下河原線
なんということはないのですが、机の中から出てきた写真を1枚。昭和48(1973)年3月30日、国分寺駅の当時4番線ホームにて。今は全く変わってしまっていますが、現在中央線下りホームになっているあたりです。当時国分寺ー北府中ー東京競馬場前という路線(中央線の枝線、通称下河原線)がありました。北府中にある東芝の工場の通勤者輸送と、競馬の時の観客輸送がほとんどという線で、昼間はクモハ40という旧型電車が1両で行ったりきたりしていました。
写真を撮った翌々日、4月1日に武蔵野線が開通。下河原線は廃止になりました。この線のことは廃線跡歩きなどでよく取り上げられますから、現役時代よりそちらの方でご存じの方が多いかも知れません。この「サヨナラ下河原線クモハ40」のヘッドマークは私の所属していた桐朋中・高の鉄研で作ったもの(当時私は高校1年から2年になるところ)。残念ながら当時の国鉄の許可が下りず停車中に付けさせてもらっただけですが、見返してみると結構良い思い出です。
ちなみに多少宣伝めいた話を付け加えると桐朋の鉄研は半世紀以上の歴史を持ち、OB会になると時には年齢差50歳くらいになります。私たちが真ん中くらいで、おそらく中学高校の鉄研としては全国でもかなり古い方だと思います。
※写真はクモハ40074(西ムコ)
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