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2013年5月31日

寺越事件の意味

【調査会NEWS1349】(25.5.31)

 海上での拉致に関してさらに色々な情報が出ています。昨日も都内で行われたインターネット新聞「デイリーNK」の報告会で発表がありました。今日は古屋大臣が記者会見で70年代80年代の海上での失踪について見直すと語っています。

 にわかに関心を呼んでいる海上での失踪ですが、これを知る上で様々な示唆を与えてくれるのが昭和38(1963)年5月の寺越事件です。

 この事件は寺越昭二さん・外雄さん・武志さんの3人が乗った漁船「清丸」が能登半島の福浦港を出て消息を絶ち、船は漂流していたのが見つかったものの3人はおらず、当時は遭難とされて戸籍も抹消された事件です。しかし現実には拉致で、24年後に外雄さんから家族に手紙が届き、北朝鮮にいることが分かりました。

 この事件では工作船と遭遇したので証拠隠滅のために2人を拉致し、昭二さんは殺害して海に沈めたと言われています(北朝鮮の発表では3人とも遭難していたのを北朝鮮の船が救助し北朝鮮に連れてきたことになっている)。

 今回の報道であらためて感じたのですが、もし証拠隠滅のためであれば3人とも殺害すれば良かったわけで、拉致して北朝鮮に連れてきたということは、そのような選択肢が工作員に与えられていたということに他なりません。つまり1970年代どころかその遙か前から、漁船員の拉致も行われていたということです。古屋大臣にはもっと幅を広げて1950年代から2000年代まで含め、もう一度海上での失踪について関係機関が調べるよう対処をお願いしたいと思います。

 ところで寺越事件の被害者で現在唯一生存している寺越武志さんは平壌にいて母の友枝さんがたびたび会いに行っています。その武志さんは北朝鮮で本を書いており、その中で自分が拉致ではなく遭難したのを北朝鮮の船に助けてもらったと述べています。また、この本には横田めぐみさんたちの拉致はでっち上げであるとも書かれています(出版は金正日が拉致を認める前年の平成13年)。この本を裏読みすると寺越事件はじめ拉致についての様々なヒントが出てきます。ご関心があれば私のブログから家内の翻訳したものがダウンロードできますのでご一読下さい。

http://araki.way-nifty.com/araki/2005/05/post_978e.html

 書名は『人情の海』。海上で拉致された被害者にこういうタイトルの本を書かせる(本人が書いたわけではないでしょうが)のが北朝鮮という国の本質です。

※写真は現在の福浦港
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2013年5月29日

海上における拉致について

【調査会NEWS1348】(25.5.29)

 昨日産経新聞1面の記事で北朝鮮人民軍による海上での漁船乗組員の拉致をしたとする脱北者の証言は大きな波紋を呼んでいます。

 記事の中に出てくる実例には特定失踪者でそのまま該当する人はいませんが、似たような事例は何件もあります。これまでは陸上で狙われていた人が海上で拉致されたと思われる事例(矢倉富康さん、林田幸男さん・水居明さんなど)に注目し、それ以外に海上で拉致された場合は偶然に工作船と出会い、証拠隠滅のために拉致されたと考えてきたのですが、今回報道されたように意図的に船を狙った事例も可能性としてはあり得るとは思います。

 海上での失踪は現場検証がほとんど不可能であり、やはり北朝鮮からの生存情報などに力点を置かざるを得ません。難しい部分が多いのですが、あらためて個々のケースを洗い直していきたいと思います。

