進駐した連合国の「神道指令」で警察による管理ができなくなったため、昭和22(1947)年に有志が弥生廟奉賛会を組織し出資して現在の地に「弥生廟」として建立された。この時点では神社ではなかったが慰霊行事は神道式でやっていた。
 その後昭和58(1983)年に名称を弥生慰霊堂と変更、奉賛会も「弥生廟奉賛会」から「弥生奉賛会」として慰霊行事も無宗教のものとして現在に至っている。何らかの理由があってのことだろうが、写真を見ていただければ分かるように、鳥居はないものの作りは完全に神社のそれである。Vfts0009
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 ここまでの作りにしていて、無宗教というのも違和感を感じるが、それ以上に不可解だったのは、何も由来を書いたものがないことだ。祀られている人の名前どころか、何の慰霊をするところかすら分からないのである。北の丸公園の地図には「弥生慰霊堂」とすら書かれていない。写真を見ていただいて分かるように「昭和天皇野点所」とあるだけだ。これは、弥生廟ができる前の昭和5年、昭和天皇が関東大震災の復興状況を視察されたときの記念の場所で、その石碑があるからなのだが、この石碑が書かれていて弥生慰霊堂の記載がないというのは不思議だった。何かの経緯があってそうなっているのだろうが、それにしてもこれでは殉職された方々に対して何とも失礼だ。せめてこの施設の由来とお名前だけでも刻んだ石碑を建てることはできないのだろうか。
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 もちろん、そうしたところで亡くなった方が帰ってくるわけではないのだが、公のために殉じた人々の存在を思い、敬意を払うことは生きているものとしての当然の努めだろう。私自身は拉致問題を通して警察も批判してきたし、これからも批判すべきところはしていくつもりである。また、最近警察は相次ぐ不祥事で信頼を失っていることも事実だろう。しかし、大多数の方々は厳しい条件の中で日夜職務に精励しているのであり、そして中にはその職務中に命を落とす人もいるのだ。この点は消防関係者も同様で、「平和憲法」に守られている自衛隊とは全く異なる。
 靖国神社に参拝される方、武道館に来られた方はぜひこの弥生慰霊堂にも立ち寄っていただきたい。また、各県には県警毎に同様の施設があるはずである。そこには「公」のために、家族を残して殉じた方々が祀られており、それがあるからこそ私たちの安全が保たれているのである。
 

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