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2012年6月 8日

記者会見発表文書

【調査会NEWS1202】(24.6.8)

昨日7日行われた記者会見で発表された内容をお知らせします。項目は以下の通りです。長くなりますが、一括してお知らせします。

1、渡辺秀子さん1000番代リスト発表資料
2、渡辺秀子さんと高敬美さん・剛さんにかかわる事件について
3、短波放送「しおかぜ」の委託事業及び放送費用の見直しについて
4、短波放送「しおかぜ」について
5、特定失踪者問題調査会1万キロ現地調査第8回(北海道地区)結果について
6、「古川了子さんの拉致認定を求める行政訴訟」目的とその経緯
7、「山本美保さんに関わるDNAデータ偽造事件」渡辺義彦議員の質問主意書に関するこれまでのやりとり
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1、渡辺秀子さん1000番代リスト発表資料
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1000番台(拉致の可能性が高い特定失踪者)発表【第18次】

平成24年6月7日
特定失踪者問題調査会

氏 名:渡辺 秀子
よみがな:わたなべ ひでこ
当時の年齢:32〜33歳
生年月日:昭和16(1941)年6月5日
失踪年月日:昭和48(1973)年12月頃
当時の身分:主婦
最終失踪関連地点:東京都目黒区下目黒のマンション
当時の居住地:埼玉県上福岡市(現ふじみ野市)
失踪の状況
 昭和48年6月、夫で在日朝鮮人工作員であることが後に分かる高大基(コ・デギ)が北朝鮮から召還され突然失踪したため、秀子さんはその行方を追って敬美(きよみ 当時6歳)、剛(つよし 同3歳)の子供2人を連れ探し歩く。その過程で高の勤務先とされる東京都品川区にあるユニバース・トレーディング社に辿り着いた。同社は表向きは貿易会社だが、北朝鮮が工作活動を行うための会社であった。工作組織がそのことが明るみに出るのをおそれ、関係者は親子3人を誘い出し、上記マンションに監禁した。子供たちは昭和49(1974)年6月頃、福井県小浜市の岡津海岸から北朝鮮に送られたと言われる。なお平成14(2002)年12月号の石高健次論文「母子『拉致・殺害』北朝鮮工作組織を暴く」では渡辺秀子さんは都内のマンションで殺害されたとされている。

1000番台とする理由
 平成15年1月30日、殺人と国外移送目的誘拐の疑いで、妹の鳥海冏子(とりうみ・けいこ)さんが氏名不祥の数人を容疑者とする告訴状を警視庁に提出。平成19年4月12日、警察庁が長女敬美さん、長男剛さんについて拉致と断定(姉弟拉致容疑事案)し警視庁と兵庫県警の合同捜査本部を設置した。しかしその後も渡辺秀子さんについては遺体等殺害された証拠は見つかっていない。
 曽我ミヨシさんについても曽我ひとみさんん拉致と同時に失踪していることが拉致認定の理由になっているのであるから、高姉弟が拉致断定され、死亡の証拠がない限り渡辺秀子さんんが拉致認定されるのは当然と考え、1000番代リストに入れたものである。
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2、渡辺秀子さんと高敬美さん・剛さんにかかわる事件について
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平成24年6月7日
渡辺秀子さんと高敬美さん・剛さんにかかわる事件について
特定失踪者問題調査会 代表 荒木和博

 6月2日、3日の両日行われた北海道での現地調査の折、私たちは渡辺秀子さんの妹であり、高敬美・剛姉弟の叔母にあたる鳥海冏子(とりうみ・けいこ)さんとお会いして現状について報告、高姉弟の警察拉致断定後の変化についてお聞きし、事実上政府から何の報告も受けていないことが分かった。高姉弟については平成19年4月12日、警察庁が拉致と断定し同日警視庁・兵庫県警の合同捜査本部を設置しているが、それ以降ほとんど何の結果も出ていない。

 髙姉弟は警察が拉致断定をし、渡辺秀子さんについては殺害されたとの情報もあることから、調査会としてもその後具体的な対応をほとんどしてこなかったが、今回鳥海さんからお話をお聞きしたことを契機に私たち自身も強く反省するとともに、あらためて本件についてしっかりと対応していくべきとの認識に至った。

 その第一歩として、本日調査会では渡辺秀子さんを拉致の可能性の高い失踪、通称1000番代リストに加えた。本件は秀子さんが殺害されたとの確証がなく、また高姉弟については拉致が確実なのだから、曽我ミヨシさん同様拉致認定されるのが当然のケースであると考える。今後私たちは次の3点を軸として取り組みを進めていくものである。

1、渡辺秀子さんは死亡したという確証がない限り拉致被害者として認定され、生存を前提とした救出への努力がなされるべきである。政府に対し渡辺秀子さんの拉致認定を求めていく。

2、髙姉弟については支援法の国籍規定から拉致認定に至っていないが、母親が日本人であり、しかも子供のときに連れて行かれているのだから本来当然拉致認定されるべきケースである。今後政府及び拉致議連に対して支援法二条の「日本国民」を「日本国民及びその親族」へと法改正するよう求めていく。

3、ご家族には警察断定後何の報告もされていない。「政府認定被害者の家族にもほとんど報告はしていないのだから、これが認定者並」という認識であれば不作為もここに極まれりである。関係各機関には本件に限らず、また政府認定者・未認定者の別なく納得のいく報告をするよう強く求めていく。

