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2008年2月29日

あたご

 未だ見つからないお二人が早くご家族のもとに帰られることをお祈り申し上げます。

 さて、もうさんざん報道されているので事実関係については省きます。マスコミで言われていること、民主党が攻撃していること、自民党が弁明していること、どれもピントが外れているような気がして仕方ありません。今回の事件に込められた海自の問題は報告の問題等々にあるのではなく、もっと別のこと、旧帝国海軍から海上自衛隊が引き継いで今に至る根の深い問題にあるように思います。

 最高機密を持つべきイージス艦なのですから、軍刑法が無いにしても、いきなり外部の捜査に任せるというのは国益にとってマイナスです。イージス艦の中に行方不明の2人がとらえられているというのでもあればともかく、最初に海保が捜査をしたところで、2人の救助にはつながりません。

 自衛隊に対して敵対的な感情を持つ人々にとっては今回のことが自衛隊の足を引っ張るためには格好の材料になるでしょう。しかし、あえて言いますが、そのようなものとは闘わなければならないと私は思います。守屋事件や今回の事件など、自衛隊をめぐる状況は厳しいものがありますが、こんなときこそ表に向かって発言し、あえて批判を浴びる努力をすべきです。もう「自衛」隊であってはならないと思います。旧軍でも国会や世論から厳しい批判を受けたこともあり、シーメンス事件のように、それで内閣が倒れた事件もありました。「今は特別だ」と、蛸壺に逃げ込むことなく、弾雨の中をかいくぐる覚悟が求められていると思います。

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2008年2月25日

無駄なことはやめるべき

 北朝鮮の中央通信は論評で調査会の非難を行いましたが、このほど日本語放送「チョソンの声」で放送されたものを録音した音声ファイルを支援者の方が送ってくださいました。内容を文章に起こしたものとあわせお届けします。

北朝鮮日本向け放送「チョソンの声」(日本語)
 2008年2月21日21:00からの放送の一部
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続けてチョソン中央通信社の論評をお送りします。

「無駄なことをやめるべき」

 先日、日本の極右団体である特定失踪者問題調査会が拉致被害者宛の手紙を共和国に送ることにした。これに従い調査会は昨年に次いで今年またもや南チョソンで多くの反共和国宣伝物をゴム風船に載せてとばそうとしている。

 特定失踪者問題調査会は共和国による拉致被害者説を流してその真相が明らかになり、人々の非難を受けてきた悪名高い謀略団体だ。これまで日本の極右勢力が拉致問題を扱うラジオ放送の開設、短波ラジオの新たな周波数の確保などと騒いできたが、変わったものは一つもない。
 破綻して久しい拉致問題を持ち出して日本が得たのは国際社会のやっかいな存在と認められたことだけだ。日本の極右勢力がこうした現実を見ず、引き続き無謀に振る舞う場合、それは政治的破滅をいっそう早めることになるだけだ。

 「無駄なことをやめるべき」、チョソン中央通信社の論評をお送りしました。
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 「無駄なことをやめるべき」と言いたいのはこっちですが。まあ、効き目があることだけは分かりましたので今後ともがんばります。


「チョソンの声」のダウンロード

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2008年2月22日

30連隊雪中訓練

Daisetsu
Snow

 去る2月20日、新潟県新発田市に駐屯する第30普通科連隊の雪中訓練(朝日村、山北町で実施)を見学してきました。訓練は20日に16キロをスキーで移動し、野営して翌日と翌々日対ゲリラ訓練を行うもの。私たちが見たのは行軍のところですが、写真の雪上車(78式雪上車、通称大雪)で途中まで追いかけて、戻ってから高機動車で先回りして到着地点で迎えるというもの。
 雪上車の写真は昼食をとったところですが周囲は特に加工していません。本当にこんな、一面真っ白の感じでした。ちなみに大雪の後ろにちょっと写っているのが軽雪(スノーモービル)です。
 もう一枚は迎えているときに撮った写真。写真では分からないと思いますが、この時期珍しい雨(それも結構強い雨)になり迎える方も結構大変でした。当事者はもちろんもっと大変だったでしょう。

 とりあえず自分の訓練を受ける部隊がこういうところの部隊でないことに幸運を感じました。連隊長以下、皆さんご苦労様でした。

 

