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2008年1月31日

歩みと展望

※以下は1月29日に開かれた特定失踪者問題調査会の理事会で決定し、同日の記者会見で発表されたものです。

調査会5年間の歩みと拉致問題解決に向けた展望
                  特定失踪者問題調査会

 1月10日、特定失踪者問題調査会は設立5周年を迎えた。

 この5年間は試行錯誤の連続だったが、結果的に言えば拉致被害者が9.17第一次小泉訪朝以来誰も帰っていない。この現実については重く受け止めざるを得ない。

 特定失踪者の中で政府認定になったのは松本京子さん1人であり、警察が拉致と断定した高敬美、剛姉弟を入れても3人にしかならない。実際には政府認定者以外にも拉致被害者が多数いることは政府関係者が認めており、その中には特定失踪者リストと重なる人も少なくないことはすでに明らかになっている。

 何度も言われていることだが、時間がない。家族はもちろん被害者も高齢化し、今日の生存情報も明日を保証するわけではない。一刻も早く全被害者を救出しなければならない。私たちは救う会、家族会、法律家の会、拉致議連、地方議員の会、守る会、難民救援基金、RENKをはじめとする国内外の北朝鮮人権関連NGOと連携してその早急な実現をめざす。

1、政府に対する要望

(1)「北朝鮮自身が拉致問題の解決に向けて具体的な行動を取るよう求めていく」(調査会の要請文書に対する11月28日付政府から回答)ではなく、「拉致被害者を奪還する」という、国家として当然の対応をすることを求める。北朝鮮の行動を求めるのはその手段の一つであり、根本は拉致されている被害者を奪還することでなければならない。

(2)上記の意思を示すため、総理ないし担当大臣たる官房長官が特定失踪者家族の代表に直接面会し、全ての拉致被害者奪還を明言されたい。

2、調査会の活動
(1)拉致被害者の情報収集と救出
 政府に対する要望(1)と対応するが、日本国民としての義務もまた北朝鮮の行動を求めるのではなく拉致被害者を奪還することである。その意味では政府認定者も未認定者も違いはない。救出のために脱北者からの聞き取り、独自ルートの開拓などにより北朝鮮における拉致被害者情報を収集し、可能なケースについては外務省等とも連携して救出を目指す。

(2)国内における情報の収集
 リストに基づく特定失踪者家族からの聞き取り、周辺状況調査等の活動は調査会発足以来の基本的活動だが、調査会の能力の限界もあり、特に遠方に居住する家族にはまだ相当数直接の面接ができていない。もう一度これについての努力を行う。

(3)北朝鮮への直接のはたらきかけ、体制転換への活動

・短波放送「しおかぜ」は昨年すべての送信を日本国内から行えるようになり、電波状態は良好である。さらに内容の充実を図る他、緊急放送として使用するための準備も行っておく

・バルーンプロジェクトについては李明博候補当選による状況の好転に期待し、家族会等他団体と合同で行う。2月ないし3月には日本から関係者が韓国に行って現地NGOと共に活動を行う予定である。

・北朝鮮に対する人権査察を目指す。他の北朝鮮人権問題関連NGOとともに直接の要求及び日本政府も含めた各国政府からのはたらきかけを求めていく。

・政府のリストにもなく、特定失踪者リストにもない拉致被害者を救出するためには現在の独裁体制を転換する以外に方法はない。他の北朝鮮人権問題関連NGOとともに今後も活動を進める。
                                以上

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2008年1月28日

危機管理問題トーク・ライブ

■戦略情報研究所主催「危機管理問題トーク・ライブ--映画『宣戦布告』を題材に--」のお知らせ

 戦略情報研究所ではこのたび映画『宣戦布告』(石侍露堂監督)を題材に、危機管理問題を考えるトーク・ライブ(ミニシンポジウム)を行います。『宣戦布告』は平成14年封切の、麻生幾氏の小説を題材にした映画ですが、関係者の間では高く評価されながら、一般の理解が今ひとつで「少し世に出るのが早すぎた」と当時言われました。今回は映画を見た後に石侍監督、ジャーナリストで特定失踪者問題調査会常務理事でもある恵谷治氏、そして特定失踪者問題調査会理事で「しおかぜ」を担当する村尾建児の3人によるトークを行います。会員の皆様初め多数のご参加をお願い申し上げます。

1、日程 2月15日(金) 
17:30〜19:20 映画『宣戦布告』(DVD)鑑賞
19:30〜20:45 トーク・ライブ(こちらだけ参加していただいても結構です)

