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2012年3月31日

萩本弘子さん・哲さん・明宏さんの人権救済申立書

【調査会NEWS1167】(24.3.31)

 萩本弘子さん・哲さん・明宏さん(昭和50年に兵庫県高砂市失踪した萩本喜彦さんの奥さんとお兄さん)の人権救済申立書のうち、共通共通の部分以外についてお知らせします。

4 申立の理由

1.被害者萩本喜彦の失踪時の状況

   萩本喜彦(以下、喜彦という)は、1940(昭和15)年1月15日に生まれ、失踪当時兵庫県高砂市中島に住んでいた。

   喜彦は1955(昭和30)年4月神戸製鋼に入社し、失踪時は同社高砂工場の電気保全係として勤務していた。

   1975(昭和50)年4月4日午後9時55分頃(当日は夜勤であった)、自転車で家を出て約2キロ離れた職場に向かったまま自転車ごと消息を絶った。家族、同僚などで探したが本人はもとより自転車をはじめ一切の遺留品らしきものも見つからなかった。その後地元新聞などに記事が掲載されたが全く情報はもたらされなかった。

 2.申立人らのその後の行動

  小泉総理訪朝で5人が帰国すると家族は喜彦の失踪が拉致ではないかと考えるようになった。翌2003(平成15)年1月10日、特定失踪者問題調査会(以下、調査会という)が設立されると家族は調査会に連絡し、2005(平成17)年2月25日に特定失踪者として公開された。さらに2008(平成20)年10月30日に調査会は拉致の可能性の高い、いわゆる「1000番代リスト」に喜彦を載せているが、日本国内では全く情報が出てきていない。

3.拉致以外の可能性について

   本件失踪は、喜彦が500万円のローンを組んで購入した新居に住んで数ヶ月で、3人目の子供が出来て直ぐの出来事である。遊ぶ余裕もなく、実直な家庭人であった。失踪後も人間関係、金銭等のトラブルは一切聞かれず、一つとして自らの意思による失踪の理由が見当たらない。また、事故の形跡もなく、もちろん目撃者もいない。

4.拉致の可能性が高いと考える理由

  以下に述べる事情から総合的に判断すると、喜彦は、北朝鮮当局により拉致された相当の疑いがある。

ア 亡命者による目撃情報

    本件については元北朝鮮工作員で1976(昭和51)年韓国に亡命した金東赫による目撃情報がある(添付資料1)。同亡命者は、喜彦の写真を示されこの人物を数回にわたって目撃したと証言し、具体的に証言する人物像は実際の喜彦に近似している。一般に写真はそのときの表情や髪型などによって同じ人間でも大きく印象が異なるものだが、喜彦の写真はどれも大きな印象の違いはなく、金東赫の記憶も信頼できる。

イ 失踪前後の不可解な出来事

    失踪1ヶ月前頃、住居近くの新幹線ガード下に一人の男性が長時間立ちすくみ、家族で注意を促し合ったことがある。

    失踪翌日には、申立人である長兄、萩本哲宅に無言電話があった。義姉が出て咄嗟に「喜彦ちゃんどうしたん」と尋ね、「お母さんが心配して倒れ入院した」と言うと電話が切れた。転居直後で、喜彦自宅は電話帳に記載がなかった。数日して、男からの電話で、「お母さんの病気てほんまか」との電話があり逆に、「喜彦はどこにいるのか」と聞くと直ぐに切れた。

    その1ヶ月後の6月に入って直ぐに、坂田義勝と名乗る男から、「家の前で喜彦さんが事故をおこし、私の息子ということにして入院している」との不思議な電話がある。その2、3日後に坂田文子なる女性から同じ内容の葉書が届いた。家族は差出人住所を訪ねたが、坂田なる人物は存在しなかった。以上は攪乱工作と思われる。同様の不審電話等のかかった特定失踪者は少なくない。

    また喜彦は、電機工事士、アセチレン溶接士の資格を有し、神戸製鋼所高砂工場で、3本の指に入る優秀な技術者であった。失踪時の北朝鮮は優秀な技術者、優秀な指導者を必要としており、格好の対象者であったと思われる。

ウ 生活圏に大物工作員が居住

    後に序列22位まで上り詰めた北朝鮮の大物工作員「李善実」は日本に密入国後、北朝鮮に帰国事業で渡った「申順女」に成り代わり(添付資料2)、申順女の異母弟の申性福に近づいていった。同人は「私があなたの姉の申順女だ」と名乗り、申性福を騙し、1970年1月から同居する。この同居した地が高砂市伊保町梅井137であり、喜彦住居から約2キロメートルの地点にある。現時点で喜彦と李善実の接点は見つかっていないが、もとより拉致には対象の選定から誘導、見張り、実行部隊等相当の人数が必要であり、地域の事情を分かる人間が必ず存在する。時期的に重なることもあり、何らかの関係があった可能性は否定できない。

4.本件申立に至った理由

   喜彦の失踪から既に37年が経過しているが、数次の報道等がなされたにもかかわらず日本国内からは一切情報が出てきていない。これは情報の出ない地域にいるということを示唆するものである。金東赫の情報は身長や年齢等喜彦とほぼ一致しており、信頼におけるものと思われる。

   そこで、日本政府・警察庁はあらためて北朝鮮による拉致を念頭においた対応を直ちに講ずるべき責務があると言うべきであり、本件申立に至ったものである。

添付資料

1 金東赫・元工作員インタビューとそれを収録したDVD及びこれを文章化したもの
2 申順女身元調査票・身元確認書(韓国政府作成)

     2012年3月23日

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2012年3月30日

【調査会NEWS1166】(24.3.30)

■1万キロ現地調査 第7回(神奈川)について

 4月4(水)、第7回の1万キロ現地調査を行います。報道関係各位にはご多忙中恐縮ですが取材方よろしくお願い申し上げます。

●日程概要
※変更の可能性があります。当日の道路状況などによっても時間がずれる場合がありますので報道関係の方は予めご了承下さい。また、どの時点でも取材は自由ですが、移動手段については各自ご準備をお願いします。

9:20  JR桜木町駅・改札前集合
9:30出発(マイクロバス・以後解散まで)
10:10   河嶋功一さん最終失踪関連地点(横浜市金沢区洲崎町)調査  
11:30   八尾恵関連調査(横須賀市米が浜通)
13:10 齋藤正治さん最終失踪関連地点 (県立横須賀高校他)調査・「しおかぜ」収録
13:30 出発 (逗子・齋藤正治さん居住地跡)     
14:10 高松康晴さん・岩佐虎雄さん最終失踪関連地点(鎌倉・材木座海岸)調査 
15:20 寺島佐津子さん最終確認地点 (横浜市戸塚区汲沢町・米軍深谷通信施設等)調査・しおかぜ収録
16:00 ぶら下がり会見・終了後解散
       
●参加者
ご家族:齋藤良治さん・大澤茂樹さん・横田滋さん・ 寺島六郎さん・寺島イツ子さん(失踪・拉致時期順)
県:水田理事・船本課長
救う会神奈川:川添会長
コスモスの会:山本代表
調査会:代表荒木・副代表岡田・専務理事村尾・常務理事曽田・常務理事杉野・常務理事武藤

●お問い合せ 担当杉野携帯:090−4061−8722

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2012年3月29日

松原大臣に報告・要請

【調査会NEWS1165】(24.3.29)

 本日12:30、第2次人権救済申立の関係者が国家公安委員長室に松原大臣を訪れ、23日に行った人権救済申立について報告し、政府としての対応を求めました。

 今回は申立人の仲條富夫さん(加瀬テル子さんの親戚)、生島馨子さん(生島孝子さんのお姉さん)、藤田隆司さん(藤田進さんの弟さん)と代理人で法律家の会事務局長の土田庄一弁護士と調査会から荒木・村尾・杉野・曽田・三宅の各役員が参加しました。

 まず、3人のご家族からそれぞれの申立書及び添付書類の写しを大臣に手渡し、その後土田弁護士より残り4家族5人分の申立書及び添付書類を渡しました。また、これまで集められた41,767人分の署名を届け、政府の積極的な対応を求めました。

 大臣からは日弁連の人権救済申立は第一次の折の16人中1人が政府認定、2人が警察断定になっており、今回も日弁連で審査が行われると理解しており、重視していきたい。との話がありました。

 第1回の人権救済申立は申立から1年2ヶ月後に日弁連から総理・外相・警察庁長官への要請文書が出されていますが、このときは全く初めてのことであり、今回についてはより早くに結果が出るものと期待されています。調査会では引き続き第3回以降の準備も進める予定です。

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2012年3月28日

生島馨子さん・敦子さんの人権救済申立書

【調査会NEWS1164】(24.3.29)

 生島馨子さん・敦子さん(昭和47年に東京都渋谷区で失踪した生島孝子さんのお姉さんと妹さん)の人権救済申立書のうち、共通部分の後、申立の理由以下をお知らせします。

4 申立の理由

1.被害者生島孝子の失踪時の状況

   生島孝子(以下、孝子という)は、1941(昭和16)年6月14日生まれであり、失踪当時東京都渋谷区笹塚3−23−4に申立人である妹敦子と住んでいた。

   孝子は1960(昭和35)年3月東京都立渋谷高校を卒業し、一旦就職した後電話交換手の資格を取得し失踪当時は港区役所麻布支所で電話交換手として勤務していた。

  1972(昭和47)年11月1日、当日1日の年休届けを出して休む。朝出勤する敦子に「夕方に電話があったら出かける」と言っていたが詳しいことは言わなかった。15時頃近くのクリーニング店に多くの衣類を出している。敦子が夜帰宅すると孝子は出かけていた。家の中は一日中家事、特に秋冬の衣類の入れ替えを行った形跡があり、翌日出勤時に着る服一式が揃えてあった。しかしその夜何の連絡もなく帰宅しなかった。

   連絡なしに外泊するのは初めてだったため敦子は翌2日申立人である長姉馨子に連絡した。同日22時頃自宅に電話があった。無言の状態がしばらく続き、その後男の声で「今さら仕方ないだろ」と言って切れた。警察に捜索願いを出したのはその翌日、11月3日であるが、成年者の失踪ということもあり警察は届けを受理したのみで捜査はしていない。

2.申立人らのその後の行動

   家族はその後読売・朝日・毎日の全国版に2回尋ね人の広告を出した。また事故で記憶喪失になり収容されていないかと考え東京及び近県の精神病院にも手紙を出した。テレビを通じての呼びかけも行った。また、身元不明遺体の確認等にも出向いた。しかし、あらゆる手段を尽くしたにもかかわらず日本国内においては全く消息が不明のままであった。

 1987(昭和62)年11月の大韓航空機爆破事件で犯人金賢姫の日本人化教育の教官李恩恵(田口八重子)のことが明らかになり、家族は孝子の失踪が北朝鮮による拉致ではないかと考えるようになった。そして小泉訪朝後の2002(平成14)年11月、救う会(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)に連絡し、翌2003(平成15)年1月10日の特定失踪者問題調査会(以後、調査会という)設立とともに特定失踪者(北朝鮮による拉致の可能性の排除できない失踪者)として発表されている。この発表はNHKが生中継を行うなどメディアでも非常に大きく取り上げられた。調査会ではさらに2004(平成16)年7月29日には拉致の可能性の高い失踪者、通称「1000番台リスト」として発表している。東京都も孝子を含めた東京での失踪者の顔写真のポスターを都の建物や都営交通機関の駅などに多数掲示し、情報を求めている。それでも有効な情報は全くもたらされていない。

3.拉致以外の可能性について

ア 自らの意志による失踪

    休暇を取得したのが1日のみであり、クリーニング店に衣類を出し、自宅にはハンドバックや財布も残っていた。翌日出勤する準備もしており、少なくとも本人が長期にわたって失踪しようとしたとは考えにくい。

イ 事故及び一般の事件

    家族は前述のように新聞広告やテレビでの呼びかけなど広範囲に情報提供を求めたもののまったく消息がつかめていない。特定失踪者問題調査会設立後も大きく報道されながら全く情報がなかったことから、通常の事故ないし一般の事件とは考えにくい。

 3.拉致の可能性が高いと考える理由

ア 目撃情報

    ドイツに在住していた韓国人学者呉吉男は北朝鮮と関係の深かった音楽家尹伊桑に誘引され、家族を連れ1985年11月北朝鮮に入った。その後1986年11月に家族を残し出国したまま北朝鮮には戻らず、現在韓国で家族を救出する運動を行っている。

