高岡拉致未遂事件
写真の袋は昨日作ったもので、高岡の拉致未遂事件のとき使われた袋とほぼ同じ大きさです。中に入ってみると、文字通り「手も足も出ない」という感じで、おそらくこうされたら普通の人にはどうしようもないだろうなと思います。今後予備役ブルーリボンの会で「拉致するほうの立場に立って」この問題を研究していく予定です。
以下調査会ニュースでも流した高岡拉致未遂事件の概要を下につけておきます。
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昭和53(1978)年8月15日、婚約していた工員のYさん(当時28歳) と和裁専門学校生のHさん(当時21歳)の2人は、富山県高岡市のホテルで双方の親族紹介をおこなった。その後、2人は何人かの親族たちと高岡市太田の海岸に海水浴に行った。白い遠浅が続く砂浜の北側は島尾海岸、南側は松太枝(まつだえ)浜、通称「雨晴(あまばらし)海岸」で、海から立山連峰を望み、雪山を見ながら海水浴ができる名所となっている。
一緒にきていた親族たちは、気をきかせて、2人を残して午後5時頃に先に帰っていった。彼らが泳いでいたのは、島尾海岸と雨晴海岸が接する辺りで、海水浴場の中心から離れており人気は少なかった。海岸沿いを走る国鉄氷見線の線路脇には数軒の民家があるが、松の防風林で砂浜から隔てられていた。
防風林の脇にある道路付近には、海水浴をするでもなく、ただ海を眺めているだけの男達が6人程いた。彼らはそろって白い半袖シャツにステテコ姿だったが、奇妙なことに履き物は、サンダルなどではなく、ズック靴であった。
「近くに泊まっている団体客が夕涼みにきているのか」と、Hさんは受けたが、Yさんは別であった。 「どうも目つきがおかしい。注意する必要がある。」と。
2人は1時間程水泳を楽しんだ後、午後6時半、帰り仕度のため、防風林の脇に停めてあった自家用車まで歩いた。そして、車のドアを開けようとした瞬間、6人の男(★警察発表及び当時の新聞報道では4人となっているが、Hさんは週刊朝日の記者に対し、「確かに6人程いた」と答えている。)が横1列になって接近してくるのに気づいた。危険を察した2人は、浜辺を走って逃げたが、6人の男達は、二手に分かれて襲いかかった。Hさんは、砂をかける等して抵抗した。すると1人の男が「静かにしなさい」と言った。
言葉はぎこちなく、「静かにしろ」という命令調ではなかった。結局、取り押さえられたHさんは、タオルで猿ぐつわをされ、手足を縛られ、頭から布袋をかぶせられた。Yさんも相当抵抗したが、3人を相手にしていては婚約者を守るどころではなく、押さえつけられて、後ろ手に手錠をかけられた。器具の猿ぐつわをかまされた後、足も縛られて布袋に入れられた。男達は2人を現場から数十メートル離れた防風林に運び込み、布袋の上にカムフラージュのため、松の枝をかぶせた。
男たちは何かを話していたが、犬が吠えるのを聞いて会話を止めた。Hさんは必死になって縛られた手で足の紐を解き、布袋から抜け出した。 「誰か犬の散歩にきたんだろうと察知し、第三者がいる前では追いかけて来ない」と判断したHさんは、松林を抜け、灯りが灯る民家に助けを求めた。
Hさんは必死に訴えた。その家の主であるMさん(当時60歳)は、その年の3月に高岡署を退職したばかりの刑事で、Hさんの紐を解きながら、紐の縛り方を頭に入れた。MさんはHさんを落ち着かせた後、婚約者の名前を大声で呼ばせた。Hさんは数回、闇に向かって婚約者の名前を呼んだ。すると、「おーい」というYさんの返事が聞こえた。Yさんも、Mさん宅から200メートル程離れたTさん(当時64歳)宅に駆け込んでいたのである。Tさんは、次のように語っている。
「もう暗くなった午後7時過ぎでした。風呂場の戸をたたいて何か言っている声が聞こえたが、酔っぱらいかと思い、しばらくは黙っていた。あまりにも強くたたくので、戸を開けて見ると、袋をかぶせられた人がいてびっくりした。直ぐに息子と娘婿を出し、袋から出し、紐を解いてやった。」
Yさんは、男たちの声がしなくなると、布袋に開けられた空気穴から見える灯りを目標に、袋詰めのまま兎飛びで現場から逃走し、Tさん宅に助けを求めた。その姿は、「オバケのQ太郎」そっくりだったと言う。
現場で発見された遺留品は、タオルを除いて製造場所や販売ルートが不明な外国製と判明した。
(1) 猿ぐつわ 直径13.5?、長さ19?、ゴム製で筒をくりぬいた形をしており、口に当たる部分には呼吸が可能な穴があり、両耳も塞げるようになっていた。日本ゴム協会の調べで、ゴムは日本製ではなく、輸入された外国製でもなかった。接着部分から手製のものと判断された。
(2) 手錠 粗悪な金属製だが、おもちゃではなく精巧な本物であった。
(3) 布袋 ナイロン製で、長さ177?、幅78?のモスグリーン色
(4) 紐 長さ197?、幅8?、柔道の黒帯に似ているが、国産でも輸入品でもなかった。
(5) タオル 内1本は大阪府下で製造され、富山県内で販売されたものと判明。
これらの貴重な証拠物品は、7年で時効になる直前の1985年7月19日、逮捕監禁・被疑者不詳で不起訴処分が決定した時点で、富山地検高岡支部が廃棄処分している。
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