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2010年3月26日

戦略情報研究所講演会資料

本日(3月26日)開催される戦略情報研究所講演会の資料を以下につけておきます(原文縦書き)。インターネットでの中継をご覧の方等ご利用下さい。

なお、講演会の内容は以下の通りです。

1、日程 3月26日(金)18:30~20:30
 冒頭約1時間の講演を(株)NetLiveのご協力でインターネット中継します。後半はフロアの参加者との質疑応答になります。

2、場所 第6松屋ビル301(文京区後楽2-3-8 tel03-5684-5096)
 ※特定失踪者問題調査会「しおかぜ」スタジオのある部屋です。
 飯田橋駅徒歩5分 1階がレストラン「南蛮渡来」

3、講師 山本卓・戦略情報研究所監査役 (正かなづかひの會事務局長)

4、テーマ「正字・正かなづかひの世界」
  戦後、占領軍の指示によって国語は大きく変えられてしまいました。本来の日本語の美しさが損なわれ、古典と現代人のつながりも断たれてしまいました。しかし、そんな中でいま改めて正字・正かなづかひ(歴史的かなづかひ)を見直す動きが進んでいます。国会にはそのための超党派の議員連盟(國語議聯・平沼赳夫会長)があり、若手の議員も参加して活動を行っています。今回はその議員連盟の事務局としても活躍している山本卓・戦略情報研究所監査役((株)タクティクス代表取締役)が「今、なぜ正字・正かなづかひなのか」についてお話しします。

5、参加費 2000円(戦略情報研究所会員は無料)。

6 参加申し込み
 事前のお申し込みは不用です。そのまま会場においで下さい。

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國語議聯事務局長・林潤衆議院議員による
國語行政に關する歴史的質問に對する答辯を檢證する
  
株式会社タクティクス代表取締役  山本 卓


(一)始めに
平成二十一年四月二十日、衆議院決算行政監視委員會第二分科會に於いて、國語を考へる國會議員懇談會(國語議聯)の事務局長・林潤衆議院議員による議聯活動一年の總括ともいふべき質問がなされた。
塩谷立文部科學大臣から「国語を考える国会議員懇談会の考え方については、基本的に私どもも同感だと考えておるわけでございます。」との答辯を引出した林議員による質問は、國語正統表記運動にとつて正しく「歴史的」とも言へるものであり、高く評価するとともに、林議員の有する問題認識の高さに改めて敬意を表したい。
ついてはこの際、これまで目指してきた運動の序章が漸く始まつたとの感慨も抱きながら、當該質問、といふよりは寧ろその答辯に焦點を絞つて、茲に檢證を試みた。
檢證を始めるに際し、先づ押へてをきたいのは、文部科學大臣が「基本的に私どもも同感」とした國語議聯の「考へ方」である。林議員は「第一に、穴あき五十音図のわ行の「ゐ」と「ゑ」の是正、第二に、国歌君が代表記の是正、第三に、次代を担う若者が、日本の誇る古典や、漱石、鴎外といった美しい作品を原文で味わうことができるような社会の実現」の三點を擧げ、塩谷大臣に對して「政府といたしまして、(中略)国語議連の運動方針についてどのようにとらえているのか」と問質した。
この運動方針を踏まへた上で、文部科學大臣が「基本的に私どもも同感」と答辯したのである。當然のことながら、大臣の答辯にある「私ども」とは「政府」の意であり、我が國の國語行政に纏はる具體的課題への「是正」や「實現」に對し、政府として「基本的に同感」とした所管大臣による言葉は誠に重いものであり、これも素直に評価したい。その上で、林議員による質問に對する個々の答辯を可能な限り綿密な客觀的資料等に基づき、檢證していきたい。


