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2008年9月19日

選挙

 かつて民社党の本部にいた15年間(正確に言えば党本部に勤める前も含めてだが)、何度となく選挙の手伝いに行った。命令によって選挙事務所に一定期間詰めるのを「はりつけ」と言った。普通の人が聞けば結構物騒な表現だが、比較的本部詰めの多かった私でも兵庫には衆参1回ずつ、あわせて半年くらいいた。

 同じような立場になった人ならわかるだろうが、一旦選挙となれば、何よりもその選挙に勝つことが最大の目標になる。その候補者の善し悪しなど関係なく、ともかく1議席でも多く確保することが党全体の至上命題になってくる。だから若い候補者であれば若さを、年配の候補者であれば経験を、というように、ともかくいかに有権者にアピールするか、票を稼ぐかで頭がいっぱいになる。国政全体の動きとか国家のあるべき姿は頭からすっとんでしまうのである。

 これは戦争のとき、個々の部隊からすれば命令に従ってともかく目の前の敵を制圧することがすべての目標になるのと似ている。そして、そうしなければ勝てない。旧民社党時代の同僚たちはまだ何人か民主党の本部にいるが、今の精神状態は大体想像がつくし、本当に大変だろうなと思う。

 しかも民主党の場合、基本的には小沢代表の方針だけしか存在しない(特に選挙にあたっては)から、事務局どころか国会議員までものを考えることを許されないと言える。これはもともと田中派の体育会的性格にもよるものだろう。

 そう言えば15年前、私が一度だけ選挙にでたとき、一所懸命手伝ってくれた友人から「街頭演説で北朝鮮だとかミサイルだとか言わない方がいい。過激なことを言うと女性票が減る」と言われたことがある。何しろ候補者も運動員もマスコミも一般有権者も、荒木が泡沫候補であることは共通認識の選挙で、実際当選した候補者が10数万票とっているのに私の得票は6000票ほどだった。「票が減ると言われてもなあ…」と思いながら、結局言うことは変えなかったが、泡沫候補でもそう言われるのだから、実際に闘う候補者や選対の人間の神経の遣いかたは並大抵ではない。

 しかも、今は衆議院選挙も小選挙区制だから、いやだと思っても他の党の推薦をもらわなければならないこともある。そうするとその党の批判もしにくくなる。結局どの候補者も言うことはあまり変わらなくなるのである。

 それを変えるのは有権者の側しかないと思う。有権者の側がある方向性を強めれば、候補者はその方向に少しでも動かざるを得ないのであり、その方向性を正しいと思っている候補者はそれをさらに力を込めて語ることができるのだ。その努力を国民がどの程度できるか、ということだと思うし、拉致問題を動かす力もそういうことだと思う。選挙という「戦時」のみならず平時においてもである。国会の議席配分がどうなろうと、総理がどうなろうと、拉致問題への取り組みが変わらない世論をしっかりと作っていかなければならない。

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