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2012年1月31日

お願い(失踪者情報について)

【調査会NEWS1125】(24.1.31)

■お願い(失踪者情報について)
                                     荒木和博

先週ソウルに行って来ました。その折耳にした話で、日本人拉致被害者の可能性がある女性の情報があります。

◎1970年(昭和45)前後の生まれ

◎1980年代後半か1990年代前半、ヨーロッパで失踪。

◎看護士ないし医療関係の仕事をしていた人

現時点では詳しく発表できないのですが、以上のような失踪者をご存じの方がおられましたらご連絡いただければ幸いです。

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2012年1月23日

松原大臣/しおかぜネットワーク

【調査会NEWS1124】(24.1.23)

■松原大臣面会・しおかぜ収録

 本日23日朝、調査会代表荒木と専務理事村尾は松原仁・拉致問題担当大臣に面会し要請。あわせて「しおかぜ」のメッセージを収録しました。松原大臣の「しおかぜ」メッセージは今週土曜夜・日曜朝と夜・月曜朝に放送されます。

 大臣に要請したのは以下のような内容です。

●拉致認定三要件の見直し

●情報(写真や目撃情報が出てきケースなど)のある失踪者についての精査及び積極的認定

●その他公開されていない情報のある失踪者についての情報収集や救出への作業推進

●山本美保さんに関わるDNAデータ偽造事件の真相開示

●国内にいる拉致実行犯の摘発

 今後具体的に詰めていきたいと思います。

■しおかぜネットワーク

 しおかぜネットワークの参加組織であった経営者ブルーリボンの会(刈屋隆代表)は、「特定失踪者問題調査会を支援する会」の発足により解散となりました。これまでありがとうございました。現時点での参加組織は67組織です。

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2012年1月22日

北総事件

 以下は調査会の曽田常務理事がまとめたものです。ご参考まで。こんな事件は数え切れない程あったのだと思います。これが日本の現実です。

【調査会NEWS1123】(24.1.22)

■北総事件

 特定失踪者問題調査会は「1万キロ現地調査 第5回 千葉県」を行うにあたり、事前調査として県内特定失踪者の方々について当時の新聞記事等の情報を収集していたところ、1974(昭和49)年の6月下旬に千葉県香取郡多古町所在の「北総建設」会社社長・三村繁生こと孔泳淳(当時47歳)が『北朝鮮の工作員』として逮捕されていた記事を発見した。

 報道各社等の記事によれば孔泳淳は、元日本共産党の大河内山村工作隊に所属し活動を行っていたが、1953(昭和28)年10月、放火等の容疑で検挙されて実刑が確定する直前に逃亡。

 その時効後に多古町に現れ、建設会社を経営。成田空港の工事に関わるなどの一方、日本人従業員の戸籍謄本を騙し取り、これを利用して旅券を偽造し日本人に成りすまして韓国などへ不法に出入国をする傍ら、国内外の情報を収集して北朝鮮本国に報告していたもので、後の大阪府在住の原敕晁さん拉致事件の実行犯・辛光洙と同じく「背乗り」という手法で日本人に成り代わって工作活動を行うという事件であった。

 調査会としては、本事件が千葉県の香取郡多古町に拠点をおいた事件であったことを重視し、拉致問題との関連性を考慮して資料を収集・調査したところ、

(1)孔泳淳が経営していたとされる「北総建設」会社は一般家屋の住所で、実際には別の場所で会社登記がされていること。

(2)事件の舞台となった多古町は「北総地域」であるが、隣接した「東総地域」には年代のバラつきはあるものの、調査会に寄せられている千葉県内の失踪者4名(伊藤克さん、加瀬テル子さんを含む)がこの地域で失踪していること。

(3)市原市で失踪した古川了子さんは1973(昭和48)年、千葉市で失踪した峰島英雄さん、関谷俊子さん、遠山常子さんの3人は事件が摘発された1974(昭和49)年と合致する年代であること。