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2008年2月18日

北朝鮮の船

P6020030
P6020035
 今出してもどうということはありませんが、確か2年前の6月に小樽港で撮った北朝鮮の貨物船。表に出したことがなかったので、ちょっと出してみました。このとき聞いた話では、昔と違い海保もずいぶん厳しくチェックするようになったそうでした。実際何人もが乗り込みかなり念入りに見ていました。調べていたら死体が出てきたこともあったとか。
 近づいてもどうということもなく、船員とも二言三言話しました。近くで訝しげに見ていた新聞記者が船員の方に(私のことを)何者かと聞いていました。船員は不可解な顔をして「韓国人みたいだ」とか言っていました(韓国と言ったか、南朝鮮と言ったか忘れましたが)。少々ニヤリとした次第。

 最近は貨物船が来なくなった代わりに木造の小舟が沢山くるようになりました。こちらにも先日は死体が乗っていたようです。入港禁止へのあてつけではないと思いますが。

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2008年2月14日

『招魂の海』について

※以下は本日2月14日付で調査会NEWS 602号に書いたものです。

 本書は最近出版されたもので、かつて北朝鮮の工作組織「洛東江」に所属した張龍雲氏(故人)と著者笹谷氏の交流を綴った小説調のノンフィクション、もしくはノンフィクション調の小説とも言えるものです。書かれていることが事実であればかなり衝撃的な内容なのですが、読んで色々検討した結果としては、残念ながら重要な部分にかなり作り話が入っていると言わざるを得ません。

 特に問題なのは本書の山とも言える、病床の張龍雲氏が筆者に自分の関わった拉致の被害者の名前を告白するところです。ここには政府認定の拉致被害者の他に多数の特定失踪者の名前が出てきます。そしてそこには「この頃から、折りに触れて報道され、すぐに漢字体まで浮かぶこれら特定失踪者の実名」とまで書かれています。

 しかし、前後の内容から時期を推定すると(文中には記載されていない)、この面会は平成13(2001)年のことと思われ、当時は調査会もなく、そもそも「特定失踪者」という言葉が存在しておらず、もちろん、リストの発表もしていないので「この頃から、折りに触れて報道され」ているはずはないのです。

 しかも、この名前はすべて現在公開されている人ばかりで非公開の人は入っていません。また、 もし、張龍雲さんが本当に名前を挙げているなら、調査会の非公開リストの人の名前、あるいは調査会のリストにもない人の名前がはいっていなければならないはずです。文中には調査会のリストにない4人の男女の名前もありますが、これは私が救う会の事務局長当時、ある方面から得た情報で、氏名はあるが本人が特定できないため、名前を公開して調べたものです(報道関係の方々や警察なども色々調べてくれましたが、結局その4人には行き着いておらず、この情報自体も信憑性が疑われています)。

 さらに、これは私自身が直接確認したわけではないのですが、もっと根本的な問題として、張龍雲さんの奥さんは当時つきっきりで看病していたとのことで、その間笹谷氏が病院を訪れたことはないと言っておられるそうです。

 それ以外にも「洛東江」の活動に関する記述は張龍雲氏の著書『朝鮮総連工作員』(小学館文庫)に記載されていることなど、公表されている情報の域を出るものではなく、関係者が直接張氏から聞いた情報(他の洛東江メンバーや協力者の名前など)が出てこないのも極めて不自然です。私は出版社を通じて笹谷氏に一昨日(12日)質問を送りましたが、現時点(14日午前10時)で回答はなく、既に書店に並んでいる本でもあり、放っておけば混乱をきたすと憂慮し、ここにご報告する次第です。

 本書の内容について、故人である張龍雲さんは当然ながら抗弁することはできません。そして、それだけにご家族の受けるダメージははかりしれないものがあると思います。もちろん、著者自身に最大の責任があることは言うまでもありませんが、PHP研究所はこれまで朝鮮半島関係の本なども多数出版しており、私たちとしても出版を通じた拉致問題、北朝鮮問題解決への貢献には今後も期待するものです。早急に事実関係を明らかにして対応されるよう期待します。

 もちろん。すべての事実関係の確認ができない以上、現時点ではここに書いたことは突き詰めれば私荒木の推測でしかありません。もし私の指摘が誤っていれば、逆に私が著者や出版元に対して営業妨害、名誉毀損をしていることになります。そのリスクも覚悟しながら、迅速な見解表明が必要と考えここに発表した次第です。

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2008年2月12日

コリア国際学園

 姜尚中・東大教授が理事長ということで問題になった同校ですが、川人博弁護士の追求に対する朝日新聞での姜氏の弁明はどう見ても責任逃れとしか思えません。今後さらに追求が続くと思いますが、普段の調子でもっと明快に答えてもらいたいものです。