(二)穴開き五十音圖「ゐ」「ゑ」の是正
第一に穴開き五十音圖「ゐ」「ゑ」の是正に關する質問への答辯につき、檢證する。
當該質問に對し、塩谷大臣から「学習指導要領を改訂いたしまして、(中略)具体的には、小学校中学年で新たに、易しい文語調の短歌や俳句の音読あるいは暗唱を位置づけておりまして、また、現行に比べて、歴史的な仮名遣いの、今お話ありました「ゐ」や「ゑ」に触れる機会をふやしております。」との答辯がなされた。
問題は、今囘改訂された『学習指導要領』によつて「『ゐ』や『ゑ』に触れる機会をふやし」たことのみで、林議員が求め、且つ政府も「基本的に同感」とする「穴あき五十音図のわ行の「ゐ」「ゑ」の是正」への施策として、事足りるのか、否かといふ點に尽きる。「方向性」を尋ねてゐるのではないのである。
當該答辯に對し、流石に林議員は「わ行の「ゐ」と「ゑ」についても触れる機会をふやしているというふうにおっしゃいましたけれども、今後、穴あきの五十音図と私どもは言っておりますけれども、この五十音図を、「ゐ」と「ゑ」を正式に学校指導の中で取り入れる意向があるのかないのか。ない場合は、なぜそれを取り入れないのか、これをお聞かせ願います。」と詰寄るが、金森越哉初等中等教育局長は「教科書に五十音図を掲載するかしないか、また、掲載する場合に歴史的仮名遣いを含めるかどうかは、各教科書会社の判断によるところでございます」とした上で、塩谷大臣による答辯の内容を繰返すに止まつた。
 そこで改訂された『学習指導要領』を『学習指導要領解説』(以下、『解説』とする)とともに確認してみると、確かに『小学校学習指導要領(国語)』に「五十音圖」掲載の規定はないやうである。ただ[第1学年及び第2学年]の2内容にある[伝統的な言語文化と国語の特質に関する事項]の「文字に関する事項」(ア)に「平仮名及び片仮名を読み、書くこと。また、片仮名で書く語の種類を知り、文や文章の中で使うこと。」との規定があり、『解説』では「(ア)は、平仮名及び片仮名に関する事項である。基礎的な平仮名及び片仮名の読み書きと使い方が確実にできるようにすることを示している。平仮名の読み書きについては、各教科等の学習の基礎となるものであり、第1学年でその全部の読み書きができるようにする必要がある。」とされ、第1学年での「(平假名)全部の読み書き」が求められてゐる。
 要するに金森初等中等教育局長の答辯は、「教科書に五十音図を掲載するかしないか」のみならず、所謂「(假名)全部」に「ゐ」と「ゑ」を含めるか、否かすら「各教科書会社の判断によるところでございます」としてゐるといふことになる。
 『學習指導要領』の改訂によつて、塩谷大臣による答辯の如とく「現行に比べて、歴史的な仮名遣いの(中略)「ゐ」や「ゑ」に触れる機会をふやし」たのであればこそ、「ゐ」と「ゑ」の扱ひを教科書會社の委ねるべきではないことは言ふ迄もない。
 「平仮名の読み書きについては、(中略)第1学年でその全部の読み書きができるようにする必要がある」とするのであれば、「全部」に「ゐ」と「ゑ」が含まれるのか、否かをこの際、明らかにすべきである。そして假に含まれないとするならば、「ゐ」と「ゑ」を學習してゐない児童が「小学校中学年で新たに、易しい文語調の短歌や俳句」を學び、初めて「ゐ」と「ゑ」に触れた際に如何なる事態が想定されるのかにつき、見解が求められる。
『解説』によると、「『文語調の短歌や俳句』では、歴史的仮名遣いや古典の語句などが用いられている。」と明確に「歴史的仮名遣い」が教科書へ掲載されることを前提としてゐる。
漢字の指導を例にすると、『小学校学習指導要領(国語)』第3「指導計画の作成と内容の取扱い」の2に「当該学年より後の学年に配当されている漢字及びそれ以外の漢字については、振り仮名を付けるなど、児童の学習負担に配慮しつつ提示することができること。」とするなどの児童への配慮が規定されてゐる。一方、假名は「各教科等の学習の基礎となるもの」と規定するほど重要な位置付けにあるにも關らず、「各教科書会社の判断によるところでございます」と、児童への配慮の缺片もないが、果たしてこれで良いのか。「不作爲」の謗りを受けはしないか。
更に『小学校学習指導要領(国語)』によると、小學校高學年で「経験したこと、想像したことなどを基に、詩や短歌、俳句をつくったり、物語や随筆などを書いたりすること」と短歌や俳句の創作といふ言語活動を通しての指導を規定してゐる。
『解説』第1章総説の3「国語科改訂の要点」にもある「我が国の言語文化を享受し継承・発展させる態度を育てる」との姿勢を前提にした時、果たして「ゐ」と「ゑ」を含む假名の體系的學習の指導なくして如何樣にして短歌や俳句の創作を指導するのか。
『解説』に「歴史的假名遣ひの『ゐ』『ゑ』については、五十音圖に記載するなど、児童の學習負擔に配慮しつつ假名の體系的指導に留意すること。」のやうな規定を加へる判斷を下すことは出來ないのか。次囘の答辯では、より具體的な施策についても明らかにして頂きたいものである。
(三)古典や鴎外、漱石の作品を原文で味はえるやうな社會の實現
 第二に古典や漱石、鴎外の作品を原文で味はえる社會の實現に關する質問につき、考察する。
 塩谷大臣は「中学校において、(中略)代表的な近代以降の作家としての夏目漱石や森鴎外などの作品を取り上げることについても新たに規定をしました」とするが、林議員による質問の趣旨が、「取り上げる」ことにあるのでなく、政府も「基本的に同感」とする「原文で味わうことができる」やうな社會の實現を可能とする學習指導となつてゐるか、否かであることは説明を要さず、殘念ながら適切性を缺く答辯になつてゐる。
 そこで改訂された『學習指導要領』を『解説』とともに確認してみると、確かに『中学校学習指導要領(国語)』の第3「指導計画の作成と内容の取扱い」3の(4)で「我が国の言語文化に親しむことができるよう、近代以降の代表的な作家の作品を、いずれかの学年で取り上げること」とされ、(5)で「古典に関する教材については、古典の原文に加え、古典の現代語訳、古典について解説した文章などを取り上げること。」と規定されてゐて、大臣答辯自體に間違ひはない。
 ただ繰返しになるが、目指すは「原文で味はえる社會の實現」であつて、この場合、少なくとも『学習指導要領』に於いて「原文」で取上げるやう規定していく必要があるのか、否か、また當該事案もまた教科書會社の裁量に委ねられて良いのであるのか、否かを明確にすることこそが、此処で求められる答辯となつてくる。
なほ古典については前掲の如とく「古典の原文に加え」との表現で、教材に「原文」を取上げるやう規定してゐるが、これも『解説』で確認すると、「古典の原文は、古文や漢文特有のリズムを味わったり文語のきまりを知ったりする上で有効であるが、古典の指導は原文でなければ行えないというものではない。」となつてゐて誠に心許無い。當然にして「近代以降の代表的な作家の作品」は古典に含まれるものではなく、教材に「原文」を取上げるやうな規定とはなつてゐない。
 なほ『義務教育諸学校教科用図書検定基準』によると、[国語科]2選択・扱い及び組織・分量の(6)に「学習する上の配慮による表現内容の改変は最小限にとどめ,原則として,原作を尊重していること。」とあり、別表(各教科共通)の「文体」の項では「特に学習上必要な場合及び原典をそのまま載せる必要のある場合を除き、現代口語文を用いること。」となつてゐる。更に當該別表の「仮名遣い」の項には「(1)現代口語文においては、『現代仮名遣い』(昭和61年内閣告示第1号)を用いること。ただし、近代詩歌などの原典をそのまま載せる必要がある場合には、この限りではないこと。」「(2)文語文においては、原則として歴史的仮名遣いを用いるものとし、必要に応じて、適切な配慮をすること。(以下略)」といふやうに、「必要のある場合」「必要に応じて」との規定が多くなつてゐる。要するに結局は教科書會社の判斷に委ねるに止まつてゐるやうである。
文部科學大臣が「基本的に私どもも同感」と答辯した國語議聯の考へ方の一つである「次代を担う若者が、日本の誇る古典や、漱石、鴎外といった美しい作品を原文で味わうことができるような社会の実現」を圖る爲には、改訂された『学習指導要領』の規定で事足りるのか、否かについても、次囘の答辯では明らかにして頂きたいものである。
 因みに昭和五十六年十月一日付で發せられた『常用漢字表』(内閣告示第一號・内閣訓令第一號)では、「前書き」4にて「この表は,過去の著作や文書における漢字使用を否定するものではない」と明確に規定してをり、作品を「原文」で取上げるに當つての『内閣訓令』に基づく「漢字使用」に關する懸案は一切ないことを付加へてをきたい。