以上
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3、短波放送「しおかぜ」の委託事業及び放送費用の見直しについて
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平成24年6月7日
短波放送「しおかぜ」の委託事業及び放送費用の見直しについて
特定失踪者問題調査会

●政府公報委託事業の拡充

 松原仁・拉致問題担当大臣から本年1月の就任直後に「しおかぜ」への支援について積極的に発言があり、関係機関との協議を行ってきたが、このたび平成24年度からの事実上の増額が実現する事となった。

 政府・拉致問題対策本部との間では、これまでも放送委託事業として、政府公報・北朝鮮向けラジオ番組「ふるさとの風」等の紹介と、日本政府からのメッセージを「しおかぜ」の番組内で、毎回1分間伝える事業委託として請け負ってきた。今回、松原大臣の意向を受け、現状1ヶ月単位で更新していたこの政府公報を隔週で更新することで事実上の増額が実現することとなった。金額的には昨年度実績の約20%増、年間約1千万円程度になる。

●KDDIとの契約変更

「しおかぜ」は、平成19年3月末より、KDDI(株)が所有しNHKが独占使用する八俣送信所(茨城県古河市)を賃借し、国内から北朝鮮へ向けて電波を発信し放送してきたが、賃借開始以来、初めての契約見直しが行なわれ平成24年度より実施の運びとなった。

 これまで「しおかぜ」が、1日2時間の放送を行なうためには、月額約100万円の送信費用を支払う必要があり、半年毎の施設使用契約等の更新に伴う協議会で、NHK、KDDI(株)、調査会は月額送信費用についても話し合いを続けてきた。そして、この度KDDI(株)と調査会は月額約70万円へと送信費用を見直す事で合意に至り、本年度より実施される事とになった。

 以上によって送信にかかわる費用の調査会負担は事実上なくなり、「しおかぜ」については制作費及び収録設備等にかかわる費用の負担で済むこととなった。本件にあたっては松原仁拉致問題担当大臣・安倍晋三元総理・そして平沼赳夫会長をはじめとする拉致議連の方々のご協力及び関係各機関の実務関係者の皆様のご尽力により実現したものである。この場をお借りして関係者の皆様に改めて感謝申し上げる。

 これにより余裕の出た部分は放送内容の充実、バルーン・プロジェクトや対北朝鮮FAX送信の強化、現地調査の質量両面の強化及び何より重要な拉致被害者情報収集と被害者の直接救助等に振り向けていく。これらを進めていく上ではまだ予算的に十分とは言えず、「特定失踪者問題調査会を支援する会」など関係各方面の協力も得ながらさらに活動の強化を進めていくものである。
以上
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4、短波放送「しおかぜ」について
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短波放送「しおかぜ」について
「しおかぜ」担当 専務理事 村尾建兒

●北朝鮮による妨害電波

 北朝鮮による「しおかぜ」に対する妨害電波は、「しおかぜ」が如何に効果的であるかを証明している事は言うまでもありませんが、体制交代後の北朝鮮からの妨害電波には大きな変化が見て取れます。

 「しおかぜ」は5月30日夜22:30〜の放送より周波数変更を行いました。すると北朝鮮は翌日31日の放送時間中から妨害電波を発射していると各方面のリスナーより報告が相次ぎ、翌朝の5:00〜の放送でも妨害が発射されている報告が届いていました。この状況は総務省の電波監視部門でも確認済みで発信元は北朝鮮です。

 北朝鮮による「しおかぜ」に対する妨害は、遅くても1週間程度で追従して来ましたが、ここ最近では3日以内という対応が多く、今回も2日目の途中でのハイスピードです。本年に入り北朝鮮市民に対する北朝鮮当局によりラジオの取り締まりも厳しくなっている報道もあります。

 体制維持のためには、外部からの情報流入が命取りになる事は、これまでの共産国家崩壊等、歴史が証明しています。妨害電波の状況から見てもこれまで以上に北朝鮮内が不安定である現れです。「しおかぜ」はこの好機を逃す事なく、一層の情報注入と緊急事態に備えた体制を拡充し、放送を続けて参ります。

●家族メッセージ収録

 ご報告している通り、第8回1万キロ現地調査(北海道)においてご家族によるメッセージ収録を行ないました。

 釧路では全日程同行された、特定失踪者曽ヶ端崇史(そがはた・たかふみ)さんのご両親である曽ヶ端勝さん・富子さん。帯広では特定失踪者渡辺秀子さんの妹であり、警察断定拉致被害者の高敬美・剛(こう・きよみ つよし)姉弟の叔母にあたる鳥海冏子(とりうみ・けいこ)さんから収録をさせて頂きました。

 この模様は6月9日(土)から朝鮮語、日本語版組の中で放送致します。収録にご協力くださったご家族の皆様に改めて感謝申し上げます。

以上
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5、特定失踪者問題調査会1万キロ現地調査第8回(北海道地区)結果について
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24.6.7
特定失踪者問題調査会 1万キロ現地調査第8回(北海道地区)結果について

日程 : 平成24年6月1日(金曜・前泊)〜6月3日(日曜)

調査地域 : 北海道 東部地域

走行距離 : 383Km (累計 : 2,414Km)

