以下は9.17小泉訪朝の翌々日に、当時救う会事務局長だった私が発信したニュースです。キム・ヘギョンさんが偽物ではないかなど、私自身の判断の間違いもありますが、当時の雰囲気を知る上では多少参考になると思います。なお、この中に梅本和義・元北東アジア課長とのやりとりが出てきます。当時私もかなり梅本さんに厳しい言い方をしたのですが、このときは前の北東アジア課長ということで平壌に応援に来ていただけで、主体的に関わっていたのではありません。外務省の中では田中アジア大洋州局長、平松北東アジア課長というラインが省内でも分からないように動いていたというのが実体だったようです。
なお、平成15年5月にテレビ東京系で放送されたドラマ「めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる」は同名の横田早紀江さんの著書と、私の編著書『拉致救出運動の2000日』が原作として使われており、9.17の頃の状況は部屋の状況など細かいところに間違いはあるものの、飯倉公館の中でのやりとりなどは概ねそのまま描写されています。誰が演じていたか忘れましたが、福田官房長官も登場します。
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2002.9.19)
外務省の安否確認発表に重大な疑義
救う会全国協議会
事務局長 荒木和博
(平成14年9月19日)
横田めぐみさん、有本恵子さん、市川修一さん、増元るみ子さん、田口八重子さん、久米裕さん、原敕晁さんの4人の死亡は実際には確認されていません。また、めぐみさんの娘と言われる女性も偽物である可能性が高まっています。北朝鮮外務省は北朝鮮赤十字からの「死亡」という言葉だけを根拠に、断定的情報としてご家族に伝えたのです。これは日朝交渉を始めるために拉致問題を「解決ではなく終結しようとしている」(蓮池透家族会事務局長)とてつもない陰謀であることが明らかにされました。以下、その経過をご説明します。
昨日(18日)午前、小泉総理とご家族との面会が27日午後4時に決まったのを受けて家族会と救う会では11時半から記者会見を行いました。記者会見が正午過ぎに終了し、ご家族が解散して私たちも泊まっていた部屋を片づけていたところ私の携帯に平沢勝栄拉致議連事務局長から電話があり、「生存していると言われた人に会った梅本和義イギリス公使が明日の朝まで東京にいる。ご家族に会わせてそのときの状況を説明させることができる」とのことでした。
すでに地方のご家族は帰途についた後でしたので、川崎のご自宅に向かった横田さんと都内にお住まいの蓮池透さん(薫さんの兄)に連絡したところ、蓮池さんのご両親はまだ都内におられるとのこと、いろいろ連絡をとって、結果的に午後5時半、外務省に横田滋さん(めぐみさんの父・家族会代表)と早紀江さん(めぐみさんの母)、横田拓也さんと哲也さん(めぐみさんの双子の弟)、蓮池秀量さん(蓮池薫さんの父)、ハツイさん(蓮池薫さんの母)、透さん(蓮池薫さんの兄)と私が訪れ、梅本和義イギリス公使(前北東アジア課長)及び平松北東アジア課長、梅本公使と同行して「生存者」と会ってきた事務官の3人と会いました。
正直なところ、特に横田さんについては死亡を本当に確認することになるのではないかと沈痛な気持ちでした。自分が同席していいかどうかも躊躇したのです。ところが、梅本公使の話は私たちの予想をまったく裏切るものでした。この文章の最後に付けてあることを見ると分かりますが、その女性がめぐみさんの娘であることを証明するものは何もありませんでした。話を聞いていて逆に、この情報は偽ではないかという疑惑がふつふつと沸いてきました。ちなみに、今朝の朝日新聞には北朝鮮赤十字からの通知文に死亡年月日が記載されていたとありましたが、梅本課長はそのことにはいっさい触れず、平松課長も通知文には「死亡」以外の情報は書かれていなかったと言っていました。
こんな情報で何で「死亡」と特定したのかと聞くと、梅本公使は「自分はそれらの人に会って聞いたことと通知文の内容を(東京に)伝えただけ」と言いました。結局この情報がいつの間にか確定情報となり、東京でご家族に伝えられました。「北朝鮮が死亡したと言っています」という話と「亡くなりました」の間には天と地の差があります。これは「間違い」などという言葉で済まされるものではありません。梅本公使は日本で外務省が事実関係を確認したかのように報道されていても、一切抗議も訂正もしていません。蓮池透さんがそれを追及すると「上司に相談する」の一点張りでした。また、8件11人以外に拉致されて北朝鮮に住んでいるという人物の名前について聞くと、「分からない」とのことでしたが、これも嘘です。どこかで政府高官が「名前は分かっているがプライバシーの関係上言えない」と言っていましたから。
