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2011年7月26日

菅総理訪朝?

【調査会NEWS1062】(23.7.26)

■菅総理訪朝?
 
    荒木和博

 菅直人総理が訪朝を模索し、中井洽・元拉致担当相が宋日昊・日朝国交担当大使と秘密接触を行っていたとの報道が流れました。中井元大臣は宋日昊との接触について聞かれて「誰ですかそれは」とか言ったそうですが、拉致担当相をやっていて宋日昊の名前を知らなかったとすればそれだけで失格ですから、自白してしまったようなものでしょう。

 私は、誰がやっても何人か取り返してきて次への突破口を作ってくれれば良いと思っているのですが、それにしても今回のは菅総理も中井元大臣も余りにも下心が見え見えであり、まともな交渉ができるとはとても思えません。ただ、面白いのは日本の政治状況を分かっている宋日昊がそれでも何度も接触をしているということで、向こうは向こうで切迫した事情があるのだろうと思います。

 いずれにしても今回表沙汰になったことで今後の交渉は難しくなったと思いますが、人命に関わる問題を「延命」に使うのだけはやめてもらいたいものです。菅総理はそれよりも問題になっている外国人からの献金問題やよど号犯関連団体への献金などについて明らかにすべきでしょう。中井元大臣にしても、例えば大臣在任中に私には「山本美保の件は調べさせているから」と語り、後に大臣室の机の上に山本美保さんのファイルがあったという証言があったのに、結果的には何も動かしませんでした(宣伝ですが今日発売の「WiLL」に山本美保さんの件で書きました。ご一読いただければ幸いです)。秘密接触を全て否定するつもりはありませんが、政治家としていまず何をやるべきかの判断はしなければならないと思います。

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2011年7月15日

「アメリカは知っていた」

【調査会NEWS1060】(23.7.15)

■「アメリカは知っていた」
                 荒木和博

 家族会・救う会・拉致議連の訪米でダニエル・イノウエ議員(民主党)が「1970年代末頃から日本人拉致について情報をつかんでいた。日本政府も知っていたと思う」と発言したことが報道されています。

 もちろん日本政府が知っていたことはすでに分かっていることで、平成9(1997)年に認定された横田めぐみさんの拉致もおそらくは事件のおきた昭和52(1977)年11月の時点で分かっていたのだと思います。同じ頃中国からも香港経由で日本人拉致の情報は出ていたと言われています。

 問題は国民が拉致されていることを日本政府が隠してきたということです。それは北朝鮮に抱き込まれた議員や有力な官僚がやったのではありません。そうであったならその議員や官僚を辞任させれば問題は一気に解決に向かうはずです。

 誰が辞めても解決に向かわないのは国全体が「そういうことは起きなかったことにしよう」としてきたからであり、それは当時の与党である自民党、今の与党である民主党の責任というより、そのような状態をよしとしてきた私たち国民一人ひとりの責任だと思います。もちろん大多数の国民は何も知らなかったでしょうが、自らの安全を他国に任せていることに大多数が疑問を抱かなかった、目を逸らしてきたことは事実です。間違いなくこれが継続的な拉致を許してきた本質的理由であり、これを変えるには今からでも自分自身の身を切る覚悟が必要です。なお、私自身はイノウエ議員の発言とは逆の意味で日米関係がこの隠蔽に直接間接に影響しているのではないかとすら感じています。

 現在救う会の有志の方々や特定失踪者家族の有志が外務省に要請を行う準備をしています。特定失踪者について外務省が他国に説明していないことに対する抗議が中心的内容です。確かにその通りであり、外務省であれ警察庁であれ防衛省であれ、不作為、隠蔽の責任は当然個々に問われなければなりませんが、それらの多くは極めて表面的なものであることも事実です。

 この問題は右も左もおぶさってきた戦後体制全体の問題であり、本質にメスを入れなければ解決しません。北朝鮮の国家方針によって拉致された人たちのご家族が米国に行って救出への協力を要請しなければならないという現実がどういうことなのか、直視することが必要不可欠です。

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2011年7月 5日

オフレコ

【調査会NEWS1059】(23.7.4)

