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2013年3月25日

1万キロ現地調査第14回報告

【調査会NEWS1318】(25.3.25)※写真は布施範行さんの住んでいたアパート(名古屋市北区)

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 遅くなりましたが、去る3月16〜17日行われた1万キロ現地調査第14回の概要報告です。ご参加いただいたご家族の方々、ご協力いただいた皆様に心より御礼申し上げます。

 特定失踪者問題調査会 1万キロ現地調査 第14回(三重県・愛知県)の結果

1.現地調査の目的
(1) 現地調査により個々の事件及び北朝鮮による拉致・工作活動への認識を深める。
(2) 広報啓発活動を通し今後の工作活動を抑止する。
(3) 現地で特定失踪者家族から北朝鮮向け短波放送「しおかぜ」のメッセージを収録する。

2.参加者

(1) 調査会役員
    代表荒木、副代表岡田、専務理事村尾、常務理事 杉野・曽田、理事上野

(2) 御家族
大政悦子さん(大政由美さんのお母さん)
辻出泰晴さん・美千代さん(辻出紀子さんのご両親)
森川京子さん・加藤峯子さん(加藤鈴勝さんの娘さん)
辻與一さん兄・辻太一さん

※以上調査に参加されたご家族。この他16日に実施した家族懇談会には向井恵子さん(香月正則さんのお姉さん)と秋田正一郎さん・嶺子さん・吉見美保さん(秋田美輪さんのご両親とお姉さん)も参加した。また、家族懇談会には調査会の元常務理事である三宅博衆議院議員も参加した。

3.日程

(1) 3月16日(土)

09:30 JR伊勢市駅前集合〜同スタート
◎伊勢市内(辻出紀子さんの最終失踪関連地点等)
◎津市内(大政由美さんの居住先等)
◎鈴鹿市内(辻與一さん関連の確認作業)
◎名古屋市内(名古屋市中村区稲葉地町・加藤鈴勝さんの最終失踪関連地点)
17:30 ナゴヤグランドホテル着(宿泊先)
18:00 家族懇談会(ナゴヤグランドホテル内)

(2) 3月17日(日)

09:00 ナゴヤグランドホテル前 スタート
◎三重県桑名市内(辻與一さんの最終失踪関連地点)
◎名古屋市北区山田町・布施範行さんの最終失踪関連地点
◎名古屋市千種区猪高町・非公開Nさんの最終失踪関連地点
◎名古屋市名東区社台・安西正博さんの最終失踪関連地点
◎名古屋市千種区四谷通・佐藤正行さんの最終失踪関連地点
◎名古屋市千種区田代本通・非公開Hさんの最終失踪関連地点
◎名古屋市昭和区吹上町・非公開Sさんの最終失踪関連地点
17:30 調査終了、名古屋駅前解散

4.調査対象者の概要と調査結果

◎辻出 紀子さん
生年:昭和49(1974)年

当時住所:三重県津市

当時身分:雑誌社記者

失踪日:平成10(1998)年11月24日

最終失踪関連地点:伊勢市黒瀬町

失踪状況:
 失踪当日午後11時ごろ、勤務先の三重県伊勢市神田久志本町の出版社「伊勢文化舎」を出た後、行方不明。翌日、会社近くの損保会社(黒瀬町)の駐車場(当時、現在はカー用品店)で本人の車が発見された。車は荒らされた様子はなかった。ただし、車内にタバコが一本残っていたこと(本人はタバコを吸わない)、車の座席が後ろになっていたこと(本人の身長と合致しない)、カーステレオのスイッチが切られていたこと(本人はいつもスイッチをつけっぱなしだった)から、本人ではない第三者が車を移動させた可能性がある。
 前日までタイに旅行に行っており、帰国したばかりだった。

 失踪の直前、取材で知り合った尾鷲市在住のA氏から数度本人に電話があり、A氏と駐車場で待ち合わせをしたと推測されている。A氏によれば、「自分の車の中で取材の件で辻出さんと1時間ほど話をして、別の海岸に近いところで辻出さんを降ろした」というものだった。三重県警は、A氏を被疑者として別件(別の女性の拉致監禁容疑)で逮捕したものの、裁判で無罪となった。A氏は「無罪になれば全てを話す」と語っていたが、その後一切の証言を拒否している。

