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2007年4月30日

「正論」6月号

月刊「正論」6月号に「なぜ拉致被害者救出に自衛隊を投入しない!」と題し寄稿しました。こんなことを書くと「俺はそんな危ないことをするために自衛隊に入ったんではない」という反論も聞こえてきそうですが、この際右も左も大いに批判してもらい、議論をしていければと思っています。ご関心のある方はご一読下さい。

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2007年4月24日

しおかぜ支援グッズ

特定失踪者問題調査会ではこれまでしおかぜ支援グッズとしてストラップやリストバンド、タオルなどを販売してきましたが、さらにボールペンとシールを作成しました。詳しいことは下記をごらん下さい。多くの方にご協力いただければ幸いです。

http://senryaku-jouhou.jp/newgoods.html

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2007年4月18日

暗殺

 長崎市の伊藤市長が暗殺された。狙撃直後に心肺停止ということだから、事実上即死に近かったのだろう。つきなみな言葉しかもうしあげられないが、心よりご冥福をお祈り申しあげたい。
 ちょうどアメリカではバージニア工科大学での韓国人留学生の銃乱射事件が大きな衝撃を与えていた。私も招集されれば銃を保持し、あるいは撃つことを命じられる可能性があるだけに、これらの事件は重く受け止めざるをえない。
 マスコミなどでは「このようなことはあってはならない」という言葉が乱舞する。まったくその通りである。ただ、一つだけ申しあげれば、「あってはならないこと」であっても、政治家には「ありうること」だということだ。議員を目指す人は、その点だけは覚悟をしておいた方がいいと思う。
昭和50年代後半、 20代の駆け出しの頃、国会を歩くと、国会議員というのは自民党から共産党まで、後ろから見ていても何か違った。オーラのようなものを感じる人が少なくなかった。自分が若かったせいもあるのかもしれないが、やはり戦争体験のなせる技か、凄みがあったのである。今の政治家にそういう人が少ないのは、こちらが歳を取ったせいもあろうが、やはり「死線を越えて」といったような体験のない人が多くなったからではないか。
 もちろん「あってはならないこと」なのだが、「ありうること」として政治をやってくれれば、もっと真剣な政治になるのではないかと思う。

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2007年4月17日

鉄ちゃん

いつの頃からか鉄道ファンは「鉄ちゃん」と呼ばれるようになった。昔は鉄道写真を撮ることを仲間内で「鉄ちゃんする」と言っていたのだが、今は市民権を得た(?)ようだ。

 この言葉には多分に嘲笑の意が込められており、まあ、言われている方もそれを結構楽しんでいる風がある。5月号の「諸君!」の座談会(酒井順子さん、宮脇灯子さんと女2人男1人の)で関川夏夫さんが「隠れキリシタン」と言っているが当たらずとも遠からずである。

 大体鉄ちゃんというのはホームに立っていたり、電車に乗っていても分かる。カメラを出したりしていなくても、目つきというか、オーラというか、そういうのが普通の人と違うのである。そして、そういう同類がいると、つい恥ずかしくなってカメラをしまってしまったりする。本当に変な人種だ。

 私は拉致の救出運動を始めてから、「趣味を断とう」と決心し、それまで持っていた模型も大部分人にあげてしまった。しかし、数年前に「これは拉致の解決だけで終わることではない。国全体を直していかなければならない」と考えてから、結局再開している。もっとも写真を撮りにいったりすることはほとんどできず、模型も極めて遅々とした歩みなのだが。

 それでも今机の前に飾ってある模型を数えたらこれだけで23両あった。これに見入っていると家族から呆れられるので、一人だけになったときにじっくり眺めるようにしている。やはり「隠れキリシタン」なのかもしれない。