■オフレコ
                 荒木和博

 松本龍・復興担当大臣が村井嘉浩・宮城県知事に言った暴言(少なくともテレビを見る限りそうとしか見えない)が問題になっています。九州出身だからとかB型だからと言われては九州出身のB型の人は立つ瀬がありません。また地方分権を目指すはずの民主党が、県民から選ばれた知事に命令口調で話すのも党内でもっと問題になってしかるべきです。さらに、あのテレビの音声で、大臣の発言の直後に「これはオフレコですから。いいですか。書いたらその社は終わりだから」と言った人間がいました。これまた大臣の発言と同様大失言だと思います。そういった人間も大臣も「終わり」でもおかしくないはずです。

 それはともかく前号ニュースの河嶋さんの件ですが、「河嶋さんの名前を9・17小泉訪朝で北朝鮮に行く前から知っていた」「(功一さんは)どこで拉致されどこから国外に連れ出されたかさえ分かれば認定になる」との高石静岡県警本部長(当時)発言は「オフレコ」だったそうです。

 しかし、「オフレコ」と言いながら、その場には御家族のみならず支援者である「河嶋功一君を捜す会」の方々もおられたとのこと。皆さん真面目なので「オフレコ」と言われたのを守っておられたようです。そのためにこの間報道もほとんどされてきませんでした。当時周囲の県警関係者が本部長の発言を聞いて慌てていたと言いますし、他で県警本部長がこんな話をしたのは聞いたことがありません。高石氏としては自分の判断で話したのではないか。これはご本人が亡くなられているので確認のすべもありませんが。

 さらに、このときの「オフレコ」は建前で、実際は発言が広がることを期待したのかも知れません(世の中「ここだけの話だが」というのが一番人に伝わりますから)。私は高石氏には警察庁の外事課長当時に会ったことがあるだけでどんな人かよく存じませんが、警察の中にも国民に本当のことを知らせるべきだと思っている人がいるということでしょうか。

 いずれにしても、このことは極めて重要な問題です。遙か前から河嶋さんのような、「ほぼ認定」と言える人が多数いるということを政府・警察が認識していた可能性も出てくるからです。誰か警察の関係者で私たちや家族、報道関係者に「オフレコ」で話してくれる人はいないでしょうか。

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福島支援チャリティーシンポジウム

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 7月27日に福島支援チャリティーシンポジウムがあります。基調講演を高田純・札幌医大教授が行います。お誘い合わせの上おいで下さい。参加ご希望の方は下記まで。
email:kessokyo@nifty.com
FAX:050-5814-4538

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2011年7月 3日

「河嶋功一さんは認定直前」県警本部長が語っていたことが明らかに

【調査会NEWS1058】(23.7.3)
■「河嶋功一さんは認定直前」県警本部長が語っていたことが明らかに

 昨日2日、浜松市で東海ブロックの特定失踪者家族懇談会が開催されましたが、その場で平成16(2004)年12月21日、当時の高石和夫静岡県警本部長が特定失踪者河嶋功一さんの御家族らに「河嶋さんの名前を9・17小泉訪朝で北朝鮮に行く前から知っていた」「(功一さんは)どこで拉致されどこから国外に連れ出されたかさえ分かれば認定になる」と語っていたことが分かりました。

 高石氏は県警本部長を退任した後、警視庁副総監などを務め平成20(2008)年12月に亡くなっていますが、このときは功一さんのお母さんである河嶋愛子さんら御家族・支援者の方々が本部長と面会した席でオフレコの話として伝えられたものです。その後既に7年が経過して政府の対応に進展もないため昨日内容を確認し、明らかにする次第です。

 小泉訪朝の前から河嶋さんの名前を知っていたというのが事実なら、当然知っていた名前は河嶋さんだけでなかったはずで、多くの拉致の疑われる案件を政府は隠し続けてきたことになります。また、「どこで拉致されどこから国外に連れ出されたか」というのは拉致認定の三要件のうち警察が最も得意とするはずの日本国内での捜査に関わる部分で、それがまったく結果を出してこなかったとも言えます。あるいは現場では結果を出したのに上で押さえられたのかもしれません。

 河嶋功一さんについては「労働新聞に写真が載った」「北朝鮮のここにいる」「お母さんを連れてくれば会わせる」などこれまでも様々な情報が北朝鮮から寄せられてきました。そのどれについても100%の確度はないものの、状況から考えて拉致されたことは間違いないと思われます。北朝鮮側からすでに日本政府に名前が提示されている可能性もあります。

 「命がけでやっている」はずの政府が、事実上拉致であるとの確信を持っていた事件について救出はおろか7年間何の進展もさせられなかったということは、極めて重い意味を持っています。あらためて拉致問題全体への対応の見直しが必要でしょう。

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