参加者
調査会役員 : 代表荒木・副代表岡田・常務理事杉野・専務理事村尾(事務局)・常務理事曽田(事務局)
特定失踪者家族 : 曽ヶ端勝さん・富子さん(曽ヶ端崇史さんの両親)
救う会北海道 : 藤野義昭代表・森麻智子事務局長・川上恒雄氏

6月2日(土) 

①釧路市内調査

曽ヶ端崇史さん・吉田雪江さん・髙橋勝彦さん・非公開女性Kさん・非公開男性Sさん・Mさん等 失踪関連地点

②帯広市内調査
渡辺秀子さん・高 敬美・剛兄弟に関する聞取り調査他
6月3日(日)

③十勝岳温泉登山口調査
小野寺将人さん(十勝岳・富良野岳登山口『凌雲閣』周辺)

④富良野地域調査
前上昌輝さん・小野寺さん失踪関連地点

⑤旭川市内調査
三上慎一郎さん・前上さん失踪関連地点
今回の調査対象となった失踪者の状況

1 曽ヶ端 崇史さん
氏名 : 曽ヶ端 崇史(そがはた たかふみ)
生年月日 : 昭和48(1973)年6月19日
性別 : 男性
当時年齢 : 22歳
職業 : 釧路公立大経済学部3年生
当時居住先 : 釧路市芦野
失踪年月日 : 平成7(1995)年8月24日
最終失踪関連地点 : 釧路市芦野付近

失踪状況
厚岸町で塾のバイトをしていた。仕事終了後、崇史さんは私有車でバイト先の同僚と8人位で午後9時過ぎ、釧路市愛国東4丁目の「カウベル」という軽食喫茶に行く。同僚2人とそこを出てから同市昭和で1人を下ろし、さらに同じく芦野5丁目で1人を下ろし下宿に向かう。以来消息なし。26日夕方、実家から電話するが応答無し。25日朝大家さんが見たときは車がなかった。この日下宿に戻ったかは不明。車(白のレオーネ、ナンバー「62-00」)も不明。

2 吉田 雪江さん
氏名 : 吉田雪江(よしだ ゆきえ)
生年月日 : 昭和24(1949)年2月18日
性別 : 女性
当時年齢 : 17歳
職業 : 電話交換手
当時居住先 : 釧路市材木町
失踪年月日 : 昭和42(1967)年1月28日
最終失踪関連地点 : 釧路市内の自宅を出て
失踪状況
失踪当日、会社の同僚の結婚式が午後6時頃からあったため、退勤後、自宅に戻り着替えてから式場に向かった。式場は釧路市浦見の三吉神社で結婚式終了後、式場から一旦自宅に戻り(徒歩30分位)、午後8時30分から9時の間位に「新婚旅行への出発を見送りに行く」と時刻表を指して時間を確認し自宅から長靴で出かけた。服装は結婚式に出た服装。オーバーを羽織っていた。当時家にいた弟さんが見ているが、慌てて出ていった感じではなかった。 駅までは徒歩で30分位。実際の新婚旅行の出発は選挙のため変更になっていた。警察の調べでは駅で見かけた人はいなかった。 白糠から結婚式に参列した人も同じ9時30分の列車で帰るはずだったが、その中にも雪江さんを見た人はいない。荷物も持っておらず、社内預金もそのまま、その後無言電話など家族の身辺に変わったことはない。

3 高橋 勝彦さん
氏名 : 高橋 勝彦(たかはし かつひこ)
生年月日 : 昭和34(1959)年7月5日
性別 : 男性
当時年齢 : 27歳
職業 : 教員
当時居住先 : 釧路市城山
失踪年月日 : 昭和62(1987)年1月22日
最終失踪関連地点 : 釧路市内
 失踪状況
 前日(1月21日)夜12時まで釧路市内にある勤務先の学校の同僚と一緒にいた。その後帰宅して翌朝出勤しなかった。学校には21日に支給された給料袋がそのままおいてあった。同僚の先生たちは飲みに行って事件にでも巻き込まれたのかと思い写真を持って回って調べたがまったくそれらしい情報はなかった。 車を買ったばかりで借金はあったが明るくきちんとした性格で、それでいなくなるようなことはありえないとのこと。車は校宅に置いたままであった。

4 K(非公開)さん
氏名 : K
生年月日 : 昭和37(1962)年
性別 : 女性
当時年齢 : 23歳
職業 : 専門学校生
当時居住先 : 釧路市鶴ヶ岱
失踪年月日 : 昭和60(1985)年秋
最終失踪関連地点 : 釧路市内
失踪状況
 専門学校に通うため、釧路市鶴ヶ岱の学生アパートに入居していた。 昭和60年9月18日(水)、学校から「欠席」の連絡があり、失踪を確認。室内に他人が入った形跡も無く眼鏡(近視用)も置いたままであったため、「16日(月曜・振替休日)の夕方に近くの大衆浴場へ行き、その途中で失踪した」との話もある。(ただし浴場に行ったこと自体は確認されていない)。

5 S(非公開)さん ・ 6 M(非公開)さん
氏名 : S
生年月日 : 昭和53(1978)年
性別 : 男性
当時年齢 : 18歳
職業 : 自動車整備工
当時居住先 : 釧路市
失踪年月日 : 平成8(1996)年秋
最終失踪関連地点 : 釧路市内