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2007年4月13日

尾行

今回の訪韓では色々騒ぎとなったため、さすがに露骨に尾行されました。これは4月11日、ソウル市内某所。Bikou

 矢印の2人が尾行してきた刑事さん(国家情報院の人ではないと思います)。後ろの人は関係ありません。2人とも目が合うとなぜか決まったように携帯に手を掛けて話をしたりメールを打つ真似をしていました。まあ、これだけ目立つのですから、尾行というより威圧なのだと思います。監視をしているぞということで「また風船を飛ばしにいっても無駄だ」と圧力をかけているのかもしれません。実際11日はバルーンプロジェクトでは動きが取れませんでしたからその効果はあったと思います。ご苦労様でした。

 ただ、こっちも面白かったので一度まいてからこの2人のうちの1人を尾行してみました。人と会う時間が近づいていたので長時間は続けられませんでしたが、結構良い勉強になりました。

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2007年4月11日

バルーンプロジェクトご報告(続)

以下は調査会NEWS 484(19.3.11)に書いたものです。なお、メールニュースでは冒頭が「今日送ったビラ」になっていましたが、これは「昨日」の間違いですので、下は直してあります。写真は基督北韓人連合の事務所で袋にビラを詰めているところです。右は李民復代表。飛ばしているところの写真がないのは残念ですが、

 昨日送ったビラの内容は次の通りです。内容は荒木が基督北韓人連合の李民復代表と相談して、できるだけ北朝鮮の人に受け止めやすい内容にして作成しました。

(表)
 北朝鮮に拉致された皆さん、北朝鮮に行って自分の意志で戻れなくなった皆さん。これまで関心を持たず、救出できず申し訳ありません。遅ればせながら日本では拉致被害者、在日朝鮮人、日本人妻と日本国籍者家族、政治犯収容所、脱北者など北朝鮮人権問題を解決しようとしています。2006年には日本の与党と野党が一致した決定で「北朝鮮人権法」が通過しました。そして北朝鮮のミサイル発射と核実験で同盟国だった中国、ロシアの賛成の下に国連対北制裁が決議され、金正日政権に対する圧力が加えられています。私たちは毎日北朝鮮に短波放送「しおかぜ」(パダッパラム)で拉致並びに失踪者の名前を公開し家族、友人たちが捜す切ない思い、北朝鮮と国際情勢を朝と深夜30分ずつ1時間日本語、朝鮮語、英語、中国語で放送しています。北朝鮮当局の妨害電波で時間と周波数は変わることがあります。一方ビラも送っているのでこれを見て日本に多角的な方法で情報を送ってください。そうしてくだされば皆さんが自由に生きていけるように最大限最後まで努力します。

※本文は朝鮮語で、この下に日本語で「北朝鮮に拉致された開さん・北朝鮮に入って戻れなくなった皆さんへ  特定失踪者」と書かれています。「開さん」は「皆さん」の間違い、「特定失踪者」は「調査会」の部分が抜けていますが、これは韓国で作ったためこうなってしまったようです。

(裏)
愛する北朝鮮の人民と幹部の皆さん!

 在日同胞たちは純粋な祖国愛で祖国に行った愛国者、その中に愛と家族のために同行した日本人妻たちもいます。、先進国日本に暮らして飢え死にするほど厳しい北朝鮮で生きていく苦痛は誰よりも大きいはずです。さらに大きな苦痛を受けている人は工作員によって拉致された被害者です。彼らを忘れられずその家族と日本政府と市民団体が積極的に立ち上がってすべての方法を尽くして救出しようとしています。皆さんもご存知のように金正日政権は必ず滅びます。統一後歴史の前で、人民の前で復讐を受けるような情けない人間にはならないでください。拉致被害者を知っている幹部の皆さん、人道主義的に協力して下さい。統一後皆さんを絶対に忘れません。拉致被害者の写真、手紙、録音テープ、仔細な人的事項に大しては1000ドル、価値によっては1万ドル以上の保証もすることができます。

※この下に調査会の私書箱、ファックス、電話番号が記載されています。

 印刷された枚数は正確には18400枚だったそうです。昨日およそ1万枚が飛ばされましたが、残部も近々北朝鮮に送られ、さらに追加印刷され基督北韓人連合のビラとともに続けて北朝鮮に送られる予定です。

