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2007年7月14日

寺越事件の教訓

 以下は調査会NEWS 534号(7月14日)に掲載されたものです。なお、文中に出てくる『人情の海』全訳(PDF)は下記からダウンロードできます。

「ninjo.pdf」をダウンロード

 最近「7月20日に拉致被害者が万景峰号に乗って帰ってくる」という噂があちこちで飛び交っています。これには色々バリエーションがあって、「高麗航空(北朝鮮の航空会社)で帰ってくる」とか「3人」とか「5人」とか、誰が帰ってくるとか、話は様々です。

 先日発表した矢倉富康さんの可能性のある写真の人物は後に朝鮮中央放送委員会のアナウンサーである「慎範(シン・ボム」氏と分かりました。本人の声は今も流れていますが、現時点では100%矢倉さんであるとは断定できません。ただ、北朝鮮のことですから通常考えるなら、別人であれば「私は矢倉富康などではない」と記者会見でもしそうなものです。音声の鑑定なども含め、一刻も早い対応が必要だと思っています。

 本件については政府の対策本部(安倍本部長宛)、拉致議連(平沼会長宛)、各党(議席を持つ政党及び拉致問題を明確に訴えている政党)の拉致担当者宛に対応を求める文書を送っています(7月10日)。これまで拉致議連は古屋事務局長が対策本部に口頭で対応を要請しました。政党の中では維新政党・新風の魚谷哲夫代表から対応する旨のFAXを送って下さっていますが、それ以外は特別の動きはみられません。

 ところで、前述の噂と矢倉さんの話、そして参院選や米国の対応など全体状況の流れから考えると、どうしても頭をよぎるのが昭和38(1963)年に起きた寺越事件のことです。あの事件は誰がどうみても拉致事件であるにもかかわらず、社会党の島崎譲・元政審会長が北朝鮮と示し合わせて人命救助の美談にしてしまったものでした。そのために、事件に遭った3人のうち、現在ただ1人生存している寺越武志さんは今も自らが拉致されたと言うことができず、5年前に1度だけ日本に戻れたのも「朝鮮人として日本を訪問する」という形式でした。故郷で妹さんの家に泊まったときも見張り役の同行者が一緒でした。

 矢倉さんの失踪は海上で、船だけが後に見つかり船首横に衝突の跡がありました。このパターンは寺越事件と同じです。そんなことから、次のようなことも考えられるのではないかと、ふと思いました。

 「慎範」が近いうちに「自分は矢倉富康である。海難事故で北朝鮮の船に救助されて、そのまま北朝鮮に暮らすことになった」と発言する。そして北朝鮮当局は「本人の意志に基づいて人道的に」帰国させる。帰ってくる日は参院選投票日の近く。帰国すればマスコミの報道はそこだけに集中する。そして「拉致問題は進展した」ということで、参院選後に制裁の解除と日朝交渉の再開が決まる。本人は一切何も語らない…。
 米国の政策転換はますます前のめりになっています。中国と一緒になって北朝鮮に「拉致問題で少しでも進めれば日本に制裁の解除や国交交渉の再開をさせる」と言って説得することは十分有り得ます。日本が6者協議の合意に沿って他の国と歩調をそろえるということは日本のカネがあてにできるということですから、米中と北朝鮮に加えて韓露も万々歳。日本の世論はそれを「誤魔化しだ」と言う人もいるでしょうが、報道は帰ってきた人に集中します(これは5年前の5人の帰国後で証明済み)から、当然評価する声も上がるはずです。そうすれば「北朝鮮は譲歩したのだから、日本も強硬姿勢を改めるべきだ」と、川人博弁護士が批判しているような人たちが一斉に声を挙げるのではないでしょうか。救出運動もその評価をめぐって分裂し、収束していく、そんなシナリオも有り得るように思います。

 もちろん、「慎範」が矢倉さんでなければそれまでですし、そうだとしてもこれほどうまくいくものかという思いもありますが、他の人、例えばヨーロッパ拉致の人であれば「自分の意志で北朝鮮に行きました」と言わせることもできます。やりようは様々です。

 もし、こんなシナリオがあるのであれば、まさに日本全体が試練に立たされているということでもあります。私たちのような救出に関わる民間人だけでなく、国会議員も、お役所も、報道関係者も、一般国民も、それが本当に正しいことか、しっかりと考える必要があります。ここで目先の「進展」を受け入れれば、大部分の拉致被害者は帰国の道を閉ざされます。「話し合い解決」というのは北朝鮮が得るものを得てしまえば進むはずがない、これは歴史が証明しています。そうすればまた、必要があれば北朝鮮は拉致を行うでしょう。

 どんなことをしても拉致被害者をすべて取り返すというのは、単にその人たちだけではなく、今日本に暮らしている1億2千万余の私たちが自分自身や自分の家族を守るために絶対放棄してはならないことです。正攻法以外に問題の解決はありません。その点は各界各層の皆さんにぜひご理解いただきたいと思います。

 寺越武志さんは平成13(2001)年、平壌で『人情の海』という本を出版させられました。もちろん、北朝鮮のプロパガンダであり、自分が拉致されたのではないことを書いている他、当時まだ金正日が拉致を認める前の本ですから「義で団結し情で通じ合った我が国では誰かを拉致する理由はなく、そのようなことを見たこともない」などと、その他の拉致も否定しています。このような本に『人情の海』などという題名を付け拉致被害者の名前で出版する北朝鮮の体制には、もちろん「人情」も何もありません。そして、核も拉致も他の人権問題も、すべてが北朝鮮の体制に起因しているのですから、それ自体を変えてしまわなければ問題の解決は有り得ません。

 今後様々な情報戦が戦わされると思いますが、この『人情の海』は北朝鮮のやり方を知り、対処を考える上で教訓として使えると思います。ご関心のある方はぜひご一読下さい。

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