氏名 : M
生年月日 : 昭和52(1977)年
性別 : 男性
当時年齢 : 19歳?
職業 : 店員
当時居住先 : 釧路市
失踪年月日 : 平成8(1996)年秋
最終失踪関連地点 : 釧路市内
失踪状況
 SさんはMさんの車で一緒に夜10時30分頃、「中古車を見に行ってくる」と言い出かけた。11時30分頃戻り、5分位でまた出かける(足音だけで家族で会った者なし)。その後、日曜にも帰らず。月曜、仕事先に連絡すると出社しておらず、Mさん宅にも確認をとったが友人も戻っておらず、失踪と分かり警察に届ける。

 半年後に釧路市西港第三埠頭で浚渫工事中に車のナンバーがついたバンパーが発見され、翌日海岸より車を引き上げた。車中には人間はおらず、本人たちの所持品(二人の免許証、タバコ、財布、ライター等)が残っていた。後日海中での探索作業をしたが何も見つからなかった。
無言電話が失踪翌年のに2〜3回あった。受話器を取ってから5秒前後で切れた。

6 小野寺 将人さん
氏名 : 小野寺 将人(おのでら まさと)
生年月日 : 昭和42(1967)年2月15日
性別 : 男性
当時年齢 : 24歳
職業 : ホテル従業員
当時居住先 : 登別市
失踪年月日 : 平成3(1991)年7月19日
最終失踪関連地点 : 登別から富良野に至る途中
失踪状況
 富良野ラベンダー祭に登別駅からレンタカーで出発。1泊2日の予定だったがホテルが取れず車中泊すると家族に言っていた。そのまま消息を絶つ。
 同年10月20日、北海道新聞に富良野地区中心に尋ね人の折り込み広告を出す。10月月26日、十勝岳中腹のホテル凌雲閣の駐車場でレンタカーが発見される。免許証はなかった。銀行預金は引き出されていない。身辺にトラブルはなかった。北朝鮮にいるとの未確認情報がある。

7 渡辺 秀子さん・高 敬美・剛さん(親族が帯広市に居住)
氏名 : 渡辺 秀子(わたなべ ひでこ)
生年月日 : 昭和16(1941)年6月15日
性別 : 女性
当時年齢 : 32歳
職業 : 主婦
当時居住先 : 埼玉県上福岡市
失踪年月日 : 昭和48(1973)年12月頃
最終失踪関連地点 : 東京都目黒区のマンション

氏名 : 高 敬美(こう きよみ)・剛(つよし)
生年月日 : 敬美 : 昭和42(1967)年4月10日
          剛 : 昭和45(1970)年6月29日
当時年齢 : 姉・敬美 : 6歳
          弟・ 剛 : 3歳
当時居住先 : 埼玉県上福岡市
失踪年月日 : 昭和48(1973)年12月頃
最終失踪関連地点 : 東京都目黒区のマンション
  失踪状況等は別紙資料参照

8 前上 昌輝さん
氏名 : 前上 昌輝(まえがみ まさてる)
生年月日 : 昭和32(1957)年7月16日
性別 : 男性
当時年齢 : 20歳
職業 : 無職
当時居住先 : 京都府京都市左京区北白川
失踪年月日 : 昭和52(1977)年10月22日
最終失踪関連地点 : 旭川市  旭川駅
 失踪状況
 10月20日に4ヶ月ほど働いた富良野の牧場を退職。同日から旭川駅前の第一ホテルに2泊。10月22日10時前後、旭川駅の荷物一時預かり所に「3日間お願いします」とザックを預け、以来消息を絶っている。

 11月初旬、実家に男性の声で電話が入った。声の主は低い声で「前上昌輝の家の者か」とだけ尋ねた。電話に出た母親が「昌輝のことを知っているお方ですか」と数回叫んだが、それには答えず「また電話する」と言って電話を切った。以来手がかりは全くない。

10 三上 慎一郎さん
氏名 : 三上 慎一郎(みかみ しんいちろう)
生年月日 : 昭和40(1965)年4月4日
性別 : 男性
当時年齢 : 18歳
職業 : 旭川東高校3年生
当時居住先 : 旭川市東旭川北1条
失踪年月日 : 昭和58(1983)年11月20日
最終失踪関連地点 : 旭川市内の自宅を出て
失踪状況
 朝「図書館に行く」と言って自宅前のバス停からバスに乗って出かけたまま。当日は図書館は休みだった。そわそわしていて様子が変だったので部屋に行ったら書き置き(自分白書)があった。失踪前に無断外泊したことはない。スポーツが好きで失踪する3カ月前にも相撲大会に出たりしていた。今のところ直接の関係は見つかっていないがちょうど5年後の昭和63(1988)年11月20日に同じ旭川東高校出身の石坂孝さん(厚生省技官)が都内の官舎から失踪している。
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6、「古川了子さんの拉致認定を求める行政訴訟」目的とその経緯
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「古川了子さんの拉致認定を求める行政訴訟」目的とその経緯

この訴訟は、北朝鮮当局による拉致事件について、被害者家族が日本政府に対して被害者認定を求める初めての訴訟であり、拉致被害者の救出を実現する為に裁判所が適格な判断を行うことを求めるものです。又、被害者古川了子一人についての提訴であるが、本訴訟の背景にはいまだ政府認定されていない数多くの被害者の存在があり、実質的に日本政府はこれらの被害者救出のための重要な一歩でもあります。