2、場所 UIゼンセン会館2階会議室(千代田区九段南4-8-16 tel03-3288-3549)

 ※市ケ谷駅下車3分 靖国通りの南側(市ヶ谷駅を背にして右手)を靖国神社方向に進み三菱東京UFJ銀行市ヶ谷支店の手前を右に入ってまもなく。地下鉄は2番出口が一番近くです。

3、出演者 
石侍露堂氏(せじ・ろどう 『宣戦布告』監督)
恵谷治氏(えや・おさむ ジャーナリスト)
村尾建児(むらお・たつる 特定失踪者問題調査会理事)

4、参加費 2000円(戦略情報研究所会員は無料)

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2008年1月24日

生命

 「命(ぬち)どぅ宝」とは沖縄の言葉ですが、今は反戦のスローガンに使われることが多いようです。

 もし、本当に命が一番大切なら、当然その命の中で一番大切なのは自分の命であるはずです。その自分の命を捨ててまで人の命を救う必要はありません。東武東上線に飛び込もうとした女性を救って殉職された宮本警部、今度そのエピソードが写真のような絵本(高木書房刊)になり、テレビドラマも放送されるそうですが、この人の行為など、愚の骨頂ということになります。中越地震のとき、土砂に埋まった自家用車から男の子を助け出したレスキュー隊の人たちも、一つ間違えば二次災害に見舞われていたかもしれません。助かるかどうかも分からない子供を助けるために、場合によったら自分の命が失われるかもしれないような危険なことをすべきではないはずです。

 しかし、宮本警部のような犠牲、あるいはレスキュー隊の人たちの犠牲を覚悟した行動がなければ社会は成り立たちません。自分がその場に立ったときにできる自信はなく、おそらく逃げ出してしまうのがおちでしょうが、日清戦争以来の戦死者も含め、大昔から軍人、官民の別を問わず命を他人のため、国のために捧げた人がいるからこそこの国は存在しているのだと思います。少なくともその人々への敬意は忘れてはならないはずです。

 昨年1月10日にこのブログで警視庁・東京消防庁などの殉職者慰霊施設である弥生慰霊堂のことを書きました。靖国通りを挟んだ向かい側の靖国神社と比べて余りにもひっそりとしたたたずまいです。知らなければ何の施設かも分かりません。もっと大事にしてあげたらと思うのですが、少なくとも靖国神社にお参りされた方でお時間に余裕のある方はお立ち寄りいただいて、宮本警部を初め、公のために命を捧げられた方に敬意を表していただければと思います。
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2008年1月22日

安明進氏の発言について

※1月22日付調査会NEWS 594号に書いたものです。

 1月18日のテレビ朝日系列「スーパーJチャンネル」で流れた安明進氏の発言についてはその後特に追加の報道もないようです。従って寝た子を起こすようなものかもしれませんが、昨日やっとビデオを入手して見ることができたので、ちょっとコメントしておきます。

 中身は、ソウルを訪れた蓮池透・前家族会事務局長と安さんの対談ですが、その中で安さんは蓮池薫さんを金正日政治軍事大学で見たと断定したのは間違いだったと言っています。小さいことを大きく話してしまったという言い方でした。蓮池透さんは安さんの「薫さんはもっと話すべきだ」という国会での証言によって負担を受けたと語り、また、北朝鮮を攻撃するだけでは何も解決しないという趣旨の話をしていました。

 ビデオを見て感じたのは「?」ということでした。いま一つ放送の意図が分からない。たとえば「安明進の嘘を暴く!」というような、敵意を持って番組を作った感じでもなく、かといって好意的とも感じられず(あの放送では安さんの証言がいいかげんなものだったという印象しか残りません)、「何でもいいからもっと白黒をはっきりさせてくれ」と言いたくなるような内容でした。

 人づてに聞いた安さんの話では、言おうとしたニュアンスは、例えば蓮池薫さんにしても、直接話したわけでもないのに断定的に言ったことは悪かったという程度のことのようでした。逆に言えば「蓮池薫さんを金正日政治軍事大学で見ていない」と断定もしていないわけです。

  ここから先は全く私の想像に過ぎませんが、安さんが言いたかったのは、蓮池さんが彼に金正日政治軍事大学で見たと証言されたことで負担を感じたことにお詫びをしたかったということだけだったのではないのでしょうか。9.17小泉訪朝の前、安さんは蓮池薫さんを見たとは証言していませんでした。「あの人ではないか」と思いながら、市川修一さんのように直接会って話をしたわけではないので断言しなかったとの話は私自身が本人から聞いています。確かに顔つきも拉致される前と帰国したときでは大きく変わっていますから確信がなくても不思議ではありません。