<調査結果>

 (1) A氏が辻出さんとの接触について「自分の車の中で取材の件で辻出さんと1時間ほど話をして、別の海岸に近いところで辻出さんを降ろした」と当会のホームページに掲載していたが、今回関係者からは「海岸に近いところで辻出さんを降ろしたという情報は入っていない」との指摘があり、当時の情報を精査しているが、どの情報を根拠としたのか明確でないため、報道等で使われている男性の証言「駐車場から少し離れた県道沿いで車から降ろした」と訂正することとなった。

 (2) 失踪当日の夜11時頃、紀子さんが伊勢文化舎を出た際に同舎に上着を残していたことについて、ご両親に再確認を行った。11月という季節と、夜という時間帯を考えれば、外は肌寒い温度であったと考えられ、上着も着ずに帰宅するとは考えにくく、「第三者に呼び出されたとしても、用事を済ませたら直ぐに文化舎に戻って来るつもりで出かけたのではないか?」との意見が出された。このように「ちょっと出てくる」というような状況の残っているケースは特定失踪者の中でも多数あり、同じ三重で失踪した辻與一さんも同様である。

 (3) 車両が発見された黒瀬町の会社駐車場(現在はカー用品店)は、紀子さんの勤務先である伊勢文化舎から車で実走してみるとゆっくり走行しても5分弱の距離(約1.2km)であった。紀子さんには失踪当日の夜、最後に会ったとされるA氏から昼間に2回会社へ電話があり、夜10時に紀子さんの携帯に1回電話が入っていることから、A氏が紀子さんに何らかの用事で会いたがっていたことが窺われるが、夜11時頃に会社を出た紀子さんは11時12分にA氏に電話をしたことが通話記録から判明しており、仮に車両発見現場で紀子さんと知人男性が待ち合わせをしていたのなら、11時12分時点で男性は車両発見現場にはいなかったことになる。このことから、「実は別の場所で会っていたのではないか? 紀子さんの身に何かが起きた後、第三者が紀子さんの車を発見現場まで移動してきたのではないか?」との意見が出され、今後詳細な検証が必要との結論となった。

 ※ 第三者による移動説については、ご両親からも次の指摘があった。
(ア) 紀子さん(身長約161cm)が運転するときのシートポジションがいつもより後ろに下げてあり、父・泰晴さん(身長168.5cm)がそのままのポジションで違和感なく運転できたこと。
(イ) 紀子さんは車を運転する際は、眠気覚ましのため常に「カーステレオのスイッチを入れっぱなしで大音量にしていた」はずが、父・泰晴さんが車のメーンスイッチを入れるとカーステレオのスイッチが切ってあったこと。
※辻出さんの自宅は津市であり、伊勢市までは車で通勤していた。片道所要時間は約1時間であった。

  (4) 辻出さん失踪の約7年前、三重県津市から韓国旅行に出かけて失踪した大政由美さんとの接点が浮上した。

◎大政 由美さん

生年:1967(昭和42)年

当時住所:三重県津市

当時身分:大学院研究生

失踪日:1991(平成3)年3月28日

最終失踪関連地点:韓国慶州市

失踪状況:同年3月に三重大を卒業。考古学専攻。

 3月27日夜、慶州ユースホステルにチェックインし、翌朝10時に荷物を置いたまま外出し、その後消息不明。現地、慶州警察署で捜索。1991年3月〜94年10月の間自宅に数回無言電話。正確な日付は不明だが、午後から夕方にかけてがほとんど。受話器を取ると人の息、生活音も聞こえず受話器を置くまで一言も話さなかった。

 北朝鮮にいるとの複数の不確定情報がある。

<調査結果>

 (1) 由美さんの母・大政悦子さんに同行していただき、当時の居住先(津市内)周辺の状況を確認。

 (2) 当時、由美さんは原付バイクを交通手段として使用しており、韓国での失踪が判明後、母・悦子さんは由美さんが居住していたアパートのオーナーにバイクの所在確認を依頼したがアパートにバイクはなく、母・悦子さんは「もしや既に帰国しているのでは?」と期待していたが、後日バイクは津市駅の駐輪場で発見され、「韓国旅行に行く当日、駅までバイクで移動し、預けたままになっていた」と確認された。

