1000 キロ現地調査第2回の概要について
【調査会NEWS1081】(23.9.26)
■1000 キロ現地調査第2回の概要について
今回の現地調査の概要は下記の通りです。ご協力いただいた皆様に再度御礼申し上げます。
●目的
(1)現地調査により個々の事件及び北朝鮮による拉致・工作活動への認識を深める
(2)広報啓発活動を通し今後の工作活動を抑止する。
(3)現地で特定失踪者家族から北朝鮮向け短波放送「しおかぜ」のメッセージを収録する(今回参加した全ての家族のメッセージを収録)。
●参加役員
荒木和博(代表)・岡田和典(副代表)・村尾建兒(専務理事)・三宅博(常務理事)・曽田英雄(常務理事)
●協力
救う会秋田(松村譲裕代表他秋田地区・男鹿地区・能代地区の皆さん)
救う会青森(成田義人代表他役員の皆さん)
●特定失踪者家族(日程に記載)
●日程
9月24日(土)
1、木村かほるさん関連現場調査(姉の天内みどりさん同行)
<木村かほるさんは昭和35(1960)年2月27日、在校していた秋田高等看護学院の寮から外出したまま失踪。当時21歳。卒業式を10日後に控えていた。金賢姫をはじめ北朝鮮での目撃証言や所在情報がある>
※寮のあった場所及び朝鮮総聯事務所前などを訪れる。想定されるのは後述今井裕さんと同様何らかの形で誘引されて短時間のつもりで出かけたという状況他の失踪と共通する点等が明らかに。また、今回の調査とは直接関係ないが今後金賢姫と天内さんの面会等の実現に向けて努力していく。
2、男鹿脇本事件現場調査
<男鹿脇本事件は昭和56(1981)年8月5日午後10時、秋田県男鹿市の脇本海岸でゴムボートに乗っている不審人物3人を警戒中の秋田県警察の警察官が発見した。そのうち1人を逮捕したが、残りの2人はゴムボートで逃走した。逮捕された男は在日韓国人で同年1月頃に北朝鮮の工作員となり、その後約6ヶ月間、工作員としての思想教育を受けた後、工作員としての専門教育を受けるため7月5日に北朝鮮に密出国、1か月のスパイ教育の後、日本に密入国しようとして逮捕された>
※脇本海岸にて現地の人から状況を聞く。男鹿半島でこの海岸が波が静かで最も侵入しやすいところであることなどが分かった。
3、松橋恵美子さん失踪関連現場調査
<松橋恵美子さんは平成4(1992)年1月15日失踪。当時26歳。縫製工場勤務。祖母に「鷹ノ巣に行って来る」と告げて車で出かけたまま、その日は戻らなかった。19日に能代市の海岸で車が見つかる。車内には身の回りのものが全て残っていた。車内にあった給油伝票は15日10:03に合川のガソリンスタンドで、同日14:47に能代市内のガソリンスタンドでそれぞれ10リッター余りを給油するという不自然なものだった>
※合川駅で失踪状況の確認。失踪当日の朝給油したガソリンスタンド跡及び車が放置されていた能代浜を訪問。合川のガソリンスタンドでは親戚に声をかけられていたことが分かる。同日もう一度能代のガソリンスタンドで給油しているが、これは別の人間がした可能性が高いことが明らかに。
4、薩摩勝博さん失踪関連現場調査(妹の品川貴美子さん同行)
<薩摩勝博さんは昭和48(1973)年1月、同じ村落出身の女性と結婚の意思を固め実家を2人で訪れるが父や親戚に反対される。その夜は実家に泊まり、翌朝「彼女を送ってくる」と能代市内の女性の住むアパートに行ったまま戻らず。車も発見されていない。アパートは後に焼失している>
※女性の住んでいたアパートの跡地を訪れ当時の状況を確認。女性の消息も不明であり、男女の失踪は1970年代に集中しているのでこれに該当する可能性が存在する。
5、第1次能代事件関連現場調査
<第1次能代事件は昭和38(1963)年4月1日午前5時30分ごろ、能代市浅内浜に住んでいる人がマラソン練習のため海岸を走っていたところ、海岸波打際に浮かんでいる救命胴衣を着た死体2体と灰色のゴムボート等を発見した。死体は1人は年齢が25〜26才位、もう1人が35〜36才位で、死亡推定日時は3月31日深夜と判断された。第2次能代事件は昭和38年5月10日午前8時ころ、米代川河口において漁をしていた人が死体を発見。死後30〜40日経過しており第1次能代事件の死体の仲間と判断されたもの>
※周囲には上陸の際目標となるものがなく、陸上から発行信号等で合図して上陸した可能性が高い。
6、八峰町・東八森駅近くの海岸調査
<元朝鮮総聯幹部韓光煕の設定した工作員侵入ポイントのうちの一つ>
※ 同日は弘前泊。家族・関係者による懇談会(特定失踪者家族は木村かほるさん、今井裕さん、木本佳紀さん3人のご家族が参加)
9月25日(日)
1、今井裕さん失踪関連現場調査(兄の今井英輝さん同行)
<今井裕さんは昭和44(1969)年3月2日失踪。当時18歳。弘前工業高校3年生で、4日に行われる卒業式で答辞を読むことになっていた。「制服のボタンを買いに行く」と自宅を出たまま行方不明に。東京の営団地下鉄(現東京メトロ)に就職が決まっていた。>
※自宅及び最後に目撃された自宅近くの家の前、ボタンを売っていた店の跡を訪れ当時の状況を確認。本人が何者かに誘引されていた状況がより明らかになった。今後誘引する方の立場からどのように本人にアプローチしたのかを確認する必要を痛感した。
2、木本佳紀さん失踪関連現場調査(父の木本巌さん、母の和子さん同行)
<木本佳紀さんは昭和60(1985)年10月1日下宿先から失踪。当時22歳。弘前大学の学生で北海道出身。下宿先の机の引き出しには免許証、預金通帳、キャッシュカード、旅行鞄、衣類も残っていた。10月1日付の新聞が部屋の中にあった>
※入学後に入った弘前大北溟寮と失踪時に居住していたアパートの跡地を訪れ当時の状況を確認。木本さんは実家が北海道で一人暮らしだったため失踪時の状況は十分に分かっていないが、今回の調査でご両親から聞いたことも合わせ、当時の学生運動や他の失踪との共通性などを今後検討していく。
3、平山政子さん失踪関連現場調査(兄の平山勲さん同行)
<平山政子さんは昭和47(1972)年3月24日に失踪。当時25歳。飲食店従業員。当日、絵を描いていた姉が入賞し、お祝いのために待ち合わせていたが現れず。アパートを訪ねると、特に身辺整理した様子もなく、普段の生活状況のままだった。1週間ほど後に乗っていた車が市内で発見される>
※勤務していた店の跡と自動車が置かれていた場所を訪れ、当時の状況を確認する。事件が田口八重子さんや渡辺秀子さんのケースに類似していること、車が別人が放置していった可能性が高いことなどが明らかに。
調査日程終了後、記者会見を兼ねた報告会を県民福祉プラザで開催。調査会役員、特定失踪者家族(天内みどりさん、今井裕さん、木本巌さん、木本和子さん、平山勲さん)、救う会青森成田代表、白川副代表が参加。終了後解散。
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