※昨日の記者会見で発表した内容です。
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平成20年10月30日
1000番台リスト第14次発表にあたって
特定失踪者問題調査会代表 荒木和博
調査会ではこれまで拉致の可能性が高いのではないかと推定されても、情報源について公開できないもの、情報の検証が不可能なものなどは1000番台リスト(北朝鮮による拉致の可能性が高い失踪)としての発表を控えてきた。
しかし、少しでも情報を明らかにすることがより新たな情報の収集につながることにも鑑み、今回もう一度各案件の見直しを行い、その一部を1000番台リストとして新たに発表することとした。これ以外にも状況証拠などから拉致の可能性を疑わせるものは存在する。調査会のリスト全体がそうとも言えるのであり、例えば今回はまだ入れていないが昭和40年代の印刷関係失踪者(小林栄さん、早坂勝男さん、横田道人さん、江藤健一さんら。1000番台リストでは日高信夫さんがいる)やリストの中に<参考>として記してある1980年代半ば、1990年代初めの女性の失踪などは注目に値すると思われる。
また、それ以外でも失踪状況からして現時点で拉致の疑われるケースは公開の失踪者(ゼロ番台リスト)の中でも30人以上おり、今後非公開失踪者も含めてさらに各案件の見直しを行い、逐次発表していく予定である。調査会の作業能力からして、すべてを一律に調査して一挙に発表することは難しいので、今回の14次発表はあくまで中間報告ととらえていただきたい。
今回の発表については、32人という大量の発表であり、私たちにも逡巡があったことは否めない。しかし、金正日の病状や米国の対北朝鮮テロ支援国指定解除など事態がきわめて流動的な状態で、ともかく主体的に行動する必要があると考え決断した次第である。
今こそ我が国政府が主体的に動いて拉致被害者の救出を実現しなければならない。北朝鮮当局が心を入れ替えるのを待っていたり、アメリカ頼みを続けていても状況は変わらない。今回の発表の意味を各界各層の方々がお汲み取りいただき、被害者救出のため共に闘っていただくようお願いする次第である。
以上
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1000番台リスト第14次発表
平成20年10月30日
特定失踪者問題調査会
(1)宮澤康男さん(昭和17年10月20日生まれ 昭和35年9月21日 都内で失踪 当時17歳 会社員)
東京都台東区上野の勤務先(製パン業者)の宿舎から失踪。不確定ではあるが複数の目撃証言がある。
(2)藤田慎さん(昭和6年9月5日生まれ 昭和35年 都内で失踪 当時29歳 会社員)
長兄に「旅行に行く」と新品の靴を借りに来る。次兄夫婦には、「結婚したい人がいる」と相談。また、弟にお金を借りに来る。その後音信不通。失踪から数年後、兄夫婦宅(川口市仲町)に年賀状が届く。字体は達筆(本人の字体に似ていた)。差出人の名前がなかった。消印は世田谷だったようである。昭和51年2月7日、埼玉県川口市で失踪した藤田進さん(次に挙げる新潟の藤田進さんとは別人)のおじにあたる。北朝鮮にいるとの不確定情報がある。
(3)藤田進さん(昭和23年3月25日生まれ 昭和40年3月26日 新潟県青海町で失踪。当時17歳 高校生 すでに1000番台リストになっている埼玉県の藤田進さんとは別人)
自宅から徒歩15分ほどの映画館で開かれる演奏会に、一人で歩いて出かけた。猛吹雪だった。学生服の上にブルーのアノラックを着ていた。この3年後に県境を越えた富山県の入善町で屋木しのぶさん、朝日町で水島慎一さんが失踪(ともに1000番台リスト)しているほか、同時期男子高校生の失踪が多い。北朝鮮にいるとの不確定情報がある。
(4)七條一さん(昭和23年8月22日生まれ・昭和45年2月10日 石川県金沢市で失踪 当時21歳 大学生)