 (3) 支援者の調査で津市内の繁華街にあった飲食店に由美さんが通っていたことが判明したが、辻出紀子さんもこの店舗を取材で訪れていたことも判明した。失踪の時期は約7年離れているが、同じ店舗に失踪者二人が行ったことがあるのは何か意味があるのか、共通の知人がいたのか等今後精査する必要性がある。ちなみに現在この店は閉鎖されている。

◎加藤 鈴勝さん

生年:大正11 (1922)年

当時住所:愛知県名古屋市

当時身分:設計技師

失踪日:昭和52 (1977)年10月

最終失踪関連地点:名古屋市中村区

失踪状況:失踪した年の秋、次女京子さんに弾んだ声で電話があったが、その1〜2ヶ月後に失踪したことが分かった。その後事件ではないかと警察に届けを出した。室内は空き巣に何度も入られたような状況で3人分ほど土足の跡があったが、車、免許証、実印、通帳、鍵、衣服、履物はそのまま残っていた。

<調査結果>

(1) 娘さんお二人に同行していただき、失踪現場となった当時の居住先での調査を行った。

(2) 当時、着衣や履物はすべて室内に残っていたことから部屋着のまま、素足で失踪している様
子が濃厚となった。

(3) 姉妹の話から当初当会へ伝えられていた株券の紛失について、株券は無くなっていなかったことが判明したことから、土足の跡も空き巣だったのか、疑問が生じる結果となった。

(4) 加藤さんは引き揚げ者で中国語・朝鮮語が話せる軍人だったということが分かった。引き揚げ者の失踪者は何人かおり、その経歴が失踪に関係している可能性もあることから経歴についても調べていくこととなった。

◎辻 與一さん

生年:昭和24 (1949)年

当時住所:三重県桑名市

当時身分:高校教諭

失踪日:昭和56 (1981)年12月5日

最終失踪関連地点:桑名市上野町

失踪状況:勤務校では同和地区の生徒の指導を担当していた。下宿で洗濯機を回している時、生徒に呼び出され出て行き、白い車に乗せられて行ったとされている。部屋には朝鮮関係の本がたくさんあった。

<調査結果>

 (1) 当時與一さんが所持していた手帳内に書かれた地図から特定した鈴鹿市の旧長太漁協付近を調査した。地図に示された場所自体は確認できたが、それが何を示すものかは分からなかった。

 (2) 兄・辻太一さんと共に当時の居住先を訪ね、大家さんから当時の状況について聴取を行った結果、「生徒に呼び出されて出て行き…」という状況は違うとの認識であったことが確認された。

 (3) 今後辻さんの関係した人物、団体について再度調べ直す必要があると思われた。

◎布施 範行さん

生年:昭和29 (1954)年

当時住所:愛知県名古屋市

当時身分:アルバイト

失踪日:昭和52 (1977)年3月

最終失踪関連地点:名古屋市北区

失踪状況:3月に「沖縄に行く」と書いた手紙が妹にあり、4枚写真が同封。預金通帳、印鑑も一緒に妹さんに送付している。「2カ月で帰る」とあったがその後連絡なし。失踪3カ月前に実家で家族が会ったときとは前と別人の様相だった。昭和53年2月までは実家に電話、手紙があった。

 同年1月頃、家族に電話で中華風の料理をしてみたいと言っていた。失踪後、半年か1年後、女性の声で「範行さんいませんか」と電話が2回あった。

<調査結果>

 (1) 当時の居住先の確認・調査を行った。

 (2) 当時の居住先アパートは現存しているものの、在日朝鮮人であるオーナーは5年ほど前に他界し、現在は誰も居住する者はなく、売却の看板が設置されている状況であった。

 (3) 居住先を探す過程で失踪当時家族が所轄の警察に赴いた際、アパート及び勤務先に行くことを止められたことが分かった。今後あらためて当時の状況を調べ直す必要があると感じられた。
 