《 提訴 平成17年4月13日 》

第一回口頭弁論 平成17年6月7日(東京地裁606号法廷)
   原告側  古川了子さんの姉、竹下珠路さんからの口頭陳述
        主旨 ・ 平成9年北朝鮮の元工作員、安明進氏からの目撃証言について
平成14年12月千葉県警本部に対し「古川了子の北朝鮮による拉致事案として捜査要請」を行ったこと。
平成16年1月千葉県警本部に対し被告発人不明のまま「国外移送目的略取誘拐」の罪で告発したこと。
古川了子さんの拉致認定を求める署名活動で、148,123名分署名簿を平成17年3月22日内閣府に提出したこと。   等々
            そして、「32年の歳月はあまりにも長く、本人を待ち侘びる母も命に限りがあります」 と早期救出を求め、訴えた。
    被告側  「本件裁判は訴訟要件がなく、却下すべきである」と門前払いを主張。

第2回口頭弁論 平成17年8月4日(東京地裁606号法廷)
    原告側  国の政府認定者に対する対応と未認定者に対する対応の大きな違いを厳しく指摘。
    被告側  第一回同様門前払いを主張。

第3回口頭弁論 平成17年10月20日(東京地裁606号法廷)
    原告側  門前払いを求める政府に反論を加えるとともに、具体的な証人申請をおこなった。
    被告側  「拉致の認定をしようとしまいと政府は同じように被害者救済のために努力している」と、従前同様に門前払い主張。

第4回口頭弁論 平成17年12月6日(東京地裁606号法廷)
被告側は従来通り門前払いの判決を求め、もう裁判は終結して却下の判決を出してもらいたいと要求。弁護側は被告側の主張は全く実態に合わない不当なものであり、次回から証人調べを開始するよう求めた。具体的には安明進氏、竹下珠路氏、荒木和博調査会代表、増本照明家族会事務局長の4人の証人申請。

第5回口頭弁論 平成18年1月26日(東京地裁606号法廷)
    被告側が頑なな姿勢を変えない事から進展が見られず、裁判官より今後の訴訟の進め方について相談する為に、進行協議期日を入れたいとの提案がなされ、双方同意する。

第1回進行協議期日(非公開) 平成18年2月27日(東京地裁)
     原告側  証人尋問を実施すべきことを申し入れ。
     被告側  1、先の日朝協議で古川了子さんを含む特定失踪者のリストを北朝鮮側に示し回答を求めたこと。
          2、ご家族の要望があれば出来る範囲でこの協議について説明すること。
            が報告された。

第2回進行協議期日(非公開) 平成18年4月12日(東京地裁)
      6月24日(水)午前10時半〜11時半 東京地裁606号法廷で、荒木和博調査会代表の証人尋問を行うことが決定された。

第6回公判 平成18年6月28日(東京地裁606号法廷)
      この裁判で初めての証人尋問として調査会荒木代表が証言台に立ち、この裁判で最も重要である点について30分という制約があったものの、誠に的確な証言をしていただいた。被告国側からも5分間ほど反対尋問があった。

第3回進行協議期日(非公開) 平成18年7月18日(東京地裁)
     原告側から、安明進氏と竹下珠路氏に証言の機会をもってほしいと強く申し入れた。
     次回公判を9月1日11時から606号法廷で実施することが決定された。

第7回公判 平成18年9月1日(東京地裁606号法廷)
      安明進氏、原告竹下珠路氏の証人尋問を11月1日に行うことが決定された。

第8回公判 平成18年11月1日(東京地裁606号法廷)
     安明進氏、原告竹下珠路氏の証人尋問が行われた。
     安明進氏は古川了子さんを目撃したときの状況について、竹下珠路氏からは古川了子さんの失踪状況やその後の政府の対応などについて、原告弁護団からの質問に答えた。被告国側からの反対尋問は一切なし。証人調べの後、裁判長から和解に向けての協議を行いたい旨発言され、双方日程の調整をした。次回は進行協議期日(非公開)を行うこととなった。

* 第4回進行協議期日(非公開) 平成18年11月14日(東京地裁)
    冒頭に裁判長より、裁判所が和解を勧告したのは、本件で原告被告とも、拉致問題解決という同じ方向にベクトルが向いていると考えたからである旨説明があった。
    原告側は裁判所に対して、本訴訟の目的は、古川了子さんを含め拉致被害者全員の救出活動を前進させることであり、この目的に照らして適切な内容の和解(合意)であれば、受け入れる用意があるとの立場を表明した。次の和解協議期日は12月18日(非公開)となった。

第5回和解(進行)協議期日(非公開)平成18年12月18日
第6回和解(進行)協議期日(非公開)平成19年1月10日
第7回和解(進行)協議期日(非公開)平成19年2月5日
第8回和解(進行)協議期日(非公開)平成19年3月12日
第9回和解(進行)協議期日(非公開)平成19年3月30日
     第9回の公判を4月26日に決定

第9回公判 平成19年4月26日(東京地裁606号法廷)
    国側より、拉致問題対策本部事務局の筆頭室長として、拉致問題に関連する業務を総括し、特に被害者家族に対する対応に責任を有する内閣官房拉致問題対策本部事務局総合調整室室長・内閣府拉致被害者等支援担当室室長 河内隆氏が別紙表明書を法廷で読み上げて表明したことにより、原告は本件訴えを取り下げ、和解が成立した。