北陸方面を旅行。8日に能登を回って西宮市の母の実家に立ちより、徳島に帰る予定で、金沢市のユースホステルを出発し、輪島市で宿泊。9日「能登を回ってバスが遅れ、大阪行きの汽車に遅れた」と同じ金沢市のユースホステルに再度宿泊。10日朝出発し、以後消息不明。「雪が降っていたので兼六園の雪景色を見てくると言って10センチ位積もった雪の上を堤防の方に向かって歩いて行った」という証言と「東尋坊・永平寺に回ると言って宿を出る」という証言がある。2月10日は夕方のフェリーで西宮市の母の実家から祖父母を徳島に連れて帰り、翌日行われる法要に出席する約束をしていた。事前に東京の下宿から西宮の母の実家に法要出席のための背広を送ってあった。北朝鮮にいるとの不確定情報がある。
(5)三浦和彦さん(昭和27年3月28日生まれ 当時21歳)・(6)波多野幸子さん(昭和30年2月14日生まれ 当時18歳・同じ会社に勤務 昭和49年1月12日 福岡県志摩町で失踪)
二人は会社の同僚。当日会社に出勤。三浦さんは退社前に同僚に前原に行くと告げ、波多野さんの残業が終わるのを待ったと思われる。12日から帰宅せず。15日、福岡県糸島郡志摩町芥屋大門近くの海岸に車が放置されているのが見つかる。車内に三浦さんの免許証、コートが置かれたまま。両人の靴が片方ずつ落ちていた。
1970年代は男女での失踪が集中して起きている。波多野さんについては不確定な目撃情報がある。
(7)山下春夫さん(昭和21年3月25日生まれ・昭和49年8月17日 福井県小浜市で失踪 当時28歳 造船会社勤務)
8月16日会社近くで夕涼みを兼ねて夜釣りに行くと出かけたまま失踪。本人の作業靴が発見されている。失踪2か月前に小浜市の岡津(おこづ)海岸から高敬美・剛姉弟が連れ出されたとされる。後述の山下貢さん、宮内和也さん、林雅俊さんも近隣地域からの失踪だが、この地域は過去も現在も頻繁に工作員の出入りが行われている地域である。
(8)萩本喜彦さん(昭和15年1月2日生まれ 昭和50年4月4日 兵庫県高砂市で失踪 当時35歳 会社員)
夜勤で自宅から会社へ自転車で向かう途中失踪。お金も持たず仕事着のまま。失踪後無言電話や不審な電話があり不審な葉書が届く。元工作員金東赫氏が昭和50年8月に平壌サーカス劇場で目撃したとの証言をしている。
(9)峰島英雄さん(昭和27年9月2日生まれ 会社員)・(10)関谷俊子さん(昭和32年5月19日生まれ 高校生)・(11)遠山常子さん(昭和32年6月22日生まれ 高校生 昭和49年7月11日 千葉市で失踪)
遠山さんと友人の関谷さん、ならびに関谷さんの親戚である峰島さんの3人は、千葉市内の飲食店で食事をした。峰島さんが、「二人を家まで送ってくる。戻ってくるから、食事を用意しておいてくれ」と言い残し、車で飲食店を出たまま三人とも失踪。峰島さんの車も未発見。失踪の当日は、関谷さんの引越しの日だった。引越しが終わったあとに、三人で飲食店に食事に来た模様。失踪以降、何ら手がかりとなるものは無かった。関谷さん、遠山さんについては北朝鮮にいるとの不確定情報がある。
(12)寺島佐津子さん(昭和35年7月26日生まれ・昭和54年8月10日 神奈川県横浜市で失踪 当時19歳 銀行員)
失踪当日、勤務先の支店の親睦会で鎌倉の花火大会に行き、夜10時に現地解散。同僚と鎌倉駅で別れ、戸塚駅からバスで帰宅途中に行方不明。翌日、自宅近くの草むらからセカンドバッグが見つかる。
(13)小久保稔史さん(昭和22年8月1日生まれ・昭和55年1月13日 京都府舞鶴市で失踪 当時32歳 船員)
東舞鶴のスナックを一人で出て失踪。午後7時に「パチンコ屋の横から」と言って自宅に普通の口調で電話をしている。船室もそのままだった。コートも置いてあった。北朝鮮にいるとの不確定情報がある。
(14)長尾直子さん(昭和35年10月25日生まれ・昭和56年3月16日 北海道札幌市で失踪 当時20歳 自動車学校事務員)
いつも通り出勤したがすぐに傘を取りに引き返してきた。会社に着いたと思われる頃会社から出勤していないと連絡。普段は会社から日に1、2回電話してくる。夜になっても連絡なし、心当たりもあたったが分からず。翌日捜索願。身の回りのものは手つかずで、預金を下ろしたりもしていない。北朝鮮にいるとの不確定情報がある。
(15)松本重行さん(昭和10年7月25日生まれ・昭和58年10月17日 京都府舞鶴沖で失踪 当時48歳 漁船員)