(四)法令や公文書に於ける國語表記
第三に法令や公文書に於ける國語表記に關する質問への答辯につき、檢證する。
當該質問に對し、高塩至文化庁次長は、「現在の漢字表につきましては、昭和五十六年に内閣告示、訓令として告示したものでございますけれども、この中では、法令、公用文書、新聞、雑誌、放送など、一般の社会生活におきまして、現代の国語を書きあらわす場合の漢字使用の目安を示すものであるというふうに考えております。したがいまして、この表につきましては、科学、技術ですとか芸術その他専門分野の個々の表記まで及ぼそうとするものではないというふうに理解しております。ただ、先生お話しのございました法令、公用文書におきましては、各行政機関が法令や公用文書におきまして、漢字使用につきまして、常用漢字表を踏まえるよう求めているところでございます。」と難なく答辯してゐるが、果たして當該答辯に論理的な矛盾點はないか。
つまり、前段の「漢字表につきましては、(中略)法令、公用文書、新聞、雑誌、放送など、一般の社会生活におきまして、現代の国語を書きあらわす場合の漢字使用の目安を示すものである」と、後段の「法令、公用文書におきましては、各行政機関が法令や公用文書におきまして、漢字使用につきまして、常用漢字表を踏まえるよう求めている」に論理的矛盾はないのか、といふ素朴な疑問である。この場合、矛盾がないとすれば、後段が「常用漢字表を『目安』と踏まえるよう求めている」と解釈される場合に限られると思ふが如何であらうか。答辯者の錯誤によるものなのか、否か。以下、更なる檢證を續けていきたい。
既述した通り、昭和五十六年十月一日付で『常用漢字表』(内閣告示第一號・内閣訓令第一號)が發せられたのは周知のことである。しかし同時に事務次官等會議の申合せにより同日付で「公用文における漢字使用等について」が内閣官房長官から各省庁事務次官宛に通知され、これに伴つて法令に於ける取扱につき内閣法制局が檢討し、「法令における漢字使用等について」が内閣法制次長から各省庁事務次官宛に通知されたことを知る國民は少ないのかも知れない。林議員による當該質問は、この點を詳らかにすべくなされたものである。
當該『申合せ』によると、「法令における漢字使用等は、法律については次回国会(常会)に提出するものから、政令については昭和五十六年十二月一日以後最初の閣議に提出するものから、別紙『法令における漢字使用等について』による」とされ、「漢字使用は、『常用漢字表』(昭和五十六年内閣告示第一号)の本表及び付表(表の見方及び使い方を含む。)によるものとする。なお、字体については通用字体を用いるものとする。」となつてゐる。
そもそもこの『常用漢字表』は、昭和四十一年六月十三日付け文文國第三十七號をもつて文部大臣から諮問された國語審議會が、『国語施策の改善の具体策について』のうち、漢字の字種、字體、音訓等の問題について審議し、答申したものである。
當該審議の經過については、昭和四十九年十一月八日付『第十一期国語審議会審議経過報告』に纏められてゐる。當該『報告』には「漢字表の具体的検討のための基本方針」の第一項に「漢字表は必要であると認められるが、その性格については、現行の当用漢字表のような制限的なものとはしない」と示され、これに「その漢字表の性格を、この表の中の漢字だけを使用するというような制限的なものとはしない、という方針」との説明を施した上で、更に(3)「漢字表の作成に当たっての考え方」で「『当用漢字表』は制限的な性格や統一的指向が強かったことから,無理な書き換えなども行われ,行き過ぎた点がないでもなかったことは注意すべきである。」と注意を喚起してゐる。この「行き過ぎた点がないでもなかった」とは勿論、「行過ぎた點があつた」といふことである。
平成十九年九月十日に開催された「第十六囘國語分科會漢字小委員會」に於ける氏原基余司主任國語調査官の發言から引用すれば「『当用漢字表』の時代までは、この〈漢字制限の立場に基づく制限的な性格〉がそのまま引き継がれているわけですが、『常用漢字表』は〈漢字使用の目安〉になっています。そこがやはり大きな変更点です。」といふのが、「當用漢字表」が廢止され、新に「常用漢字表」が實施された意圖そのものであつて、それ以上でなければ、それ以下でもない。
然るに、内閣總理大臣名によつて、各行政機關に對して「政府は、本日、内閣告示第一号をもつて、『常用漢字表』を告示した。今後、各行政機関においては、この表を現代の国語を書き表すための漢字使用の目安とするものとする。」と訓令され、當該『常用漢字表』前文の一に「この表は、法令、公用文書、新聞、雑誌、放送など、一般の社会生活において,現代の国語を書き表す場合の漢字使用の目安を示すものである。」と、態々「法令、公用文書」を擧げて、『常用漢字表』を漢字使用の「目安」としたにも關らず、事務次官等會議による申合せにより、「漢字使用は、『常用漢字表』の本表及び付表(表の見方及び使い方を含む。)によるものとする。」と「制限」してみせたのが、この問題の焦點である。
因みにこの「國語分科會漢字小委員會」とは、國語審議會が中央省庁等改革の中で整理統合して設置することになつた文化審議會に設置された「国語の改善及びその普及に関する事項を調査審議すること」を所掌事務とする國語分科會の更に「情報化時代に対応する漢字政策の在り方に関すること」を扱ふ、つまり『新常用漢字表』(假称)等につき審議を行つてゐる小委員會であるが、平成十九年十一月一日に開催された「第十八囘國語分科會漢字小委員會」に於いて、件の氏原主任國語調査官が、漢字の頻度數調査に關はる委員との審議の中で、以下のやうな發言をしてゐるのも興味深い。
「法令は特にそうなんですが、非常に厳密に、用字・用語については審査するんですね。何を審査するかというと、法令については、基本的に常用漢字表にすべて従うことになっていて、特に我々のように役所にいる人間にとっては、内閣訓令という形で命令が出ていますので、常用漢字の範囲内で基本的に書かなければいけませんし、それから現代仮名遣いで書かなければいけない、送り仮名の付け方についてもそれに従わなければいけないわけです。」
ここでは二箇月前に同じ小委員會で「『常用漢字表』は〈漢字使用の目安〉になっています。」と答辯してゐたものが、何ら注釈することもなく、「常用漢字表にすべて従う」「常用漢字の範囲内で基本的に書かなければいけません」といふやうな「制限」的性格を伴ふ命令になつてゐるが如とき説明になつてゐる。
正しく答辯するのであれば、「内閣訓令といふ形で『目安』とするやう命令が出てゐる」とすべきではなからうか。何時の間にか、「訓令(命令)」の内容が摩替へられてゐるやうである。この答辯が錯誤によるものか、何らかの意圖に基づくものであるのかについては、當人に御答辯頂くしかない。
また平成十年十二月十八日に開催された「第二十二期國語審議會第一囘總會」に於いても、鎌田徹國語課長(當時)が「一般社会における漢字使用に関して、あるいは仮名遣いに関しての目安・よりどころという形で内閣告示されて、内閣訓令ということで私どもの官公庁においては拘束的な役割を持っていたわけである。それらはいずれも表記の関係ということで、そうなっていた。」と發言してゐる。ここでは「制限的」ではなく「拘束的」なる言葉が出てきてゐる。
「訓令」は、一般的に下級官庁の機關としての意思を拘束する、つまり當該『内閣訓令』に於いては、内閣總理大臣によつて内閣法制局をも含む行政機關は、『常用漢字表』を「現代の国語を書き表すための漢字使用の目安とするものとす」べく意思が拘束される筈ではなかろうか。果たして、當該「事務次官等會議申合せ」と當該『内閣訓令』に整合性はあるのか、有効性は如何程のものなのであらうか。次囘の答辯では、何処が何処に對して「常用漢字表を踏まえるよう求めている」のか、この場合の「踏まえる」とは如何なる意味をなすのか、定義も含めて是非とも、これらの點を明らかにして頂きたいものである。
なほ答辯漏れだつたのか、林議員が質問したにも關はらず囘答のなかつた所謂「目安」の定義であるが、昭和五十五年七月三十一日開催の「國語審議會第百十二囘總會」で『目安について』との資料が配布されてゐるので紹介したい。ここでは「『目安』の趣旨を補足する」として、「法令・公用文書・新聞・雑誌・放送等、一般の社会生活において、この表を無視してほしいままに漢字を使用してもよいというのではなく、この表を努力目標として尊重することが期待されるものであること」としてゐる。
平成二十年一月九日に開催された「第二十囘國語分科會漢字小委員會」に於ける「目安」と「參考」の意味合ひに關する審議の中でも、件の氏原主任國語調査官が、當該『目安について』を引用しながら「『目安』というと『参考』よりは強くなるわけですよね。『参考』にしても別にそうしないといふのはよくあるわけですが、『目安』になると、『参考』よりはそれに義理立てしないといけないというニュアンスが出てきますよね。」と説明してゐる。
何れにせよ、『事務次官等會議申合せ』が『内閣訓令』にある「目安」規定の趣旨を汲取らずになされたとの疑念は晴れない。明確な答辯が期待される。
因みに何故「目安」と「參考」の意味が問はれたかといふと、國語分科會漢字小委員會に於いて、『新常用漢字表』(假称)を作成するに際し、現行『常用漢字表』前文の二「この表は、科学、技術、芸術その他の各種専門分野や個々人の表記にまで及ぼそうとするものではない。」との規定に、「ただし、専門分野の語であっても、一般の社会生活と密接な関連を持つ語の表記については、この表を参考とすることが望ましい。」との「制限的」方向性を意味する一文を加へようとの議論がなされてゐるからである。
氏原主任國語調査官曰く「『参考』にしても別にそうしないといふのはよくあるわけ」であるらしく、「目安」程は義理立てしなくて良いのださうだが、當該一文も今後大きな議論となつてくるであらう。