(資料提供:特定失踪者問題調査会   資料作成:「古川了子さんを救う千葉集会」実行委員会・‘07.5.15)
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7、「山本美保さんに関わるDNAデータ偽造事件」渡辺義彦議員の質問主意書に関するこれまでのやりとり
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「山本美保さんに関わるDNAデータ偽造事件」
 渡辺義彦議員の質問主意書に関するこれまでのやりとり

作成 特定失踪者問題調査会

 質問主意書は4月10日に提出され、答弁書が4月20日に送付。再質問主意書は5月10日に提出され、その答弁書は5月18日に送付。第3回質問主意書は5月24日に提出され、その答弁書は6月1日送付された。

 以下は個々の質問ごとにやりとりを並べたものである。

一、事件当時の人事及び組織について①
<最初の質問主意書>
 美保とYとが同一人物であると山梨県警が発表した平成十六年三月五日当時、以下の役職にあった者は誰か。
  警察出身の総理秘書官 警察庁長官  警察庁警備局長 警察庁外事課長 山梨県警警備一課長
<答弁書>
 お尋ねの役職にあった者は、内閣総理大臣秘書官が小野次郎、警察庁長官が佐藤英彦、警察庁警備局長が瀬川勝久、警察庁警備局外事課長が五十嵐邦雄、山梨県警察本部警備部警備第一課長が丸山潤である。

一、②
<最初の質問主意書>
右記山梨県警警備一課長が山梨県警に異動する前の役職は何で、山梨県警に異動したのはいつか。
<答弁書>
 お尋ねの役職は、警察庁警備局外事課付兼長官官房総務課付であり、異動時期は平成十四年九月三日である。

一、③
<最初の質問主意書>
 その後警察庁警備局には外事情報部が新設されたと聞いているが、その時期はいつか。また、初代の外事情報部長及び当時の外事課長は誰か。
<答弁書>
 お尋ねの時期は、平成十六年四月一日である。また、お尋ねの役職にあった者は、警察庁警備局外事情報部長が三谷秀史、警察庁警備局外事情報部外事課長が五十嵐邦雄である。

二、遺体鑑定について ①
<最初の質問主意書>
 Yが美保であれば、海中に遺体があった期間は最大限美保失踪の六月四日からYの発見された二十一日までの十七日間である。鑑定書によれば、Yは顔面に特別の外傷がないにもかかわらず十三本の歯牙が脱落していた。通常歯根膜腐敗による歯牙の脱落は最短で三ヶ月程度かかるものと理解している。法医学の権威である上野正彦・元東京都監察医務院長は歯牙の脱落について「半年以上、あるいは一年くらい経たないと。歯茎が崩れて歯の根っこと骨が緩んでしまうっていうことですから非常に長い時間かかりますよ」とテレビ局の取材に対して語っているが、十七日間で脱落が起きるというのはどのような場合であるか。
<答弁書>
 山梨県警によると、同県警察において法医学の専門家に確認したところ、歯の脱落については、例えば、海中生物による蚕食等により顔面が白骨化し、歯と歯槽骨を接着する歯根膜の融解・消失が進み、これが海底、岩礁等に接触等することにより死後早期に起こることがあるとのことである。
<再質問主意書>
 答弁で「山梨県警によると」とあるが、この認識は警察庁も同様であるか。また、「海底、岩礁等に接触等することにより」とあるが、山形の身元不明遺体(以下「Y」と略)の遺体の鑑定書及び添付写真には頭蓋骨が何かに接触して損傷したことを示すものはない。警察庁も同様の認識を持つのであれば頭蓋骨に損傷がないにもかかわらず十七日以内に多数の歯が脱落した具体的な実例にどのようなものがあるか示されたい。
<再答弁書>
 お尋ねの「この認識」が具体的に何を指すのか必ずしも明らかでないが、山本美保氏に係る事案については、現在山梨県警察において所要の捜査を継続しているところであり、先の答弁書(平成二十四年四月二十日内閣衆質一八〇第一八二号。以下「前回答弁書」という。)二の①についてから二の④についてまででお答えした以上の詳細を明らかにすることは、捜査機関の活動に支障が生じるおそれがあることから、差し控えたい。
<第3回質問主意書>
 答弁書に「歯の脱落については、例えば、海中生物による蚕食等により顔面が白骨化し、歯と歯槽骨を接着する歯根膜の融解・消失が進み、これが海底、岩礁等に接触等することにより死後早期に起こることがある」とあるが、警察庁も「歯の脱落については、例えば、海中生物による蚕食等により顔面が白骨化し、歯と歯槽骨を接着する歯根膜の融解・消失が進み、これが海底、岩礁等に接触等することにより死後早期に起こることがある」と認識しているのか。認識しているなら「早期」とは具体的にどの程度の期間を意味するのか。
<第3回答弁書>
一の①について
 警察庁としては、御指摘の「歯の脱落については、例えば、海中生物による蚕食等により顔面が白骨化し、歯と歯槽骨を接着する歯根膜の融解・消失が進み、これが海底、岩礁等に接触等することにより死後早期に起こることがある」との見解は、山梨県警察において確認した法医学の専門家の見解であり、信頼できるものと考えている。
 また、お尋ねの「「早期」とは具体的にどの程度の期間」かについて一概にお答えすることは困難であるが、当該専門家によれば、衆議院議員渡辺義彦君提出特定失踪者にかかわるDNA鑑定問題に関する質問主意書(平成二十四年四月十日提出質問第一八二号。以下「先の質問主意書」という。)二の①で御指摘の「十七日間」以内の期間で歯の脱落が起こることがあるとのことである。