漁船「照和丸」で刺し網漁業中に行方不明。船は同日無人の状態で漂泊していたのを発見される。べた凪、転落しにくい船の構造、ベテラン漁師であることを考えると、転落は有り得ない。たとえ転落しても、水温も高く自力で船に戻れるはずであり、遭難しても大掛かりな捜索から遺体が発見されたはずである。出港直後、不審な船が接近している。京都府の東端に位置し、北朝鮮絡みの事件が多発する地域に隣接する。北朝鮮にいるとの不確定情報がある。
(16)西安義行さん(昭和40年6月27日生まれ・昭和62年3月15日 京都府綾部市で失踪 当時21歳 無職)
友人と舞鶴方面へドライブ。帰り道、綾部駅前で友人と別れた後失踪。度々、舞鶴に出かけていた。当日はいつになく、服装を気にしていた。綾部で降車する理由が見当たらず、舞鶴線で舞鶴に引き返した可能性が高い。失踪後、不可思議な電話が連続した。失踪後1年ほどして、名古屋中央郵便局消印で、該当者のいない電話番号入りの葉書が届く。1998年頃、不審な車が西安家の様子を伺い、周辺に聞き込みを行った。北朝鮮からの未確認情報がある。
(17)林かな子さん(昭和35年9月7日生まれ・昭和60年11月22日 都内で失踪 当時25歳 会社員)
会社の上司に「風邪気味なので21、22日両日休ませて欲しい」と了解を求めて休み、そのまま失踪した。ほとんど何も持たず普段着姿で出かけた模様。失踪の数日前母親に「トイレットペーパーを買っておいて」と言っていた。北朝鮮にいるとの不確定情報がある。
(18)尾上民公乃さん(昭和41年11月26日生まれ・昭和62年6月6日 大阪府大阪市で失踪 当時20歳 飲食店店員)
5日午後11時30分頃、大阪市北区内のスナックへ行った後、友人の車に同乗。その友人は午前3時50分頃心斎橋の路上に停車、エンジンをかけたまま尾上さんを助手席に残し、近くのビルの飲食店にいる知人と連絡をとりに行った。その友人が約30分後に戻ると車ごと消えていた。尾上さんは免許を取得したばかりで運転歴殆どなし。翌朝、福岡市博多港の沖浜町中央埠頭東側岸壁から乗っていた車が海中に落ちるところを釣り人が目撃。ドアはいずれも閉まっていたが助手席の窓は開いていた。遺体は発見されず。車内には友人のセカンドバックがあったが、なくなっていた。北朝鮮にいるとの不確定情報がある。
<参考>昭和60年前後にはこの他にすでに政府認定者、1000番台になっているケース、非公開ケースでも以下のように若い女性の拉致被害者・特定失踪者がが多い。
●有本恵子さん(昭和・昭和35年1月12日生まれ 昭和58年7月 欧州で拉致 当時23歳 政府認定)
●井尻恵子さん(昭和35年10月23日生まれ 昭和59年3月16日京都府京都市で失踪 当時23歳)
●Aさん(非公開 昭和59年北陸地方で失踪 当時20歳)
●山本美保さん(昭和39年3月3日生まれ 昭和59年6月4日山梨県甲府市で失踪・1000番台)
●今津淳子さん(昭和32年5月28日生まれ・昭和60年4月30日埼玉県大宮市で失踪 当時27歳)
●Bさん(非公開 昭和60年北海道で失踪 当時23歳)
●秋田美輪さん(昭和39年1月25日生まれ 昭和60年12月4日兵庫県神戸市で失踪・1000番台)
●Cさん(非公開 昭和61年 関東地方で失踪 当時21歳)
●根本直美さん(昭和47年1月15日生まれ 昭和62年6月20日茨城県藤代町で失踪 当時15歳)
(19)和田幸二さん(昭和32年5月20日生まれ・昭和63年8月19日 宮崎県南郷町で失踪 当時31歳漁師)
未明に飲食店から友人を車で送り届けた後失踪。車も見つかっていない。次の日はカツオ漁のために出航する予定だった。林田幸男さん、水居明さんの失踪約1か月後。不確定だが複数の目撃証言がある。
(20)山下貢さん(昭和25年7月5日生まれ・平成元年12月27日 福井県越前町で失踪。当時39歳 作業員)
当日早朝4時頃、釣り道具を持って「魚を釣ってくる」と実家を出て失踪。越前町午房が平の国道305号線沿いに車が発見される。岩場にえさ箱が残されていたが遺体はもちろん釣り竿、その他の遺留品も未発見。車は鍵がかかっており、車内に長靴・食べかけのおにぎり・免許証などが残される。失踪後数年たった頃、本人の自宅や実家などに無言電話や不審な電話がかかる。