(五)国歌君が代の歌詞「いはほ」への表記の是正
第四に国歌君が代の歌詞「いはほ」への表記の是正に關する質問への答辯につき、檢證する。
當該質問に對し、高塩至文化庁次長は、「現代の仮名遣いの話につきましても、これも昭和六十一年に現代の仮名遣いという内閣告示を行っておりまして、これに基づいて、法令や公用文書においては使用することを原則とする、こういう形で今日とり行われておりまして、こうした形の中で例外というものはあり得ると考えておりますけれども、基本についてはこの内閣告示等に沿うものだというふうに考えているところでございます。」と答辯してゐる。
 『現代仮名遣い』 (内閣告示第一號・内閣訓令第一號) は、昭和六十一年七月一日付で發せられた。『訓令』の内容は「政府は、本日、内閣告示第1号をもつて、『現代仮名遣い』を告示した。今後、各行政機関においては、これを現代の国語を書き表すための仮名遣いのよりどころとするものとする。」といふものである。
 つまり、當該答辯でも『内閣訓令』で「よりどころとする」となつてゐるものを「原則とする」との表現で説明されてゐる。ここでも何時の間にか、「訓令(命令)」の内容が摩替へられてゐるやうで正直理解に苦しむ。
ただ『現代仮名遣い』前文の(一)で「この仮名遣いは、語を現代語の音韻に従つて書き表すことを原則とし、一方、表記の慣習を尊重して、一定の特例を設けるものである。」と規定してゐるので、當該答辯で高塩文化庁次長の使用した「原則」といふのは、當該規定の前段を意味してゐると判斷するのが妥當なのであらう。
 そもそも當該質問の趣旨は、平成十一年八月十三日施行の「国旗及び国歌に関する法律」における「君が代」の歌詞中、「いわお」は、本来「いはほ」と表記すべきものであるといふものである。
ところで、『現代仮名遣い』では、前文(四)で「この仮名遣いは、主として現代文のうち口語体のものに適用する。原文の仮名遣いによる必要のあるもの、固有名詞などでこれによりがたいものは除く。」とし、同(八)で「歴史的仮名遣いは、明治以降、『現代かなづかい』(昭和21年内閣告示33号)の行われる以前には、社会一般の基準として行われていたものであり、今日においても、歴史的仮名遣いで書かれた文献などを読む機会は多い。歴史的仮名遣いが、我が国の歴史や文化に深いかかわりをもつものとして、尊重されるべきことは言うまでもない。」との規定がある。
つまりこの問題は、歌詞を古歌(古今和歌集)に由來する「君が代」の歌詞自體が「現代文のうち口語体」として扱はれるのが適正であるのか、否か、といふものである。然るに「君が代」の歌詞が「文語体」であるなら、「文語体」に『現代仮名遣い』が適用された特異な例、つまり「例外」とも言へる。
なほ高塩文化庁次長は答辯の中で「例外というものはあり得ると考えております」としてゐるが、「例外」とは一體何を指してゐるのか。二つの解釈が出來ると思はれるが如何か。
一、本來、「君が代」の歌詞は文語文であつて「現代文のうち口語文」ではないので、『現代仮名遣い』の適用は不適切ではあるが、「主として」との規定もあり、「例外」として『現代仮名遣い』を適用することもあり得る。
二、『訓令』に因つて、法令では『現代仮名遣い』を「よりどころ」とすべきである。この場合、語を現代語の音韻に従つて書き表すことを原則としてゐるが、本來、「君が代」の歌詞は文語文であり、「歴史的仮名遣いが、我が国の歴史や文化に深いかかわりをもつものとして、尊重されるべきことは言うまでもない」との前文(八)の規定をも踏まへて考慮すれば、「例外」として歴史的假名遣ひの適用もあり得る。
以上の二つの解釈の何れの意味で「例外」に言及したのであらうか。林議員も流石に機會を逃さず、「例外があり得るということを先ほど答弁でおっしゃいましたので、この例外のことについてはきちんと議論をしていただいて」と釘を刺してゐる。
林議員は勿論、後者の解釈、つまり表記是正の可能性に文化庁次長が言及したと捉へてをり、今後の議論に期待したいものである。
 蛇足ながら、「巖」の正統な表記が「いわお」でなく「いはほ」である理由を説明すると、字の成立ちが「岩+秀(ほ)」に由來することに據るといふ。「秀(ほ)」は「飛抜けた」の意であつて、飛抜けて大きな岩を「巖」といふ。一方で「岩」の字の成立ちは「石+埴(はに)」、つまり「いし・はに」に由來し、これが省略されて「いは」、これに據つて「巌」は「いはほ」と表記するとのが正しいといふのが定説のやうである。