 ちなみに調査会の公開リストで海上での失踪者は下記の通りです(敬称略)。非公開の失踪者にも海上で失踪した方がおられます。

中野 政二 昭和30年9月24日 東シナ海

羽生 弘行 昭和31年10月23日 鹿児島県屋久島沖

紙谷慶五郎・圭剛・礼人・速水 昭和43年11月7日 北海道雄武町沖

金武川栄輝・牧志孝司・田島清光・儀間隆 昭和52年11月24日 沖縄近海

野田福美 昭和57年10月28日 北海道礼文島沖

松本重行 昭和58年10月17日 京都府舞鶴沖

林田幸男・水居明 昭和63年7月17日 宮崎沖

矢倉富康 昭和63年8月2日 鳥取県境港を出て

日高満男 平成元年2月23日 鹿児島県諏訪瀬島沖

仲桝忠吉 平成6年2月3日 フィリピン東方海域

小山修司 平成16年6月6日 新潟県聖籠町沖

(写真は失踪とは直接関係ありませんが、鳥取の現地調査の折境港港で写したもの。野田福美さんの船がこれとほぼ同じ大きさでした)

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2013年5月27日

市川さん・増元さん拉致に関わる新たな情報について

【調査会NEWS1347】(25.5.28)

 一万キロ現地調査第15回(福岡)にご協力いただいた皆様ありがとうございました。報告についてはまとまり次第ニュースで流しますが、とりあえず26日の報告会で発表した市川修一さん・増元るみ子さん拉致に関する新証言の内容をお知らせします。

◎市川修一さん・増元るみ子さん拉致に関わる新たな情報について

 特定失踪者問題調査会は今月中旬以下の情報を得た。証言者A氏は鹿児島県に住む現在60代の男性。事情により本人の氏名は明らかにできないが情報自体は重要と思われるので今回発表するものである。

昭和53年8月12日土曜日(市川さん・増元さんが拉致された日)

(1)A氏は実家、吹上から県道22号線(伊作峠)を鹿児島市内へ向かっていた。

(2)駒田集落付近で単車10台くらいにからかわれている車とすれ違う。

(3)A氏は運転席で単車を見ながら「アホが」とつぶやく。

(4)それに気付いたのか1台のバイクがA氏の車をUターンして追いかけて来た。車の窓越しに何かを叫んでいる。A氏、無視。しばらくすると1台の単車は戻っていった。「谷山の馬鹿んしが(谷山の馬鹿者が)」と独り言を言ったことをはっきり覚えている。

(5)鹿児島市での用事を終え、吹上への帰路夕日を見に浜へ行く。A氏は夕日を見るのが小さい頃から好きだったようだ。駐車場ロータリーで市川さんの車の後ろに停車。「さっきのからかわれていた車だ」と直ぐに分かった。車には誰も居なかった。

(6)小道を抜け、海岸へ向かう。小道から2時の方向、50mの海岸にねずみ色した短艇(奄美沖工作船の後部におさめられていた船とまったく同じだった)があった。その手前に昔からある伝馬船があった。

(7)プレジャーボートが女性のトイレのため海岸に寄り、伝馬船の後ろで用を足しているものと思い、その船とは逆方向へ(海正面左側)へ歩き出す。A氏は桜貝を集めるのも好きだった。

(8)小道から3,40メートル歩いたところで、浜のせり上がっている所に、海亀が移動したような跡を発見。幅1メートルくらい。浪打際から陸地(せり上がっている部分)へ続いているが、あまりにも急斜面すぎて亀が上るとは思えない。後から考えればあの急斜面をカメが登るわけがない。拉致疑惑が世間に出た後、A氏は友人達と急斜面で実験してみた。同じ跡が付いた。

(9)上まで上がってみると突然、やせ型、50歳前後、チヂミ、ステテコ姿、漁師のように日焼けした男が目の前に現れる。A氏をにらみつけるような感じ。A氏は(海亀の卵を取りに来た人だ)と直感。「亀が卵をうんじょっとごあんさ〜、あたいはいいもはんど(亀が卵を産んでますが私は要りませんよ)」とその男性に話す(このとき2人の距離は40〜50センチ)。

(10)しかしその男はA氏の言っている言葉が理解できない感じであった。男は「カメ?タマゴ?」と聞き返した。その表情に最初の気持ち悪い殺気を感じた。

※当時、海亀の卵は採取されており、最初に見つけた人が棒をその場所に刺し、自分の取り分であると印を付けていたらしい。精力剤として珍重されていた。今は保護対象。

(11)その後、男の後ろの方で砂のガサガサする音がした。A氏が「やっぱい亀が卵をうんじょっととな(やはり亀が卵を産んでいるのだな)」と視線をその方向に向けると男が視線を遮った。A氏は2度目の気持ち悪さを感じる。