 それはさておき、この学校の設立準備委員には寺脇研・元文科省大臣官房審議官も名を連ねています。この人、言わずと知れた「ゆとり教育」実施の張本人。コリア国際学園は予備校とも提携して進学に力を入れるそうですが、「ゆとり教育」で教育現場を混乱させておいて、自分は進学校を目指す学校の設立準備委員というのは、余りにも虫が良すぎるのではないでしょうか。やるなら「ゆとり教育」のおかげで学力低下などの被害を被った何百万という生徒たちへの責任を果たしてからにして欲しいものです。

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2008年2月11日

米兵暴行事件

 先程7時のニュースで沖縄の女子中学生暴行事件のことを延々とやっていました。昔の事件や佐世保の空母入港から鳩山民主党幹事長のコメントなど、次から次へと色々報道されていましたが、本当にそこまで広げるべき問題なんでしょうか。

 もちろん事件は事件ですし、犯人は捕まっているのですから法律に則って処理されるべきでしょう。しかし、報道されている内容からすると、被害者は友人2人と歩いていて声をかけられ、1人だけオートバイに乗ったということです。後の2人は乗らなかったのだし、またそのとき無理矢理であると思っていれば誰かに連絡したのではないでしょうか。沖縄県教育委員会の対応も出ていましたが、再発防止というのは、そういうときに乗って行かないとか、子供たちへの教育もしっかりするべきではないかと思います。沖縄における米軍の軍人による事件の起きる比率が他の外国人と比べてどうなのか分からなければなんとも言えませんが。

 この問題が米軍基地と結びつけられるのは犯人を米軍が匿ったとか、日本の司法の手が及ばないうちに本国に帰還させてしまった場合であって、今分かっている限りでは米軍基地の問題に結びつけるのはおかしいと思います。ニュースでのNHKの異常とも言える長時間の報道はいかがなものか。

 私自身は沖縄の米軍基地はできるだけ早くに整理して最小限にし、日本軍によって(あえて自衛隊とは言いません)代替すべきだと思っていますが、少なくとも今回のことに関しては拡大解釈すべきではないと思います。

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2008年2月 9日

宣戦布告

 映画「宣戦布告」は上映実行委員会に友人が関わっていたことから、上映のときにお手伝いをすることになったのですが、残念ながら一寸早すぎた映画だったようで、今ひとつ大きな話題になりませんでした。ちなみに上映当時の映画のパンフレットには私が解説を書いています。
 15日のトークライブのときは危機管理がテーマですので話が出ないかも知れませんが、この映画には危機管理とは別にもう一つの面白い設定があります。杉本哲太さん扮する首相秘書官、寺崎秀一です。これは小説には出てこないもので、石侍監督のオリジナルです。
 寺崎は在日から帰化した秘書官という設定で、その寺崎が最も国家を意識して、国のために身を尽くそうとしています。これは現在ときどき話が出ている在日外国人(実質は在日韓国・朝鮮人)参政権問題で参政権を主張する人と対極にあるものです。こちらの方は国家を意識することなく、逆に国家などどうでもいいものだという発想の中で、「一緒に住んでいるのだから選挙権もあっていいじゃないか」という、極めて危うい考え方です。
 おそらく何か安全保障上の危機が訪れ、自分が何なのかということを突きつけられた場合、「一緒に住んでいるのだから…」などとは言えなくなるでしょう。トークライブに来られる方、これを機会にDVDを見てみようという方は寺崎秘書官の姿から別の「国家」の意味を感じてもらえればと思います。

戦略情報研究所主催トークライブのチラシはここからダウンロードできます

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2008年2月 5日

「諸君」3月号

 連載させていただいている「月報『北朝鮮問題』(32)」は「李明博圧勝に北朝鮮は迷走中」とのタイトルです。もう韓国の大統領選は遥か昔のようになってしまい、すでに李明博政権になったかのような雰囲気ですが、北朝鮮はまだ様子をうかがっている、というより対応を決めかねているようです。
 また、この中で書いているのですが、大統領選に出馬して次々点になった李會昌・元ハンナラ党代表に対して北朝鮮は悪罵の限りを尽くしています。曰く「朝鮮民族の魂をかなぐり捨てた売国奴」「外勢に対する屈従と阿諛追従で延命する民族反逆者」「腰抜けの逆賊」…。これぞ「労働新聞」の醍醐味です。ご関心のある方はご一読下さい。
 なお、この号に「福田流『強調政治』と戦後保守の終焉」を寄稿している遠藤浩一さん(評論家・拓殖大学日本文化研究所教授)は同じ元民社党本部の書記局員で、民社党の月刊誌「かくしん」の編集部で机を並べて仕事をしたこともあります。今同じ拓大に籍を置き、同じ月刊誌に寄稿するというのも不思議な縁です。Scan