◎非公開男性Nさん

生年:昭和18 (1943)年

当時住所:愛知県名古屋市

当時身分:会社員

失踪日:昭和43 (1968)年

最終失踪関連地点:名古屋市千種区

失踪状況:休日に「大阪方面に行く」と言って外出したまま行方不明となる。

<調査結果>

 当時の居住先は再開発され、居住先となっていた会社の寮も別の施設建物になっており、現地の確認のみを行った。

◎安西 正博さん

生年:昭和43 (1968)年

当時住所:愛知県名古屋市

当時身分:会社員

失踪日:平成8 (1996)年4月14日

最終失踪関連地点:名古屋市名東区

失踪状況:会社の寮から車で出かけ、そのまま行方不明になる。最後に姿を見たのは寮の管理人。日曜日だったので、寮の玄関で「安西君食事はどうする」と声をかけたら「食べます」と答え、近所に買い物に行くような感じで車で出かけた。前日買った単行本3冊が机の上に置いたまま。レシートも挟んであった。

 行方不明になる1週間前、実家に電話、「4月下旬に大学時代の友人の結婚式が九州であり、それに出席してから帰省するのでゴールデンウィーク後半に帰る、お土産を買っていく」と話していた。また3ヶ月後、寮を引き揚げるとき礼服の内ポケットに祝儀袋が入っており、自ら消息を絶つとは考えられない。

<調査結果>

 (1) 当時、安西さんが居住していた会社寮の建物は当時のままであったが、内部は現在介護施設となっていた。

 (2) 勤務していた会社の関連会社が安西さん失踪当時北朝鮮からの研修生を受け入れていたことが分かっており、時期的には異なるがその場所が前述辻與一さんの手帳にあった鈴鹿市の場所に近いことも分かった。関係については今後の調査が必要である。

◎佐藤 正行さん

生年:昭和33 (1958)年

当時住所:愛知県名古屋市

当時身分:製薬会社勤務

失踪日:昭和61 (1986)年10月29日

最終失踪関連地点:名古屋市千種区

失踪状況:外食店で買い求めた弁当をアパート自室で食事中、部屋着の軽装で外出したま
ま行方不明。部屋には財布、自動車免許など一切の身の回りのものは残されていた。

<調査結果>

 (1) 居住先となっていた現地を確認した結果、ご家族から届け出があった住所は会社の所在地であり、実際の居住先ではなかった。

 (2) 周辺の聞き込みでも居住先と言われていたマンションの所在を確認できなかった。

 (3) 会社の状況を確認した。 

④非公開男性Hさん

生年:昭和18 (1943)年

当時住所:岐阜県

当時身分:公社職員

失踪日:昭和58 (1983)年

最終失踪関連地点:名古屋市千種区

失踪状況:名古屋市内で勤務終了後、自宅に「これから帰る」と電話をかけて車ごと行方不明となる。

<調査結果>

(1) 会社と当時の居住先である岐阜県の自宅からは約39kmの位置にあり、車通勤であれば約1時間程度で通勤できたことを確認した。

◎非公開男性Sさん

生年:昭和16 (1941)年

当時住所:愛知県名古屋市

当時身分:会社員

失踪日:1962(昭和37)年

最終失踪関連地点:名古屋市昭和区

失踪状況:会社での勤務中に行方不明となる。

<調査結果>

 当時居住していた下宿先は所有者が変わり、家も建て替えられていて当時の位置関係だけを確認した。

5. 走行距離と累計距離
(1) 走行距離:  261km
(2) 前回累計:3,357km
(3) 累計距離:3,618km

6.まとめ

 日程の都合上それぞれの失踪者については十分な調査はできなかった。特に名古屋市の場合地名・地番が大幅に変更になっており、失踪関連地点(居住地など)を特定するのにかなり手間がかった。しかし現地にいって発見したこと、確認出来たことも多く。上記のに記載できていない諸点も含め収穫は大きかったと思う。

 今後個別の失踪者について新たに生起した疑問点、それぞれの失踪者の関連などについてさらに調査をしていく予定である。

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