(12)男が尋ねた。「これなに?」A氏の下駄履きを指さす。下駄履きを知らないはずはないのと、得たいの知れない殺気を感じたA氏は男の目から目線を外さずに「こいは下駄」と答える。

(13)男が「この辺、来るの?」と聞いたのでA氏が「よう犬を連れて散歩に」と言った瞬間男は「犬、どこ?なに?」と突然慌て出した。回りをキョロキョロして落ち着きのない様子。

(14)そこに地元の女性2人が小道から海岸へしゃべりながら入って来た。男はその方向を凝視。その時にA氏は身体を翻し「本当に卵はいいもはんで (本当に卵は要らないから)」と言って小道の方向へ向かった。この女性に聞いたところでは伝馬船の後ろにゴムボートがあったのを見ている(このゴムボートについては当時A氏は気付いていない)。

(15)市川さん・増元さん失踪から10日程して刑事がA氏に会いに来た。A氏と刑事は昔からの知り合い。A氏は途中ですれ違った暴走族の仕業だと主張したがK氏は「暴走族は関係ない。調べはついている」と言った。そして最後に「こいは北朝鮮の仕業じゃっとよ」と言った。A氏はこの時に警察は解っていたのに今現在まで何も進展していない事へ怒りを覚えている。

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調査会事務所の電話・ネットのトラブルについて

先程下記のように書きましたが、電話・ファックス・ネットとも復旧しました。NTT側の機械の故障によるものだったようです。大変お騒がせしました。

調査会にご用のある方へ
 申し訳ありませんが、現在事務所の電話及びネットが回線のトラブルによりつながらなくなっています。急なご連絡のある方は私の携帯(090-8517-9601)までご連絡下さい。ただし今は大学におり、授業のために電話に出られないときもありますのでご了承下さい。
 なお、別にサイバー攻撃のようなものではなさそうです。そうだったとしても私の場合恨まれる相手が多すぎて誰にやられたのかわからないでしょうが。

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2013年5月26日

現地調査報告会中継

 現在特定失踪者問題調査会1万キロ現地調査の途中で北九州市から糸島市に向かっているところです。本日1500より今回の現地調査の報告会を行います。
 お知らせしていますが報告会はインターネットで中継しますのでお時間のある方はご覧いただければ幸いです。調査の報告以外にご家族の「しおかぜ」収録、市川さん・増元さん拉致事件に関わる新情報を発表する予定です。

 (株)NetLive http://www.netlive.ne.jp

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2013年5月23日

入口と出口

【調査会NEWS1346】(25.5.23)

 飯島参与の訪朝がいかなる結果を生むのか、まだ不透明ですが、拉致問題について、しっかり分けておかなければならないことがあります。それは「入口」と「出口」の問題です。

 少しでも進展しなければ拉致問題の報道もされず、国民の関心も高まらず、政府も動きません。その意味で飯島参与の訪朝とそれに関わる一連の動きが「入口」すなわち突破口の役割を果たすことを期待しています。一人でも二人でも帰ってくることによって世論は一気に高まり、政府が動かざるを得なくなることは11年前に証明されています。

 一方で、そのことが他の拉致被害者を切り捨てることになってはなりません。「出口」とは、現在北朝鮮にいる全ての拉致被害者、調査会のリストにも警察のリストにもない拉致被害者まで含めて全ての拉致被害者を取り返すことです。どのリストにもない拉致被害者の多くは身寄りのない人を狙った拉致で、久米裕さん、田中実さん、原敕晁さんもそれにあたります。3人は事件として明らかになりましたが、成功しているケースは誰も気付いていないはずです。しかしもちろん国家の責任(政治家だけでなく、国民も)としてそういう人を取り返すためには北朝鮮の体制が民主化・自由化され、私たちが自由に入って探せるようになることと、拉致被害者が安心して名乗り出られるようにしなければなりません。つまり現在の金正恩体制を倒すことが必要不可欠だということです。