(21)河田君江さん(昭和41年8月15日生まれ・平成2年2月7日 山口県阿武町で失踪 当時23歳 会社員)
退勤後自宅近くで買い物したのち不明に。2月20日頃、本人の乗っていた車が萩市と島根県益田市の中間の国道沿いの駐車スペースに止まっているのが見つかる。本人は運転時、ヒールのときは裸足で運転するほど汚すのが嫌いだったが、車が見つかったとき、運転席に泥、助手席にシダの葉、少量だが本人の血が付いたカミソリが見つかっている。免許証、通帳などはそのまま。その後預金の引き出しなし。実家へ来るはずが全く逆の方向へ行っている。2月18日に本人の声で知人に架電して「ごめんね」と言っている。車内にあったレシートなどによると、8日午後1時34分 島根県出雲市でパン等を購入。同日午後7時11分 長門市内のコンビニでおむすびを購入。午後7時36分 同市内でカミソリ、チョコレートを購入 午後7時37分 同市内弁当屋でのり弁1個を購入している。
(22)清水桂子さん(昭和43年12月9日生まれ・平成2年12月13日 岡山県井原市で失踪 当時22歳 農協職員)
勤務終了後、職場を出て失踪。途中に農協の支所があり、自宅への帰途立ち寄ることになっていたがそこに本人から「午後6時には少し遅れる」と電話している。日中、職場に電話があった。誰なのかどういう内容なのかわからないが、話は短かった。本人の車が井原市井原町の書店の駐車場で発見。車内は荒らされていなかった。免許証、財布、ハンカチなどの入った小さなバッグだけを持っていた。キャッシュカードが井原の小田川の土手に四つ折りにして投げ捨ててあったのを近所の人が見つける。翌年3月31日には結婚が決まっていて、休日には楽しく準備していた。帰りが遅くなるときはいつも何の用事で遅くなると電話を入れてくるが、この日はなかった。
(23)大政由美さん(昭和42年4月5日生まれ・平成3年3月28日 韓国慶州市で失踪 当時23歳 大学研究生)
同年3月に三重大を卒業。考古学専攻。3月27日夜、慶州ユースホステルにチェックインし、翌朝10時に荷物を置いたまま外出し、その後消息不明。現地、慶州警察署で捜索。1991年3月〜94年10月の間に数回無言電話。正確な日付は不明だが、午後から夕方にかけてがほとんど。受話器を取ると人の息、生活音も聞こえず受話器を置くまで一言も話さなかった。北朝鮮にいるとの複数の不確定情報がある。
(24)小野寺将人さん(昭和42年2月15日生まれ・平成3年7月19日 北海道富良野市で失踪 当時24歳 ホテル従業員)
富良野ラベンダー祭に登別駅からレンタカーで出発し、その後消息を絶つ。1泊2日の予定だったがホテルが取れず車中泊。同21日室蘭警察署に捜索願いを出す。10月26日十勝岳中腹のホテルの駐車場でレンタカー発見。免許証は見つかっていない。銀行預金も引き出されていない。北朝鮮にいるとの不確定情報がある。
(25)森本規容子さん(昭和47年11月25日生まれ・平成3年9月22日 兵庫県西宮市で失踪 当時19歳 会社員)
大阪市梅田の本屋に行くと自宅を出て失踪。家での心当たりなし。失踪前日の21日夜に友人と電話で29日に映画を観る約束をしている。当時の所持金少々。金銭トラブル、人間関係のトラブルなし。失踪後連絡なし。失踪状況は(27)の福山ちあきさんと類似している。北朝鮮にいるとの不確定情報がある。
(26)橘邦彦さん(昭和47年9月3日生まれ・平成3年10月15日 静岡県沼津市で失踪 当時19歳 専門学校生)
10月15日夜、男性から電話があり沼津市の自宅から出ていったまま失踪。免許証の更新もせず部屋もそのまま。北朝鮮にいるとの不確定情報がある。
(27)福山ちあきさん(昭和48年9月16日生まれ・平成3年11月3日 大阪府大阪市で失踪 当時18歳 高校生)
アルバイト先から帰宅途中、大阪市営地下鉄動物園前駅で友人と別れ、それ以後行方不明。就職も決まっていた。生活道具は一切そのまま。北朝鮮にいるとの不確定情報がある。