(4)今回の現地調査でも峰島さん・関屋さん・遠山さんの失踪をはじめ「千葉港」というキーワードが見え隠れしていることが分かったが、下記「千葉日報」記事でも千葉港に関わる内容のものがあること。

 など、重視すべき事件であると考えている。
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参考記事(千葉日報)

1974(昭和49)年7月3日付

「北朝鮮スパイ逮捕(多古町の会社社長)」 暗号解読、情報流す  偽装旅券使い不法出入国

 警視庁公安部と本所署は日本人名義の旅券を偽造し、韓国などへ不法出入国していた本県香取郡多古町北中1,136 北総建設会社社長・朝鮮人三村繁生こと孔泳淳(47)を6月28日に旅券法違反などの疑いで逮捕、調べていたが、3日までの調べで、孔泳淳は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)のスパイ工作員で、最近では大統領緊急発表後の韓国情報を探ったり、韓国へのスパイ工作員の養成などをしていたことがわかった。

 同公安部はこれまでに、孔の自宅や群馬県桐生市内に住んでいる妻子宅など計3か所を捜索、偽造パスポート、スパイ工作に使用した受信用乱数表、暗号解読表、受信機、カセットテープ、メモ類など170点を押収した。

 同部の調べによると、孔は韓国慶尚南道で生まれ、昭和11年ごろ日本にいる父親を頼って長野県木曽福島に来た。

 同23年ごろから東京渋谷区に住み、日本共産党に入党、27年山村工作隊に入り、30年頃まで日本共産党員として活躍、公務執行妨害、放火などの疑いで4回逮捕されている。

 孔はその後本県で建設会社を設立、42年ごろの成田空港第一期工事では最盛時約150人もの労働者を使い、空港建設工事に参加したが、最近では付近の宅地造成工事などをしている程度で、正社員も数人しか雇っていなかったという。

 同部の調べによると、孔の直接の容疑は

(1)昭和47年11月28日、孔の会社の設立発起人の一人・香取郡多古町喜多、鈴木晃二郎さん(47)名義の一般数次旅券を不法に入手、旅券には自分の写真を張り付け、この旅券で48年1月香港、同9月韓国へ旅行、不法出入国した。

(2)31年11月、当時住んでいた目黒区で外国人登録の確認申請をしたのを最後に再登録せずに不法滞在したーで、出入国管理令、旅券法違反、外国人登録法違反などの疑い。

  孔は28年10月東京で放火容疑で逮捕され、32年最高裁で懲役5年の実刑判決を受けたが、その直前逃亡、行方をくらましていた。孔は30年ごろ日共を離党していたという。

これまでの調べによると、孔はラジオを通じて北朝鮮から送られてくる5ケタの暗号乱数数字を受信、解読して指令を受け、主として在日韓国人などに工作員を作り、この工作員を韓国に送り込んで情報を入手、普通の手紙に暗号を刷り込んで北朝鮮に情報を流しており、最近では6月22日、同28日に北側から指令を受けていた。

孔は公安部の調べに対し、直接の犯罪事実は認めているが、働きかけた韓国人やスパイ工作の補助者などについてはまだ自供をしていない。
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1974(昭和49)年7月10日付
「格好の密航ルート?」 千葉港、一段と厳戒 北朝鮮スパイ 「無関係といえぬ」海保と合同水際作戦

 東京入管千葉出張所は警視庁に摘発された香取郡多古町の孔泳淳(47)の北朝鮮スパイ事件を重視、千葉港が新たな密航ルートに狙われているとの情報も入手しているため同港の警戒を強化することになった。

