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2008年1月 8日

まもなく調査会設立5周年

※以下は本日発信した「調査会ニュース」591号に掲載したものです。一部修正してあります。

 特定失踪者問題調査会は明後日(10日)で設立5周年を迎えます。長く続けるというのはそれだけ拉致問題の解決が長引いているということで、お恥ずかしい限りですが、5年間でリスト全体約470人、うち政府認定ないし警察断定された人が3人、拉致でなく見つかったひとが24人という数をどう見るのかはご意見も分かれると思います。私たちの活動に懐疑的な人なら、日本国内で1人でも見つかれば「そらみろ、他の失踪者も皆違うに決まっている」と言うでしょう。

 5年前の今日、2日後の調査会設立を控えて自分はどう考えていただろうと思い返してみました。当時は事務所も決まっておらず、どたばたの状態だったのでよく覚えていないのですが、発足当時、「始めてみたのは良いが、どこまでいくのだろう。あるいは届けが山のように来てどうしようもなくなるのではないか」と、底なし沼に足を入れたような感覚を持っていたことだけは今でも鮮明に覚えています。「発表した人の中で拉致でない人がいたら活動全体の信憑性を疑われるよ」とは、その当時も言われました。実際、政府は「拉致だとした人の中に拉致でなかった人がいた場合、北朝鮮からの反撃を受ける」との理由で、限りなく拉致に近いと思われる人でも認定はしていません。

また、調査会ができた翌年には、山梨県甲府市出身の特定失踪者山本美保さんに関わる事件も起きました。政府関係者から「特定失踪者のことであまり運動みたいにやらない方がいいですよ」「山本美保さんのところは大分盛り上がっているようですから」と言われた翌月、突然「失踪2週間後に山形に漂着した遺体と双子の妹である森本美砂さんのDNA鑑定の結果が一致した。だから美保さんさんは拉致ではなかった」との山梨県警の発表がなされました。当時県警の中ですら皆が唐突に感じたという発表で、その後の調査で様々な矛盾が出てきているのですが、未だに納得のいく回答はありません。この件に限らず、拉致問題がこれだけ長引くのは単なる怠慢だけではない要素が存在しているのでしょう。だから、この活動に取り組むには様々な意味でリスクが伴います。

 しかし、誰かがこのリスクを負わなければ拉致問題は前に進まない。どうせお役所がリスクを負うわけはないのだから、民間がやるしかないという思いでこの5年を続けてきました。それは試行錯誤の連続であり、失敗も多く、またあちこちにご迷惑をおかけしてきました。拉致でない可能性も常に存在すると言いながら、一方で拉致の可能性を追求し、政府にも訴えるというやり方ですから、特に失踪者のご家族にとっては非常に精神的な負担をかける結果となっています。これが「あなたのご家族は拉致に間違いありません」と断言して活動できれば(もちろん拉致されたということ自体大変なことなのですが)、ある意味ではもっと気が楽になると思います。

 また、私たちの1000番台リストも、これが「準認定」のような受け取られ方をする場合があり、そうなれば1000番台リストと0番台リスト、そして非公開の方々に「認定対未認定」のような差がついてしまいます。もし北朝鮮が曽我さんを出さず、彼女が私たちのリストに入っていれば当時の状況からして(お母さんと一緒にいなくなっている等)、私たちは1000番台リストにはしていないと思います。0番台リストでも状況からしてかなり怪しいと思われるケースは少なくないので、私たちとしては1000番台リストというのは0番台と差を付けるのではなく、一つの参考として見てもらいたいのですが、このあたりは私たちの活動が浸透すればする程権威付けのようになってしまい、やらなければ前に進まず、苦慮しているところです。

 ただ、それらの問題を一旦措いて、すべての方々に共通しているのは拉致であれ、それ以外の理由による失踪であれ、突然親子兄弟が消えたことによる家族の苦しみです。亡くなったのならあきらめるしかない。生きているのか死んでいるのか、拉致されたのか自分の意志で日本のどこかにいるのか、あるいは自分の言ったことに傷ついて出て行ったのではないのか、等々ご家族の苦しみは筆舌に尽くしがたいものです。それは普段ご家族と接している私たちでも本当の意味での実感はできませんし、ご家族の立場に立って考えるということも怖くてできないというのが正直なところです。私たちができるのは拉致という側面からですが、この苦しみには社会全体で何がしかのフォローはしなければならないと思います。
 
 そしてもう一つは、どう考えても北朝鮮は政府認定・警察断定の19名よりはるかに多い数の拉致をやっていて、その中の一定数は間違いなく特定失踪者リストの中に存在するということ、北朝鮮にとって拉致というのは当然のことであり、対南(韓国)武力革命という北朝鮮の基本方針の一環として行われた一種の戦争であるということです。さらに言えばその現実を直視しようとせず、あえて個別の事件として処理しようとしてきたのが日本という国だったと言えるでしょう。だから私たちは今後も試行錯誤を続け、失敗を繰り返しながらそれらすべての要素と戦っていかなければならないということです。

 私たちをご支援いただいている皆様には今後も様々なご迷惑をおかけすることと思います。あるいは一定の決着がついたときに、私たちのやってきたことはドンキホーテのようなものと評価されるのかも知れません。非難嘲笑されることは覚悟の上で、それ以上に「もしあのときやっておけばあの人は助かっていた」という、取り返しのつかない思いを一生持ち続けることを恐れ、あらためて今年中の解決に向かい努力を続けて参ります。なにとぞよろしくお願い申し上げます。


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