(六)『常用漢字表』の必要性
最後に第五として『常用漢字表』の必要性に關する質問への答辯につき、檢證する。
當該質問に對し、塩谷大臣は「一般社会生活において、現代の国語を書きあらわす一つの目安というものが必要だと思っておりまして」と原則論を示した上で、「今後この常用漢字をまた拡大していく、あるいはこの必要性も今後また議論しなければならないと思っております」と答辯してゐる。
果たして答辯にある「必要性」の議論は今後、如何なるやうに進められるのであらうか。
續けて塩谷大臣は「時代の流れの中で見直しをして、現在も本年三月十六日から四月十六日、この試案の意見公募を行っている」として『常用漢字表』の見直しに触れてゐるが、當該「見直し」とは、當小論(四)法令や公文書に於ける國語表記でも紹介してゐる文化審議會に設置された「國語分科會漢字小委員會」に於ける『新常用漢字表』(假称)作成への審議を指してゐる。
平成十七年二月二日、國語分科會が『國語分科會で今後取り組むべき課題について』を答申し、これを受けて、同年三月三十日、中山成彬文部科學大臣(當時)より文化審議會に「諮問」がなされた。内容は一つが「敬語に関する具体的な指針の作成について」、もう一つが「情報化時代に対応する漢字政策の在り方について」であり、『常用漢字表』の見直しは勿論、諮問内容の内後者に依據してゐる。
諮問「情報化時代に対応する漢字政策の在り方について」では「常用漢字表(昭和56年内閣告示・訓令)が、果たして、情報化の進展する現在においても『漢字使用の目安』として十分機能しているのかどうか、検討する時期に来ている」「常用漢字表の在り方を検討するに当たっては、JIS漢字や人名用漢字との関係を踏まえて、日本の漢字全体をどのように考えていくかという観点から総合的な漢字政策の構築を目指していく必要がある」とされてゐる。
この諮問を受け、文化審議會國語分科會で檢討作業に入ることになるが、同年七月五日に開催された「第三十囘國語分科會」配布資料の4『文化審議会国語分科会における検討スケジュール(案)』では、同年七月乃至八月に漢字小委員會の初會合を豫定し、檢討内容として「実施すべき調査及び常用漢字表改定の必要性、固有名詞の問題を含む」とされた。
實際は「第一囘漢字小委員會」は平成十七年九月十三日に開催され、爾來當該「林質問」がなされた平成二十一年四月二十日時點で計三十囘の委員會が催され、引續き審議が行はれてゐる。
二期目を迎へた平成十八年四月二十四日に開催された「第六囘漢字小委員會」では、『漢字小委員會で検討すべき今期の論点』として「前期漢字小委員会の『常用漢字表の見直しは必要である』という共通認識を検討の出発点とし、国語施策としての『漢字表』がそもそも必要であるのか否か、というところから議論していくこととする」として、論点1「国語施策としての漢字表の必要性の有無」が命題に掲げられた。さらに1「必要であるのかないのか。必要であるとすれば、その理由は何か」、①「漢字表があることの〈プラス面・マイナス面〉、また国語施策としての意義」が檢討事項の第一に擧げられた。
既述の如とく平成二十一年四月二十日、塩谷大臣が「今後この常用漢字をまた拡大していく、あるいはこの必要性も今後また議論しなければならない」と答辯してゐるが、實は三年前に當たる平成十八年四月二十四日の時點で既に「国語施策としての漢字表の必要性の有無」、つまり「そもそも論」の檢討は始まつてゐたのである。それでは一體何故、塩谷大臣は「必要性も今後また議論しなければならない」との立場を採つてゐるのか。
考へられるのは二つ。必要性の議論はなされたが適正に報告されなかつたか、或は必要性の議論に何らかの瑕疵があつたかの何れかである。そこで「議事録」その他で審議内容につき、檢證していく。
平成十八年五月二十四日、二期目の第二囘開催となる「第七囘漢字小委員會」の資料2『第6回漢字小委員会で出された意見の整理』にて「漢字表の必要性」、つまりプラス面として「国民の言語生活の円滑化、読み書き能力の目標」や「共通した『ものさし』としての役割」、そして「表現の平易化への寄与」等の意見が記録されてゐる一方で、マイナス面として「交ぜ書き、漢字使用の制限的側面」の意見が記録されてゐる。
 そして當該「そもそも論」を檢討すべき論點の第一に位置付けた二期目最後の審議となつた「第十四囘漢字小委員會」では、『漢字小委員會における今期のまとめ(たたき臺)』が纏められ、「国語施策としての漢字表の必要性の有無」につき、(一)「漢字表作成の意義」として以下のやうに整理されてゐる。
 「漢字表があることによって、表外漢字を仮名にした交ぜ書きが生じたり、漢字使用を制限したりしたというマイナス面が指摘されるが、この指摘は漢字表の性格によるところが大きく、現在の常用漢字表では『法令、公用文書、新聞、雑誌、放送など、一般の社会生活において、現代の国語を書き表す場合の漢字使用の目安を示すもの』とされている。目安であるという趣旨を踏まえれば、上記のようなマイナス面はそれほど生じないものと考えられる。一方、漢字表があることによって、国民の言語生活を円滑化し、漢字習得の目標が明瞭になる。言語生活の円滑化とは、漢字表に従った表記をすることで、文字言語による伝達を分かりやすく効率的にすることができるということである。また同時に、表現そのものの平易化に寄与しているということでもある。このことは、逆に、漢字表がなかったことを考えてみれば、明らかなはずである。以上のことから、国語分科会においては、国語施策としての漢字表は今後とも必要不可欠のものであると判断した。」
 少々長い引用となつたが、以下で紹介する「議事録」の内容をより理解する爲に不可缺と判斷した。以下、當該箇処を巡る委員會での審議記録を掲載する。
 
