1枚の写真
調査会の事務所に1枚のキャビネ版の写真がある。
家族会ができて半年ほど経った平成9年10月7日の日付の写真である。何かの会合の後で撮った記念写真で、確か場所は芝のABCホールかどこかだったように記憶している。そこには前列左から現救う会全国協議会常任副会長の西岡力さん、会長の佐藤勝巳さん、家族会副代表の蓮池透さん、後列左から元全国協議会会長代行の小島晴則さん、産経新聞で昭和53年にアベック拉致をスクープした阿部雅美さん、横田めぐみさん拉致の情報を初めて明らかにした朝日放送の石高健次さん、私、昭和63年に国会で初めて北朝鮮による拉致の答弁を引き出した元参議院議員秘書の兵本達吉さん、家族会代表の横田滋さん、夫人の早紀江さんが写っている。
この写真に写っている人々それぞれの現在を考えると複雑な思いにとらわれるが、私は別にしてここに写っている方々はどの1人が欠けても今日の拉致問題の進展はなかったと断言できる
そして、言うまでもなくそれ以外にも多くの方々が救出運動に加わり、何人かは去っていった。現在運動に関わっていても考え方は様々である。しかし、その人々が今どのような立場にいたとしても、すべからく拉致被害者全員の救出を願い、積極的であるか消極的であるかは別にして、今もそのための何らかの行動をしていると確信している。方法論が異なるのは仕方ないし、運動をしていく上で節目節目の決断は必要だろうが、運動に関わるものとして、それを忘れてはならないと思う。
拉致問題全体にハッピーエンドはありえない。横田めぐみさんが帰ってくるとか、有本恵子さんが帰ってくるとかいう、個々の被害者についての解決(それですら数十年という北朝鮮での取り返しのつかない時間があるのだが)はあっても、全体としては、帰国を果たせた人(今帰っている5人も含め)の失われた時間も含め、私たちはとてつもなく重いものを背負い込まねばならないだろう。そして、それは拉致被害者にとどまるものではなく、政治犯収容所の中で殺された北朝鮮の人々や北朝鮮の道端で凍えて死んでいった子供たちのことも含めてである。あのような「悪」を見過ごして飽食してきた私たちはやがてその報いを受けなければならないときが来るはずだ。
しかし、それに私たちは正面から向き合わなければならない。次の時代にこのことをつけ回ししてはならない。どのようなことが待っていたとしても、前に向かって進んでいかなければならない。そのとき心の支えになるのは、これまで拉致問題に、そして北朝鮮の人権問題に取り組んできた人1人ひとりの思いである。民間人であれ、政治家であれ、官僚であれ、軍人であれ、あるいはジャーナリストであれ。それらの人々の顔を思い出しながら、今後も試行錯誤を続けていくことになるのだろう。
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