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 今日はまだソウルにいますが、警察にマークされており、昨晩も若干尾行されました。まあ、韓国でも、風船でビラや物資を送るのは昔は政府がやっていたことで、政府の中にも抑えるのに内心では否定的な人も少なくないのと、そもそもビラを飛ばすのを止める根拠法が存在しないので、静かにやる分にはそれほど強力に封鎖されることはないようです。

 しかし私が行って派手にやると当局も抑えるしかないということで、残念ながら今日は入国目的で書いた「観光」を実施することにしました。現地には朝鮮戦争前に北朝鮮の土地だったときの労働党舎の跡などもありますので、昨日行った鉄原の、できるだけ北朝鮮に近いところまで行って様子を見てみようと思います。ついでに北朝鮮に浸透してビラでも置いてこれればそれにこしたことはないのですが…。
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バルーンプロジェクトご報告

以下はソウルで調査会NEWS 483(19.3.10)に書いたものです。

 本日、調査会のビラが初めて北朝鮮に向け飛びました。ただし、韓国警察のご尽力(?)で、私が直接作業をして飛ばすことはできず、その一方拉北者家族会の崔成龍代表らが抗議に来たりで、なかなかにぎやかでした。さらにその後「荒木が逮捕された」との噂まで飛び交うというおまけまでつきました。なかなか充実した一日でした。

 今日は江原道の鉄原という、北朝鮮に隣接した内陸部で飛ばす予定でした。鉄原は朝鮮戦争当時激戦地だったところで、分断直後は北朝鮮の土地でした。そこにある狐石亭という、観光地のようなところの駐車場で午前10時30分に集合し、その後韓国側NGOの基督北韓人連合・李民復代表と連絡をとって移動し実施することにしていました。

 ところが、今朝現地へ向かっていると、先についたマスコミの方々から「もう警察が来ていますよ」との連絡。まあ、最初からいろいろあることは予想されていたのですが、行ってみると地元の所轄もおり、ソウルの警察からも来ていたようで、韓国独特の「戦闘警察」(徴兵年齢の青年の一部を警察に転用するもの。私服を着ていたのでただのおにいちゃんにしか見えない)も20人くらい待っていました。国情院(昔のKCIA)からも軍からも来ていました。

 到着したのが10時15分頃(若干記憶違いがあるかも知れません)で、集まっていたマスコミ(主に日本のマスコミのソウル支局)の皆さんに事情を説明し、10時半の連絡時間を待っていたら、李代表がビラや機材を積んだ車でやってきました。後ろには2台警察の車が付いており、こちらと合流すると、ともかく作業をさせないようにと李代表に対していろいろと文句を言っていました。李代表は警察をまこうと車を移動させてみましたが、警察の車はぴったりとついてきていました。
 
 さらに、そこに韓国の拉北者家族会の崔成龍代表らがやってきて、風船を飛ばすのをやめさせろとパフォーマンスを行いました。実は崔代表とは先週土曜日に電話で話し、「ビラを送るのは良いんだが、赤十字会談で北朝鮮が拉致問題や韓国軍捕虜の問題を話し合うと言っている。あまり期待はしていないが、そのときに北朝鮮側に口実を与えるとまずいので延期して欲しい」と言われてはいました。

 気持ちは理解できるのですが、こちらもぎりぎりの状態でこの日程を決めたので、変えることはできない旨伝えました。李代表も納得する訳にはいかず、ともかく意思表示はするということだったようです。ただ、現場では警察が(ありがたいことに?)崔代表と私たちが接触しないように間に入ったため、特別の混乱はありませんでした。こういうときに警察の皆さんがご苦労なのは日本も韓国も同じようです。