 いままでのところ、孔泳淳と千葉港を結ぶ具体的材料はあがっていないが、東京入管本部は警視庁から身柄を取り次第、港などとの関連を詳しく追及する方針。

 また、秘密工作員に限らず密入国が韓国船の出入りの急増に伴い増えているーとの見方を強めており、千葉海保とも協力して水際作戦を展開する。

外国船を最重点マーク

 東京入管千葉出張所によると韓国船は今年に入って5月までに30隻(乗組員総数約900人)が入航。

 大部分が400トンから2〜3,000トンクラスの貨物船、タンカー。

 この数年、同港を舞台にした密入国事件は表面化していないが、摘発した密入国者の取り調べから「千葉港から上陸した」との供述も数件あるといわれ、警戒の度を強めている。

 特にこの種の事件の場合、事前の情報が大きなカギとなるが、情報入手による摘発はほとんどなく、臨船による船内捜索で見つけるケースが大部分だ。

 ところが、千葉港は船橋から君津郡袖ヶ浦町までの約40キロを港域とし、しかも入管所員は警備艇乗船員を除いて3人だけ。

 監視の目が届かず、企業岸壁の警備員に協力を依頼しているのが現状だ。

 同港出張所の近藤義男所長によると、船内捜索は韓国船を重点に行っている。出入国管理令による臨船権をフルに活用、これには千葉海保の署員も合同で乗り組み、密航者が潜んでいるとみられる機関室から船倉までをくまなく捜している。

 しかし、船内に特殊な密室を設けて船員ぐるみで密航者をかくまうケースが多く、これまでのところ、カラ振りに終わっているのが実情だ。 

 また、千葉港の場合、企業岸壁でチェックしようにも他人のショアパス(寄港地上陸許可書)を使われると、写真がないため本人かどうかの確認ができない。

 したがって、密航者は正規の船員に成りすまして別の船員と一緒に上陸、帰りは正規の船員だけが密航者のショアパスを受け取って帰船するという手口。

 同出張所が警戒を強めている韓国船の中でとくに“要注意”しているのは釜山や麗水からの直行船。

 これら港は千葉港を舞台にした電気製品、時計などの密輸事件ともからんでおり、密航者を送り出す地下組織があるとみられている。

 また、“密航料”は最近あがって一人30万円が相場とされている。

水際で食い止める◇近藤義男東京入管千葉出張所長の話=

 密入国に千葉港が狙われているとの情報は確かにあるが、具体的な摘発には至っていない。
港域がかなり広いためパトロールにも限界がある。このため各企業や千葉海保などの協力を得、情報交換を密接にして水際で食い止めていきたい。

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千葉現地調査報告

【調査会NEWS1122】(24.1.22)

■千葉現地調査報告

 以下18日・19日に行われた1万キロ現地調査第5回について報告します。

 今回の調査では現地の状況がより正確につかめたのと、新たにいくつかのことが分かりました。例えば加瀬テル子さんと伊藤克さんは失踪時期は23年も離れているのですが、伊藤さんの自宅と加瀬さんが1年間住み込みで家事手伝いをしていた叔母の家が極めて近く、特に伊藤さんが通っていた農学校の通学路からは至近距離であったことが確認されました。

 また、古川了子さんの失踪では当時の状況で、失踪前日には全く特異な状況は見られず、当日の朝何かがあったことがほぼ確実になっています。峰島さん・関屋さん・遠山さんの失踪については「千葉港」が他の失踪にもかかわるキーワードとして浮上しました。

 それ以外にも様々な発見がありましたが、これらは今後さらに調査を進めていきたいと思います。また、今回の準備過程で、ある北朝鮮工作活動関連事件が浮上してきました。それについては次号のニュースでお知らせする予定です。
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 <特定失踪者問題調査会「1万キロ現地調査・第5回」>

1 日時 : 平成24年1月18日(水)10:00~19日(木)17:00

2 場所 
(1)1月18日:千葉県旭市野中地区及び蛇園(旧海上町蛇園)地区
(2)1月19日:千葉県市原市菊間及び辰巳地区~千葉市中央区

3調査対象案件
(1)伊藤克:1985(昭和60)年8月29日、千葉県旭市野中の「長禅寺」近くで失踪の件。
(2)加瀬テル子:1962(昭和37)年4月、千葉県海上郡海上町蛇園(現旭市蛇園)地区で失踪の件。
(3)古川了子:1973(昭和48)年7月7日、千葉県市原市菊間~辰巳地区で失踪の件。
(4)峰島英雄・関谷俊子・遠山常子:1974(昭和49)年7月11日、千葉市中央区院内で失踪の件。