    呉吉男は北朝鮮で政府認定拉致被害者石岡亨と思われる男性及び生島孝子と思われる女性を目撃している。以下は2004(平成16)年1月21日、ソウル市内の自宅に呉吉男を調査会代表荒木和博が訪ねたときの記録である。

 その女性と会ったのは1986(昭和61)年。当時自分は44歳で、住んでいた場所は平壌市中区域東興洞、蒼光通りに面した平壌駅前デパート横の20階建てアパートだった。自分はその12階に住んでおり、その女性もそこに住んでいたが、建物の中で顔を合わせたことはなかった。ひとつの階に6〜7世帯が入っており、工作員が住んでいた。当時この女性はご主人が外国に出ていたようだ。自分と同じ位の年格好に見えた。子供がいたかどうかは不明。

    その女性はトロリーバスに乗ってきた。中庭で会い、北朝鮮の人と異なった印象を受けた。憂愁を帯びたような感じ、清潔な印象。丸顔で印象は生島孝子さんとお姉さん(馨子さん)の写真と似ている。身長は155センチ程度ではないか。

    知的で、少なくとも高校くらいは出ていた感じ。大人しい、静かな感じの人。ツーピースの服を着ていた。

    その女性の方から「ヨーロッパから来られたのでしょう」と声をかけてきた。「(自分は)日本語を教えています」とも言った。

    その後もう一度見かけた。人からその女性が日本語を教えていると聞いた。

   蒼光通りには食堂が多い。半分外貨、半分北朝鮮ウォンでやる食堂で朝鮮総聯関係者が多かった。こういうところに出入りする人間はこの女性を見た可能性がある。

 以上の発言は添付資料のテレビ番組での発言とほとんど矛盾がない。また、同添付資料からも分かるように、呉吉男はこの年6月29日に訪韓した馨子と直接面会し、孝子と印象が似ていることを証言している。またその後来日して母うら(2005年2月7日死去)及び敦子とも会って同様の証言をしている。

    なお、孝子は失踪当日年休をとっており、また敦子に「電話があったら外出する」旨伝えている。一方でバッグや財布は残っていた。これは何者かに誘引され、本人は短時間のつもりで自宅を出て拉致されたことを示唆するものである。ちなみに同様のケースは他の特定失踪者でも多数存在する。

イ 他の可能性

    上記のように孝子には長期にわたって家族と関係を断って失踪する理由が見当たらず、また失踪状況も短時間の外出を思わせるものであった。さらに拉致の可能性のある失踪者として再三報道されたにもかかわらずその後の情報が一切ないことは、事故でもなく、情報の出てこない場所にいる可能性が少なくないことを意味している。

4.本件申立に至った理由

   申立人らは前述のように家族としては可能な手段を尽くし消息を求めたが情報は得られなかった。また特定失踪者問題調査会発足と共に「拉致の可能性の排除できない失踪者」として発表され、後に「拉致の可能性の高い失踪者」のリストにも上った。

  2004(平成16)年5月には警視庁に対し、被疑者不詳(某)・国外移送目的略取誘拐の罪で刑事告発しているもののその進展は伺えない。

   孝子が忽然と消えて以来、家族らは片時も孝子のことを忘れたことはなく、ひたすら本人の救出を待ち続けている。

   以上の理由から今回あらためて北朝鮮による拉致を念頭においた日本政府・警察庁の対応を求めるべく、本件申立に至ったものである。

添付資料
1 呉吉男証言(2004年10月3日放送「JNN 報道特集『失踪女性北朝鮮で目撃!99歳の母は』」=音声を起こしたものと録画したDVD)

2 生島馨子著『うらさんの祈りはダイヤモンドになって』(文芸社・2006年)

     2012年3月23日
  申立人ら代理人
  弁護士 川 人   博
  同   土 田 庄 一
        外6名
     (別紙代理人目録記載のとおり)

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前山利恵子さん・光秋さんの人権救済申立書

【調査会NEWS1163】(24.3.28)

 前山利恵子さん・光秋さん(昭和46年に鹿児島県大崎町で失踪した園田一さん・トシ子さんのお嬢さん夫妻)の人権救済申立書のうち、共通部分の後、申立の理由以下をお知らせします。

4 申立の理由

 1.被害者園田一・トシ子の失踪時の状況
   園田一(1918〔大正8〕年2年25日生まれ。以下、一という)・トシ子(1929〔昭和4〕年9月7日生まれ。以下、トシ子という)は、1948(昭和23)年に結婚し鹿児島県曽於郡大崎町野方4627番地に居住して2男3女をもうけた。申立人の前山利恵子は長女であり、光秋は利恵子の夫である。

 一は農業を営む傍らダム工事に従事したり東京に出稼ぎに行っていたが1969(昭和44)年、大手資本によって地元に養鶏会社ジャパンファームが設立されるとそこに勤務するようになった。
 
  一とトシ子は1971(昭和46)年12月30日午前11時頃、大阪から帰省する次女博子を宮崎空港に迎えにいくために自家用車(マツダファミリア)で自宅であるジャパンファーム管理人宿舎を出て宮崎空港に向かった。博子は通常帰省するときは鹿児島空港を利用していたが、このときは年末で鹿児島行きの便が満席だったため、この年は宮崎行きの便を予約した。

   自宅を出る前にジャパンファームの助手に「ガソリンスタンドに寄って、国道269号線(大崎町〜都城市〜宮崎市)を走っていく。帰りに三女節子(当時鹿屋市在住)の成人式用の晴れ着を博子に見てもらうため都城の大丸デパートに寄って帰る」、「(次男俊一を残したままなので)遅くとも7時頃までには帰るので待っていて欲しい」と言っていた。

   その後自宅から国道269号線に出てまもなくのガソリンスタンドで給油したが、店員が「どちらへ行きますか」と聞いたのに対し、一は「娘を迎えに宮崎空港に行く」と答えた。

   博子の乗る予定だった宮崎空港行きの飛行機はこの日濃霧のために欠航した。自宅に連絡が入ったのは一とトシ子が出発した後だった。

   午後8時になっても2人が帰らないので助手たちは帰宅し、俊一のみが自宅で帰りを待ったが帰ってこないので、翌31日会社に連絡し、駐在所に届け、1月3日に志布志警察署に届けた。31日から親戚や地元の住民、警察他総出で宮崎空港までの国道269号線と都城から別ルートで宮崎に至る国道10号線を中心に捜索を行うが、自家用車も発見されず、事故の形跡や車の破片も見つからなかった。チラシ5000枚を印刷し、1週間にわたって空港までの道のりを連日捜索したが手がかりがなかった。以後日本国内においては全く情報のないままに今日に至っている。

   一方、脱北者からは何件かの目撃情報が寄せられている。その一部が添付資料1である。

 2.拉致以外の可能性について

  ア 自らの意志による失踪

    帰省する娘を迎えに行くための外出であり、職場の助手に帰宅の時間を示しており、当時仕事上のトラブルや家庭内の問題も特に存在していなかった。子供を残して夫婦が自らの意志で失踪する理由は見当たらない。

  イ 事故

    運転を誤って転落した等については前記のように国道269号線及び10号線を何度も調べており、今日まで41年にわたってその形跡と思われるものは見つかっていない。

ウ 一般の事件

    他者が故意に行ったとするのであれば動機が必要だが、成年の男女を誘拐して身代金を要求するとも思えず、実際にそのような電話がかかってきたこともない。特に怨恨を買うと思われる状況でもない。

3.拉致の可能性が高いと考える理由

ア 他の可能性が想定されない

    前記2.の通り、他の理由による失踪の可能性は極めて低いと言わざるを得ない。また、車両が発見されていないことは、自動車をも処分できる大規模な組織が動いていたことが想像される。

イ 亡命者による目撃情報

    添付資料1の目撃情報をはじめトシ子については複数の目撃情報が存在する。
    これら情報は具体的でありトシ子を推認させるに十分である。
ウ 鹿児島に関わる北朝鮮による工作事案

    2人が失踪する2ヶ月余り前の1971(昭和46)年10月2日、揖宿郡頴娃町(現南九州市)の馬渡海岸にゴムボートに乗った工作員が上陸し、地元住民に発見されている(添付資料2)。 2001( 平成13)年の「九州南西海域における工作船事件」で沈没した北朝鮮工作船からも薩摩半島南東部の海岸線に沿った陸域の地形や施設等が示された地図が発見されている。また、元朝鮮総聯幹部韓光煕の著書『わが朝鮮総連の罪と罰』にある38箇所の侵入ポイントの中には出水郡野田町、阿久根市佐潟、市川修一・増元るみ子(拉致認定者)拉致の吹上浜及び大隅半島の南端佐多岬の4か所が入っている(別添資料3)。時期を問わず鹿児島県が工作活動の舞台となっていたことが分かる。

  エ 以上のことからすれば、一及びトシ子が北朝鮮当局に拉致された疑いが極めて濃厚といわざるを得ない。

4.本件申立に至った理由

   申立人は2002(平成14)年9月17日の小泉総理訪朝で北朝鮮が拉致を認め、翌日帰国した5人の中に政府が拉致と認識していなかった曽我ひとみがいたことから、2人の失踪が拉致ではないかと考え、拉致被害者を救出するための民間団体であった「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」に問合せ、その内容は翌2003(平成15)年1月に設立された「特定失踪者問題調査会」(以下、調査会という)に引き継がれた。

   調査会では2人の失踪状況から拉致された可能性があるとして特定失踪者(北朝鮮によって拉致された可能性が排除できない失踪者)リストに入れ、同年2月10日に発表した第2次リスト44名のうち2名として公開した。さらに2004(平成16)年5月21日には拉致の可能性の高い失踪、通称「1000番台リスト」として発表している。

   現時点で詳細な情報はトシ子のもののみだが、一も全く国内における痕跡がなく、トシ子が拉致されているのであれば同様に拉致されていると推認される。これは曽我ひとみとミヨシの関係と同様である。2人ともすでに高齢になっており、一刻も早い対応が求められる。
 
申立人らは2004(平成16)年5月21日、被疑者不詳・国外移送目的略取誘拐の罪で刑事告発(鹿児島県警察本部)しているが、その後進展は見られない。

 そこで、あらためて北朝鮮による拉致を念頭においた日本政府・警察庁の対応を求めるべく、本件申立に至ったものである。

添付資料

1 園田トシ子の可能性のある女性に関する資料(特定失踪者問題調査会作成)
2 北朝鮮工作員の上陸と工作船の逃走を報じる地元紙「鹿児島新報」1971(昭和46)年10月3日付コピー
3 韓光煕『わが朝鮮総聯の罪と罰』(文藝春秋)関連部分

     2012年3月23日

  申立人ら代理人
  弁護士 川 人   博
  同   土 田 庄 一
                     外6名
         (別紙代理人目録記載のとおり)

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2012年3月27日

日高シヅさんの人権救済申立書

【調査会NEWS1162】(24.3.27)

 日高シヅさん(昭和42年に東京都新宿区で失踪した日高信夫さんのお母さん)の人権救済申立書のうち、前号でお知らせした共通部分の後、申立の理由以下をお知らせします。

4 申立の理由

1.被害者日高信夫の失踪時の状況

   日高信夫(以下、信夫という)は1944(昭和19)年11月27日鹿児島県大島郡十島村で、父日高實矩と申立人である母日高シヅの長男として出生した。

   信夫は鹿児島県立鹿児島実業高校商業科を卒業して上京し、東京都新宿区水道町4丁目所在の三晃印刷株式会社に就職した。失踪当時は同社に勤務し、会社の寮に居住していた。

   三晃印刷に印刷工として5年間勤務したが、信夫が22歳の1967(昭和42)年9月頃、「大阪で新しい仕事が決まった」というので、会社の同僚に上野駅まで見送られたのを最後に行方がわからなくなった。

 2.拉致以外の可能性について

   信夫は「大阪で新しい仕事場が決まった」と周囲に話しており、会社の同僚で同年代の友人も上野駅まで見送りに来ていることから、状況的に見ても自ら失踪をしようとしているとは考えられない。