 しかし、警察の対応はきわめて厳しく、私が作業して風船を飛ばすのはあきらめざるを得ませんでした。実はこうなることも予想して、早朝の内に飛ばす予定の15個の風船中9個は別の場所で飛ばしていました。李代表の話によれば今回印刷した1万5000枚のうちおよそ1万枚を飛ばすことができたとのこと。警察の注意は私の方に行っていましたから、結果的には陽動作戦のようなことになったわけです。ちなみに、韓国の警察では「風船は飛んでいない。警察は妨害していない。飛ばさなかったのはあくまで天候上の理由によるものだ」と言っているそうです。要は風船を妨害する法的根拠がないからなのですが、こういうのを聞くと「韓国も法治国家なんだ」と、妙に関心してしまいました。

 現場ではビラの入った袋を公開し、時限装置などの説明をしてその場は終わりにしました。ソウルに戻ると真鍋専務理事から「荒木が逮捕されたとの噂が飛び交っている」との電話があり、驚きましたが、いろいろな話しを総合すると、現場で揉み合いにでもなれば、入管法違反(目的外の入国)で現行犯逮捕することにはなっていたようです。まあ、そうなればそれで面白かったのですが、さすがに山ほどマスコミの来ている前ではできなかったでしょう。取材をしてくださった皆さんに心より御礼申し上げます。

 いずれにしても、日本のNGOが北朝鮮にビラを送るのはこれが初めてだと思います。基督北韓人連合のビラには昨年からすでに日本人拉致のことが書いてあり、調査会の連絡先も入れてくれていますが、帰国後、北朝鮮難民基金の加藤代表をはじめとして関係団体とも相談し、さらに効果的にこの活動を進めていきたいと思います。また、崔代表ら韓国の家族会、その他北朝鮮人権問題関連NGOとは今後も連携をとりながらやっていきます。

 とにもかくにもバルーンプロジェクトはスタートしました。これまでご協力いただいた方々に感謝するとともに、今後のご協力をよろしくお願いする次第です。

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2007年4月 2日

人殺しの練習

上田清司・埼玉県知事の新規採用職員就任式でのあいさつが一部マスコミを賑わしている。「自衛官は平和を守るために人殺しの練習をしている。国民の生命と財産を守るため。偉いと褒めたたえなければならない」というものである。この「人殺しの練習」が問題になったわけだが、あえて言いたい。これは本当のことである。表現に多少の問題はあったかも知れないが、この言葉は知事が真面目に国家の安全保障を考えている証拠である。

 おそらく、「人殺しの練習」と言われれば現職自衛官でも顔をしかめる人がいるだろう。しかし、私たち予備自衛官でも年間27発の実弾射撃をするわけだが、あれは別にイノシシを撃つ訓練をしているわけではない。あたるかどうかはべつとして、明らかに人を撃つ訓練である。軍を「自衛隊」と呼び代えようと、「歩兵」を「普通科」、「工兵」を「施設科」と呼び代えようと、その保有する兵器は最終的には敵を倒すために使うのである。射撃の競技でもやって、勝った国が相手の領土を取るとでもいうならともかく、世界中で地域紛争やテロが起きている現状は決してそのような牧歌的な風景を許すものではない。

 このブログでも前に書いたが、安明進氏はかつて「軍隊というのは結局人を殺すためのものですよ。国を守ると言っても、相手を倒さなければならないのだから」と言った。通訳をしながら考え込んでしまったが、この本質は誰も否定できないだろう。逆に考えれば、その本質から目をそらさない人間こそ、本当に平和を守ることができるはずだ。

 同じ武器を持つ集団でも軍隊と警察はその性格を全く異にする。警察には「警察比例の法則」というのがあり、敵と同等の武器を持つことしか許されず、しかも使い方はあくまで防御的である。法を執行するために仕方なく使うというのが警察における武器使用の本質である。それに比べて軍隊は敵を制圧することが目的なのだから、当たり前のことだが攻撃的である。また、そうでなければ戦うこと、すなわち国家国民を守ることはできない。