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2008年2月 4日

危機管理

 「危機管理」というほどのことでもないのですが、今朝家を出てまもなく、転倒してしまいました。東京は昨日ご当地としてはかなりの雪(それでも3センチから吹きだまりでも10センチ程度ですが)で、朝道路の一部がアイスバーンになっており、自転車で渡ろうとして滑ってしまったものです。後ろから来ていた車が大分距離があったのでただひっくり返っただけですが、近かったら結構危なかったかも知れません。幸い軽い膝の打撲だけで済みました。
 こりゃだめだと思い、自転車は駐輪場に戻して駅まで歩いていったところ、自転車に乗った女性が私と全く同じように転倒しているところに出くわしました。おそらく東京周辺では同じような怪我をした人がかなりいたのではないでしょうか(こういうのはニュースに出てくるけが人の人数には数えられないのでしょうね)。
 ところで、こんな話は北国の人が聞けば「何を情けないことを言っているんだ」と笑われるに違いありません。雪に慣れていたらこんなことはあまりないでしょうし、転んでもどうすれば良いかすぐに対応ができるはずです。
 牽強付会に言えば、危機管理というのは常に危機を予想し、対処を考えておくことで、宮本定朝の「葉隠」にもそのような心構えの必要性が説かれていたように思います。戦争でもテロでも、常にその起きることを考えておくことがいざというときのために必要です。「戦争のことを考えると戦争になる」といった幼稚な考えでは戦争を抑止することはできないのであって、「自衛隊」などという名前でごまかして、あとはアメリカに任せるといった戦後体制こそがいざというときに危機を招くのではないかと思います。
 まあ、ただ転んだだけではもったいないので、多少とも教訓を汲み取ろうとした次第。要は負け惜しみですが。

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2008年2月 3日

命令があれば

 私は拉致問題が安全保障問題であると言っており、被害者救出には軍の関与が必要不可欠だと常に主張しています。
 この話を現役・OBの自衛官にすると、大体一様に「命令があれば行きます」との答えが返ってきます。しかし、そのニュアンスは大まかに二つに分かれます。一つは文字通り、「命令さえあればいつでも」という、決意も込めた回答で、これは頼もしいのですが、もう一つは「どうせ命令などあるはずがない」という言葉が裏に聞こえてくるような回答です。こういう言い方をする人は決まって、「命令があれば行きます」の後に「が…」というのが続き、「憲法上(あるいは自衛隊法上)できない」「政治が決断しない」「そのための部隊がない」「予算がない」「訓練をしていない」…との無い無い尽くしが続きます。
 私は拉致問題解決に自衛隊の関与が必要であると言い始めたときに、二つ意外な反応を感じました。一般人たちの反応は想像していたよりはるかに肯定的で、逆に自衛隊内部の反応の方が鈍かったからです。今でも拉致被害者の救出が本来自分たちの仕事であると思っている自衛官の方が少ないでしょう。
 警察官が「犯人を逮捕するか」と聞かれて「命令があれば」と答えるでしょうか。あるいは消防士が「火事が起きたら火を消しに行くか」と聞かれて「命令があれば」と答えるでしょうか。警察官も消防士もその任務のために毎年殉職者が出るのです。できない理由を並べる自衛官は戦後体制に甘えているとしか思えません。
 もちろん、軍隊というのは1人で決めて行動することはできませんが、少なくともこの問題が本来自分たちの任務であると認識し、なおかつそれを為すことができないでいることへの悔しさ位は持ってもらいたいものです。日本の仮想敵国の国策によって拉致された国民がいて、それを助けに行けないこと自体を悔しいともなんとも思わない自衛官は、おそらくいざ行くとなれば、そして場合によっては戦死(殉職ではなく)するかもしれないとなれば辞表を書いて辞めていくでしょう。
 自衛隊が軍隊であると、一番認識すべきは当の自衛官ではないかと思います。
 このブログをご覧の皆さん、誰か自衛官に会ったら「なぜ自衛隊は拉致被害者の救出に行かないのか」と聞いてみて下さい。同じ「命令があれば」と答えても「本来は行かなければならないのですが…」と答える人と、「あれもない、これもない」と人ごとのように言う人に分かれると思います。拉致問題に限らず、どちらが信頼できるかは言うまでもないでしょう。 

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