4 参加者
調査会:代表・荒木和博、副代表・岡田和典、専務理事・村尾建児、常務理事・曽田英雄、理事・救う会千葉・中村実
御家族:18日=伊藤勲(伊藤克さん父)・伊藤しづ子(伊藤克さん妻)・青木絹子(伊藤克さん妹)
・仲條富夫(加瀬テル子さん親戚)・竹下珠路(古川了子さん姉)
19日=竹下珠路(古川了子さん姉)・古川宣子(了子さん義姉)・足立友子(了子さん妹)・関谷栄子(関谷俊子さん姉)・小川正子(遠山常子さん姉)

5 行動
(1)1月18日(水)
10時過ぎ「JR旭駅」前から伊藤克さんが失踪当日の夜に乗車したタクシー(同一運転手)に乗車し、当日と同じコースで走ってもらい伊藤さんが下車したとされる地点(長禅寺)に向かい、現地で伊藤さんのご家族と一緒に運転手から説明を受ける。長禅寺では伊藤さんの妻・しづ子さんの「しおかぜ」収録を行う。長禅寺からご家族の説明を受けながら徒歩で自宅までの経路を確認。

 自宅では伊藤さんの父・勲さんから当時の捜索状況などについて説明を受け、「しおかぜ」収録。

 加瀬テル子さんの親戚・仲條富夫さんの案内で、加瀬テル子さんが住み込みで家事手伝いをしていた叔母宅に向かう。伊藤さん宅から非常に近い位置関係であることを確認する。同じく仲條さんの案内で加瀬テル子さんが最後に立ち寄ったと思われる飯岡駅前の美容室跡(現在は月極め駐車場)に向かう。美容室跡を確認後、徒歩でテル子さんが通ったと思われる経路の確認と自宅周辺の位置関係を確認する。調査終了後、市原市に向かう。

(2)1月19日(木)
09:15過ぎ 市原市役所に同市長・佐久間隆義氏を訪問。
 市原市の失踪者、古川了子さん、関谷俊子さん、遠山常子さんについて救出のための協力要請を行い、佐久間市長による「しおかぜ」収録。遠山常子さんの姉・小川さんも「しおかぜ」収録。

 市原市役所から古川了子さんの実家があった菊間地区に向かうが、途中、「菊間中学校」前で状況説明。古川了子さんの実家跡でご姉妹から当日の状況等について説明を受ける。了子さんが当日予約を入れていた(現れた)美容室前でご姉妹による「しおかぜ」収録。その後辰巳台地区に移動し、了子さんの母が経営していた生花店跡の位置確認と当時の状況についてご姉妹から説明を受ける。

 千葉市中央区に移動し、院内地区の周辺を確認。峰島さん、関谷さん、遠山さんが最後に立ち寄ったスナック「カーニバル」跡の確認。関谷さん姉による「しおかぜ」収録。終了後千葉県庁に移動し、ご家族が同席して記者会見。

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2012年1月19日

千葉現地調査

【調査会NEWS1121】(24.1.19)

■千葉現地調査
           荒木和博

 現在1万キロ現地調査の第5回(千葉)の途中です。このメールニュースは市原市のホテルで書いています。

 昨日は加瀬テル子さん、伊藤克さんの失踪した地域(旭市周辺)の調査をご家族と行いましたが、加瀬さんは昭和37(1962)年、伊藤さんは昭和60(1985)年失踪で時期は23年もの違いがあるのに、地域的には非常に近いところでおきており、お二人がどこかですれ違った可能性すらあることが分かっています。私はお二人の関連地域に来るのは初めてなので、現場に行ってみてあらためて色々なことを考えさせられました。

 今日はこれから佐久間市原市長の「しおかぜ」収録の後、古川了子さんの失踪関連地点の調査及び峰島英雄さん、関屋俊子さん、遠山常子さんの失踪した千葉市の関連地点の調査を行います。その後県庁で報告を兼ねた会見を行いますが、今回調査準備の過程で4件の失踪との関連は分かっていないものの不思議な北朝鮮工作員関連事件のことが浮かび上がって来ており、それについても発表する予定です。

