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2012年3月31日

萩本弘子さん・哲さん・明宏さんの人権救済申立書

【調査会NEWS1167】(24.3.31)

 萩本弘子さん・哲さん・明宏さん(昭和50年に兵庫県高砂市失踪した萩本喜彦さんの奥さんとお兄さん)の人権救済申立書のうち、共通共通の部分以外についてお知らせします。

4 申立の理由

1.被害者萩本喜彦の失踪時の状況

   萩本喜彦(以下、喜彦という)は、1940(昭和15)年1月15日に生まれ、失踪当時兵庫県高砂市中島に住んでいた。

   喜彦は1955(昭和30)年4月神戸製鋼に入社し、失踪時は同社高砂工場の電気保全係として勤務していた。

   1975(昭和50)年4月4日午後9時55分頃(当日は夜勤であった)、自転車で家を出て約2キロ離れた職場に向かったまま自転車ごと消息を絶った。家族、同僚などで探したが本人はもとより自転車をはじめ一切の遺留品らしきものも見つからなかった。その後地元新聞などに記事が掲載されたが全く情報はもたらされなかった。

 2.申立人らのその後の行動

  小泉総理訪朝で5人が帰国すると家族は喜彦の失踪が拉致ではないかと考えるようになった。翌2003(平成15)年1月10日、特定失踪者問題調査会(以下、調査会という)が設立されると家族は調査会に連絡し、2005(平成17)年2月25日に特定失踪者として公開された。さらに2008(平成20)年10月30日に調査会は拉致の可能性の高い、いわゆる「1000番代リスト」に喜彦を載せているが、日本国内では全く情報が出てきていない。

3.拉致以外の可能性について

   本件失踪は、喜彦が500万円のローンを組んで購入した新居に住んで数ヶ月で、3人目の子供が出来て直ぐの出来事である。遊ぶ余裕もなく、実直な家庭人であった。失踪後も人間関係、金銭等のトラブルは一切聞かれず、一つとして自らの意思による失踪の理由が見当たらない。また、事故の形跡もなく、もちろん目撃者もいない。

4.拉致の可能性が高いと考える理由

  以下に述べる事情から総合的に判断すると、喜彦は、北朝鮮当局により拉致された相当の疑いがある。

ア 亡命者による目撃情報

    本件については元北朝鮮工作員で1976(昭和51)年韓国に亡命した金東赫による目撃情報がある(添付資料1)。同亡命者は、喜彦の写真を示されこの人物を数回にわたって目撃したと証言し、具体的に証言する人物像は実際の喜彦に近似している。一般に写真はそのときの表情や髪型などによって同じ人間でも大きく印象が異なるものだが、喜彦の写真はどれも大きな印象の違いはなく、金東赫の記憶も信頼できる。

イ 失踪前後の不可解な出来事

    失踪1ヶ月前頃、住居近くの新幹線ガード下に一人の男性が長時間立ちすくみ、家族で注意を促し合ったことがある。

    失踪翌日には、申立人である長兄、萩本哲宅に無言電話があった。義姉が出て咄嗟に「喜彦ちゃんどうしたん」と尋ね、「お母さんが心配して倒れ入院した」と言うと電話が切れた。転居直後で、喜彦自宅は電話帳に記載がなかった。数日して、男からの電話で、「お母さんの病気てほんまか」との電話があり逆に、「喜彦はどこにいるのか」と聞くと直ぐに切れた。

    その1ヶ月後の6月に入って直ぐに、坂田義勝と名乗る男から、「家の前で喜彦さんが事故をおこし、私の息子ということにして入院している」との不思議な電話がある。その2、3日後に坂田文子なる女性から同じ内容の葉書が届いた。家族は差出人住所を訪ねたが、坂田なる人物は存在しなかった。以上は攪乱工作と思われる。同様の不審電話等のかかった特定失踪者は少なくない。

    また喜彦は、電機工事士、アセチレン溶接士の資格を有し、神戸製鋼所高砂工場で、3本の指に入る優秀な技術者であった。失踪時の北朝鮮は優秀な技術者、優秀な指導者を必要としており、格好の対象者であったと思われる。

ウ 生活圏に大物工作員が居住

    後に序列22位まで上り詰めた北朝鮮の大物工作員「李善実」は日本に密入国後、北朝鮮に帰国事業で渡った「申順女」に成り代わり(添付資料2)、申順女の異母弟の申性福に近づいていった。同人は「私があなたの姉の申順女だ」と名乗り、申性福を騙し、1970年1月から同居する。この同居した地が高砂市伊保町梅井137であり、喜彦住居から約2キロメートルの地点にある。現時点で喜彦と李善実の接点は見つかっていないが、もとより拉致には対象の選定から誘導、見張り、実行部隊等相当の人数が必要であり、地域の事情を分かる人間が必ず存在する。時期的に重なることもあり、何らかの関係があった可能性は否定できない。

4.本件申立に至った理由

   喜彦の失踪から既に37年が経過しているが、数次の報道等がなされたにもかかわらず日本国内からは一切情報が出てきていない。これは情報の出ない地域にいるということを示唆するものである。金東赫の情報は身長や年齢等喜彦とほぼ一致しており、信頼におけるものと思われる。

   そこで、日本政府・警察庁はあらためて北朝鮮による拉致を念頭においた対応を直ちに講ずるべき責務があると言うべきであり、本件申立に至ったものである。

添付資料

1 金東赫・元工作員インタビューとそれを収録したDVD及びこれを文章化したもの
2 申順女身元調査票・身元確認書(韓国政府作成)

     2012年3月23日

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