   信夫には、当時、勤務先でも特段のトラブルはなく、会社の同僚の記憶によれば、「会社を辞める理由がなく、大阪方面に行ったような状況ではなかった」とのことで、いつの間にかいなくなったとのことである。現に本人から「他に就職できた」等の連絡は、会社の同僚はもとより郷里の家族にもないままに今日まで44年が経過している。

   特定失踪者問題調査会(以下、調査会という)が平成15(2003)年1月、信夫の失踪についてマスコミ等に公開し、情報を呼びかけてからでも既に9年経つものの、日本国内における失踪後の情報は皆無である。このことからも日本国内に生存し居住している可能性は低いと見るべきである。

 3.拉致の可能性が高いと考える理由

  ア 目撃情報

    2006 (平成18)年8月1日、日本の報道関係者より調査会に「日高信夫さんによく似た人物を、ピョンヤンで目撃したという脱北者と韓国で面会した」との報告があった。

    この脱北者は2003(平成15)年に北朝鮮から脱北した元朝鮮労働党の軍事教官であるが、身柄の安全を確保するため、氏名は公表されていない。

    脱北者によれば、

(1) 1994(平成6)年に、平壌の病院で会った。その人物は朝鮮語が下手だったので、朝鮮人ではないと思った。その時に、その人物は印刷に関係する朝鮮語の書物と日本語の書物(内容は不明)を読んでいた。何回も彼と会ったが、いつも何かの本を読んでいた。

(2) ピョンヤンにある印刷工場で働いているとのことだった。その工場は、平壌にある普通の印刷工場である。

(3) 背が低く、眉毛が濃い人物だった。隙歯だった。

(4) (日高信夫さんの写真を見て)この人によく似ている。

    と証言し、脱北者はさらに歩き方に特徴があること、胃の病気で入院していること、幽霊の話をしていたことなど、北朝鮮で面会した人物について詳細な証言をしている。その内容は資料2の通りである。

    この報告を受けた調査会は、鹿児島市在住の申立人ら家族に当該の目撃証言について確認したところ、本を読むのが好きだったこと、身体的特徴が似ていることなど、様々な点で信夫の特徴と一致している。また信夫は子供の頃から胃が弱かったこと、怖い話をして弟を怖がらせていたことなど、家族以外知りえない事実においても一致する部分があることがわかった。

    8月4日、調査会は記者会見において目撃証言について公表すると共に、10月6日信夫の会社の同僚などから当時の信夫の特徴や趣味趣向などを聞きとった上で、韓国において証言した当該脱北者に面会を求め、信夫の別の写真を見せるなど確認作業を行った。

    その結果、多くの点で信夫の特徴と一致する点が見られたため、脱北者が面会した当該人物は信夫である可能性が極めて高いという確信を得て、調査会は10月13日、信夫を「拉致の可能性が高い」とする通称「1000番台リスト」とした。
(目撃者の証言と関係者の証言の比較については別紙資料2のとおりである)

  イ 印刷関係者の失踪が集中的に見られること

    調査会が調査する特定失踪者約470名の中には、1960年代後半から1970年代前半を中心に、印刷関係者が集中的に失踪していることが報告されている。1990年代以降、北朝鮮による精巧な偽造紙幣が世界中でしばしば流通したが、その印刷技術は北朝鮮国外から導入されたものであることが指摘されている。

    特定失踪者の中では、職業、年齢、性別、失踪状況などで類似の失踪があることが調査会によって報告されている。このことから印刷工という特殊技能を持つ信夫が、その技術を得ようとする目的で北朝鮮に拉致をされたと考えてもおかしくない。

4.本件申立に至った理由

   申立人らは平成14(2002)年9月17日の小泉小泉総理の訪朝で北朝鮮が拉致を認め、翌月帰国した5人の中に政府が拉致を認識していなかった曽我ひとみがいたことから、信夫の失踪が拉致ではないかと考え、救う会(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)に問合せ、翌2003(平成15)年1月に設立された調査会では前述のように2月10日に特定失踪者第2次リスト44人の1人として発表し、2006(平成18)年10月13日には拉致の可能性の高いとする、いわゆる「1000番台リスト」に入れ大きく報じられた。

   しかし、前述脱北者の目撃証言は、信夫本人の性格や身体的特徴を捉えたものであり、家族しか知り得ない情報を持っているにもかかわらず、政府は確認作業を行ってきていない。2006(平成18)年11月21日万亀男は警視庁に対し、被告発人某・国外移送目的略取誘拐の罪で刑事告発したが、その後の進展はない。

   信夫が忽然と姿を消して以来、父母や弟・万亀男らは片時も信夫のことを忘れたことはなかった。しかし父は2006(平成14)年5月22日、万亀男は2011(平成23)年3月21日、信夫の帰りを待ちわびながら他界した。

   本件拉致行為は、言うまでもなく拉致被害者の基本的人権の侵害のみならず、拉致被害者家族及びその関係者に対し計り知れない苦しみを与えているものである。

 申立人母は、今回あらためて北朝鮮による拉致を念頭においた日本政府・警察庁の対応を求めるべく、本件申立に至ったものである。

添付資料
1 2006年8月4日調査会記者会見資料
2 日高信夫さんに関する目撃証言と、関係者の証言との比較(調査会作成)

     2012年3月23日
申立人代理人
弁護士 川 人   博
同   土 田 庄 一
        外6名
(別紙代理人目録記載のとおり)

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2012年3月26日

仲條富夫さんの人権救済申立書

【調査会NEWS1161】(24.3.26)

 前号に引き続き仲條富夫さん(昭和37年に千葉県海上町で失踪した加瀬テル子さんの親戚)の人権救済申立書のうち、前号でお知らせした共通部分の後、申立の理由以下をお知らせします。

4 申立の理由

1.被害者加瀬テル子の失踪状況

   加瀬テル子(以下、テル子という)は1944(昭和19)年5月4日、父・加瀬次信と母・(石田)ヨシの長女として生まれたが、幼少時に両親は離婚し、再婚した父のもとで千葉県海上郡海上町蛇園3688番地の自宅に居住していた。

   地元の海上町立海上中学校を卒業後、浦安市の木材店に住み込みで働いた後、地元に戻り、父の妹にあたる石毛フサ宅にしばらくの間、住み込みで家事手伝いを行った後、実家に戻っていた。

   1962(昭和37)年4月(日付不詳)、当時横浜市に住む叔母(父の妹)加瀬ヨシ(以下、ヨシという)がテル子を翌日に東京・新宿のコマ劇場に観劇に連れて行くことを思い立ち、テル子の実家を訪れ誘ったところ、テル子は喜んでこれに応じたため、昼食後に叔母・ヨシはテル子に対し「パーマをかけてこい」と言い、自身は実家の離れで翌日の準備をしていた。テル子は午後2時過ぎに実家から徒歩で約20分ほどの距離にある国鉄(現JR東日本)総武本線飯岡駅前の美容室『美保』に行くため、一人で外出した。

   その日、遅くなってもテル子が帰宅しないため、家族が美容室『美保』に確認したところ、テル子はパーマを終えて既に美容室を出ており、失踪が明らかとなった。当初単なる家出と思われていたが、時間が経過してもテル子の所在に関する情報が得られないことから、約2年後に家出人届出が警察署に提出された。

 2.拉致以外の可能性

  ア 自らの意志による失踪
    ヨシから観劇に誘われた際、テル子は喜んで誘いを受け、また、ヨシに勧められて訪れた美容室でも観劇に行くことを嬉しそうに話していたとの証言もあり、自らの意志で失踪したとは思えない。

  イ 事故・一般の事件
    失踪当時の1962(昭和37)年、テル子が実家から美容室『美保』に向かうため利用したと思われる千葉県道 71号(銚子旭)線は当時交通量も少なく事故の可能性は低かった。また、家族が周辺を捜索した際も事故の痕跡は見つかっていない。失踪後、事件を窺わせる情報もない。

 3.その後の状況

 2002(平成14)年9月17日の小泉総理訪朝で北朝鮮が拉致を認め10月15日に5人が帰国すると家族はテル子の失踪を拉致でないかと考えるようになり、従兄弟である申立人仲條富雄が救う会(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)に連絡した。翌2003(平成15)年1月10日の特定失踪者問題調査会(以後、調査会という)設立とともにテル子は特定失踪者(北朝鮮による拉致の可能性の排除できない失踪者)として発表されている。この発表はNHKが生中継を行うなどメディアでも非常に大きく取り上げられた。調査会ではさらに2004(平成16)年5月21日には拉致の可能性の高い失踪者、通称「1000番台リスト」として発表している。

 以上のようにテル子については失踪当時家族などが捜索し、小泉訪朝以降は拉致の可能性が大きく報道されたにもかかわらず、日本国内での情報は全く寄せられていない。

4.拉致の可能性が高いと考える理由

ア 北朝鮮から持ち出された写真

    2004(平成16)年9月、TBS及びフジテレビ関係者が韓国在住の脱北者から入手した日本人女性とされる写真複数が調査会に提供された。

    その中で何らかの「身分証明書」用に使用されていたと思われる数センチ角の証明写真が東京歯科大学・橋本正次助教授の手によってテル子の失踪前の写真と比較鑑定された結果、「人類学的、解剖学的に見て同一人と考えて差し支えないと判断するのが妥当である」との回答を得た(添付資料1、2)。

イ その他の目撃情報

    調査会に対し、2003(平成15)年2月頃から匿名の人物による平壌郊外での目撃情報が寄せられた。情報提供者によれば「加瀬さんに似た女性は千葉の海から来たと言っていた」と述べ、また、拉致被害者として認識はしていないが日本人女性としては認識している口調であり、「千葉」は居住していた海上町あるいは海岸を意味すると思われる。

 5.本件申立に至った理由

   申立人らは、2004(平成16)年10月北朝鮮からの写真情報が明らかになった後、
同年12月17日千葉県警察本部に、被告発人某・国外移送目的略取誘拐の罪で刑事告発し捜査の開始を求めた。そして、これらを根拠に政府が拉致認定をし、北朝鮮当局に所在確認を求め、また帰国への努力をするものと理解していた。しかし今日まで8年間が経過したにもかかわらず、現実には拉致認定はおろか写真についての政府としての評価すら家族には伝えられていない。

   そこで、あらためて北朝鮮による拉致を念頭においた日本政府・警察庁の対応を求めるべく、本件申立に至ったものである。

添付資料
1 橋本正次・東京歯科大学教授(法人類学)による鑑定書
2 JNN(TBS)2004(平成16)年10月15日のニュースの内容を文章化したもの

申立人代理人
弁護士 川 人   博
同   土 田 庄 一
        外6名
(別紙代理人目録記載のとおり)

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2012年3月25日

天内みどりさんの人権救済申立書

【調査会NEWS1160】(24.3.25)

 天内みどりさん(昭和35年に秋田県秋田市で失踪した木村かほるさんのお姉さん)の人権救済申立書のうち、前号でお知らせした共通部分の後、申立の理由以下をお知らせします。

4 申立の理由

1.被害者木村かほるの失踪時の状況

   木村かほる(以下、かほるという)は、1938(昭和13)年8月27日生まれで、失踪当時秋田県秋田市中通6-1-63の日赤秋田高等看護学院の学生であり、同校寮に寄宿していた。

   かほるは卒業試験を直前に控えた1960(昭和35)年2月27日土曜の午後5時半頃寮を出た。近くで出会った同期生とともに秋田駅まで行き、別れた後消息が途絶えている。

   2月28日日曜にも、卒業試験前日で休日になっていた29日月曜にも帰寮せず、3月1日火曜午前に行われた卒業試験にも欠席したため看護学院から青森県八戸市の実家に電話があり、父一栄と申立人である姉天内みどり(以下、みどりという)が秋田に向かった。家族は2日に秋田に到着し、3日には秋田警察署に捜索願を出した。その後家族及び看護学院では可能な手段をすべて使って探したが全く情報はなかった。

 2.拉致以外の可能性について

 ア 自らの意志による失踪

    秋田駅まで同行した同期生は「卒業試験の勉強のために実家に帰ろうとしたのではないか」と言っているが、駅で別れており改札を通ったところは見ていない。実家の八戸に帰るとなると、当時のダイヤでは奥羽本線で青森まで行き、東北線に乗り換えて八戸(当時の駅名は「尻内」)まで行かなければならず、29日月曜夕刻までに寮に帰るためには八戸での滞在時間は28日午前1時頃から29日午前11時頃までしかない。もちろん外泊届けも出しておらず卒業試験直前の行動としては考えにくい。