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2012年1月13日

新大臣

【調査会NEWS1120】(24.1.13)

■新大臣
           荒木和博

 山岡大臣とは結局一言も口をきかずに終わりました。まあこれまで拉致問題に関わったこともなく、今後も関わることはないでしょうから、お互いのためによかったのかも知れません。

 松原新大臣は第一次拉致議連当時から主要メンバーとして活躍してくれた方ですし、私とは誕生日も1週間違いの同じ年です。これでやっと要請するに値する相手ができたと、その意味ではほっとしています。

 ただ、私はかつて安倍政権ができたときにも、多くの人がそれで安心してしまったことに危惧をいだきました。安倍さんは拉致問題には歴代総理大臣の中でも特に熱心だったと思いますが、半世紀以上の膿が溜まった拉致という問題を解決するのは1人の総理大臣だけではとても無理であり、国民全体の意思と行動が必要だと思ったのです。

 松原新大臣にはぜひがんばってもらいたいと思いますが、国民の認識として、大臣が代わっただけで大きな変化が起きるという過剰な期待は慎むべきです。逆に、なまじ熱心にやってきた人だけに世論が政府に反発しないようにするための弾よけに使われる可能性もあります。

 金正日の死亡というチャンスを逃すことはできません。これまでの常識をかなぐり捨てて、国民の力で拉致被害者を絶対に取り返すという意志と行動が必要であり、その上で大臣に活躍してもらえればと思う次第です。

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2012年1月12日

魚を買いながら泣く女性

231226

 朝鮮労働党機関紙「労働新聞」12月26日付のグラビアページ(?)の一部です。他の写真がどんな写真か大体想像できると思いますが、どれも中段左の写真のように慟哭したり、下段の写真のように忠誠を誓ったり、上段の写真のように花輪に雪がかからないようにしているなどの写真です。
 ところで、中段右側の写真を見ると魚を買っているオバサン1人が泣いていて周りの女性は皆淡々とした顔をしています。
 「アイゴー、金正日同志が亡くなってしまうなんて…」「いいから早くお金払ってよ」
 まさかそんなやりとりではないでしょうが、他の人は泣いていなくて大丈夫なのかと心配になります。
 労働新聞の他の写真を見ても群衆は最前列で泣いている人だけでなく、後ろでただ立っているだけの人が写っているものがあります。そうせざるを得なくなってきたということでしょうか、。


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2012年1月10日

予備役ブルーリボンの会声明文

昨日付で以下の声明文を発表しました。
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北朝鮮の現状と予備役ブルーリボンの会の今後の活動について

 昨年12月19日の金正日死亡に関する発表はその後死亡の場所が公式発表と異なることが明らかになっており、死亡した日時も信頼できるものではないが、一方で三男金正恩への後継の動きが続けられている。12月30日には最高司令官に就任した。

 激しい権力闘争を勝ち抜いて後継者の地位を手にし、さらに20年以上の「助走期間」の後に父金日成の死を迎えた金正日と異なり、2010(平成22)年に初めてメディアに姿を現した金正恩が北朝鮮において自らリーダーシップを振るえるとは考えられない。今後の展開については十分な注意が払われるべきである。

 北朝鮮では金日成の死後金正日のもとで200ないし300万人と言われる人々が飢餓によって命を奪われ、「深化組事件」では2万5千もの人々が粛清された。今も約20万の人々が政治犯収容所で動物以下の人権侵害を受けており、危険を冒して北朝鮮を脱出する人々は後を絶たない。そして、そのような状態の中でも核・ミサイルの開発は続けられている。

 我々にとって最大の関心事である日本人拉致問題は10年前の第一次小泉訪朝で被害者5人が帰国して以来誰一人として救出が実現していない。政府の認定拉致被害者は17名だが、実際には遥かに多くの日本人が拉致されており、その救出が実現しないことは北朝鮮以上に日本の問題と言える。しかし、近い将来に我が国政府が拉致被害者救出を自ら決断することは期待できない。一方で家族も、そして被害者も高齢化が進んでいる。