 ちなみに、政府認定者のうち、帰国した5人は9.17以前に目撃証言が無かった人です。そして、帰国してから目撃証言が出たのは蓮池薫さんだけです。9.17以前に安さんが金正日政治軍事大学で目撃したと証言した横田めぐみさん、市川修一さん、増元るみ子さんを北朝鮮は「死亡」としています。また、田口八重子さんや原敕晁さんのように事件に工作員が関与していることが明らかな被害者も「死亡」にしています。つまり、帰国させれば北朝鮮の工作活動を証言される可能性のある拉致被害者は皆「死亡」にしたということです。その意味では帰国してから安さんに「金正日政治軍事大学で見た」と言われた蓮池薫さんの負担も分からないではありません。

 目撃証言はどんなものであれ100%間違いないという証明などできるはずがありません。特定失踪者でも目撃証言のある人は多数いますが、その点は誰が見たところで同じです。「○○さんと思われる人物」という範疇を越えるものではないのです。ですから「私が見た人物は○○さんだ」と言えばそれは誇張であるとも言えるでしょう。

 しかし、番組の中で蓮池透さんも言っているように、安さんの証言が金正日に拉致を認めさせ謝らせるのに大きな役割を果たしたことは事実です。100%になるまで待っていたら永遠に拉致被害者の救出はありません。すでに拉致被害者が救出されていて、そしてその犯人を処罰するための捜査であればもちろん「法と証拠」に基づかなければならないでしょうが、今やるべきことは救出なのであって、そのために情報をどう使うかということではないでしょうか。

 いずれにしても、安さんにはこの番組の内容を確認してもらい、誇張したと語った部分がどこなのかについては説明してもらいたいと思います。 それによっては逆に、表面的には膠着状態になっている拉致問題を動かすきっかけとなるかもしれません。

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2008年1月17日

キオスク写真

Marunouchi

 なんということはありませんが、大学のある茗荷谷の駅で撮った写真です。学生時代、クラブ(鉄研)では駅の近くで安直に撮った写真を「マルイ写真」、さらに安直に駅のホームで撮ったこういう写真を「キオスク写真」と言っていました。

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2008年1月14日

送りつけるのはどうか

 最近数人の特定失踪者を北朝鮮側が返してくるとの噂がときどき飛び交っています。いつものことで、相手にしても仕方がないのですが、北朝鮮は昨年見ていた一時の夢がまた再度八方塞がりになりつつあるので(「詰め」にできるかどうかはこちらの力量と意思にかかっていますが)、あるいは9.17の前のようなオプションを考えているのかも知れません。

 しかし、あちらには当時の小泉総理、福田官房長官、そして田中均外務省アジア局長に騙されて拉致を認め5人を返し、結果的には日本の世論を反北朝鮮に持って行っただけというトラウマがあります。また金正日ももはやリーダーシップを振るえる状態ではありません。どうなるかは不透明ですが、一つ「秘策」を考えてみました。

 それは、日本中にいる「親北人士」をすべて北朝鮮に送り込むというやり方です。北朝鮮とのパイプを自認(他は認めていないようですが)する福岡出身の某代議士など「私は2度訪朝した経験もあり、北朝鮮に人脈もある。福田康夫首相と連携を取り、北朝鮮の核放棄実現のために行動を取りたい」とまで言っています。まさにうってつけで、こういう人たちをまとめて送り出すというのはどうでしょう。そのために一度だけ万景峰号を入港させて、自民党でも民主党でも社民党でもそれ以外でも、あるいは役人でもマスコミでも民間でもなんでも、北朝鮮が好きで国交正常化をしようという人たちは北朝鮮に行ってもらう。そして地上の楽園で一生幸せに暮らしてもらうというのはどうでしょう。

 何年か前、フランスの人権運動家であるピエール・リグロさんが言っていましたが、リグロさんの友人で左翼の人が北朝鮮に行ったときの話、その人は大真面目で北朝鮮の体制を礼賛したそうですが、かえって応対した北朝鮮の担当者が困惑していたとのこと。日本から親朝人士が1万人(そんなにいるかどうかは別として、足りなければ私が行ってもいいですが)訪朝して居座る。日本政府は「拉致被害者を全員返さない限り絶対に彼らを引き取らない」と宣言する。