    かほるはすでに実家のある八戸の日赤病院に就職することが決まっており、念願の看護師になる夢の叶う直前であった。また同寮の学生などからも個人的な悩み等聞かされておらず、かおるが自らの意志で失踪する理由は全く見あたらない。

  イ 事故及び一般の事件

    家族及び看護学院関係者は失踪当時前述のように関係すると思われるところを全て調べているが、目撃証言も遺留品もないままに52年が経過している。現時点でも事故及び国内における事件であることを裏付ける情報は全く存在していない。

3.北朝鮮当局による拉致の可能性

  かおるに関しては次のような数々の目撃証言があり、北朝鮮当局により拉致された疑いが極めて濃厚である。

ア タイ人ホステスによる目撃証言

    特定失踪者問題調査会(以下、調査会という)の調査によれば1982(昭和57)年7月に北朝鮮に騙されて連れて行かれ、後に帰国したタイ人女性たちが北朝鮮において日本語を習った日本人女性がかほるに似ているとの証言がある。調査会ではその女性たちのうち3人にタイで別々にインタビューを行い、いずれもその日本人女性がかほるに似ている旨指摘している。調査会ではこの結果をもとに2007(平成19)年10月31日、内閣官房拉致問題対策本部に要請を行った(添付資料1)。しかし、その後の政府の取り扱いについては定かではない。

イ 藤本健二による目撃証言

   通称「金正日の料理人」こと藤本健二によるかほるの目撃証言がある。藤本は1982(昭和57)年調理師として北朝鮮に渡り、2001(平成11)年までの間金正日の専属料理人などを務めた。証言は初めて訪朝した1982年12月中旬、藤本が調理師をしていた平壌中心部にあるレストラン安山館に客として来訪した、またその後安山館とタイ人ホステスの寮の間の通路でもすれ違ったとするものである。

   この証言については2011(平成23)年12月18日、みどりと調査会代表荒木和博が藤本に都内で面会し、詳細に話を聞いた。その模様は同月21日にテレビ朝日系で放送されている。アにも記載の通りこのタイ人ホステスはかほるに似た女性を目撃しており、その証言とも一致する。

ウ その他の生存情報

   かほるについては未確認ながらその他にも様々な生存情報がある。このような大量の情報がある例は特定失踪者でも稀であり、この情報の多さ自体が拉致を推認させる要因であると言える。

4.本件申立に至った理由

 申立人らは長年調べて行く中で北朝鮮による拉致の疑いを持ち始め、小泉訪朝で北朝鮮が拉致を認め、5人が帰国した後である2003(平成14)年11月、救う会全国協議会に問合せを行った。そして2003(平成15)年1月発足した特定失踪者問題調査会において、5月30日特定失踪者第3次リストの1人として公開された。さらに2004(平成16)年7月29日には同会から拉致の可能性の高い、いわゆる「1000番代リスト」として発表され、9月29日には被告発人某・国外移送目的略取誘拐の罪で刑事告発(青森県八戸警察)しているが、その後進展はみられない。

 かおるは、北朝鮮当局に拉致されたと考えるべき十分な理由がある。拉致誘拐は重大な犯罪であり、それによってかおるらの人権侵害の状況は延々と続いている。

  そこで、あらためて日本政府・警察庁のしかるべき対応を求めるべく、本件申立に至ったものである。

添付資料
1 内閣官房拉致問題対策本部へ提出した「木村かほるさんと思われる『タイ人女性の日本語教師』についての報告と要請」(2007年10月31日)

2 2011年12月21日放送 テレビ朝日「スーパーJチャンネル」
「青森県出身の不明女性が・・ 北朝鮮で目撃 新情報 特定失踪者 木村かほるさん」の音声を文章化したもの。

3 天内みどり著『芙蓉の花 北朝鮮引揚げの記録 「特定失踪者」の妹いづこ』(近代文芸社 2009年)

4 読売新聞青森版連載「妹よ 木村さん失踪50年」(1〜5)コピー
     2012年3月23日

申立人代理人
弁護士 川 人   博
同   土 田 庄 一
        外6名
(別紙代理人目録記載のとおり)


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2012年3月24日

日弁連への人権救済申立実施

【調査会NEWS1159】(24.3.24)

 昨日23日、特定失踪者7件8名のご家族が日本弁護士連合会への人権救済申立を行いました。

 申立人となったのは次の方々です。

天内みどりさん(昭和35年に秋田県秋田市で失踪した木村かほるさんのお姉さん)
仲條富夫さん(昭和37年に千葉県海上町で失踪した加瀬テル子さんの親戚)
日高シヅさん(昭和42年に東京都新宿区で失踪した日高信夫さんのお母さん)
前山利恵子さん・光秋さん(昭和46年に鹿児島県大崎町で失踪した園田一さん・トシ子さんの娘さん夫妻)
生島孝子さん・敦子さん(昭和47年に東京都渋谷区で失踪した生島孝子さんのお姉さんと妹さん)
萩本弘子さん・哲さん・明宏さん(昭和50年に兵庫県高砂市で失踪した萩本喜彦さんの奥さんとお兄さん)
藤田春之助さん・隆司さん(昭和51年に埼玉県川口市で失踪した藤田進さんのお父さんと弟さん)

 代理人は法律家の会(北朝鮮による拉致と人権問題に取り組む法律家の会)の下記の方々がつとめられました(敬称略)。
藤野義昭(札幌弁護士会所属)
木村晋介(東京弁護士会所属)
原田敬三(東京弁護士会所属)
二瓶和敏(東京弁護士会所属)
川人博(東京弁護士会所属)
土田庄一(東京弁護士会所属)
山下敏雅(東京弁護士会所属)
須田洋平(東京弁護士会所属)

申立の対象となる失踪者の選定については特定失踪者問題調査会が行いました。申立の相手方(裁判でいう被告にあたるもの)と、申立の趣旨は全員共通で、下記の通りです。
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2 相手方
内閣総理大臣・拉致問題対策本部長 野田佳彦殿
国務大臣・拉致問題担当 松原仁殿
警察庁長官 片桐裕殿

3 申立の趣旨
  申立人らによる人権救済申立事件(北朝鮮による拉致疑惑事件)につき、国民に対する重大な人権侵害であり、かつ国家主権の侵害であることに鑑み、政府に対し、緊急に下記の措置を講ずるよう要望書を提出すること。
(1)警察庁は、本件申立が北朝鮮による拉致の疑いが極めて濃厚であるので、至急捜査を遂げ、その真相を明らかにされたい。
(2)日本政府は、本件拉致被害者の多くが被害発生以来長い年月が経過している事実を真摯に受け止め、早期解決のために北朝鮮政府に対して本件拉致被害者の所在の確認と身柄の返還を求めるなど、可能な手段を全て行使して一日も早く家族全員が一同に会することができるよう努力されたい。
(3)日本政府は、本件に関し、家族が国連などの国際機構に対する人権救済の申立を余儀なくされる場合、これに全面的に協力されたい。
---------------------------------------------
 この後に各失踪者の申立の理由が続きます。これについては今後逐次メールニュースでもお知らせします。

 今回の申立は平成16年1月29日に行われた16人の申立に続く第2次の申立となります。山本美保さんに関わるDNAデータ偽造事件について3月5日に行った申立は趣旨が異なるため別扱いです。なお、山本美保さんは第1次の16人に入っています。

 昨日は申立書提出後、弁護士会館で記者会見が行われ、代理人である土田弁護士・川人弁護士からの説明と、仲條富雄さん・生島恵子さん・藤田進さん及び同席された家族会増元照明事務局長からのお話がありました。また鹿児島では鹿屋市で記者会見が行われ、前山利恵子さんと救う会鹿児島の花牟礼薫会長が参加されました。

 なお、東京での記者会見の模様は(株)NetLiveのご厚意で下記のサイトからご覧になれます。

http://www.netlive.ne.jp/archive/SII/index.html

 日弁連への人権救済申立は直接政府に求めるものではなく、日弁連が申立の内容を審査して政府に対処を要望するものですが、松原仁・拉致問題担当大臣はこれについて非常に重視しており、昨日朝の閣議後記者会見でも「今後の人権擁護委員会による調査を経て、日弁連が判断をなされるものと承知している。その結果については、重大な関心持って見守って参りたいと思っております。 政府としては、今回申立てがなされる8名を含めた。北朝鮮当局による拉致の可能性を排除できない事案については、引き続き、拉致問題対策本部事務局、警察等の各関係機関が綿密に連携をはかりつつ、事案の真相解明のため、全力で捜査・調査を進めて参りたいと思います。また、関係のご家族に対しても、捜査・調査状況の説明を誠実に行って参りたい」と語っています。

  松原大臣には来週木曜、29日の12:30に面会して人権救済申立の報告と対応の要請をする予定です。また、今後第3次以降の申立についても準備を進めて参ります。関係各位にはご支援よろしくお願い申し上げます。

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2012年3月23日

所感 ー最近のいくつかの問題についてー

【調査会NEWS1158】(24.3.23)

 1152号のニュースでも書きましたが、中井洽・元拉致担当相が北朝鮮の日朝国交交渉担当大使である宋日昊とモンゴルで「極秘」接触しようとして果たせず、代わりに元調査会副代表である眞鍋貞樹氏が接触したとのニュースが流れました。

 これについて、私たちは報道されていること以上には承知していませんが、「極秘」がここまで明らかになるというのは「極秘だ」と吹聴している人間がいるか、あるいは余程情報管理がずさんかのどちらかです。もちろん拉致問題について、待っているだけでは進展しないから、少しでも前に進めようとしての行動なのだとは思いますが、客観的に見るならばこのやり方が稚拙であることは明らかと言わざるを得ないでしょう。

 一連の動きは情報が抜けている割に、これまで脱北者支援や日本人妻・帰国者問題をやってきたNGOとは全く連携がないなど、単に日本人妻問題を利用しているのではないかとすら思えます。私自身は拉致問題解決の糸口になるならそれも良いのではないかと考え、人にもそう言ってきましたが、、ことこの動きの推移を見ていると拉致問題につながらないだけでなく、日本人妻問題すらも複雑化させてしまうのではないかと懸念しています。日本人妻問題はそれ自体が重要な人権問題であり、扱いには十分な配慮が必要なことは当然です。関わっている人たちには日本人妻及び帰国者の問題の意味をもう一度考え直してもらいたいと思います。

 北朝鮮側は言うまでもなく日本人妻問題で誤魔化して日本からカネを取ろう、制裁を解除させようと思っていることは明らかです。宋日昊に少なくともそれ以上の権限、つまり拉致被害者を出してくるような決定をする力はありません。今宋日昊が話に乗っているのは格段に細っている対日ルートが切れることが彼らにとって死活問題だからです。

 また、眞鍋氏は去る3月5日、山本美保さんに関わるDNAデータ偽造事件について実施した人権救済申立及び講演会への妨害行為も行っており、その背後には何かあるのではないかとも推測しています。彼に限らず、DNAデータ偽造事件に関しては様々な形での妨害が行われており、それは逆に言えば警察が偽造の事実を認めているということにも他なりません。私たちとしては今後さらに様々な手段を用いて追及の手を強めていくつもりです。

 眞鍋氏は調査会役員として、設立時から一昨年までの7年半にわたり精力的に調査など中心的な役割を担ってきました。彼の活動なくして今日の調査会はなかったと言っても過言ではないのですが、最近の行動については肯定できないことも多く、元調査会役員であることから、調査会の活動との関係等についても疑問を抱く方がおられるため、あえてここで立場を明確にしておく次第です。

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2012年3月21日

1万キロ現地調査第6回報告

【調査会NEWS1155】(24.3.21)