二 ②

<最初の質問主意書>
 鑑定書によればYは一部屍蝋化していたとされている。屍蝋化は冷たい海中において通気がない状態で死後三ヶ月程度して始まると理解しているが、前記上野・元院長は同じくテレビ局の取材の中で、鑑定書の写真を見て「このご遺体の写真を見る限りでは、かなりもう三か月から半年くらい過ぎたような感じを受けますよね。で、一部屍蝋化しているような感じも受けますので、屍蝋化するのには三か月以上はかからないとね、普通は」と語っているが、最大限十七日間で屍蝋化が始まるというのはどのような場合であるか。
<答弁書>
 山梨県警察によると、同県警察において法医学の専門家に確認したところ、屍蝋化は空気の遮断等により遺体に化学変化が起こり形成されるものであり、死後二週間程度で屍蝋化が発言した例があるとのことである。
<再質問主意書>
 答弁で「山梨県警によると」とあるが、この認識は警察庁も同様であるか。同様であるとすれば「死後二週間程度で屍蝋化が発現した例」とは具体的にどの様な例であるか。
<再答弁書>
二①と同じ
<第3回質問主意書>
 答弁書に「屍蝋化は空気の遮断等により遺体に化学変化が起こり形成されるものであり、死後二週間程度で屍蝋化が発現した例がある」とあるが、警察庁も「屍蝋化は空気の遮断等により遺体に化学変化が起こり形成されるものであり、死後二週間程度で屍蝋化が発現した例がある」と認識しているのか。
<第3回答弁書>
 警察庁としては、御指摘の「屍蝋化は空気の遮断等により遺体に化学変化が起こり形成されるものであり、死後二週間程度で屍蝋化が発現した例がある」との見解は、山梨県警察において確認した法医学の専門家の見解であり、信頼できるものと考えている。

二 ③

<最初の質問主意書>
 前記歯牙脱落は歯根膜腐敗によって起き、屍蝋化は腐敗しない条件で起きるが、この両者が十七日間で同時に起きるというのはどのような場合であるか。
<答弁書>
 山梨県警察によると、同県警察において法医学の専門家に確認したところ、歯根膜の融解・消失と屍蝋化は別個の現象であり、双方の現象が死後早期に同時に進行しても矛盾はないとのことである。
<再質問主意書>
 答弁で「山梨県警によると」とあるが、この認識は警察庁も同様であるか。同様であるとすれば歯の脱落と屍蝋化が早期かつ同時に進行した例には具体的にどのようなものがあるか。 また、 山梨県警が確認した法医学の専門家とは誰か。
<再答弁書>
前半二①と同じ。後半は以下の通り。
  また、お尋ねの法医学の専門家が誰であるかを明らかにすることは、今後の捜査機関の活動において関係者の協力を得ることが困難になるなどの支障が生じるおそれがあること等から、差し控えたい。
<第3回質問主意書>
 答弁書に「歯根膜の融解・消失と屍蝋化は別個の現象であり、双方の現象が死後早期に同時に進行しても矛盾はない」とあるが、警察庁も「歯根膜の融解・消失と屍蝋化は別個の現象であり、双方の現象が死後早期に同時に進行しても矛盾はない」と認識しているのか。認識しているなら「早期」とは具体的にどの程度の期間を意味するのか。
<第3回答弁書>
 警察庁としては、御指摘の「歯根膜の融解・消失と屍蝋化は別個の現象であり、双方の現象が死後早期に同時に進行しても矛盾はない」との見解は、山梨県警察において確認した法医学の専門家の見解であり、信頼できるものと考えている。
 また、お尋ねの「「早期」とは具体的にどの程度の期間」かについて一概にお答えすることは困難であるが、当該専門家によれば、先の質問主意書二の③で御指摘の「十七日間」以内の期間で歯根膜の融解・消失と屍蝋化の双方の現象が同時に進行しても矛盾はないとのことである。

二 ④

<最初の質問主意書>
 Yの鑑定書四ページには「頭頂部から臀部下端まで約九五㎝」とあり、十六ページには「右臀部下端に上右から下左に走る長さ約五・五㎝、幅約一・五㎝の創あり。創縁は整、創端は尖る (写真七・八・一二)」と記載されている。写真にある創の位置からすれば、「頭頂部から臀部下端」が座高にあたる長さを示すものであることは明らかである。その場合、Yが美保であれば遺体の身長は百六十センチメートルであるから、座高九十五センチメートル、股下高六十五センチメートルという体型となる。美保の高三のときの身長は百五十九・五センチメートル、座高は八十七・四センチメートルであるから股下高は七十二・一センチメートルになり全く別人であることは明らかだが、これを同一人であるとする根拠は何か。
<答弁書>
 山梨県警察によると、同県警察においてご指摘の鑑定書を作成した鑑定人に確認したところ、ご指摘の身元不明死体は身体の一部が離脱していたものであり、当該鑑定書には、残存する御遺体の座高ではなく、全長が記されているとのことである。
<再質問主意書>
 答弁で「山梨県警によると」とあるが、この認識は警察庁も同様であるか。同様であるとすれば、当該質問主意書に記した鑑定書七ページ第六項16の「右臀部下端」の創の位置(添付写真7・8・12)からしてそれが遺体の全長であるかどうかに関係なく、「頭頂部から臀部下端」は座高に匹敵するものであると考えられるが、他にいかなる見解があるのか。
<再答弁書>
二①と同じ。
<第3回質問主意書>
 答弁書に「御指摘の身元不明死体は身体の一部が離脱していたものであり、当該鑑定書には、残存する御遺体の座高ではなく、全長が記されている」とあるが警察庁も山形の身元不明遺体について「身体の一部が離脱していたものであり、当該鑑定書には、残存する御遺体の座高ではなく、全長が記されている」と認識しているのか。
<第3回答弁書>
 警察庁としては、御指摘の「御指摘の身元不明死体は身体の一部が離脱していたものであり、当該鑑定書には、残存する御遺体の座高ではなく、全長が記されている」との見解は、山梨県警察において確認した当該鑑定書を作成した鑑定人の見解であり、信頼できるものと考えている。

