謹話
資料的な意味も兼ねて昭和天皇御崩御のときの民社党の謹話を掲載しておきます。
特に保守系の方々と話すとき、「昭和天皇御崩御のときの民社党の謹話は格調の高いものだったと思いますよ」とたびたび言っているので、中身を聞かれることもあり、どこかで中身を載せておいた方がいいと思った次第です。昭和天皇ご不例当時、民社党本部では国政選挙以外では通常とらない当直勤務態勢になり、ご病状の急変などに備えていました。
不思議と思われるかも知れませんが、民社党の中でも、社会主義にこだわる人(あるいは、「社会主義」という言葉は使わなくても思想的な事に強い関心を持つ人)ほど、皇室とか安全保障問題とか、いわゆる国家の基本問題に対する関心が強かったように思います。おかげで社会党・共産党からは「自民党より右」と言われてきたのですが、その社会党は民社党を飛び越して村山内閣で自民党と手を結び、今共産党は全選挙区擁立の看板を下ろして元自民党幹事長が代表をしている政党と手を組もうとしているのですから、歴史というのは皮肉なものです。
まあしかし、そんな状況だからこそ解党以来13年経ってもまだ「民社精神」などと言っている人があちこちにおり、私もバックの中には民社党の党員証をいつも入れているのですが。
-----------------------------------------------------------------------------
天皇陛下御崩御にあたっての塚本委員長謹話
昭和64(1989)年1月7日
ご快癒を願う全国民の祈りもむなしく、天皇陛下崩御の報に接し、わが党は国民とともに深く哀悼の誠を捧げる。
言い知れぬ悲しみと感慨をもって、われわれは今、ご生前のお姿と、六十余年に及ぶ昭和の歴史を想い起こしている。
かえりみれば昭和は激動の時代であった。戦前の大恐慌、軍国主義化と不幸な戦争、敗戦、連合国による占領から史上稀に見る経済成長と、まさに昭和は日本にとって最大の歴史的試練の時であったといえよう。
その中にあって、戦前の統治権の総攬者から象徴天皇へと変わられたが、陛下はつねに日本国民の心のよりどころとして、国民の喜びを喜びとし、国民の悲しみを悲しみとして、日夜お心を砕いてこられたのである。戦争終結に際し、「萬世ノ為ニ太平ヲ開カム」と、ご一身をかえりみず、国民を救おうとされたお心を国民は永久に忘れないであろう。
陛下に直接接する機会を与えられた者で、わが国の歴史と伝統の中心に立つご存在として、公務にご精励あらせられるお姿に感動しない者はなかった。また、その温かいお人柄と、世界平和と国民の幸せを願うお心に触れるとき、誰もが深い敬愛の念を抱かずにはいられなかったのである。
われわれは、歴代天皇の中で最長の御在位となられた陛下の一層のご健康とご長寿をお祈り申しあげたが、その願いもかなわず、崩御あらせられたことは真に断腸の思いである。ここに、われわれも全国民とともに、衷心より哀悼の意を表し、謹んで深く喪に服す所存である。
| 固定リンク