※ 大変遅くなりましたが1日2日に行われた1万キロ現地調査第6回の概略をご報告します。ご協力いただいた皆様ありがとうございました。

日程:平成24年3月1日〜2日
調査地域:大阪(大阪市内)・兵庫(神戸市灘区・高砂市)走行距離212キロ。累計1,933キロ
参加役員:荒木・岡田・三宅・杉野・武藤・村尾(事務局)曽田(事務局)
特定失踪者家族:高見至さん(父の明さん)・尾上民公乃さん(お父さんの支征さん)・植村留美さん(お父さんの照光さん)・福山ちあきさん(母のはるみさん)・井上征子さん(妹の西島惠美子さん)・加藤小百合さん(母の浅野恵美子さんと姉の玉城真由美さん)・萩本喜彦さん(奥さんの弘子さん・長兄の哲さん・次兄の明宏さん)・福本勝利さん(お母さんのえりさん)・非公開失踪者Mさんの弟さん
家族会:有本恵子さん(お父さんの明弘さん・お母さんの嘉代子さん)
西村眞悟・前拉致議連幹事長

◎3月1日(木)
(午前)
 大阪関連特定失踪者家族(高見明さん・尾上支征さん・植村照光さん・福山はるみさん)から松井一郎大阪府知事への要請。西村眞悟前拉致議連幹事長・調査会役員同行。知事しおかぜ収録。終了後記者会見及び 高見さんしおかぜ収録(府政記者クラブ)。

(午後)
(1)原敕晁さん(昭和55-1980-年6月17日拉致 当時43歳)鶴橋駅周辺拉致関連地点(勤めていた中華料理店「宝海楼」跡、よど号グループ関係者の元住居周辺、現在の総連大阪本部等)調査。
 上記以外も含め、関連した施設が鶴橋周辺に集中していることを確認した。

(2)尾上民公乃さん(昭和62-1987-年6月6日失踪 当時20歳)
 心斎橋1-2 「ラ・ポルト」裏最後に目撃された場所周辺調査・尾上支征さんによるしおかぜ収録。
 支征さんに当時の状況について説明を聞く。持参された当時の記録を綴ったノートを今後分析していくことに。車が博多港で発見されるときの福岡県警とのやりとりなどに不明な点があり、今後さらに調査が必要と考えられた。

(3)福山ちあきさん(平成3-1991-年11月3日失踪 当時18歳)
 地下鉄恵美須町駅周辺(失踪当時居住地)失踪関連地点調査・福山はるみさんによるしおかぜ収録。
 福山ちあきさんは地下鉄御堂筋線動物園前で下車して友人と別れたのが最後の目撃証言。乗ってきた自転車は一つ手前の大国町駅で見つかっており、なぜそのまま乗っていたのかが不明。今回もその点についての結論は出なかった。動物園前と大国町、恵美須町は1キロの円の中に入る。

◎3月2日(金)
(午前)
 神戸市灘区内で記者会見。有本明弘さん・嘉代子さん・浅野恵美子さん・玉城由美子さんしおかぜ収録。有本嘉代子さん・浅野恵美子さん・玉城由美子さん

(1)有本恵子さん(昭和63-1983年7月頃拉致 当時22歳)
 神戸市外大跡(現在親和中学校・女子高)周辺調査。

(2)加藤小百合さん(平成9-1997年8月18日失踪 当時33歳)
 失踪時の自宅、学童保育所などの周辺調査。

(3)秋田美輪さん(昭和60年12月4日失踪 当時21歳)
神戸松蔭女子大正門前付近最終失踪関連地点調査。

(4)田中実さん(昭和53年6月6日失踪 当時28歳)
 金田竜光さん(昭和54年頃失踪 当時26歳)
 両名が育った養護施設前等失踪関連地点調査。

※以上(1)から(4)は同じ灘区内で、しかも山手の阪急六甲駅付近に集中している。またこの域内に、田中実さん拉致の実行犯とされる曺廷楽の住居等、親北朝鮮
の施設が点在する。

(午後)
 高砂市役所にて、登幸人市長と高砂市内の特定失踪者家族である萩本弘子さん・哲さん・明宏さん・福本えりさんから今後の市への協力をお願いする。高見明さん、非公開失踪者Mさんの弟さん及び西村眞悟前拉致議連幹事長・調査会役員同行。

(5)萩本喜彦さん(昭和50年4月4日失踪 当時35歳)
 高砂市自宅周辺及び神戸製鋼所高砂工場入口付近最終失踪関連地点調査 萩本弘子さん・哲さん・明宏さんによるしおかぜ収録。
 自宅前から通りに出るまでは細い道だが、その後は視界が開けており、神戸製鋼に至るまでに路上で拉致をするのは難しいように思える。家を出てまもなく、細い道を通っている途中で何かが起きたと推測される。また時期的には同じ高砂市内(下記福本勝利さん自宅近く)に北朝鮮の大物工作員李善実が住んでおり、何らかの関係があったことが考えられる。
 
(6)福本勝利さん(平成7年5月11日失踪 当時22歳)
 自宅前で福本えりさんからインタビュー、近接した北朝鮮工作員李善実居住地付近調査。福本えりさんによるしおかぜ収録。北朝鮮大物工作員李善実の住んでいた場所は福本さんの自宅から歩いて2〜3分のところであった。時期的には勝利さんの失踪とは合わないが、北朝鮮の工作員が近くに住んでいたことは事実である。直接のつながりはなくても、何らかの工作基盤が存在し続けた可能性はある。

※終了後理事会開催
 

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2012年3月20日

悪口

【調査会NEWS1154】(24.3.20)

逆賊の輩
軍部好戦狂
万古大逆罪
無知なヤクザ集団
傀儡徒党
明博を殲滅せよ
仇ども
売国逆賊李明博「政権」
白昼強盗米帝
傀儡軍
万古逆賊の群れ李明博輩党
八つ裂きにせよ
埋めてしまえ
歴代傀儡どもも顔色を無くす悪行中の最大悪行
犬明博を八つ裂きにせよ
初歩的な人倫道徳も知らない獣ども
極悪な民族反逆者
人間のクズ
特大型犯罪
狂犬ども

3月始めの労働党機関紙「労働新聞」に出てきた言葉です。元はと言えば韓国軍の兵舎に「最高尊厳」(金正日・金正恩のこと)を誹謗するポスターが貼ってあったというニュースに反応したものですが、これでもごく一部です。正直なところ私の朝鮮語の能力では翻訳しきれない言葉もあります。よくまあこれだけ悪口の羅列ができるものだと感心します。ちなみに総聯系のメディアに日本語が出るときはかなりソフトな表現になっており、さすがの朝鮮総聯でも恥ずかしくて直訳はできないようです。

 北朝鮮では韓国でのこの「最高尊厳冒涜事件」に対し大規模な群衆大会までやって非難しています。その始まるのが米朝合意の直後。そしてミサイル発射の通告とくれば、内部にトラブルが起き、体制が揺らいでいることは明らかです。折しも後見人である中国の内部も秋に向かっての人事抗争が表面化しており、日本が手を突っ込んでかき回すには良い条件だと言えるでしょう。宋日昊は別ですが。

 余談ですが、昔韓国の新聞の特派員に何かの記事のことで抗議したことがあったのですが、その後会ったときに(抗議のメールは)「北朝鮮の文章みたいでした」と言われました。仕事とは言え北朝鮮の研究などやっていると自分も同化してくるのかも知れません。

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2012年3月19日

本筋

【調査会NEWS1153】(24.3.19)

 中井洽・元拉致問題担当相と宋日昊・北朝鮮日朝国交担当大使のウランバートルでの「極秘」接触がすっぱ抜かれ、結局中井元大臣に何度か同行して宋日昊に会っている真鍋貞樹氏が代理で会ってきたとの報道がなされています。

 真鍋氏自身は1年半前まで特定失踪者問題調査会の役員をつとめていましたが、その後の行動については噂で聞く程度でした。中井元大臣とも1週間前に会合で顔は合わせましたが、もちろん宋日昊とのことも含めて言葉は交わしませんでした。

 したがって、推測で申し上げるしかないのですが、この交渉はそもそも、日本人妻及び戦後残留日本人の問題を入口にして拉致被害者の帰国につなげることを目指すというものです。しかし、それが可能なのは本当に「極秘」、少なくとも水面下の交渉ができた場合であって、これほど公になってしまえばほとんど意味はないと思います。それどころか逆に日本人妻の問題へも悪影響が及ぶ可能性があり、危うさを感じるのは私だけではないでしょう。

 拉致問題解決のためにはあらゆる手段を使うべきで、それには裏取引も含めた話し合いによる交渉から武力による救出まで、全ての可能性が考慮されるべきだと思います。また、全員を一度に救出することは物理的に不可能であり、一部であっても実績を作ってそこから突破口を空けていかなければ最終的な解決には至らないでしょう。しかし、それは全て、最終的な解決に向かう本筋があってこそであり、迂回路を通っているつもりが行き止まりになっているなら、メインルートに戻る必要があるはずです。少なくとも、それ自体重大な人権侵害である日本人妻問題(それ意外の日本人家族や帰国者全体の問題も含めてですが)を政治的に利用すべきではありません。

 ところで、こちらがこういう状況でも宋日昊が出てくるというのは、彼自身も負けず劣らず尻に火が付いた状態なのかも知れませんし、北朝鮮が切迫した状態にあるということなのかも知れません。 折しもミサイル発射の予告が行われましたが、4月12〜16日というのは15日が金日成の誕生日であるとともに、金正恩のデビューしたときと同じ党代表者会の招集が告示されています。「4月中旬」という曖昧な告示で、これも前回と同じですが、前回中央委員の補充をしているのですから党代表者会などという中途半端な会議でなく、中央委員会を開けば良いのに、それができないのは何かの理由があるのでしょう。そういうことの一端が垣間見えたということがこの「極秘」接触の成果だったとは言えるかも知れません。

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2012年3月16日

山本美保さんに関わるDNAデータ偽造事件の闇 [桜H24/3/13]


 前のでも紹介しましたが、チャンネル桜「防人の道」で山本美保さんに関わるDNAデータ偽造事件について語ったものです。

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「解けない謎」続き

 この前に書いた「解けない謎」(【調査会NEWS1151】)は、もし想像の通りであれば国家の基幹を揺るがすような問題ですらあると言えます。汚職とか不作為などというものではないのですから。少しでも多くの方がこの謎解きにご協力いただきたくお願い申し上げます。

 なお、ジャーナリストの西村幸祐さんがコメントを送ってくれました。ご本人の了解の上掲載します。

荒木様

いつもご苦労さまです。

 山本美保さんの件ですが、以前お話した事があるかも知れませんが、荒木さんの疑問は簡単に解けると考えています。全くの推測ですが論理的にはこの結論しかありません。

 それは、美保さんの遺体が、あるいは生存しているご本人が絶対に見つからないという確固たる証拠、もしくは事実を警察当局が掴んでいるから山形で発見された遺体を山本美保さんのものとして発表したのです。

 つまり、山本美保さんが北朝鮮に拉致されて、その後北朝鮮から帰国していないという事実を警察当局が知っているということになります。そうでなければ、荒木さんの疑問を解決する説得力ある理由は絶対に見つかりません。

 これは私なりに考える論理的に導かれた結論です。

西村拝

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解けない謎

【調査会NEWS1151】(24.3.16)

 3月5日の講演会でも少し述べたのですが、「山本美保さんに関わるDNAデータ偽造事件」で、もう一つ分からないことがあります。なぜ山形の遺体を無理矢理結びつけたのだろうということです。

 例えば私が警察出身の首相秘書官で、総理訪朝の地ならしのために拉致問題を沈静化させなければならないと考えたとした場合、確かに特定失踪者の中で拉致でなかった人を明らかにしようと考えると思います。そして、活動が目立っていたところを狙えばさらに効果的でしょう。山本美保さんは双子だし、お父さんは元警察官だし、運動は全国でも特に活発だったし、そういう意味では最適(?)だったのかも知れません。

 しかし、山形の遺体を無理に結びつけたとしても、山本美保さんが日本国内の別の場所で暮らしていたら、出てきてしまえば直ちにDNA鑑定結果は偽造だったということが分かってしまいます。また、不幸にして亡くなっていた場合でも、その遺体が出てくればこれまたDNA鑑定結果が偽造だということは分かります。逆に言うと山本美保さんが日本国内にいると分かっていたなら生存しているといないとにかかわらず発表していたはずだということです。

 しかしあえてあんなことをしたのは、逆算すれば山本美保さんの情報が日本では絶対得られないという確信があったということではないか。当時第二次小泉訪朝に向けて水面下の交渉が進んでいたわけで、実は北朝鮮から山本美保さんの情報が入っていたということはないのでしょうか。そうであれば絶対に出てこないという確信のもとに山形の遺体を使うことも考えられます。