 もちろん、本当の解決とは横田めぐみさんなら昭和52年11月15日に時計の針を戻して、バトミントンの練習の帰りに無事に帰宅してご家族と夕食ができるようにすることですが、それは残念ながらできません。今日帰国できたとしてもめぐみさんの36年は帰ってきません。このことは非常に重い問題なのですが、とりあえずは「出口」まで持って行かなければなりません。

 「出口」を見据えつつ「入口」を開く交渉をするのは並大抵なことではありませんが、これを支えるのは指導者の決断と国民の意思であると思います。ぜひ一人でも多くの方にご理解をいただきたく思う次第です。

 なお、ご参考まで。このようなことについて、15日に行われた戦略情報研究所「Sセミナー」とCS放送チャンネル桜でお話しした内容が動画でご覧になれます。お時間がありましたらご覧いただけると幸いです。

戦略情報研究所「Sセミナー」

http://www.netlive.ne.jp/archive/SII/index.html

チャンネル桜「防人の道」

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2013年5月22日

現調報告会の中継

 既にお知らせしているように5月26日(日)15時から福岡市で現地調査の報告会を行いますが、(株)NetLiveのご厚意によりこの模様をインターネットで中継します。

http://www.netlive.ne.jp

 にてご覧下さい。

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2013年5月17日

西村議員の発言について

 「慰安婦強制連行」は存在していません。もし「強制」に近いことをした人間がいたとすれば当時の朝鮮人の女衒が騙して連れて行ったということでしょう。軍は慰安婦狩りをするほど暇ではありません。
 そもそも「従軍慰安婦」という言葉自体が当時は存在せず、1970年代に作られた言葉です。少なくとも1980年代まで、韓国は男が女を買うのは当然という風潮で、休みが取れると韓国に行って一人旅をしていた自分はかえって怪しまれました。旅館に一人で泊まっていると「可愛いアガシ(女の子)がいますよ」と声を掛けられるのは日常茶飯事でした。
 今、日本に韓国人の売春婦が多数いるのも事実です。もちろん職業として登録しているわけではないので正確な数は分かりませんが、最近は売春「夫」まで摘発されています。
 西村眞悟議員の発言の片言隻句をとらえて逆上するなら、語っていることの本旨について何が違っているのか指摘すべきだと思います。皆分かっていることをちゃんと主張してこなかったことが、今日国際的に日本が批判されることにつながり、また逆に一部の極端な排外主義にもつながっているものと思います。

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2013年5月14日

飯島参与

【調査会NEWS1343】(25.5.14)

 飯島勲・内閣官房参与が今日平壌入りしたとのニュースが流れています。飯島氏は言うまでもなく小泉政権当時の総理秘書官として、11年前の小泉訪朝を裏から支えた人だけに儀礼的なものではないでしょう。そもそも順安空港での写真まで出ているのですから秘密でも何でもなく、逆に何かアピールする必要があるということでしょう。

 私は先日の総連本部の入札に関して安倍政権が拉致被害者のうちの何人かの帰国との取引を行っていたと思っていました。それをやるとすればこの人か北村滋・内閣情報官が関わっていてもおかしくないと考えたのですが、一段落ついた後の、しかも外務省からすれば「渡航自粛地域」への渡航。外務省を無視してか、あるいは外務省も了解したのか分かりませんが気にはなります。

 少なくとも北朝鮮という国の性質からすれば飯島氏のような人が好きであることは間違いないので、何らかの話し合いには乗るのかも知れませんし、あるいは飯島氏の訪朝が陽動戦術で、別のところで何かが動いているのかも知れません。とにかく今後の動きを注目したいと思います。

