「現代コリア」の終刊
※昨日(11月21日)付調査会NEWS575号に書いたものです。
「おい、あれ、分かったぞ」
いまから11年前の平成8(1996)年12月中旬、佐藤勝巳・現代コリア研究所所長の言葉(正確にこうだったかどうかは忘れましたが)からすべては始まりました。まだ家族会も救う会もまったく存在していないとき、というより拉致問題自体が事実上まったく関心を持たれていなかったときのことです。
この年10月号の「現代コリア」に朝日放送の石高健次さんが寄稿した「私が『金正日の拉致指令』を書いた理由」が掲載され、そこに書かれていた「中学校1年生で日本海側のどこかの県から1970年代後半に拉致された少女」という情報が誰だか分かったのが12月14日、佐藤所長が新潟に講演にいったときのことでした。当時現代コリア研究所の研究部長だった私が「分かったぞ」という言葉を聞いたのはその翌日か翌々日だったと思います。年末には小島晴則さんが横田めぐみさん失踪から1週間後、公開捜査になって初めて報道された昭和52年11月22日の新潟日報を探してコピーをFAXしてくれました。そのころのことは拙著でも書いていますので省略しますが、当時はまさか11年後に自分が今のようなことをやっているとは想像もしていませんでした。
何しろ相手は北朝鮮で、11年前は今と状況が全く違っていました。新聞もテレビも大部分が「北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国」とフルネームを付けて言っていた時代、拉致は「疑惑」としか言われていませんでした。朝鮮半島研究をしていた人間でも北朝鮮に原則的姿勢を持っていた人はそう多くはなく、しかも、かの独裁政権を相手に拉致被害者の救出運動をやるとなると、言いたいことを言い続け、そのために当然ながら孤立しっぱなしであった現代コリア研究所が当初その中心になったのは当然と言えば当然でしょう。したがって、北朝鮮側に立つ人々からはかなり攻撃をされましたが、私自身運動の当初に現代コリア研究所にいたことは誇りでもあります。
その後家族会の皆さんや全国の志ある支援者の皆さんのおかげで運動は大きくなり、当然現代コリア研究所の果たす役割は相対的に小さくなりましたが、それでも9.17の頃は大混乱の中で編集業務がほとんどできなくなりました。もともと採算は合わなかったのですが、救出活動をやっていれば営業活動は当然手が着かなくなります。あのときは周囲のご支援によってやっと持ち直したので、その後5年間続いたのは、何より手弁当、自腹で支援してくださった方々の熱意の賜だと思います。
私は翌平成15年初め、調査会を設立するときに救う会の事務局長を退任し、現代コリア研究所からも離れました。この間色々なことがありましたが、今調査会と救う会全国協議会では、政府との距離感、米国の位置づけなど、多少の意見の違いが出ています。先日の寺越事件に関する西村真悟・拉致議連幹事長の質問主意書に対する答弁書の評価を見てそれを実感した方もおられるでしょう。私たち旧・民社党にいた者は、国会議員と本部の書記局員(事務局)と一般の地方の党員が同じ仲間という立場で、ときに怒鳴り合いの議論もできるという風土の中にいたこともあり、同じことをやっていても意見が異なるのは当然と思っていますし、逆に皆が同じことを言う状態には不安を覚えます。
意見の違いがあれば、見方によっては「救出運動が分裂している」との評価をする人もいるでしょう。そこを攻撃してくる人間も出るかも知れません。しかし、私たちは敢えて自分たちの思うところを貫き、また、批判には謙虚に耳を傾けながら、議論もしていきたいと思っています。自分の経験から言えば、それのできる組織・運動こそ本当に強いものになるという確信があるからです。
ですから、佐藤所長(私は今も昔の癖で「会長」というのが言いにくい)や西岡さんとも今後さらに意見が食い違うこともあると思いますが、それはそれとして、私が今、曲がりなりにも朝鮮半島研究者の真似をしていられるのは現代コリア研究所があったからであり、佐藤所長・西岡編集長をはじめとする関係者の皆さんの指導があったからこそです。プライベートなことで言えば私の家内は西岡さんの後輩であり、私たちの仲人は佐藤所長でした。この点は今後意見が衝突することがあっても、絶対に否定できないことですし、もちろん否定するつもりもありません。
当初拉致問題に関わっていた人たちも、私もふくめて立場は様々になってしまいました。被害者を救出したいという思いは同じでも、もうなかなか皆が一緒になってというわけにはいかないのかも知れません。今回、「現代コリア」の終刊号を手にして、天井をネズミがはい回る音をBGMに、足下のダニと格闘しながら、テーブルの上の山積みになった資料をどけてスペースを作りゲラの校正をやっていた頃を思い出しているところです。
最近、この手の文を書くと「長すぎる」というご批判を受けているのですが、また長くなってしまいました。もう「現代コリア」と救出運動の関わりもご存じない方が多いと思い、私的なこともふくめて書いた次第です。最後まで読んでいただきありがとうございました。
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