 我々は軍にかかわる者として、拉致被害者の救出実現を自らの責務と考え本会を結成し、活動を続けてきた。金正日の死亡という転換点、場合によっては最後のチャンスにあたり傍観者であることは許されないと考える。拉致に関わった者の責任は消えるものではなく、当然報復の対象となるが、自らが犯した罪を悔い改め我々に協力すれば相応の評価をするものである。その認識のもとに我々は今後以下の方針で拉致被害者救出のため行動する。

1、北朝鮮国内外の朝鮮人民、特に軍関係者に対し国家再生のために蹶起するよう呼びかける。そして、その目的のために勇気を持って立ち上がる朝鮮人民及び軍人がいれば、拉致問題の解決を条件に、我々は支援と協力を惜しまない。

2、朝鮮人民軍を中心とし、日本国内の協力者も含め拉致問題の解決に資するための情報活動を進める。

3、万が一にも拉致被害者にこれ以上の危害が及べば、我々は、北朝鮮当局のみならず日本国内も含めこれに加担したものに対し、あらゆる手段を行使して攻撃に転ずる。

  平成24年1月9日
予備役ブルーリボンの会代表 予備1等陸曹 荒木和博

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2012年1月 4日

平田信

※当初平田信の名前を「誠」としていました。修正しました。
【調査会NEWS1117】(24.1.4)

■平田信
         荒木和博

 別にオウムと北朝鮮の関係についての話ではありません。

平田信が出頭しようとしてオウム真理教の情報を求めるフリーダイヤルに何度電話してもつながらず、直接行っても警官に相手にされずたらい回しにされたという話は、「踊る大捜査線」あたりのネタになりそうですが、拉致問題に関わっている目で見ても「まさか」ではなく「そうだろうなあ」と思わずにはいられません。

 現場の警察官はそれなりに職務を忠実にこなしているのでしょうが、おそらく入ってくる情報はガセネタやイタズラ、あるいは攪乱情報のようなものばかりであるはずです。それに慣らされた結果が本物を見落としてしまうということだったのでしょう。上の方もルーチンワークになって、とりあえずやっておけば良いということだったのだろうと思います。

 今後マスコミに叩かれ、国会でつっつかれたりすれば、やることは言い訳を探すのと現場に対して無理な要求を押しつけるだけでしょう。ドラマの「相棒」で上司が部下に「何かあったら俺は知らなかったことにする」というセリフがありましたが、笑い話では済まされません。

 本当にこの間の警察の方針が平田をはじめとするオウムの逃亡幹部を見つけようとするものだったのか、あるいは「捕まえると後が面倒なので、出てこないままでいてくれた方がありがたい」というものだったのか、検証の必要があります。もちろん現場で大変な苦労をしたであろう、私たちの目に触れない捜査員の方々には敬意を表した上でのことですが。

 拉致問題に置き換えれば、被害者を救出し、国内の実行犯を検挙してスパイ組織を壊滅させ拉致問題を解決しようとするのではなく、警察が拉致問題で長年積み重ねてきた不作為を隠そうとしてきたのではないかということです。外事畑のことは刑事事件と異なり警察庁直轄ですからそれをしてきたのは現場ではなく、警察庁警備局の歴代幹部の責任でしょう。ちなみに歴代幹部の中には過激派との関係を噂されている人物もいるのだそうです。

 そしてさらに言えばそのような構造を(警察だけではなく、また拉致以外の問題も含めて)何十年もの間許してきた政治の問題でもあると思います。そうなるとその民主主義の中でその政治を許してきた国民の責任に最後はかえってしまうのですが。

 ひょっとしたら元工作員や、場合によっては現役の工作員などから様々な情報がこの間上がってきていたのかも知れません。今からでももう一度、情報の収集や精査の仕方の見直しが必要だと思います。私たちも今年は、これまでやってきたことをもう一度見直そうと思っている次第です。

