« ペテン師 | トップページ | 1000キロ現地調査第1回 »

2011年6月13日

1000キロ現地調査第1回

【調査会NEWS1052】(23.6.13)

■1000キロ現地調査第1回終了

 6月10日富山、11日石川、12日福井と続いた現地調査が終了しました。まだ行けたところは関連地域からすると一部に過ぎませんが、今回の成果を整理して今後逐次関連地域にて実施していきたいと思います。キロ数は今回だけで600キロを超えており、1000キロを超えた後にはさらに目標を設定して続けていく予定です。

 この三日間、特定失踪者ご家族、家族会の皆さん、救う会富山・救う会石川・救う会金沢・嶺南地区特定失踪者の真相究明を願う会及び報道関係の方々には大変お世話になりました。また西村眞悟前拉致議連幹事長は全日程を同行されました。この場をおかりしてお世話になった関係各位に御礼申し上げます。調査会からは荒木・岡田・村尾・三宅・曽田・北條と法律家の会の川人・土田両幹事(それぞれ調査会常務理事・監査を兼務)が参加しました。

 報告は整理ができ次第逐次行いますが、とりあえず3日間で廻ったところを以下に書いておきます。当初予定の中で徐勝・徐俊植兄弟が密出入国した能登半島黒島を除いては全ての地域を廻ることができました。
-----------------------------------------------------------
(今回現地調査を行った地域)

※以下記載された現場は、北陸3県における拉致・拉致を疑わせる失踪あるいは工作員の侵入・脱出現場としてはごく一部です。

(富山県)
●アベック拉致未遂:国鉄(当時)氷見線島尾駅と雨晴駅の間の島尾海岸で昭和53(1973)年8月15日にアベック拉致未遂事件が起きている。本件は政府認定の拉致未遂事件。

●特定失踪者山田建治さん失踪:工員だった山田建治さんは昭和54(1979)年12月18日勤務先の工場に向かったまま失踪。1週間後に氷見線越中国分駅裏で本人の自家用車が発見される。キーをさしたまま放置されており車内に運転免許証、財布、空の弁当箱が残されていた。当時30歳。

●伏木国分事件:昭和56(1981)年3月31日北朝鮮工作員姜正彦こと某(当時50歳位)は同月30日頃偽造外国人登録証明書、工作資金を携行して富山県国分港付近の海岸から密入国し、氷見線越中国分駅ホームで警察官の職質を受け高岡駅前のホテルに移送されたところ、翌31日北朝鮮に対する忠誠を叫びながら飛降り自殺した。

●特定失踪者城鳥正義さん失踪:昭和55(1980)年1月26日、貨物船機関士の城鳥正義さんは乗船していた船が伏木港に停泊中船員と飲み、その後「先に船に戻る」と言って停泊している港まで食堂の従業員が送ったがその後行方不明。当時55歳。

●特定失踪者荒谷敏生さん失踪:昭和49(1974)年5月13日、元会社員荒谷敏生さんは新湊市の加越能鉄道高岡軌道線(現万葉線)庄川口駅に近い自宅から失踪。当時25歳。

●特定失踪者谷ケ崎清一さん失踪:昭和59(1984)年7月9日、内装店店員の谷ケ崎清一さんは新湊市の高岡軌道線東新湊駅近くの自宅から銭湯に行くと言って車で出たまま車ごと失踪。当時22歳。

●水橋事件:富山市水橋海岸: 対南工作のための工作員獲得など、日本を拠点とした対韓国工作活動を行っていた北朝鮮工作員佐藤信一こと朴一(当時55歳)に獲得された北朝鮮工作員李龍雨(徳山龍雨)は昭和54(1979)年4月24日に富山県水橋海岸から脱出し、工作員教育を受けた後、翌55年2月20日に福井県敦賀湾から潜入し、対韓工作中に逮捕された。

●魚津市早月川河口:昭和51(1976)年9月12日、北朝鮮工作員であり原敕晁さん拉致の実行犯辛光洙が早月川河口から密出国

●水中スクーター発見現場:平成11年黒部川河口で北朝鮮工作員の上陸浸透用水中スクーターが発見される。付近の植生から平成10(1998)年11月下旬から翌11年4月頃の間に埋められたものとされている。

