徳之島
徳之島は拉致問題の集会で去る3月18日に行ったばかりだった。あの天城岳に陸自のヘリガ落ちたのかと、不思議な因縁のようなものを感じた。もちろん、私が徳之島に行ったのは初めてであるし、もう一度、生きているうちに行く機会があるかどうか分からない。それだけに印象が強かった。機長の建村少佐(3等陸佐)は徳之島のご出身だったとのこと。ともかくご冥福をお祈りしたい。
この島は周囲84キロ、鹿児島県の南端にあり、言葉や歌は沖縄に近いが、お墓は琉球式というか、中国式のお墓ではなく本土と同じ普通のお墓である。また、この島は沖縄戦のときに沖縄に向かう特攻機が途中翼を休めたところでもある(現在の空港は当時の飛行場)。ちょうど知覧の富屋旅館のような役割を担った旅館もある。また、サイパン陥落の直前である昭和19年6月29日に米軍の潜水艦に撃沈され、3700人が戦死した輸送船富山丸の慰霊碑や、戦艦大和の慰霊塔もある。今回亡くなられた方々はそれらの英霊に迎えられたということか。
私はときどき部隊で講演をすることがあるが、そのときよく話すことに「自衛隊でもときどき自殺者が出ます。この中にも自殺したい人がいるかも知れない。そういう人に言いたいが、もう少し我慢していなさい。やがて戦死するときが来る。自殺であれば周囲にも迷惑をかける。家族も悲しむ。戦死なら、喜んでもらえるといえば言葉が悪いが、少なくとも名誉にはなります」というのがある。多少不謹慎のそしりを免れないが、私には自殺した友人が何人かいる。自殺は止められれば止めるにこしたことはないが、どんなことをしても最後は本人の命なのでどうしようもないのだ。
だから最後まで止めるつもりはないのだが、どんな人間でも命は一つなのだから、死ぬのであれば誰か人のために使って死ぬべきだろう。これは軍人に限らず、民間人でも同じことだ。今回殉職された皆さんは、もちろん死を覚悟して行ったわけではないだろうが、軍隊というとのはいずれにしても死と背中合わせの組織であり、それは「自衛隊」という名前でごまかしたり、「憲法9条があるから」と言ってみても何の意味もないのである。自衛官の「服務の宣誓」には最後のところに「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、もって国民の負託にこたえることを誓います」とある。これは死ぬことを前提としたものであり、もちろん、この宣誓がなくても軍隊というのはそういうものである。
命の大切さを知るというのは、今回のヘリの殉職者の方々も、富山丸で戦死された英霊も、大和の乗組員も含め、自分たちが生きているのはそうやって亡くなった方々のおかげであると、常に胸に思いを抱いておくことではないだろうか。
重ねて今回の事故で殉職された方々のご冥福をお祈りする次第である。
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