(28)松橋恵美子さん(昭和40年5月15日生まれ・平成4年1月15日 秋田県能代市で失踪 当時26歳 会社員)
祖母に「鷹ノ巣に行って来る」と告げて車で出かけたまま、その日は戻らなかった。友人の家に行ったのだろうと思っていたら、翌朝出勤していないことがわかる。家族で探したところ、能代市の海岸で車が見つかる。車内には身の回りのものが全て残っていた。北朝鮮にいるとの不確定情報がある。
<参考>1990年代前半の若い女性の失踪としては以上6件の他にすでに1000番台になっている佐々木悦子さん(昭和38年12月6日生まれ・平成3年4月22日 当時の埼玉県浦和市で失踪 当時27歳 銀行パート)のケースがある。
(29)武山京子さん(昭和10年12月20日生まれ・平成4年6月12日 北海道浜益村で失踪 当時56歳 会社員)
午前8時半頃、タケノコ採りに山に入り失踪。大捜索するが遺留品は全くなし。北朝鮮にいるとの不確定情報がある。
(30)田中正道さん(昭和23年6月28日生まれ・平成5年6月7日 千葉県習志野市で失踪 当時44歳 建設関係の職人)
5月16日、「急性アルコール中毒になり入院した」との連絡が千葉県の病院から鹿児島にすむ家族にあった。入院中病院より連絡があり「身内が近くにいないので、他の人より長く入院させるから」と言われ、6月3日まで入院した。退院前に主治医から鹿児島の妹に電話があり「そろそろ退院する。妹の世話にはなりたくないと言っているので、病院の方で仕事を紹介します」と言われた(後に主治医はそういう話はしていないと言っている)。6月2日、本人より「明日退院するので、免許の更新に茨城に行ってくる」と連絡があった。6月6日、茨城県交通協会で講習を受けたことは免許証にて確認。6月7日千葉市内の友人宅に寄り、「今から仕事に行く」と言って出ていったのが最後。同年6月11日、本人の車が習志野市内の路上に放置してあるとの連絡があった。車は慌てたように斜めに放置、キーがついたまま、ドアの鍵も開いていおり、後輪がパンクしていた。車内には免許証、保険証、預金通帳印鑑、入院時の下着類、仕事着、アドレス帳があった。車が置かれたのは10日夜半か11日早朝と思われる。北朝鮮にいるとの不確定情報がある。
(31)宮内和也さん(昭和40年1月27日生まれ・平成9年4月24日 福井県三方町<現在は若狭町>で失踪 当時32歳 町役場職員)
失踪翌月に三方町世久見のB&G海洋センターでカヌーの研修(本人はインストラクター)が予定されており、ナホトカ号重油流出事故の影響で海岸が汚れていないか確認のため出かける。当日、世久見岸壁で海を見ている宮内さんが目撃されているが、その夜帰宅せず。後に世久見漁港から数百メートル離れた海岸のテトラポッドにカヌーが折れて突き刺さっているのが発見され、さらにその近くで宮内さんの上着が発見された。上着は石が重しのように乗せられていた。カヌーのパドル(櫂)とライフジャケットは艇庫に置いたままだった。
(32)林雅俊さん(昭和50年1月20日生まれ・平成10年5月12日 福井県越前町で失踪 当時23歳 大学院生)
午前9時頃いつもどおりに大学へ車で向かった。22時30分に大学の指導スタッフと別れる。この日の夜は帰宅しなかった。それまでも卒論などで朝帰りや泊まり込みがあったので帰宅しなくても不思議ではなかった。5月13日福井県越前町の海岸に車が止まっているとの電話が四ケ浦駐在所から自宅にある。車は海岸の釣り場に下りて行くところ(本人は釣りはやらない)で、下りて行く道を塞いだように停まっていた。当日早朝から止めてあった模様。ドアはロックしてあり、中にパソコン、財布、免許証などすべて置いてあった。座席のリクライニングは倒れていた。パソコンには当日14時3分に「このパソコンは義兄にあげる。ゼネコンはいやになった。道を間違えた」と書かれていた。義兄の名前などもあったので内容からして本人であることは確か。その後無言電話が1〜2カ月間続いた。1回女性の声で「雅俊さんいませんか」という電話があった。
車が置いてあった場所は(20)山下貢さんの車が置いてあった場所から直線距離で10キロほどのところで、置かれていた状況も類似している。また北朝鮮にいるとの不確定情報がある。