 上田知事とは3月31日に朝霞で行われた陸上自衛隊中央即応集団の編成完結祝賀会でお会いしたばかりである。このときは自衛隊のみ鳴らずわが国にとって極めて重要な部隊の創設であるにもかかわらず防衛大臣を除いて国会議員は2人しか参加していなかった。式典のとき、江畑健介先生と隣り合わせになったが、国会議員が少ないことを呆れておられた。私は「この部隊ができたことがどういう意味なのか分かる政治家がいないんですよ」と言ったのだが、知事は祝賀宴での挨拶も堂々としていた。

 また、上田知事は昨年12月16日に同じ朝霞の陸上自衛隊広報センターで行った「しおかぜ」の公開録音にも参加し、拉致被害者へのメッセージを語ってくれた。「戦争反対」「命どぅ宝」と語るのは簡単だ。しかし県知事であればそんな絵空事より、どうすれば県民の安全が維持されるか、有事の際により少ない被害に食い止められるかを考えるべきであり、上田知事の発言は、表現の問題はあれ、知事が政治家の本筋に忠実な人であるからこその言葉である。言葉の揚げ足取りをする人間の方がよほど平和に対して無責任だと思う。

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徳之島

 徳之島は拉致問題の集会で去る3月18日に行ったばかりだった。あの天城岳に陸自のヘリガ落ちたのかと、不思議な因縁のようなものを感じた。もちろん、私が徳之島に行ったのは初めてであるし、もう一度、生きているうちに行く機会があるかどうか分からない。それだけに印象が強かった。機長の建村少佐(3等陸佐)は徳之島のご出身だったとのこと。ともかくご冥福をお祈りしたい。

 この島は周囲84キロ、鹿児島県の南端にあり、言葉や歌は沖縄に近いが、お墓は琉球式というか、中国式のお墓ではなく本土と同じ普通のお墓である。また、この島は沖縄戦のときに沖縄に向かう特攻機が途中翼を休めたところでもある(現在の空港は当時の飛行場)。ちょうど知覧の富屋旅館のような役割を担った旅館もある。また、サイパン陥落の直前である昭和19年6月29日に米軍の潜水艦に撃沈され、3700人が戦死した輸送船富山丸の慰霊碑や、戦艦大和の慰霊塔もある。今回亡くなられた方々はそれらの英霊に迎えられたということか。

 私はときどき部隊で講演をすることがあるが、そのときよく話すことに「自衛隊でもときどき自殺者が出ます。この中にも自殺したい人がいるかも知れない。そういう人に言いたいが、もう少し我慢していなさい。やがて戦死するときが来る。自殺であれば周囲にも迷惑をかける。家族も悲しむ。戦死なら、喜んでもらえるといえば言葉が悪いが、少なくとも名誉にはなります」というのがある。多少不謹慎のそしりを免れないが、私には自殺した友人が何人かいる。自殺は止められれば止めるにこしたことはないが、どんなことをしても最後は本人の命なのでどうしようもないのだ。

 だから最後まで止めるつもりはないのだが、どんな人間でも命は一つなのだから、死ぬのであれば誰か人のために使って死ぬべきだろう。これは軍人に限らず、民間人でも同じことだ。今回殉職された皆さんは、もちろん死を覚悟して行ったわけではないだろうが、軍隊というとのはいずれにしても死と背中合わせの組織であり、それは「自衛隊」という名前でごまかしたり、「憲法9条があるから」と言ってみても何の意味もないのである。自衛官の「服務の宣誓」には最後のところに「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、もって国民の負託にこたえることを誓います」とある。これは死ぬことを前提としたものであり、もちろん、この宣誓がなくても軍隊というのはそういうものである。

 命の大切さを知るというのは、今回のヘリの殉職者の方々も、富山丸で戦死された英霊も、大和の乗組員も含め、自分たちが生きているのはそうやって亡くなった方々のおかげであると、常に胸に思いを抱いておくことではないだろうか。

 重ねて今回の事故で殉職された方々のご冥福をお祈りする次第である。

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