○前田主査 それでは、次に「Ⅱ 常用漢字表の見直しについて」というところについての御意見を頂きたいと思います。Ⅱの「1 国語施策としての漢字表の必要性の有無」というのがあります。これは、最初にも討議する出発点として、昨年4月来、問題の前提としてあったことですが、何か、この辺のところについて改めて加えるべきところとか、何か御意見がございましたら頂ければと思います。
私としては当たり前のことが書いてあるように思うんですけれども、特に、この際、付け加えて主張を明確にした方がいいというふうなことなどございませんでしょうか。
○小池委員 大変細かいことですが、1の「(1)漢字表作成の意義」に「目安であるという趣旨を踏まえれば、上記のようなマイナス面はそれほど生じないものと考えられる。」と書かれている。この表現の仕方ですけれども、マスコミの関係者からすると、「何を、のん気なことを言ってるんだ、他人事に言うなよ。」というふうに受け取られる表現じゃないかなと思うんです。これは、言い回しの問題ですけれども、実際に起きているじゃないかという立場からすると、何か責任を回避しているような言い方にも取れるので、少し工夫した方がいいのではないかと思います。
○氏原主任国語調査官 確認ですけれども、要するに、常用漢字表というのは目安というふうにはなっているけれども、マスコミ関係者からすると、実際には、当用漢字表時代の制限という性格がずっとそのまま残っていて変わっていないではないか、ということですね。
○小池委員 ええ、そういうのを薄々感じながらやっているんだ、それを何だという感覚です。
○氏原主任国語調査官 そこは相当難しいところだと思います。今「感じながら」とおっしゃったのは、国で出しているものが、制限でなく、目安なんだと言いながら、制限的な性格を残しているのではないか、そういうところを我々は感じているんだぞという、そういう意味でおっしゃったんだろうと思うんです。ここは意見が分かれるところかもしれないのですが、一方では、もう完全に目安になったのに、いまだにその趣旨をよく理解していないというふうに取るべきなんだという考え方もあるわけです。もう少し別な言い方をすると、マスコミが勝手にそういうふうに今までの性格を引きずってやっているので、むしろ、常用漢字表では前文に「目安」と書いてあるのだから、その趣旨をちゃんと生かすべきじゃないか、自分たちもその方が都合がいいからそうしているんじゃないかということを言う人たちもいるわけです。その辺りのところのバランスの取り方がすごく難しいと思うのですが、いかがですか。
○小池委員 おっしゃるとおり、バランスの取り方は難しいところです。ただ、ここの言い回しとしては、後者の方の意見に立った記述の仕方になるのだろうと思うんです。しかし、現実に前者の受け止め方がある以上は、そちらの方からはここについての理解がちょっとねじ曲がった形で取られちゃうんじゃないかなという気がするんですよ。何も迎合しろということではないんですが、基本に立ち返って、飽くまでも目安なんだというところをしっかりと認識してもらうような仕方が可能かなと思ったので、申し上げました。
○氏原主任国語調査官 分かりました。
○阿刀田分科会長 余り上記のようなマイナス面は書かずに、これが飽くまで目安であることを更に認識していただきたいという辺りにとどめれば、別に問題はないのかもしれませんね。
○金武委員 常用漢字表の見直しということになったのは、こういうマイナス面もあるということが一因なわけですけれども、そういう条件というか、前提で、我々は審議を始めたのであって、この審議の中で、交ぜ書きなどのマイナス面は特に話題に出ていなかったわけです。阿刀田分科会長がおっしゃったように、余りこのマイナス面のところは書かないで、目安としての漢字表作成の意義の方、つまりプラス面のところをなるべく表に出すような文面にされたらどうでしょうか。
○前田主査 確かにマイナス面があるということを、ここで余り宣伝しなくてもいいかもしれませんね。そういったことがありながら、しかし、それを超えて新しい文章ができてくるということ、プラスの面があるわけですね。だから、その辺りのところが、目安に、ある意味では緩めた一つの利点であったわけです。
○甲斐委員 私も、この書き方は、やはり小池委員と一緒で、ちょっと改めていただけると良いと思います。私自身、ある新聞社の表記、表現の監査委員をしているんですが、新聞社もかなり言い換えなどの努力をしておりますし、やはり表外漢字を使うということについては、読み手の理解に配慮しないといけないということで、交ぜ書きにするのか、あるいは振り仮名を振るのか、言葉を言い換えるのかということで、かなり真剣に努力を重ねています。したがって、何か、「生じないものと考えられる。」というような言い方ではのん気な感じがあるので、誤解のないように変えていただけると有り難いですね。
 (中略 ※別項目の審議)
○金武委員 ちょっと戻りますけれども、2ページの1「(1)漢字表作成の意義」で,マイナス面をやめようという話になって、じゃ、プラス面をどういうふうにと思って、頭に浮かんだことを申し上げます。当用漢字表、常用漢字表ができて、国語の表記が易しくなった面は確かにあるわけで、これは、大きなプラス面だと思うんです。具体的に言うと、批判のある代用漢字の書換えなんですが、あの中で、完全に定着したものは、それだけ国語表記を易しくしたと言えるんです。「編集」の「シュウ」が「輯」から「集」になった。それから「 職」を「汚職」に変えたのは、新聞社で考えたことですが、刑法でもついに「汚職」に変わった。一般の人が見ても、あの「 職」という字を見たら意味は分かりませんけれども、「汚職」なら非常によく分かるというような、先ほど甲斐委員がおっしゃったように、新聞社を中心として、表内の範囲でいろいろな書換え、言い換えを考えた結果、定着したものについては、むしろ、日本語の表記を易しく,分かりやすくしたという面があると思います。ただ、定着しないものもありまして、代用漢字として非常に非難されているものもありますが…。