 まあ、ジョークと言えばジョークですが、もうやられてきたのに対処するのではなく、こちらから仕掛けるべきです。またバルーンプロジェクトも再会します。連合のハガキも北朝鮮に届き始めます。できることは何でもやっていきましょう。

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2008年1月12日

本会議

 新テロ特措法の本会議再議決で小沢一郎、民主党代表が本会議を欠席し大阪府知事選の応援に行ったというのは今日になって知りました。私は昨日は夕方、西村真悟衆議院議員のご子息のお通夜が同じ大阪の堺であり、そこに行って、帰りは飛行機が遅れたため帰宅したのが午前2時でした。朝起きてから聞いて驚いた次第です。
 その西村議員は本会議に参加したため、お通夜の式場に着いたのは始まる直前。私の方が先に着いていました。再議決の結果は分かっているのですから、無所属である西村議員が欠席してご子息との別れに行かれても誰も文句は言わなかったと思います。しかし、それでも本会議に参加した西村議員と、テロ特措法反対で国政をかき回しておきながら、最後になって欠席した小沢代表を比べたとき、何とも言えない思いでした。お1人は無所属議員、もう1人は野党第1党の党首です。
 私は反対の立場を100%否定するものではなく、それによって起こりうる不利益を理解した上でなら、様々な選択はあって良いと思います。しかし、これでは最初から党利党略でゴネただけと言われても仕方ないでしょう。もともと国民が小沢一郎に期待したのはそういうことに超越した気骨あるリーダーだったと思うのですが。外野から言うのは無責任かも知れませんが、民主党の中の良識的な人たちはもっと声をあげてもらいたいと切に思います。

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2008年1月 8日

まもなく調査会設立5周年

※以下は本日発信した「調査会ニュース」591号に掲載したものです。一部修正してあります。

 特定失踪者問題調査会は明後日(10日)で設立5周年を迎えます。長く続けるというのはそれだけ拉致問題の解決が長引いているということで、お恥ずかしい限りですが、5年間でリスト全体約470人、うち政府認定ないし警察断定された人が3人、拉致でなく見つかったひとが24人という数をどう見るのかはご意見も分かれると思います。私たちの活動に懐疑的な人なら、日本国内で1人でも見つかれば「そらみろ、他の失踪者も皆違うに決まっている」と言うでしょう。

 5年前の今日、2日後の調査会設立を控えて自分はどう考えていただろうと思い返してみました。当時は事務所も決まっておらず、どたばたの状態だったのでよく覚えていないのですが、発足当時、「始めてみたのは良いが、どこまでいくのだろう。あるいは届けが山のように来てどうしようもなくなるのではないか」と、底なし沼に足を入れたような感覚を持っていたことだけは今でも鮮明に覚えています。「発表した人の中で拉致でない人がいたら活動全体の信憑性を疑われるよ」とは、その当時も言われました。実際、政府は「拉致だとした人の中に拉致でなかった人がいた場合、北朝鮮からの反撃を受ける」との理由で、限りなく拉致に近いと思われる人でも認定はしていません。

また、調査会ができた翌年には、山梨県甲府市出身の特定失踪者山本美保さんに関わる事件も起きました。政府関係者から「特定失踪者のことであまり運動みたいにやらない方がいいですよ」「山本美保さんのところは大分盛り上がっているようですから」と言われた翌月、突然「失踪2週間後に山形に漂着した遺体と双子の妹である森本美砂さんのDNA鑑定の結果が一致した。だから美保さんさんは拉致ではなかった」との山梨県警の発表がなされました。当時県警の中ですら皆が唐突に感じたという発表で、その後の調査で様々な矛盾が出てきているのですが、未だに納得のいく回答はありません。この件に限らず、拉致問題がこれだけ長引くのは単なる怠慢だけではない要素が存在しているのでしょう。だから、この活動に取り組むには様々な意味でリスクが伴います。

 しかし、誰かがこのリスクを負わなければ拉致問題は前に進まない。どうせお役所がリスクを負うわけはないのだから、民間がやるしかないという思いでこの5年を続けてきました。それは試行錯誤の連続であり、失敗も多く、またあちこちにご迷惑をおかけしてきました。拉致でない可能性も常に存在すると言いながら、一方で拉致の可能性を追求し、政府にも訴えるというやり方ですから、特に失踪者のご家族にとっては非常に精神的な負担をかける結果となっています。これが「あなたのご家族は拉致に間違いありません」と断言して活動できれば(もちろん拉致されたということ自体大変なことなのですが)、ある意味ではもっと気が楽になると思います。