梅本公使と事務官は「生存者」と会う際、カメラもビデオもテレコも持っていませんでした。同行した事務官によれば「相手が望まないかもしれないと思ったので」とのことでしたが、どこか外を回っているときに連絡があったならともかく、会談会場に届いた連絡を受けて出ていったのですから、よほど頭の悪い人間でないかぎり、カメラやテレコ、あるいはビデオを持っていくでしょう。そこでそれぞれの人を写して肉声をとり、持って帰って家族に見せれば本人かどうか確認できるのですから。ところが梅本公使は一切そのようなことをしていません。ご家族宛の手紙すら書かせていません。その場でノートでも破って「ご両親にメッセージを書いてください」といって手紙を書かせることぐらい考えられないはずはないのですが。こう考えると、蓮池さん・奥土さん・地村さん・浜本さんといわれる人物も本人であるかどうか、現時点では100%確認できないということになります。実際梅本公使は事前に本人を特定するための資料(本人の身体的特徴や本人しか知らない事実)をほとんど持っていっていませんでした。もちろん、当初からその役目を持たされていたわけではなく、そのときになって急に役回りが回ってきたというのが正直なところのようです。
また、これらの人に会えるとの連絡があった後、安倍官房副長官はその人々を総理に会わせろ、そうでなければ自分が会いに行くと言っています。しかし、「本人が望んでいない」という理由でそれは拒絶されました。私が梅本公使に「会談の間の2時間の休憩中なのになぜ総理や官房副長官に会わせなかったのか」と聞くと公使は下を向いて言葉を発しませんでした。安倍副長官が聞いた話が事実なら、梅本公使は私に同じことを言うはずです。そう言わなかったということは、北朝鮮側からそういう話があったというのは事実ではなく、現地の外務省内部で総理や官房副長官をあわせるなという指示が動いたことに他なりません。
ご家族は17日午後、外務省のチャーターしたバスで麻布の飯倉公館に赴き、1時間程ホールのようなところで待たされた後に一家族ずつ呼び出されて別室に行き「宣告」を受けました。佐藤勝巳全国協議会会長と私は市川さんのご家族以外のすべてのご家族に同席しましたが、最初に呼ばれた横田さんのご家族(滋さん、早紀江さん、弟の拓也さんと哲也さん)には植竹副大臣が「残念ですが娘さんは亡くなっておられます」と断言しました。「信じられません」というご家族に、副大臣は「確認のためにこれまでお待たせしました」と、絶対間違いないという説明をしたのです。
家族が集合していたホールには大きなテレビが設置され、その前に観客席のようにイスが並べられていました。私たちはてっきりそこに拉致された人が出てくるものだと思っていました。ところがスイッチを入れて出てきたのはNHKのニュースでした。
最初に横田さんが呼ばれた時点から別室にいた私たちは分かりませんでしたが、ホールで待っていたご家族のところにはニュースを通して「何人生存、何人死亡」といったようなニュースが伝えられていました。そして、亡くなったとされるご家族は個別に呼ばれ、生存していると言われたご家族は4家族一緒に集められて植竹副大臣ないし福田官房長官から「宣告」を受けたのです。このときの説明は植竹副大臣は「亡くなりました」、福田官房長官は「亡くなったという情報があります」という言い方でしたが、どちらも語調は極めて断定的で「北朝鮮側がこういう情報を伝えています」といったようなものではありませんでした。
また、生存されていたとされるご家族は4家族が一同に集められ、福田長官から「だれだれは研究所につとめており、だれだれは専業主婦で…」と伝えられました。このとき、ご立派だと思ったのですが、皆さんはまったく喜びの表情をみせず、それどころか、他の方が亡くなったとの知らせに号泣しました。蓮池さんのお母さんが叱責すると福田官房長官は「黙りなさい」といって、両手を広げて「皆さんのお子さんは生きているんですよ」と強調しました。おそらく、自分たちの子供が生きていると知って喜んで感謝すると思ったのでしょう。そのあてが外れたので動揺したように見えました。
