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2011年9月 1日

園田一さん・敏子さんに関わる情報について

【調査会NEWS1071】(23.9.1)

■園田一さん・敏子さんに関わる情報について
(会見で配布した資料と若干変わっています)

 昭和46年(1971)12月30日に鹿児島県大崎町の自宅を出て宮崎空港に車で向かう途中失踪した園田一さん・敏子さん夫妻については調査会が設立された平成15年以来様々な情報が飛び交っている。特にこの3年ほどの間、様々なルートで園田敏子さんの目撃情報が流れており、その中には写真・毛髪などの偽情報も含まれているため混乱を来している。

 調査会では代表荒木が8月29日園田さん夫妻の長女利恵子さんのお宅(鹿児島県鹿屋市)を訪れ、これまでの経緯についてご家族、関係者と情報の突き合わせ等を行った結果、独自に入手した以下の情報については公開し、今後の情報収集を進めるべきと判断した。なお、下記情報については荒木が韓国ルートで収集したもの及びA氏本人に確認したものである。

・情報源は2000年代になって脱北、韓国に入った脱北者男性A氏(父親が在日帰国者)。

・A氏は拉致された日本人女性と北朝鮮で同じ町に住んでいた。A氏の両親がその女性と親しかった。本人も直接話をしたことがある。

・その女性は平成20年(2008)現在74歳。(園田敏子さんは79歳)

・1970年頃拉致されたという。当時43歳位。(園田敏子さんは失踪当時42歳)

・夫が車両を運転して空港にいく途中で拉致された。(これはその通り)

・「チマ」とか「シマ」という地名を聞いた。(鹿児島県のことか)

・息子と娘がいる。(これはその通り)

・夫は抵抗して海上で死亡した。(全く別に園田一さんの北朝鮮国内での未確認目撃証言もある)

・北朝鮮で対南連絡所の幹部と結婚した。その幹部は前妻が亡くなっており、前妻との間に娘が一人いた。夫(連絡所幹部)が亡くなった後、平壌から追い出されて前妻の娘の住む咸鏡北道で暮らした。そこで周囲に住む日本からの在日朝鮮人帰国者に自分の身の上を話した。A氏は1980年代からそこに住んでいるが、話し始めたのは1994年金日成が死亡してから。

・A氏が脱北する前に女性は同じ咸鏡北道の別の地域に移った

 とりあえず公開できるのは以上の情報だが、同じ女性について複数の情報源からのさらに詳細な情報がある。一方前述のように偽写真や他人の頭髪がもたらされたこともある。総合的に判断すれば、偽情報が混在しているとは言え、この女性が実在の人物で、それが園田敏子さんである可能性は否定できない。これを機会に調査会としてもさらに調査を進めるが、これまでかかわって来た民間及び政府機関関係者もあらためて重要な情報と認識して積極的な対応を進めるよう求めるものである。

     平成23年9月1日
     特定失踪者問題調査会代表 荒木和博

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