 また、私たちの1000番台リストも、これが「準認定」のような受け取られ方をする場合があり、そうなれば1000番台リストと0番台リスト、そして非公開の方々に「認定対未認定」のような差がついてしまいます。もし北朝鮮が曽我さんを出さず、彼女が私たちのリストに入っていれば当時の状況からして(お母さんと一緒にいなくなっている等)、私たちは1000番台リストにはしていないと思います。0番台リストでも状況からしてかなり怪しいと思われるケースは少なくないので、私たちとしては1000番台リストというのは0番台と差を付けるのではなく、一つの参考として見てもらいたいのですが、このあたりは私たちの活動が浸透すればする程権威付けのようになってしまい、やらなければ前に進まず、苦慮しているところです。

 ただ、それらの問題を一旦措いて、すべての方々に共通しているのは拉致であれ、それ以外の理由による失踪であれ、突然親子兄弟が消えたことによる家族の苦しみです。亡くなったのならあきらめるしかない。生きているのか死んでいるのか、拉致されたのか自分の意志で日本のどこかにいるのか、あるいは自分の言ったことに傷ついて出て行ったのではないのか、等々ご家族の苦しみは筆舌に尽くしがたいものです。それは普段ご家族と接している私たちでも本当の意味での実感はできませんし、ご家族の立場に立って考えるということも怖くてできないというのが正直なところです。私たちができるのは拉致という側面からですが、この苦しみには社会全体で何がしかのフォローはしなければならないと思います。
 
 そしてもう一つは、どう考えても北朝鮮は政府認定・警察断定の19名よりはるかに多い数の拉致をやっていて、その中の一定数は間違いなく特定失踪者リストの中に存在するということ、北朝鮮にとって拉致というのは当然のことであり、対南(韓国)武力革命という北朝鮮の基本方針の一環として行われた一種の戦争であるということです。さらに言えばその現実を直視しようとせず、あえて個別の事件として処理しようとしてきたのが日本という国だったと言えるでしょう。だから私たちは今後も試行錯誤を続け、失敗を繰り返しながらそれらすべての要素と戦っていかなければならないということです。

 私たちをご支援いただいている皆様には今後も様々なご迷惑をおかけすることと思います。あるいは一定の決着がついたときに、私たちのやってきたことはドンキホーテのようなものと評価されるのかも知れません。非難嘲笑されることは覚悟の上で、それ以上に「もしあのときやっておけばあの人は助かっていた」という、取り返しのつかない思いを一生持ち続けることを恐れ、あらためて今年中の解決に向かい努力を続けて参ります。なにとぞよろしくお願い申し上げます。


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2008年1月 3日

初詣

 昨日初詣で深川不動堂と富岡八幡宮に行きました。考えてみればお寺と神社のはしごというのも不思議な話ですが、そこは両方とも心得ているというべきか。深川不動堂には「富岡八幡宮はこちら」という看板がありました(おそらく富岡八幡宮にも「深川不動堂はこちら」というのがあったのでしょうが、人が多すぎて探していられませんでした)。アマゾンではありませんが「深川不動堂にお参りに来られた方は富岡八幡宮もお参りしていかれます」というような感じです。

 □□モスクに「○○ジナゴーグ(ユダヤ教の寺院)はこちら」という看板があるなどということはとても考えられませんが、そこは多神教のいい加減なところといいましょうか。でも、多神教の人間からすれば、イスラムの人たちとユダヤ教、あるいはキリスト教の人たちがそのような関係を自然と思うようになってくれたらと願わずにはいられません。

 日本的な発想を世界に広げるというのは難しいのでしょう。でも、宮崎アニメの世界はやはり多神教の世界ですし、それが広範に受け入れられるということは普遍的にそのような素地があればこそでしょう。「まあ、そんな固いこと言わずに」という文化を広げるのも一つの「歴史的使命」なのかも知れません。独りよがりではいけませんが。

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2008年1月 1日

謹賀新年

あけましておめでとうございます。

 横田めぐみさん拉致が明らかになったのをきっかけに救出運動が始まってから11年、その前段階から入れると12年目になってしまいました。何でこんなに時間をかけてしまったのか。最初から携わってきた者として申し訳ない気持ちでいっぱいです。自分にとっては昭和55年の産経新聞のスクープで拉致を知ったときから数えると28年、あらためて慚愧の念にかられます。

 平成18年中に解決すると「公約」した期限からも既に1年が過ぎてしまいました。もちろんその責任はとるつもりですが、来年の正月に「今年こそ」と書かずに済むようにだけはしたいと思います。今後ともよろしくお願い申し上げます。

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