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2007年3月11日

衛藤晟一氏の復党

別に私は自民党の人間ではないし、外部からどう見られるかは別として、自分が「保守」の人間ではないと思っている。聞かれれば「私は社会主義者である」と言っている。

 もちろん、ここで言っている「社会主義」とはマルクス・レーニン主義ではなく、民主社会主義のことである。自分が高校生の頃この思想にたどり着いたのは、保守よりも民主社会主義者の方がはるかに共産主義・マルクス・レーニン主義と戦っていると思ったからである(当時はそこまで考えたわけではないが、皮膚感覚としてそう感じた)。いまでも左翼思想に対する敵愾心という意味では私は人後に落ちないつもりである。

 だから、自分にとって自民党というのは常に他人の政党であって、今日まで含めてそこで何が起きようと他人事でしかなかった(ついでに言えば、民主党も旧民社の仲間がいるということ以外には同様である)。

 まわりくどくなったが、そんなことなので私が衛藤さんの復党についてどうこう言う筋合いのものではない。その前提で、なのだが、今回の復党はそもそも衛藤さんが自民党を離れなければならなくなったこと自体がおかしいのであって、手続きはともかく、復党自体はより自民党らしい人が増えた(元に戻った)だけ良かったと思う。

 一昨年の郵政解散は、言うまでもなくまったく筋の通らない政変だった。たかだか郵政民営化で衆議院を解散する必要などなかったのだ。そして、その結果平沼拉致議連会長をはじめ、本来自民党が本当の意味の保守政党として、自民党らしくあるために欠かすことのできない人材が党から離れてしまった。結果的にそうなったこととは言え、国家にとって極めてマイナスである。

 今、慰安婦の問題で米国でも色々騒がしくなっている。このもとを作ったのは河野洋平・元官房長官の談話である。政府の大番頭が言ったことであるために、「証拠」として様々に利用されている。そして本人は今も同様のことを言い続けている。この人の存在は国家にとって間違いなくマイナスであるし、自民党のアイデンティティーを著しく毀損している。もちろん、政治家の所信として発言するのは自由だが、自民党ではなく、せめて当時の社会党にでも党籍を移して言うべきだった。

 そもそも、村山内閣で社会党と手を組んだこと自体が、自民党のアイデンティティー喪失の始まり(もちろん、病気はそれ以前から始まっていたのだろうが)である。1960年体制の下、自社の疑似連立政権で表面対立、裏でなれ合いという構造が続いてきたことが自民党の社会党化を招いたのである。これをどこかで断ち切らなければ自民党に明日はない。今民主党があのていたらくで、党首が政局ばかりを考えて左シフトをしているからいいよなものの、もし民主党がはっきりとした基本政策を打ち出し、一方で労働組合のバックアップの元格差社会の是正でも具体的に進めたら、自民党の政権は続けられないはずだ。ある意味現在の自民党は民主党に助けられていると思う。

 おそらく、本当に保守らしい保守の政治家にとっては今の自民党は住みにくいはずだ。だから衛藤さんにはがんばってもらいたい。細かい手続きなどどうでもいいから、自民党が結党の原点に立ち返り、本当の保守政党に生まれ変わるように。どのみち一度政治生命がなくなったようなものなのだから、守りではなく、周囲の評価より国家の明日を考えて攻めの姿勢を続けてもらいたいと思うのである。

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