1万キロ現地調査第9回(佐渡)報告
■1万キロ現地調査第9回(佐渡)報告 【調査会NEWS1215】(24.7.21)
以下、第9回現地調査の報告です。
日 程 : 平成24年7月14日(土)~7月15日(日)
調査区域 : 新穂地区、真野地区、宿根木地区、北片辺地区、金井地区
参加者:
[調査会]荒木・岡田・杉野・武藤・村尾・曽田
[家族] 大澤昭一さん(大澤孝司さんの兄)・中村クニさん(中村三奈子さんの母)
・曽我ひとみさん
[支援者] 大澤孝司さんと再会を果たす会・中村三奈子さんをさがす会・曽我さん母娘を救う会・新潟県庁及び佐渡市役所の担当者の皆さん
調査距離 : 177km 累計2,591km
■大澤孝司さんの失踪に関する調査
両津港着後、大澤孝司さんの失踪現場となった新穂地区で当日の立寄り先の焼肉店から、独身寮があった県農地事務所跡地(現・新穂歴史民族資料館)までの間を当時の地図と照らし合わせながら徒歩で移動し、現地調査を行った。
大澤孝司さんは失踪当時新潟県の職員で新穂村(当時)にある農地事務所に派遣されていた。昭和49(1974)年2月24日の日曜日、休日で外出し金井という地区で趣味の寺巡りをしてきた後、独身寮から4~500メートルほど離れた焼肉店に立寄り食事を摂った後、寮に帰る途中、知人宅で煙草を買って店を出てから行方不明となった。
大澤さんが店を出た直後、2~3人の男が一旦店に入り、大澤さんの後を追うように店を出て行き、直後に車が急停車するか急発進するような大きな音を付近の住民が聞いていたという証言がある。
このような状況から大澤さんは煙草を買って知人宅を出た直後に複数の男たちに襲われ、車で拉致されたと思われる。現地を歩いてみて解ったが、大澤さんも曽我さんと同じく最初から何らかの理由(仕事関係・性別・年齢等)で狙われていたと推測した場合、最後に立寄ったとされる知人宅から独身寮までの間が一番襲い易い場所だった(注1)ということで、現場付近で大澤さんが帰宅するのを待ち伏せていたか、外出先から尾行されていて、襲う機会を狙っていたものと考えられる。
このため、大澤さんの足取りを検証するため、翌15日も金井地区で大澤さんが立寄ったと思われるお寺を探したが特定には至っていない(現在も現地で調査中)。
(注1)大澤孝司さんが当日の夕刻、立寄った焼肉店は県道65号線(通称南線)沿いにあった下新穂の街中にあるが、この付近の道路に面した商家や民家は雨戸もなく灯りもあったであろうし、大きな音がすれば家の中まで聞こえる状態と思われるため、民家が少なくなる農地事務所付近が一番襲い易い場所だったと推測される。
<しおかぜ収録>大澤孝司さんが勤務していた農地事務所に近い旧新穂村役場前でお兄さんの大澤昭一さん・佐渡市の金子優副市長がしおかぜメッセージを収録した。
■曽我ひとみ・ミヨシさん親子の拉致に関する調査
大澤さんの失踪現場から約10kmの距離にある真野地区では曽我ひとみさん、ミヨシさん親子の拉致現場となった自宅周辺をひとみさんの証言に基づいて歩き調査した。
曽我さん親子は大澤孝司さん失踪から4年後の昭和53(1978)年8月12日夜に拉致されている。これまで言われてきたのは自宅から徒歩で約500メートルほど離れた雑貨店に買い物に行った後、同じ道(国道)を自宅に向かって引き返す途中で拉致されたという話である。ひとみさんは袋詰めにされて一人の実行犯に担がれて数分後、船に乗せられたとされている。そうであれば自宅近くを流れる国府川の川岸に運ばれ、そこに待ち構えていた船に乗せられ、海に出て工作母船に移されたということになる。母・ミヨシさんの行方について北朝鮮側は拉致を否定しており、未だに所在は不明のままである。