●屋木しのぶさん失踪:昭和43年1月、美容師だった屋木しのぶさんは入善町の親戚の家に行き、帰宅途中失踪。当時19歳。

●水島慎一さん失踪:昭和43年2月9日、高校3年生だった水島慎一さんは帰宅後自宅裏の朝日町宮崎海岸に素振りをしに出たまま失踪。当時18歳。

●氷見市新川河口:元朝鮮総聯財政局副局長韓光煕の著書『わが朝鮮総聯の罪と罰』(文春文庫)に記載されている工作員の侵入ポイント

(石川県)

●西新井事件関連密出入国現場:北朝鮮工作員崔スンチョルが在日韓国人工作員Aを使って、工作員獲得対象者の選定、資金調達等を行わせていたスパイ事件である。崔は小住健三さんに成り代わって活動し、その指示によりAは昭和49(1974)年5月23日、能登半島の羽根海岸から北朝鮮に密出国し、約6ヶ月間にわたって、全日成思想、暗号組立・解読要領等のスパイ訓練を受け任務を指示された後、同年11月25日、再び羽根海岸から密入国した。

●久米裕さん拉致現場:昭和52(1977)年9月19日、三鷹市役所のガードマンだった久米裕さんは能登町宇出津海岸から拉致。当時52歳。実行犯の1人である在日韓国人李秋吉は現場で逮捕されたが後に釈放される。

●寺越事件関連現場:昭和38(1963)年5月11日、寺越昭二さん(当時36歳)、昭雄さん(同24歳)兄弟と甥の武志さん(同13歳)の3人が乗った漁船「清丸」が志賀町福浦港から漁船「清丸」でハチメ漁に出発し失踪。翌日無人で漂流している清丸が見つかった。昭和62(1987)年に外雄さんと武志さんが北朝鮮で生存していることが判明。外雄さんは平成6(1994)年に死亡したが武志さんは今も平壌で暮らしている。

●遠山文子さんアベック失踪:昭和48(1973)年7月羽咋市柴垣海水浴場に滞在中の遠山文子さんと元同僚の男性が失踪。

●安達俊之さんアベック失踪:金沢市内のホテル(当時開館準備中)に勤める安達俊之さんは昭和56(1981)年6月20日、鶴来町(現白山市)の自宅を車で出て勤務先の同僚女性と車ごと失踪。当時18歳。帰国した拉致被害者地村保志さんが北朝鮮で目撃したという説がある(本人は否定)。

(福井県)
●特定失踪者林雅俊さん失踪:岐阜大学の大学院生だった林さんは平成10(1998)年5月12日夜大学を車で出たまま失踪。14日に越前町梅浦海岸に本人の車が発見される。車内に残されたパソコンには自殺を思わせるメッセージがあったが、専門家の分析により他人が自殺を偽装した可能性が強いと言われている。当時23歳。

●特定失踪者山下貢さん失踪:平成元(1989)年12月27日、作業員山下貢さんは車で釣りに出かけたまま疾走。車は越前町牛房が平の路上で見つかり、近くの岩場で本人の餌箱が発見されるが遭難した形跡はなかった。当時39歳。

●特定失踪者田中浩史さん失踪:平成8(1996)年4月5日、ビルメンテナンスの仕事をしていた田中浩史さんは京市内の自宅から車で出勤したまま失踪。同月10日丹生郡河野村の海岸沿いに車を発見したとの連絡があった。この場所は山下貢さんの車のあった場所と至近と思われる。当時35歳。

●特定失踪者松永正樹さんの関連地域:平成7(1995)年8月28日、香川県善通寺市に住む松永正樹さんは「福井へ10日から2週間仕事で行ってくる」と書き置きを置いたままで失踪。同日三方五湖農協のガソリンスタンドで給油し、9月1日以降網走、阿寒湖などで給油した記録がある。車は12月19日に苫小牧駅前で見つかっている。当時30歳。

●特定失踪者宮内和也さん失踪:平成9(1997)年4月24日、三方町(現若狭町)職員だった宮内和也さんは世久見漁港にあったカヌーの艇庫を見に行き、岸壁で目撃されたのを最後に失踪。カヌーは数百メートル離れたところで二つに折れてテトラポッドに突き刺さっており、近くに本人のジャンパーが置かれていた。当時32歳。

●特定失踪者濱端俊和さん失踪:昭和58(1983)年4月10日、原発作業員だった浜端俊和さんは敦賀原発のタービン点検作業に派遣されていたとき、宿泊先の寮を出てタクシーで敦賀駅に行った後失踪。当時23歳。
Photo
(写真は寺越昭二さん・外雄さん・武志さんの乗った「清丸」が最後に出港した福浦港)


|

« ペテン師 | トップページ | 1000キロ現地調査第1回 »