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2012年1月 3日

呉克烈

【調査会NEWS1116】(24.1.3)

■呉克烈
         荒木和博

 予想以上に早く最高司令官になった金正恩ですが、父親同様画像だけで声は聞こえてきません。祖父金日成に体型から髪型まで似せたのはほとんどコメディですが、せめて服装くらいオリジナリティを出したらどうかと思います。金正日はあのジャンパーでそれなりの自己主張(?)をしていたのですから。

 ところで、今の北朝鮮人民軍の中心となっている李英浩らの、韓国流に言えば「新軍部」に疎外されている将軍の一人に呉克烈・国防委員会副委員長がいます。私はこの人に長い間関心を持っていたのですが、最初に名前を聞いたのがもう20年以上前、金日成が生きていたときのことでした。亡命した高英煥・元北朝鮮外交部課長に「次の時代の北朝鮮を担う人材は?」と聞いたときに、彼は「呉克烈大将か李鐘玉副主席」と言っていました。李鐘玉は1999年に死亡しましたが、呉克烈は今もそれなりに軍内に影響力を持っているものと推測されます。

 先日の国家葬儀委員会の序列も29位で、高くはないものの金正日と普段現地視察に同行していた現哲海(59位)や朴在京(62位)よりは遥かに上です(階級は3人とも同じ大将)。呉克烈は1979年、40代で人民軍総参謀長に就任、しかも圧倒的に陸軍の影響力の大きな北朝鮮で空軍出身という異色の存在でした。在任中政治将校の権限を弱めて人民軍の作戦能力を高めようとして解任されとされたと言われています。金日成に切られたという説と金正日に切られたという説と両方あるようですが、その後も軍に大きな影響力を持ってきました。息子が米国に亡命したとの説もあり、一方で中国と太いパイプがあるとも言われます。今後の動向が注目されます。

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2012年1月 2日

情報

【調査会NEWS11154】(24.1.2)

■情報
         荒木和博

 年末、元CIA東アジア部長のアーサー・ブラウンさんからメールが届きましたそこには以下のように書かれていました(ご本人の了解を得て転載しますが、私の下手な訳なので若干ニュアンスが間違っているかも知れません)。

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 あまり注目されていませんが、金正日の死についての一つの側面は「インテリジェンスの失敗」です。

 米国政府は、金正日の死を北朝鮮のテレビが発表するまでの51時間(おそらくはもっと長い間)知りませんでした。

 なぜそれが分かるのか。李明博韓国大統領はその51時間前の時点日本を訪れていました。
金正日の死のことを知っていたなら米国は李明博大統領に伝えたでしょう。そして彼は当然韓国の対応を指揮するためにソウルにとどまったでしょう。

 これは過去18か月で二番目の大失敗です。その前はロスアラモス研究所の元所長シッド・ヘッカーへの寧辺での北朝鮮の高濃縮ウランプログラムの公開でした。私たちは10年間以上そのプログラムを見つけることに失敗しました。そして北朝鮮は我々の目と鼻の先にある寧辺でそれを作りました。

 金正日の死によって引き起こされたに違いない大騒ぎや寧辺での1,000台の高濃縮ウラン施設の大型機器建設をつかむことができなかったいうことは、米国の政府が拉致被害者について何も知ることはできないということです。そのインテリジェンス能力はあまりにも貧弱だと言わざるを得ません(延坪島砲撃や「天安」撃沈のような作戦情報はこれに含みません。それらは別の、もっと理解しやすい問題です)。

 これはあらためて日本が独自の、より強い、独立したインテリジェンス能力を持つ必要性を強めるものでしょう。
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 要はアメリカ頼みでは解決しないということです。もちろん同盟国として協力を依頼することはあっても、日本が主体的に動かなければ協力のしようがないでしょう。

 今年は各国首脳が替わるためにそれぞれの国に大きな変動が予想されます。考えてみればしょっちゅう総理が替わっている日本はそのショックが少ないというメリット(?)があるのかも知れません。こんな現状ですが、それを踏まえて動かせるようにしていくことが必要だと思います。

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