拉致はいつ行われたのか
※以下は本日(1月2日)付の調査会NEWS734号に書いたものです
「北朝鮮はいつ頃拉致を行ったのでしょうか」という質問は「なぜ拉致をしたのか」と同じくらいよく聞かれます(いわゆるFAQというものでしょうか)。
この本当の答えは北朝鮮の体制が変わり、私たちが自由に北朝鮮の中に入り、北朝鮮にいる拉致被害者すべてが自分が拉致されたことを語れるようになるまでは分かりません。しかし、いくつかの事例からある程度の推測をすることは可能です。
首相官邸のホームページには「1970年頃から80年頃にかけて、北朝鮮による日本人拉致が多発しました」と書かれています。しばらく前まで政府の文書には「1970年代後半から1980年代前半に起きた」といった趣旨の書き方がされていたように記憶しています。しばらく前ですが、1980年代半ばにおきた拉致未遂と思われる事件の被害者が政府機関の人に相談したところ「ああ、それは時期が違うから」と一蹴されたこともあったそうです。残念ながら政府にはまだこの認識が完全に抜けているとは言えません(現在の表現は1970年頃から80年頃以外に行われていないとはされていないので、しっかり逃げは打ってありますが)。
しかし、政府は認定していないものの、昭和38(1963)年の、いわゆる寺越事件は、被害者の一人寺越武志さんが北朝鮮にいることからも拉致は確実です。これはいわゆる「遭遇拉致」と言われるもので、北朝鮮の工作船と漁船が出会ってしまったことによって行われたものです。発覚を恐れたなら殺害してしまえばよいのであって(実際最年長の寺越昭二さんは殺害されたという話もあります)、能登から清津まで連れて帰るということは、必要があれば「拉致してくる」という選択股が作戦計画の中にあったからに他なりません。遭遇によって行われた事件ですからこのときだけということはあり得ず、おそらく同様のことはこれ以前も、これ以後もあったはずです。
調査会の1000番台リスト(拉致の可能性の高い失踪者)では最も古い事件が昭和28(1953)年の徳永陽一郎さん、最も新しい事件が平成10(1998)年の林雅俊さんです。0番台リスト(拉致の可能性が完全には排除できない失踪)で言えば昭和23(1948)年の平本和丸さんが最も古く、平成16(2004)年の小山修司さんが最も新しい失踪です。非公開の方の中にはそれより新しい失踪も入っています。
もちろん、今の時点で平本さんや小山さんの失踪が拉致だと言えるわけではありません。しかし、ニュースの730号に書いたように拉致が北朝鮮にとって「通常」であると考えればそのやり方がどんなものであれ(騙して入国させて返さないものも含め)日本からの解放(昭和20年)以後、スターリンに指導者として指名された金日成の権力が確立してから遠くない時期に始まり、そして今でも続いていると考えた方が自然だと思います。
拉致をしてきた北朝鮮当局はもちろんですが、されてきた日本の政府が長年それを隠蔽してきたこと、そのような主権侵害に対する措置を怠ってきたことを考えると今後も拉致が行われる可能性は十分に存在します。私たちは自らの安全に対してもう一度しっかりと考え直す必要があるのではないでしょうか。
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