 以上のやうな議論がなされた結果、平成十九年二月二日付で『国語分科会漢字小委員會における今期の審議について』が纏められ、當該箇処は次のやうになつた。
「現在の常用漢字表は、『法令、公用文書、新聞、雑誌、放送など、一般の社会生活において、現代の国語を書き表す場合の漢字使用の目安を示すもの』とされている。このような目安としての漢字表があることによって、国民の言語生活を円滑化し、漢字習得の目標が明瞭になるというプラス面が認められる。言語生活の円滑化とは、漢字表に従った表記をするによって、文字言語による伝達を分かりやすく効率的にすることができるということである。また同時に、表現そのものの平易化に寄与しているということでもある。このことは、逆に〈漢字使用としての目安としての漢字表〉がなかった場合を考えてみれば、明らかなはずである。以上のことから、国語分科会においては、国語施策としての漢字表は今後とも必要不可欠のものであると判断した。」
 見事に「漢字表があることによって、表外漢字を仮名にした交ぜ書きが生じたり、漢字使用を制限したりしたというマイナス面が指摘される」との漢字表のマイナス面や、委員から「呑気」「他人事」「責任の回避」と受取られかねないとの指摘があつた「目安であるという趣旨を踏まえれば、上記のようなマイナス面はそれほど生じないものと考えられる。」との表現が削除されてゐる。
 行政の設置する「審議會」での議論の纏め方の一端が垣間見ることが出來たやうで非常に興味深い事例である。
 このやうな議論の誘導や纏め方が實態であることは、「議事録」により容易に明白となる。當該事項の報告内容が、斯樣なるものであつたことを假に大臣が把握してゐたのであれば、「必要性も今後また議論しなければならない」と再度「議論の必要性」の決意を答辯されたのも頷ける。
 「漢字表」の必要性といふ國語施策としての大前提となる議論に於ける要點が「漢字使用の制限」といふ根本的な問題とともに、「交ぜ書き」による弊害を如何樣に捉へるかにあることは、紹介した議論の中からも明らかである。今後の議論を注視していく必要のある重要案件であらう。


