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2008年3月 9日

2.26事件と現代日本

以下は2月28日付「世界日報」の「オピニオン」欄に寄稿したものです

共通する閉塞感

 この原稿の締め切りは2.26事件から72年目の日である。最近、反乱軍の青年将校たちの後見投であった斎藤瀏少将と一人娘の史、その幼なじみであり事件で中心的役割を果たす栗原安秀、坂井直らを描いたノンフィクション、『昭和維新の朝』(工藤美代子著・日本経済新聞)が関心を集めているが、当時ほどではないにせよ、時代的閉塞感に現代と共通のものがあることが共感を呼ぶのかもしれない。

 政党政治が党利党略に走り、不況や冷害で農村は疲弊し、そこから入隊してくる兵士たちも姉や妹が身売りされていくという悲劇の中で、青年将校は立ち上がった。その思いは純粋であったろう。

 天皇と一般国民の間にある不純な輩を取り除くことが理想的な国家を作り上げるという考えは分かりやすい。しかし、彼らの発想と行動は致命的欠点を抱えていた。その最大のものは彼らにとっての「天皇」が現実の昭和天皇ではなく、あくまで自分たちが勝手につくりあげた「理想の天皇」であったということだ。憲法を徹底して護り続けた昭和天皇が青年将校たちを反乱軍として討伐を命じたことがこの証明である。

 理想の天皇と国民を直結するという考えは、その天皇が自らの意に添わないとき、意に添う天皇に変えればよいという発想にもつながる。これが徹底して実行された場合、あとは皇室をなくしてしまい、そこに共産主義をもって替えるということにすらなりかねない思想である。幸いにしてそれは避けられたが当時の軍中枢にいたであろう共産主義者はそれをも視野にいれていたのではないか。

 当時、敗戦という破滅に至らないためにはどういう選択があったのか、正直な話なかなか答えは出てこない。ただ、明らかなことは「破滅への道は善意で敷き詰められている」という言葉があるように、青年将校たちの思いも、結果的には敗戦という、おそらく彼らがもっとも避けたいと思っていたであろう破滅に向かう道の敷石になってしまったということだ。

 政治は様々な利害の調整である。そこには当然不純物が混じり得る。意見の対立も起きるし、ときに逆方向に進んでいるのではないかと思われることも少なくない。しかし、理想の社会など絶対に実現することはないのだ。その言葉にだまされた人々がソ連・中国をはじめ世界中でどれだけ悲蟻な結果をもたらしたかは一目瞭然である。

歴史に残す意志

 私たちは敗戦によって歴史が断絶したかのように思ってしまっている。しかし、歴史は決して断絶しない。2.26事件も目衛隊まで含めた建軍137年の流れの一こまであると考えなければならない。

 あのころ、国家の行く末を本当に憂い、ときに軍とも闘いながら、身を挺して所信を貫く政治家、国家にとってもっとも望ましい軍のあり方は何かを考える軍人がもう少し多ければ、あるいは彼らをパックアップする国民がもう少し多ければ敗戦は避けられ、今も国軍のままでその本来の任務を全うし続けていたのではないか。

 当時のことを今に引き写せば私たちはいかに身を処していかなければならないのだろうか。部下の兵士たちの家庭の悲惨な状況に煩悶し、立ち上がった青年将校の意志は歴史に残さねばならない。しかしそれは現代に同じことをすることではなく、無駄死にだったとして嘲笑することでもない。混沌として不純な現実に身を沈めながら、理想ではなく最善の道を求め続けることによってのみ実現されるのである。

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