二 ⑤

<最初の質問主意書>
Yの遺留品であるブラジャーのサイズはA70であった。一方美保が通常着用していたブラジャーはB75ないしB80であった。多数の女性に確認したところではB75ないしB80のブラジャーを着用していた者がA70のブラジャーを着用することはほぼ不可能であり、できたとしても極めて無理な着用であって本人が選ぶことはあり得ないとの一致した見解を得ている。警察は美保がA70のブラジャーを着用可能であるとしているが、それは「無理をすれば着用できる」という、可能性を論じているのか。あるいは美保が実際にA70のブラジャーを着用していたことを確認しているのか。
<答弁書>
 山梨県警察によると、ご指摘の遺留品については、同県警察において関係メーカーに確認したところ、昭和五十六年に記録された山本美保氏の体型と同様の体型の方が着用することが可能なものであるとのことである。
<再質問主意書>
 (質問主意書の)趣旨は「可能性を論じているのか。あるいは美保が実際にA七〇のブラジャーを着用していたことを確認しているのか」というものである。答弁ではA七〇のブラジャーを着用していたことを確認していなかったことが明らかになった。当職は山本美保がA七〇のブラジャーを所持していなかったことを家族から確認しているが、警察庁としては山本美保がそれを所持していたことを確認しているのか。
<答弁書>
 山本美保氏に係る事案については、現在、山梨県警察において所要の捜査を継続しているところであり、前回答弁書二の⑤についてでお答えした以上の詳細を明らかにすることは、捜査機関の活動に支障が生じるおそれがあることから、差し控えたい。

三 警察庁の認識について

<最初の質問主意書>
①本件について、平成二十四年四月二日に開催された拉致議連総会の席上、牛嶋正人警察庁外事課長は「山本さんの事件につきましては、DNAの鑑定から漂着した遺体と一致したということでございますが、私共これをもってこの事件が解決したなどとは思っておりません。DNAが一致した上で、事件の可能性もあります。あるいは拉致の可能性も否定できるものではありません。ですので、これについても引き続き捜査をやっておるところでございます」と発言している。警察庁としては現在もYと美保が同一人物であると断定しているのか。

②平成十八年十一月九日の記者会見で、当時の漆間巖警察庁長官は拉致認定要件の緩和について「拉致ではないものが一件でもあると反撃を食らう。犯罪に該当するものを拉致事案に掲げており、警察が追加するとしたら(意思に反して移送されたなどの)三要件は譲れない」と語り、拉致認定要件が厳格でなければならないとしている。一方で前記のように美保とYには警察が発表した「DNAデータの一致」という言葉以外に両者が同一であることを示すものはないように思われる。拉致認定にあたっては厳格で、拉致の可能性のある失踪者については、公開できない「DNA鑑定書」と称するもの以外同一と判断できる根拠に乏しい身元不明遺体であると断定するのはその姿勢自体が明らかに矛盾していると思うがいかがか。
<答弁書>
 警察庁としては、山梨県警察において、検視及び司法解剖の結果得られた血液型、性別、推定年齢、推定身長等に関する事項、DNA型鑑定の結果等を踏まえ、ご指摘の身元不明死体が山本美保氏の御遺体であると判断したものと承知している。
<再質問主意書>
 答弁に関し、山本美保とYが一致する蓋然性が極めて乏しいにもかかわらず警察庁も山梨県警と同様の判断をしているのか。
<再答弁書>
 お尋ねについては、前回答弁書三についてでお答えした通りである。

<第3回質問主意書>
二、去る四月二日の拉致議連(北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟)総会において牛嶋正人警察庁外事課長は本件について「事件の可能性もあります。あるいは拉致の可能性も否定できるものではありません。ですので、これについても引き続き捜査をやっておるところでございます」と発言しているが、この捜査はいかなる罪名を想定して行っているのか。また、答弁書に「山梨県警察において所要の捜査を継続している」とあるが、遺体の発見された地域を管轄する山形県警は捜査をしていないのか。していないならそれはなぜか。
<第3回答弁書>
 山梨県警察においては、山本美保氏に関わる事案について、平成十六年二月九日に刑法等の一部を改正する法律(平成十七年法律第六十六号)による改正前の刑法(明治四十年法律第四十五号)第二百二十六条の国外移送目的略取等の罪の事実により告発を受理し、捜査を行っているものと承知している。また、同県警察においては、必要に応じて山形県警察等の協力を得ながら、捜査を行っているものと承知している。

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