認定
【調査会NEWS1265】(24.12.7)
選挙の真っ最中ですが、それが終わった後、変わるであろう枠組みの中で、拉致問題への対応も変えなければなりません。その一つが「拉致認定」の問題です。
平成18(2006)年11月30日、漆間巌・警察庁長官(当時)は記者会見の中で同月20日拉致認定された松本京子さんについて「認定が遅かったとの批判があるが、昭和52年(1977年)に警察は拉致を知る状況になかった。小泉総理の訪朝で拉致問題は大きく変わり、情報が入るようになった。遅いといわれれば遅いが、世の中の事情があった」と語っています。
昭和52年に拉致を知る状況になかったというのは嘘でしょう。日本の警察の能力はいくらなんでもそれほどひどいわけではありません。もし本当であったとしたらそれはそれで責任問題のはずです。しかし漆間長官は責任をとるどころかこの記者会見の2年後には官房副長官にまで登用されています。
ところで松本京子さんについては平成12(2000)年11月1日に金子善次郎衆議院議員によって提出された質問主意書の中で次のように質問が行われています。
「昭和56年(荒木註・これは私が金子議員に情報提供した折に間違えたもので、実際は昭和52年)10月21日に鳥取県米子市和田町3309番地居住の松本京子氏が失踪した事件に関し、これまで警察庁が朝鮮民主主義人民共和国による拉致の疑いのある失踪事件を各県警にリストアップするよう指示した際、本件が疑惑事件の一つとして挙げられたことは確認されているが、本件について、政府は朝鮮民主主義人民共和国との関連をどう認識しているか」
これに対して12月5日付で政府より届けられた答弁書には次のように書かれています。
「御指摘の失踪者は、昭和52年10月21日、自宅から外出したまま消息を絶ち、その後、現在まで行方不明となっているものと承知している。本事案については、鳥取県警察において、家出人捜索願を受理し、所要の調査を実施したが、北朝鮮に拉致されたと疑わせる状況等はなかったものと承知している」
平成12年というのは救出運動が始まってすでに3年、大韓航空機爆破事件で警察が「李恩恵」に該当する全国の失踪女性(その中には当然松本京子さんも含まれていたはずです)を調べてから10年以上が経過しています。この答弁書も、もし本当だったとすればそれから認定まで8年間かかった理由の説明が必要ですし、このとき分かっていて隠していたのならそれも重大な問題です。しかし、そういうことに関しては何の説明もありません。
特定失踪者ご家族の多くは政府による拉致認定を望んでいます。常日頃接しているものとしてその気持ちは痛いほど分かるのですが、このようなことを考えると、いったい認定というのがどれほどの意味を持つのか、認定のためにエネルギーを裂くことが果たして正しいのか、疑問を禁じ得ません。これも個々の担当者の問題というより構造的な問題であり(トップにいる人は責任があるでしょうが)、この選挙後には構造を変える努力が必要だと思います。
| 固定リンク