 これはあくまで推測に過ぎませんが、まだ解けていない謎です。解いてくれる方が出てくることを期待しています。

 なお、先日の人権救済申立の折の記者会見・講演会は(株)NetLiveのホームページで見ることができます。

http://www.netlive.ne.jp/archive/SII/index.html

 また、CS放送チャンネル桜「防人の道」でも私の解説と合わせ講演会のハイライト部分を放送しています。内容はインターネットでご覧になれます。ご参考まで。

http://youtu.be/Q7Tzr2gf6no

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2012年3月12日

第2次人権救済申立

【調査会NEWS1150】(24.3.12)

 既にお知らせしていますが、3月23日(金)、日本弁護士連合会人権擁護委員会に対し人権救済申立を行います。今回対象となるのは下記の7件8名の特定失踪者です。

生島孝子さん
加瀬テル子さん
木村かほるさん
園田一さん・トシ子さん
萩本喜彦さん
日高信夫さん
藤田進さん
(以上アイウエオ順)

 申立人は家族・親族です。代理人には法律家の会所属弁護士があたります。申立先は日弁連人権擁護委員会、相手方は総理・拉致問題担当大臣・警察庁長官です。あらためてお知らせしますが3月23日は16時に関係者が弁護士会館前に集合して申立書を提出した後に記者会見を行う予定です。

 この人権救済申立は平成16(2004)年1月29日に行われた16人に続く第2次となります(3月5日に行われた山本美保さんに関わる人権救済申立は趣旨が異なり、山本美保さんについては第1次で既に申立済みですので回数には入りません)。

 今回は目撃証言、写真等の出ている失踪者から一部を選びました。今後引き続き第3次以降の申立も準備していく予定です。

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2012年3月11日

3・11

【調査会NEWS1149】(24.3.11)

 政府主催追悼式をテレビで見ていて、拉致問題をこのような形で終わらせることだけはしたくないと痛感しました。認定されているか否かにかかわらず、拉致被害者も家族も死んでしまうまで引き延ばすことで拉致問題を「解決」しようとしているものが北朝鮮のみならずこの国の中にあります。彼らは一刻も早く「追悼式」をやりたいと願っているのではないか。そうなる前に現状を突破しなければならないとあらためて感じた次第です。

 ところで、1年前の今日、2万人の方々が死亡ないし行方不明になったわけですが、67年前の昨日は東京大空襲で、下町を中心に10万人の人が犠牲になりました。範囲が狭かった分被害が集中していたわけで、しかも災害ではなく非戦闘員に対する殺人です。昨年の震災のとき、家族も失わず怪我もしていない私すら受けた大きなショックから考えると当時はどんな凄まじい状況だったのかと思いました。

 東日本大震災の被害にあった皆さんに思いを寄せるとき、私たちができることは復興への協力や防災はもちろんですが、同時に天災であれ人災(戦争やテロも含め)であれ、いつでも私たちの命や家族を奪っていくということではないか、そしてその極めてもろい状態の中で私たちが生きているという現実に向き合うことではないかと思います。

 今日の政府主催追悼式で、天皇陛下はお言葉の冒頭に「1年前の今日、思いも掛けない巨大地震と津波に襲われ、ほぼ2万に及ぶ死者、行方不明者が生じました。その中には消防団員を始め、危険を顧みず、人々の救助や防災活動に従事して命を落とした多くの人々が含まれていることを忘れることができません」と語られました。単に「命が最も大事」というのであれば、最後は人を押しのけても自分さえ守れれば良いということになりますが、3・11で私たちが学んだのはそういうことではなかったと思います。

 今日の政府主催追悼式、野田総理はブルーリボンバッジを着けて式典に臨みました。相対された天皇皇后両陛下は、どのような思いで総理のバッジをご覧になったのか、また亡くなった方々の御霊はその姿をどう感じたのか、色々考えさせられました。

 

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2012年3月10日

反撃を食らう

【調査会NEWS1148】(24.3.10)

平成18(2006)年11月9日の記者会見で、当時の漆間嚴警察庁長官は拉致認定要件の緩和について「拉致ではないものが1件でもあると反撃を食らう。犯罪に該当するものを拉致事案に掲げており、警察が追加するとしたら(意思に反して移送されたなどの)3要件は譲れない」と語りました。 

 「一件でも間違っていたら反撃を食らう」というのは拉致認定に慎重な警察関係者の常套句です。しかし、だとすると、山本美保さんにかかわるDNAデータ偽造事件のずさんな発表は何だったのでしょう。北朝鮮の反撃は恐いが国民の反撃は恐くないと思ったのでしょうか。

 例えば山本美保さんの失踪(昭和59年6月4日)から山形の身元不明遺体発見(同年6月21日)までは17日しかありません。遺体は一部屍蝋化し、歯は13本脱落していましたが、どんなに長くても17日の日数で屍蝋化が始まることはなく、20代の女性の歯が13本も抜けることもあり得ません。 本来歯牙の脱落は腐敗が進行しなければ起こらず、一方で屍蝋化は水中で高湿度、通気がないからこそ起こりえます。両方一緒に起きるはずがないのです。

 しかし、これを山梨県警に質すと「あり得ます」の一点張りでした。それなら470人が拉致された可能性も「あり得る」はずなのですが、そっちは厳格にしながらもう片方はやたらにいい加減というのは何なのでしょうか。ひょっとしたら警察には私たちがまだ気付いていない何かがあるのではないかとすら思えてきます。

 6月の新潟から山形にかけての海で17日間に屍蝋化が始まるはずもないし、13本歯が抜けることもありえないと、上野正彦・元東京監察院院長は明快に語っています。警察庁長官はぜひこの疑問に答えてもらいたいものです。「間違っていたら反撃を食らう」ことを肝に銘じて。

※上野先生のコメント等各種資料は3月5日の緊急講演会の内容の報告も含め、「aoi blog」に掲載されています。ご参考まで。

http://aoinomama13.seesaa.net/

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2012年3月 9日

第2次以降の人権救済申立

【調査会NEWS1147】(24.3.9)

 大阪府警の警部が証拠品の煙草の吸い殻紛失をごまかすために関係ない吸い殻をその代わりにしていたとのニュースが流れていました。どこかで聞いたような話だと思いながら、こういう現場のやった小さい(本当は小さくないのでしょうが)話は発覚し、報道されれば処分されるのに、お偉方のやった大きな話は明らかになっても知らぬ存ぜぬで通そうとするのだなと、多少のため息が出ました。ちなみに「山本美保さんにかかわるDNAデータ偽造事件」の県警発表の翌月、つまり平成16年4月に警察庁は警備局に外事情報部を新設しています。まさか隠蔽のためではなかったはずですが。

 ところで、5日の記者会見の折川人博・法律家の会幹事(調査会常務理事)から発表があり、メールニュースにも少し書きましたが、法律家の会と調査会では現在平成16(2004)年1月に16人について行った人権救済申立に続く第2次の人権救済申立の準備をしており、23日にも提出の予定です。人数は5〜10人の予定で、今後逐次追加していくことになると思います。一気にまとめてできないのでご不満を持つご家族もおられるでしょうが、とりあえず明確な目撃証言や証拠品のある人を優先して行う予定です。それが政府の対応などに影響を与えることができれば全体にも良い影響を与えるものと期待しています。

 なお5日におこなったDNAデータ偽造事件に関わる人権救済申立は他と内容が異なり、山本美保さんについてはすでに第1次のリストにあって日弁連も拉致の可能性ありとしているため別扱いにしています。

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2012年3月 8日

斬る

 劇団夜想会のミュージカル「誠 とびだせ新撰組」を観ました。演出・脚本は野伏翔さん。拉致問題にも関心が高く、拉致をテーマにした「めぐみへの誓い」という芝居も上演しています。

 「誠 とびだせ新撰組」は新撰組がタイムスリップして現代にやってくるという想定ですが、この芝居の中でも拉致問題がちょっと出てきます。拉致された国民がいると知った沖田総司が自分たちなら犯人を斬る、助けに行くという場面です。これに現代人の青年(実は沖田総司の子孫)は言葉がないのですが、後にヒロインを守ろうとして自ら刀を振るいます。

 この場面を観ていて思い出したのが平成11年の年末、つまり2000年まであと少しというときに外務省前で座り込みをやったときのことです。高齢の家族会の人たちが寒い中座り込みをするのに耐えられなくなった(体裁が悪いので)当時の河野外相が外務省の中に家族や私たちを呼んで面会の場を作りました。そこで河野外相は自信ありげに「力ずくではだめ」と言いました。ミュージカルの中のセリフとはこれは対極にあります。なぜ抗議しなかったのか、今から考えると恥ずかしいとしか言いようがありません。

 何で力ずくではだめなのか、正面から答えられる人はいないでしょう。少なくとも選択肢の一つとして「力ずく」はあって当然だと思います。しかし、私たち自身が自らそれを放棄しているのではないか、そんなことを考えさせられました。

 なお、ミュージカル「誠 とびだせ新撰組」は11日まで六本木の俳優座で上演されています。

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添付資料

【調査会NEWS1146】(24.3.8)

 以下は去る3月5日、日弁連提出した山本美保さんに関わる人権救済申立書の添付文書1「山本美保さんと身元不明遺体Y の違いについて(特定失踪者問題調査会作成)」です。すでに言われてきたことの一部をまとめただけですが、特に調査会ニュースをご覧の警察関係の皆さん、これを見ておかしいとは思いませんか。今は長崎県警で幹部になっているであろうYさん、一度ご意見を聞かせて下さい。

 平成16年3月の山梨県警発表がおかしいと言い始めてから接近してきた警察庁の幹部は、「(こういうことを言われると)現場の士気が落ちる」と言っていました。現場の士気を落としているのはどちらかと、あらためて痛感します。少なくとも他の特定失踪者(政府認定者ももちろんですが)について同様のことはしないように期待しますが。

 (資料1)
         山本美保さんと身元不明遺体Y の違いについて

          平成24年3月5日                特定失踪者問題調査会

1、座高

 山本美保の高校3 年当時の座高は87.4センチであった。Y の鑑定書における「頭頂部から臀部下端」は95.0センチとされている。警察は「頭頂部から臀部下端」を遺体の全長であるから矛盾がないとしているが、鑑識において「頭頂部から臀部下端」というのが座高であることは常識である。また実際、資料2の鑑定書においても7 ページの第6 項16で「右臀部下端に上右から下左に走る長さ約五・五cm、幅約一・五cmの創あり」とある。

2、身長

 山本美保の高校3 年当時の身長は159.5cm である(20歳失踪時は1・以内の伸びがあった可能性はある)。当然失踪時も身長はほとんど変わっていない。Y の鑑定書にある推定身長は「大約一六〇〜一七〇cmと推定される」となっている。しかし上記のように頭頂部から臀部下端、すなわち座高が95センチであればかなりの胴長体型ということになるが、山本美保はごく一般的な体型である。

3、歯

 Y の歯は上顎左第1 歯、右第1・2 歯、下顎左右1 〜5 歯、合計13本が脱落している。鑑定書に頭部に外傷ありとの記述はなく、写真を見てもそれは明らかである。20代の女性で最大限17日間の短い期間において13本の歯が自然に脱落することは通常あり得ない。

4、遺留品

 Y の遺留品はどれも山本美保の衣類の洗濯をしていた母文子及び妹美砂が見たことのないものであった。しかもジーパンとブラジャーは全く本人のサイズと異なっていた。

・ジーパン
 山本美保の履いていたジーパンはビッグジョンなどのごく普通のものであり、サイズは29〜30インチのものであった。これに対してY の履いていたジーパンはフランスのフランソワジルボー社のものを模した「ペダルプッシャー」という極めて特徴のあるジーパンであり、サイズは28インチであった。持っていれば母親や双子の姉妹が気付かないはずはなく、これだけでも別人であることは明らかである。

・ブラジャー
 山本美保の通常着用していたブラジャーのサイズはB75 〜B80 であったのにY の着用していたブラジャーはA70 であった。これは着用することが極めて難しいとすら言える。

・その他の遺留品
 遺体は上記の他シミーズ、ガードル、パンティーをまとい、首にはネックレスをしていたがどれも家族が見たことのないものであり、美保の普段使っていたネックレスは自宅に残っていた。

