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2012年5月15日

弔問と救出

【調査会NEWS1189】(24.5.15)

 週刊誌に掲載された横田さんご夫妻のインタビューの中で、横田滋さんが「金正日の死亡のとき弔意を示すべきだった」などの発言をしていることが話題になっています。

 私は率直に言って横田さんの意見には反対です。日本に対する度重なる主権侵害、人権侵害を行い、自国民を弾圧し、餓死させ続けている北朝鮮の指導者に対して、口が裂けても弔意など表したくない、むしろ報復をする前に死んでしまったことが残念な位です。また、今の北朝鮮の体制からして金正日への弔意を表したところでそれが交渉の糸口になるとも思えません。

 しかし、考えてみれば最大の問題は、私などより遥かに金正日による苦痛を受けている横田さんが「弔意を示してでも対話の道を開くべき」と言わざるを得ないことにあります。政府が(あるいは私たち民間も含め日本国総体として)本当の意味であらゆる手段を尽くしているなら、あえて家族がそのような発言をする必要はないからです。

 最終的にはあの体制を変えなければ、生存している全ての拉致被害者奪還は実現しませんが、その入口は、ともかく一人でも二人でも取り返すことから始まります。そのためにはカネを使おうが裏交渉しようが、逆に武力を使おうが構わないと、私は思っています。そう考えれば、確かに金正日への弔意を表すというのも手段としてはありえたのかも知れません。わが国は昭和20年4月、沖縄戦が戦われ、本土の主要都市が無差別爆撃を受けて老若男女を問わず非戦闘員が殺害されていたとき、ルーズベルト米大統領の死亡(4月12日)に際して弔意を表していますから(もっとも、それで米国が戦時国際法違反をやめたわけではありませんが)。

 いずれにしても、横田さんの意見に賛成であれ反対であれ、問題は被害者の家族がこう語らなければならないというわが国全体の構造にあるということを肝に銘じるべきだと思います。もちろん私も例外ではありませんが。

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