飯倉公館に家族を連れていって説明するとの話は16日の午後議連平沢事務局長に伝えられたものです。このときの理由は飯倉公館でないと平壌からの電話がつながらないというものでした。しかし、電話は転送すればすむのですから、議員会館に外務省の人間が来ればいいのであって、家族がいく必要は全くありません。しかも、行くときに同行した議連役員は与党議員ばかりであり、この問題に一番早くから取り組んでいた西村真悟自由党議員(議連幹事長)は外されていました。その理由は「議連の役員の中でも自民党だけ」「たまたま行った人間が自民党だけだった」「自民党の中で拉致問題に関心を持っている議員が行った」とまちまちですが、3人でなければならない理由も、西村議員はじめ、少なくとも議連に入っている民主党・公明党・保守党の議員を拒否する理由もありません。
説明した梅本公使は、今日19日には英国に戻る予定でした。同席した平松北東アジア課長は、「ご家族に説明しようと考えていた」と言いましたが、これは嘘です。実際にはこちらへの連絡は平沢勝栄議連事務局長からあったのであり、梅本公使が翌日出国することが分かっていたにもかかわらず、午後早くの時点で外務省は梅本公使の所在が分からなかったのです。蓮池さんが外務省に抗議してあわてて探した結果が午後5時半なら戻っているということでした。考えてみると、所在が分からなかったというのも嘘かもしれません。1日隠れていれば翌日は英国に帰ってしまう。そうすれば実態は闇の中ですから。
以上について情報の流れを整理すると次のようになります。
●梅本公使は北朝鮮赤十字から受けた通知文と自分が会った5人の情報をそのまま本国に伝えたと言っている(ただし、誰が伝えたかについては「分からない」の一点張りでした)。
●東京では外務省が家族を飯倉公館に隔離し、マスコミから遮断して、共同宣言の調印のときに反応を見せられないようにした。
●飯倉公館でのご家族への説明の時点で、「北朝鮮側から伝えられた」という情報はいつの間にか確定情報となっていた。
ここからは私の推定です。
北朝鮮金正日政権と日本外務省の一部及び福田官房長官は何がなんでも国交正常化交渉を始めたかった。しかし、拉致問題があるのでそれは世論が納得しない。しかし北朝鮮は国際的にも国内的にも窮地に追い込まれており、後戻りはできない。そこで「8件11人」を出して拉致を認め、認めたということで国交正常化交渉に入る。ご家族は共同宣言調印のときにはマスコミから遮断して反応を見せないようにし、飯倉公館でご家族に伝えるときには豪華な部屋に呼んで重々しい雰囲気であえて断定的に話してあきらめさせる。生存しているとされたご家族は一同に集めて説明し、喜ばせて家族会を分断する。死んだと言った人は落胆して行動する気持ちをなくし、せいぜい遺骨の収集や安否確認という話になる。安否の確認を日朝国交交渉の中でやるということになれば国交交渉を止めるものは誰もいなくなる。
今回、事前の段階から9月17日に有本さんが姿をあらわすとの話が何度も飛び交っていました。外務省の発表からするとこれは真っ赤な嘘ということになりますが、ひょっとしたら実はオプションとして存在していたのかも知れません(この場合は有本さんは現在も生きているということです)。有本さんだけを出して拉致問題の終結(あとは国交交渉の中で調査するということにして)をはかることにしようと思っていたが、有本さんのご両親もそんなことでは納得しないと強調している。あとは「8件11人」を出さなければ正常化交渉に入れない。そこで急遽作戦を変更して全員の「安否」を出して口頭(文書には入れず)謝罪する代わりにそれを北朝鮮の譲歩として共同宣言に調印する。家族はマスコミから遮断して「亡くなりました」とあえて断言し、家族会を分断し救出運動の動きを止め、安否確認などを行うためには国交正常化交渉を中断してはならないとして国交正常化、ないしは経済援助までこぎ着けるというシナリオです。横田めぐみさんについては救出運動のシンボル的存在だったので、何かの「証拠」を出さざるを得ず、「娘」を急遽仕立ててごまかしをはかった。偽物であると見破られないためにビデオも写真も撮らず、声も録音せず、メモも手紙も持ってこなかった。
これからこの真相は究明されなければなりません。国会議員、マスコミの方も含め、ご協力をお願いします。また、北朝鮮赤十字の発表に信ぴょう性がないということになれば、まだ全員が生存している可能性もあるわけで、ここで「死んだ」ということにしてしまえば、生きている人を今見殺しにしかねません。
「あなたのお子さんは亡くなりました」と言われたご家族がどんな思いをするか、場合によったらその断定で生きている人が殺されかねないと思うとき、絶対に許すことはできません。