5、遺体の状況

 山本美保は、1984年6月4日10時頃に甲府市の自宅を出てから失踪し、4日後の6月8日に柏崎市荒浜海岸に所持品のセカンドバッグが落ちているところを見つけられた。当時新幹線もない時代に、4日10時頃甲府を出てその日のうちに荒浜海岸に所持品を残して入水できることは考えにくく、カバンの見つかった8日に海岸に来たことも考えると、美保のカバンが見つかった日から、Y の遺体が山形県遊佐町の海岸に打ち上げられた日まで13日間である。

 鑑定書によれば遺体は「一部屍ろう化している」とされている。通常屍蝋化は低温の海中にあったものが死後数週間ないし一か月から始まるものであり、Y が長時間水中にあったとすれば、カバンが見つかった日から13日間、最大で17日間で柏崎から遊佐まで200 キロを移動することはあり得ないし、移動したのだとすれば屍蝋化することはあり得ない。資料4のテレビ朝日「スーパーJ チャンネル」の中で鑑定医の上野正彦先生は寒い時期に北方で水に漬かった遺体であると説明している。

6、補足説明

 以上の疑問について、山梨県警に対したびたび質問を行ったが、論点をすり替えるのみで回答にはなっていない。例えば上記4・におけるブラジャーのサイズについての質問( 平成21年5 月22日付で山本美保家族・特定失踪者問題調査会・山本美保さんの家族を支援する会から県警に提出されたもの)に対しては次のように書かれている。


 ご指摘のブラジャーのサイズに関しては、昭和60年4 月及び平成14年10月にご家族から提出された「家出人捜索願い」には、いずれもサイズに関する事項は記載されておりません。県警としましては、御遺体に装着されていたブラジャーのサイズと山本美保さんの胸囲等との比較をすべく、山本美保さんの身体測定結果等の捜査を行いましたが、現在のところ確認は出来ておらず、身体特徴を含め捜査を継続しております。

 警察は捜査をしたものの確認できていないというが、この間家族に対して身体測定結果や下着サイズ等の照会はなされていない。電話1 本、あるいは面会1 回で済むことをせず、矛盾については「捜査を継続」という言葉で回答を避けている。

 また、上記5 における遺体の状況については次のように書かれている。

 「本屍の解剖開始までの死後経過時間は、約三週間〜三ヶ月くらいと推定される」とされております。
 本解剖を行った解剖医は、当時、既にこの種の解剖に豊富な知識と経験を有しているところ、その判断は、信頼すべきものであると考えております。

 山本美保とY が同一人物だったとした場合、死後経過時間は最大17日であり、三週間を大幅に下回る。そして、解剖医に知識と経験があるから信頼すべきという回答であり、全く説得力の無いものである。このような回答は県警に疑問を質すたびに同様のものが返ってきており、到底納得のできるものではない。
                                          以上

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2012年3月 7日

日弁連への上申書・申立書

【調査会NEWS1145】(24.3.7)

 去る3月5日、日弁連には二つの書類を提出しています。一つは上申書、もう一つは申立書です。

 上申書は特定失踪者16人について、平成16年1月に行われた第1次の人権救済申立に関するものです。全員に拉致の可能性があるとされ、うち3人については政府の拉致認定ないし警察の拉致断定が行われているにもかかわらず、山本美保さんを含む残り13人については動きがないため、政府機関宛に対応を促して欲しいとするものです。なお、第2次の人権救済申立については法律家の会及び調査会で現在準備を進めており3月23日に行う予定です。

 申立書はすでにご案内の通り山本美保さんについてのものです。

(上申書)-----------------------------
                   平成24年(2012 年) 3月5日
日本弁護士連合会 会長 宇都宮健児 殿

2003年度第26号人権救済申立事件代理人
       弁護士 川 人   博
       弁護士 土 田 庄 一

              上申書

 平成16年(2004年) 1月29日に当職らが代理人となって行った16人の特定失踪者に関わる人権救済申立について、貴会では平成17年(2005年) 3月29日付で小泉純一郎総理・町村信孝外務大臣・漆間巌警察庁長官宛の要望書を提出し、申立を行った16人全員について「北朝鮮当局による拉致の被害者である疑いがあると判断すべき」とし、特にそのうち加藤久美子さん、古川了子さん、松本京子さん、大屋敷正行さん、国広富子さん、斉藤裕さん、佐々木悦子さんの7名について「信用性が必ずしも否定できない北朝鮮内での目撃証言があることから、拉致被害者である相当の疑いがある」とされています。

 その後、上記7名のうち松本京子さんは、平成18年(2006年)11月、日本政府により拉致被害者として認定されました。

 また、その他9名のうち、高敬美さん・高剛さんは、平成19年(2007年)4月頃に、日本国籍でないことから拉致被害者支援法による認定ではありませんが、警察が拉致被害者と断定しています。

 これらの前進は、貴会の要望書をはじめ、関係者の方々の長年のご努力の結果であると考えています。

 しかしながら、一方では、上記3人を除く13人について、その後特段の進展がありません。

 すでにこの貴会の要望書提出から7年が経過しており、ご家族及び失踪者も相当に高齢化しています。

つきましては、貴会より、改めて、関係政府機関あてに対応を促していただきたく、お願い申しあげる次第です。
                                       以上
(山本美保さんに関わる人権救済申立書)-------------------
※住所は一部省略しています。

                                     平成24年3月5日
日本弁護士連合会  人権擁護委員会 御中
 
      「山本美保に関わるDNAデータ事件」についての人権救済申立書

              申立人ら代理人 弁護士  川 人   博(東京弁護士会)
                  同   弁護士  土 田 庄 一(東京弁護士会)
                  同   弁護士  小笠原  忠彦(山梨弁護士会)
1 申立人ら

 現住所 山梨県甲府市
氏 名 山 本  文 子

現住所    同上
氏 名 森 本  美 砂

現住所 山梨県甲府市
氏 名 山 下  滋 夫

現住所 東京都文京区後楽2-3-8 第6 松屋ビル301  特定失踪者問題調査会
氏 名 荒 木  和 博

2 相手方

警察庁長官 片 桐   裕 殿

3 申立人らと本件との関係

 山本文子は、失踪者山本美保の母である。

 森本美砂は、失踪者山本美保と双子の妹であり、地元の公立学校の教員である。

 山下滋夫は、山梨大学教育学部の元教授で、森本美砂の恩師であることから、山本美保失踪事件において地元で支援活動の中心的役割を担っている。

 荒木和博は、拓殖大学教授であり、特定失踪者問題調査会代表として、日本政府によって拉致被害者と認定されていないが、拉致の可能性がある人々の調査を行っている。

4 申立の趣旨

 申立人らによる人権救済申立事件(DNAデータ事件)につき、山梨県警の発表・捜査には、山本美保、同家族及び氏名不詳女性(後述・以下Yという)に対する重大な人権侵害があリ、かつそれらが拉致問題解決への重大な障害になっていることに鑑み、貴会が警察庁あてに、緊急に下記の措置を講ずるよう要望書を提出すること。

(1) 警察庁は、山本美保をYと同一人物であるとした平成16年3月5日の山梨県警の発表について、提起された矛盾について調査し、真相を明らかにされたい。

(2) 警察庁は、山本美保とYが同一人物であるとする唯一の根拠であるDNA鑑定書について、山本美保の家族(申立人 山本文子、同 森本美砂)及び同代理人が謄写をとることを認めるなど,開示されたい。

5 申立の理由

(1)山本美保失踪に関する人権救済申立

 山本美保(以下、美保という)は昭和59年6月4日、山梨県甲府市の自宅より失踪した。その後6月8日に新潟県柏崎市の荒浜海岸において本人所有のセカンドバックが発見されたが、それ以後の消息はない。

 美保は、北朝鮮当局による拉致の疑いのある失踪者であり、平成16年1 月29日、貴委員会に人権救済申し立てを行った失踪者16名のうちの1名である。

 同申立に関しては平成17年3月29日梶谷剛日弁連会長(当時・以下同)名で小泉純一郎内閣総理大臣・町村信孝外務大臣・漆間巌警察庁長官に対し、16名全員が北朝鮮により拉致された疑いが存在するとされ、真相究明と所在確認後の帰国について努力を求める要望書が提出された。

(2)山梨県警の発表と日弁連要望書

 同人権救済申立が審理されている間、平成16年3 月5 日に山梨県警は丸山潤警備1課長が突然記者会見を行い、山本美保失踪より17日後の6月21日に山形県遊佐町の海岸で発見された身元不明遺体Yの骨髄と山本美保の双子の妹森本美砂の血液をDNA鑑定したところ一致したのでこのYと美保が同一人物である、と発表した。

 貴委員会にて審理中の平成17年1 月20日、この県警発表について代理人である川人博弁護士に事実関係に関する照会が行われ、同弁護士は、発表については極めて矛盾が多く信憑性に欠ける旨回答した。

 日弁連としての要望書は、これらを踏まえて美保につき拉致の可能性が存在するとして政府に対応を促したものである。

(3)日弁連要望書後の山梨県警の対応

 日弁連としての要望書が出された後も、山梨県警は、家族・支援者の度重なる疑問の提示に対して納得のいく回答を全くしておらず、合理的根拠なきままに山本美保とYを同一人物であるとする立場を変えていない。

 主要な問題点は、以下のとおりである。

 第1に、添付資料1のとおり、山本美保とYには多くの相違点が存在する。
     美保とYとを結びつけるものは、DNA鑑定書しか存在しない。

 第2に、山梨県警は、Yの試料をすべて使い切ったとして、再鑑定が不可能となっている。
     このように試料を残さない鑑定手法が批判されていることは、周知のところである。

 第3に、山梨県警は、森本美砂からのみ鑑定試料を入手し、母である山本文子からは一切同試料を入手しなかった。

 第4に、山梨県警は、美保とYとを結びつける唯一つの根拠たるDNA鑑定書を開示せず、家族も閲覧のみ許可され、謄写を拒絶されている。

(4)警察庁の責任

 本件DNAデータ事件については、山梨県警のみならず、警察庁も承知している。もとより拉致問題は、日本国の主権、国民の人権に対する重大な侵害であり、警察においては、都道府県警察個別の対応ではなく、警察庁警備局外事情報部の指揮の下に行われており、本件も山梨県警が独自の判断で行ったものとは考えられない。

 よって、本件につき、警察庁の責任において真相を明らかにし、その後の適切な対応を求めるべく本件申立に至ったものである。

  添付資料 
  1 山本美保さんと身元不明遺体Y の違いについて(特定失踪者問題調査会作成)
  2 身元不明遺体Y の死亡鑑定書
  3 県警発表に関わる経緯(山本美保さんの家族を支援する会作成)
  4 テレビ朝日「スーパーJ チャンネル」平成22年11月2 日に放送された番組内における上野正彦・元東京都監察医務院長の発言を文章化したもの
  5 本件に関する読売新聞連載記事
  6 要望書

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2012年3月 6日

胴長短足

 【調査会NEWS1144】(24.3.6)

 昨日の講演会には多数の皆様にご参加いただきありがとうございました。

 今日の報道に警察庁広報室のコメントが載っていましたが、そこには「美保さんの事案は失踪から死亡に至る経緯が現在も不明であることから、拉致の可能性を含めあらゆる可能性を念頭に置き、捜査を継続しているところであり、今後とも事案の全容解明に向け、徹底した捜査を推進するとともに、人権救済の申し立てに適切に対応してまいりたい」

 とありました。「捜査を継続」というのは一件もっともらしく聞こえますが、実は何もしておらず、しかし「捜査中」という理由で全てを隠す為の方便でしかありません。また「失踪から死亡に至る経緯が現在も不明」というのは、要は遺体は美保さんだと決めつけているわけで、「人権救済の申し立てに適切に対応」というのと全く矛盾しています。答えさせられた広報室の担当者も可哀想ですが、誰か「もうこんな馬鹿馬鹿しいことやってられるか」と言ってちゃぶ台をひっくり返す警察関係者は出てこないものでしょうか。

 ところで、警察が美保さんだとしている遺体の鑑定書には座高にあたる「頭頂部から臀部下端」が95センチとなっています。警察は「頭頂部から臀部下端というのは、両足の切断された遺体なので遺体の全長」と言っていますが、鑑定書に添付された写真を見ればそれが座高にあたる部分までを測ったものであることは一目瞭然です。