(七)結びに
 以上の如とく林潤衆議院議員による質問、そしてこれに對する答辯につき、縷々可能な限り綿密な客觀的資料等に基づいて檢證してきたが、最も重要なことは、國語議聯と政府、取分け文部科學省が「基本的な考へ方」を共有してゐるといふことである。
 今後とも委員會に於ける質疑、時には「質問主意書」制度による文書質問などにより、政府、取分け文部科學省と國語議聯が互ひに目指す社會の實現に向けて論點を整理し、また實現への阻害要因を分析し、如何にすれば阻害要因を排除出來るのかも含めて益々活發に論議されていくことを期待したい。
先づは當小論により浮彫りとなつた以下の點につき、論點整理や阻害要因の分析が進むことが望まれる。
一、穴開き五十音圖「ゐ」「ゑ」の是正
   『学習指導要領解説』に「歴史的假名遣ひの『ゐ』『ゑ』については、五十音圖に記載するなど、児童の學習負擔に配慮しつつ假名の體系的指導に留意すること。」との規定を加へる。
一、古典や鴎外、漱石の作品を原文で味はえるやうな社會の實現
   『学習指導要領』第3「指導計画の作成と内容の取扱い」3の(5)の規定を「古典や近代以降の代表的な作家の作品は原文を原則とし、古典については、現代語訳、古典について解説した文章を取り上げること。」に改正する。
 一、法令や公文書に於ける國語表記
   「政府は、本日、内閣告示第一号をもつて、『常用漢字表』を告示した。今後、各行政機関においては、この表を現代の国語を書き表すための漢字使用の目安とするものとする。」といふ所謂『内閣訓令』と、「漢字使用は、『常用漢字表』(昭和五十六年内閣告示第一号)の本表及び付表(表の見方及び使い方を含む。)によるものとする。」とした「法令における漢字使用等について」を定めた『事務次官等會議申合せ』の整合性につき、整理檢討し、是正策を講じる。
 一、国歌君が代の歌詞「いはほ」への表記の是正
   「『訓令』に因つて、法令では『現代仮名遣い』を『よりどころ』とすべきである。この場合、語を現代語の音韻に従つて書き表すことを原則としてゐるが、本來、『君が代』の歌詞は文語文であり、『歴史的仮名遣いが、我が国の歴史や文化に深いかかわりをもつものとして、尊重されるべきことは言うまでもない』との前文(八)の規定を踏まへて歴史的假名遣ひを適用する。」を政府の統一見解とし、表記の是正に向け、法律の一部改正を行ふ。
 一、『常用漢字表』の必要性
   「交ぜ書き」の弊害や漢字使用の制限性といふ負の側面から改めて『常用漢字表』を檢證し、國語施策としての『漢字表』がそもそも必要であるのか否かの再議論を行ふ。
 
「具体的課題の是正を目的とするため、その活動は勉強会の開催に止めることなく、立法府の務めとして、浮き彫りとなった諸問題に対しては関連する法案の改正、または新立法も視野に具体的な成果を求める運動を展開していくことを決意する」。
 これが國語を考へる國會議員懇談會の掲げる『運動方針』にある決意の程を示した一文である。運動は漸く序章を迎へたに過ぎないのである。

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