調査の結果、現場は襲う側にしては非常にリスクの高い現場ではなかったかという推測に至った。当日、車は2~3台しか通らなかったとされているが、拉致の実行グループは何時、車や人が通りかかるか判らない状況下で親子二人を襲っているわけで、どんなに手早く袋詰めにしたとしても言われている拉致現場から船まで運ぶのに数分間は国道上を移動しなければならない。この場合走ってきた車のライトや、民家から出てきた住民の目にさらされる危険性が高かったと思われる。それを考えると車で運ぶほうが良いはずだったのではないかといった意見も出たし、二人が襲われた時点で実際にはもっと多くの実行犯が居たのではないかとの疑問も提起された。いずれにしても曽我さん拉致も今後さらに調べて行く必要があると思われた。
<しおかぜ収録>
調査終了後、新潟市から佐渡に戻った曽我ひとみさんと合流。夕食を共にしたが、その折宿舎で曽我さん及び中村三奈子さんのお母さんのメッセージを収録した。
■工作船着岸ポイントに関する調査
現地調査二日目の7月15日(日)は主に工作員の密出入国地点を中心に調査を行った。
元朝鮮総連中央本部財政局副局長だった韓光煕は全国38箇所の地点で工作船の着岸ポイントを作成していた中で佐渡にも3箇所のポイント(宿根木・藻浦崎・黒姫)が設けていた。今回はその中で宿根木と藻浦崎の調査を行った。
韓光煕の38か所はあくまで「設定した」としかされておらず、実際にどう使われたかは不明だが、宿根木は現実に過去「宿根木事件」(注2)と呼ばれる事件が生起していた場所。海岸自体は火山岩がむき出しになった岩場でゴツゴツとした歩きにくい場所だが、集落からは目に触れない場所で隠密裏に出入りするのには適していると思われた
(注2)宿根木事件-----------------
1972(昭和47)年3月13日深夜、旧佐渡小木町宿根木の海岸で、不審船を警戒中の旧相川署員が、 岩場に腹ばいになって潜んでいた外国人の男2人を発見した。
外国人登録証明書の提示を求めると、1人は日本名の入った定期券を提示、日本人だと主張。任意の身体検査で同証明書が見つかったため、外国人登録法違反(提示拒否)の疑いで逮捕した。
県警関係者によると、男は韓国籍で当時32歳の中大法学部生=神奈川県川崎市=。朝鮮総連傘下の朝鮮留学生同盟に所属していた。もう1人は朝鮮総連福岡県本部幹部。同証明書を提示したので罪に問われなかった。 同署は同日正午ごろ、石川県沖に不審な船がいると連絡を受け、沿岸を警戒していた。同署員は2日後の15日午前零時ころ、小木沖1000メートルでのろしが上がり、懐中電灯のようなもので信号が送られてくるのを確認した。
-------------------------------
2箇所目は北片辺にある『藻浦崎公園』の海岸線だが、この海岸は隠れ根(水面近くにある岩礁)も多い海岸であり小船やボートでの接岸には向いていないと思われた。 この海岸の一角に石花川の河口があり、その地点は隠れ根も無く集落から少しはなれた位置にあるのでこちらの方が着岸ポイントとしては可能性があるだろう。
その後佐渡市議会(旧佐和田町役場)裏の工作員キム・ミョンスク(曽我さん拉致で警察が国際指名手配)が潜伏したとされる集落を調査した。キム・ミョンスクについてもまだ調べなければならないことが多いことを実感。特に佐渡の工作組織は想像していた以上に大きなものではなかったかと感じた。
------
以上、今回の現地調査も関係者の皆様には大変お世話になりました。お陰様で所期の目的以上の成果を得ることができました。この場をお借りして御礼申し上げます。
| 固定リンク