 美保さんの身長は約160センチですが、95センチを引いた、いわゆる股下高は65センチということになります。同じくらいの身長の人で測ってみると分かりますが、これはかなりの胴長短足になります。実際には美保さんの座高は失踪2年前に87.4センチであり、これは日本人のほぼ平均です。写真を見てもごく普通であることは直ぐ分かります。

 水中の遺体は膨れますが長さはほとんど変わりません。これをどう説明するのか、警察は「適切に対応して」もらいたいものです。 

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2012年3月 5日

山梨県警発表8周年

【調査会NEWS1143】(24.3.5)

 あの前日、つまり平成16(2004)年3月4日夜、私は都内のホテルで脱北者からの聞き取りをやっていました。杉野常務理事と真鍋専務理事(当時)と一緒に、脱北した韓国人拉致被害者に調査会のポスターを見せて誰か見たことがないかと聞いた後、部屋を出てコーヒーを飲んでいたときに森本美砂さん(山本美保さんの妹)から電話が入りました。

 こちらも動転していたので一字一句は覚えていませんが、美保さんとDNA鑑定が一致した身元不明遺体があり、その鑑定結果を受け取りに県警の人間が明日名古屋大に行くとの話でした。正直かなりのショックで、お互い顔を見合わせ呆然とした記憶があります。その後の顛末は拙著『日本が拉致問題を解決できない本当の理由』などにも書いてありますので関心のある方はお読みいただければ幸いです。

 このときと、その後、相手のやってきたことは、「ここまでやるか」というようなことでした。ご家族への誹謗中傷はもとより、私たちには一方で擦り寄り、裏では「あいつらとは近づかない方が良い」と行って回り、また何人かのジャーナリストには「山形の遺体は山本美保だ」と吹き込んだり…。

 別の官庁のある高級官僚が「警察の奴ら、本当に汚いことをするからなあ」という趣旨のことを私にぼそっと言ったことがあります。それが山本美保さんの件だったかは覚えていませんが、おそらくそんな時期のことだったと思います。また別の人間から「(政府は山本美保さんの件で)荒木が許すのを待ってるんだよ」と言われたこともありました。

 山梨県警はこの8年間、何を言っても暖簾に腕押しで、まともな回答は何一つしてきませんでした。「当時の担当者から話を聞きたい」と言っても直ぐ近くにいるにもかかわらず出さないのに、「名古屋大でDNA鑑定をやった准教授を連れてきて説明します。早く会う日程を決めて下さい」とDNA鑑定となると矢のような催促をしてきました。去年県警に行ったときは、直ぐ前の建物に行くのに県庁の建物の中をぐるぐる回らされました(マスコミが追ってこないようにしようとしたらしいのですが)。あのときと同じような感じでした。名古屋までの距離より県警の中の方が遠いようです。もう県警相手にいくら聞いても仕方ない、というのが今回主戦場を東京に移した最大の理由です。

 一所懸命に拉致問題や北朝鮮がらみの問題に関わってきて、ときに悔しい思いをしてきた警察関係者も沢山知っているだけに、私は彼らのためにもこのことだけは絶対に許せません。これから私や調査会役員、そしてより弱い立場の特定失踪者家族に相手が何をしてくるか分かりませんが、差し違えてでも突破してみせます。この件の実行犯やもみ消しにかかわった連中はまだほとんどが政府の中枢や国会、あるいは在外公館にいます。見逃していたら拉致問題の解決はありません。そしてこの状態を打破するのは民間の力しかありません。あらためて一人でも多くの方にご協力をお願いする次第です。

■「山本美保さんに関わるDNAデータ偽造事件」緊急講演会

◎3月5日(月)18:30〜20:30

◎場所 文京シビックホール 26階「スカイホール」
東京都文京区春日1-16-21 03(5803)1100
東京メトロ丸ノ内線・南北線 後楽園駅
都営地下鉄大江戸線・三田線 春日駅それぞれ下車すぐ(地下でつながっています)

◎登壇予定者
 特定失踪者問題調査会代表 荒木和博
 北朝鮮による拉致と人権問題に取り組む法律家の会幹事 川人博
 特定失踪者問題調査会理事 山下滋夫
 山本美保さんの妹 森本美砂
 北朝鮮による拉致被害者家族連絡会事務局長 増元照明
 他

◎参加費 500円

◎主催 特定失踪者問題調査会

◎協賛 山本美保さんの家族を支援する会

※記者会見及び講演会は(株)NetLiveのご厚意でインターネット中継の予定です(当日の通信状態によって中継ができず、録画をサイトに載せる形になるかも知れませんので予めご了承下さい)

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2012年3月 3日

松井一郎大阪府知事のメッセージ

【調査会NEWS1142】(24.3.3)

 3月1日・2日に行われた1万キロ現地調査第6回については後日報告しますが、調査開始に先立って1日午前、松井一郎・大阪府知事と特定失踪者家族の面会及び知事の「しおかぜ」メッセージ収録が行われました。

 松井知事のメッセージは一般的な呼びかけに加えて、北朝鮮の咸鏡北道労働党書記(日本の知事に該当)に「維新」を呼びかけるものでした。このような形のメッセージは田母神俊雄・元航空幕僚長の呉克烈・国防委員会副委員長にあてたメッセージ以来2回目になります。

 以下、メッセージをご紹介します。

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 北朝鮮に拉致された日本人の皆さん、私は大阪府知事の松井一郎です。今、短波放送「しおかぜ」を通して皆さんにメッセージを送っています。この放送が聞こえますか。寒い北朝鮮で大変だと思いますが、北朝鮮で金正日総書記が死亡して大きな変化が起きている中、日本では今、皆さんを救出するために大きな動きが進んでいます。どうかもう少しの間、がんばって下さい。 

 橋下徹・現大阪市長も私の前任の府知事であったとき、この「しおかぜ」を通じて皆さんにメッセージを送っています。私たちは一昨年「大阪維新の会」を結成し、今大阪府を変え、大阪から日本を変えようと全力を傾けています。

 ハムギョンプクト(咸鏡北道)の党書記であるオ・スヨンさん、あなたもハムギョンプクトから北朝鮮を変えませんか。あなたの地域は昔からイジョントゥク、すなわち「泥の田んぼで犬が闘う」と言われ、執拗に闘い続ける無骨な気風があると聞いています。実際、1990年代半ばには道都チョンジン(清津)で軍のクーデター未遂がありました。

 チョンジンでは政府認定の拉致被害者、松本京子さんと思われる女性が目撃されている他、道内に何人かの拉致された日本人がいることが推定されています。咸鏡北道にいる拉致被害者を私たちに返して下さい。情報を送って下さい。

 平壌の政権は咸鏡北道に何をもたらしたでしょうか。1990年代後半の飢餓の被害を最も受けたのは咸鏡北道ではありませんか。大阪の経済は決して良いとは言えず、これから立て直さなければなりませんが、厳しいとは言っても40兆円のGDP、国内総生産があります。これは北朝鮮全体の少なく見ても10倍、おそらく20倍くらいにあたる経済力です。奪っていくだけで何もしない平壌の政権と、日本とどちらを選びますか。

 咸鏡北道党書記のオ・スヨンさん、共に地域から国家を変えましょう。私たちはあなたの決断をお待ちしています。

 そしてもう一度、拉致された日本人の皆さん、私たちは皆さんを取り返すまで全力を尽くします。北朝鮮も大きく変わってきています。もう少しの間、ぜひがんばって下さい。

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3月5日の流れについて

【調査会NEWS1141】(24.3.3)

 3月5日月曜日の「山本美保さんに関わるDNAデータ偽造事件」人権救済申立・記者会見及び講演会について、全体の流れは次のようになります。

 本件にはすでに様々な形で圧力がかかっており、その分だけ、拉致問題が日本の力量に比べて余りにも進んでこなかった理由の核心を突いているものと思われます。各位には講演会への一人でも多くのご参加と取材・報道等のご協力をよろしくお願いします。

1、日弁連人権擁護委員会への人権救済申立

◎15:00過ぎ

◎場所 千代田区霞が関1-1-3 弁護士ビル内
※申立時の取材は可能です。

◎参加者 申立人・代理人

2、記者会見

◎15:30頃(申立終了後)〜16:30頃 記者会見

◎場所 弁護士会館(人権救済申立と同じ) 5F 508会議室

◎参加者:申立人及び代理人

3、緊急講演会

◎18:30〜20:30

◎場所 文京シビックホール 26階「スカイホール」
東京都文京区春日1-16-21 03(5803)1100
東京メトロ丸ノ内線・南北線 後楽園駅
都営地下鉄大江戸線・三田線 春日駅それぞれ下車すぐ(地下でつながっています)

◎登壇予定者
 特定失踪者問題調査会代表 荒木和博
 北朝鮮による拉致と人権問題に取り組む法律家の会幹事 川人博
 特定失踪者問題調査会理事 山下滋夫
 山本美保さんの妹 森本美砂
 北朝鮮による拉致被害者家族連絡会事務局長 増元照明
 他

◎参加費 500円

◎主催 特定失踪者問題調査会

◎協賛 山本美保さんの家族を支援する会

※記者会見及び講演会は(株)NetLiveのご厚意でインターネット中継の予定です(当日の通信状態によって中継ができず、録画をサイトに載せる形になるかも知れませんので予めご了承下さい)

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2012年3月 2日

河嶋功一さんの件/記者会見

【調査会NEWS1140】(24.3.2)

■河嶋功一さんの件について

 特定失踪者河嶋功一さんにつきまして、このたびご家族の意向で調査会から離れて独自に活動したい旨申し出がありました。従って調査会としては今後河嶋さんご家族に対する直接のフォローを取りやめます。また、現在1万キロ現地調査の途中のためすぐ対応することはできませんが、公開リストからも外すことになります。

 もちろん、対応の変更にかかわらず、私たちとしては河嶋功一さんが拉致被害者である可能性が高いと認識していることに変化はなく、一刻も早く救出されることを期待しております。何卒ご理解を賜りますようお願い申しあげます。

■記者会見のお知らせ

 3月5日月曜日の「山本美保さんに関わるDNAデータ偽造事件」人権救済申立について、申立終了後弁護士会館にて記者会見を行います。報道関係各位にはご多忙中恐縮ですが取材賜りますようお願い申しあげます。

日時 3月5日(月) 15:30頃(申立終了後)〜16:30

場所 弁護士会館(人権救済申立と同じ) 5F 508会議室

参加者 申立人・代理人他

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2012年3月 1日

「ご家族に聞いてみるといいと思いますよ」

【調査会NEWS1139】(24.3.1)

 8年前、DNAデータ偽造事件に「おかしい」という声が上がり始めた頃、警察庁のある外事課課長補佐と話していて山本美保さんのことを持ち出したところ、彼は平然として(しかし目は逸らしながら)、「ああ、山本美保さんのことはご家族に聞いてみるといいと思いますよ」と言い放ちました。山本美保さんがいなくなったのは家庭内の問題が原因だという意味です。当時あちこちで警察はこのような情報を流していたようで、一部には真に受けた議員やジャーナリストもいたようです。

 実はこのようなディスインフォメーションは山本美保さんだけではなく、他の特定失踪者についても行われています。拉致を否定しようとするときにやるのが「あれは家庭に問題があるんだ」とか、「個人的なトラブルが原因だ」「男がいたんだ」といった情報の流布です(もし、他の特定失踪者についてそういう噂が流されている例をご存じの方はぜひご連絡をお願いします)。

 このような情報捜査をやられると、どんな嘘でも周囲の人間はよほどのことがない限り家族には聞けません。しかし疑念は持ち続けるので運動からは遠ざかる。自然と支援の輪は弱まってしまうということです。

 8年前、警察は一所懸命に私たちの動きを抑えようとしていました。こちらを懐柔しようとしてみたり、「弁護士なんてのは信用できないんだ」とか「マスコミはいい加減だ」と言うかと思えば、裏で「調査会とは付き合わない方が良い」という情報を流したり。これがお巡りさんのすることかと思いましたが、考えてみれば彼らは警察庁という行政官庁の人間であって警察官ではないわけですね。

 今様々な形で3月5日の動きに対する妨害が始まっています。それが分かれば分かるほどこの問題を突破しなければ拉致問題の解決はないと痛感しています。皆様のご協力をよろしくお願いします。

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