 ところで飯島氏と言えば、1年半前、雑誌に非常に思わせぶりなコラムを書いていました。平成23年11月30日号の「プレジデント」で連載している「リーダーの掟」の72回目に「初めて明かす、小泉官邸の恥さらし」と題して書いたものです。ここではチームワークの良かった小泉官邸で、一人だけ問題のあった秘書官について、痛烈に批判しています。名前は書かれていませんが、知らない人でも調べれば誰のことか一目瞭然です。

 そしてこの秘書官は、実は山本美保さんに関わるDNAデータ偽造事件でも主役であったのではないかという疑いが持たれている人物なのです。なぜ飯島氏がこのときになってこんな批判の仕方をしたのか、未だに気になっています。

 こういう得体の知れないタイプの人は最近少ないので、善し悪しは別として人間的な興味を感じる人です。何が起きるのか、ともかく膠着状況の打開のため一石を投じてもらいたいと思う次第です。

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2013年5月13日

整合性

【調査会NEWS1342】(25.5.13)

 11年前の9・17小泉訪朝の前、まだ救う会の事務局長だった頃のことです。どういう経緯だったか忘れましたが、警察庁外事課の課長補佐と外務省北東アジア課の課長補佐と3人で会ったとき、こんな話をしたことがあります。

 「警察には警察の整合性があり、外務省には外務省の整合性がある。しかし、拉致というのはお役所の整合性とは別のところで起きている。それぞれの整合性を追求しているだけでは、国民を守るという国家としての整合性が失われる」

 聞いていた2人がどれだけそれを理解してくれたかは分かりませんが、それから10数年経過した今日も、残念ながら状況はほとんど変わっていません。そしてこのシステムがほとんど機能していないことは何度も述べてきた通りです。

 総理のレベルでは平成9年の横田めぐみさん拉致が明らかになった直後、橋本総理が密使を送って帰国への努力をしていますし、その後の歴代総理の何人か(民主党政権も含め)は同様の交渉を行っています。安倍総理も第1次内閣のとき井上秘書官を極秘裏に平壌に送って交渉に当たらせていますし、現内閣でもおそらく同様のことは行われているはずだと思います(私自身には何も情報はありませんが、そもそも私に聞こえてくるようであれば既に秘密交渉ではないはずですから)。

 しかし、いずれにしてもこれらの交渉はあくまで限定的なものであり、9・17のときのような突破口にはなるかも知れませんが、全体の解決にはつながらないと思います。拉致被害者には特定失踪者リスト約470人の中にも警察の860人余のリストにもない人がおり、また、拉致か自らの意志で行ったのか判然としない人もいるはずです。それらを含めてどうすべきか、ちゃんとした方針がないと今後状況が急変したときにただでさえ起きるはずの混乱が収拾不可能になる可能性すらあります。

 15日の戦略情報研究所のセミナーまでには私自身の考え方をもう少し整理して具体的に提示できるようするつもりですが、重要なのは役所の整合性でも、政権の整合性でもなく、もちろん調査会の整合性でもありません。国家としての整合性です。皆様の活発な議論、ご協力をよろしくお願い申しあげます。 

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2013年5月10日

1万キロ現地調査第15回(福岡)

(写真は波多野幸子さんと三浦和彦さん)


【調査会NEWS1341】(25.5.10)

 再来週の現地調査は概略以下のように行います。

●目的
(1) 現地調査により個々の事件及び北朝鮮による拉致・工作活動への認識を深める。
(2) 広報啓発活動を通し今後の工作活動を抑止する。
(3) 現地で特定失踪者家族・政府認定者家族他関係者から北朝鮮向け短波放送
「しおかぜ」のメッセージを収録する。
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●参加予定者
 調査会役員・特定失踪者家族・支援者他

●日程
※当日の状況により変更される可能性がありますのでご了承下さい。
お問い合わせは事務局(常務理事曽田090-4937-2595)までお願いします

5月25日(土)
 09:00 ホテルクラウンパレス北九州(八幡西区)発
午前中 加藤久美子さん・非公開失踪者関連現場調査
(昼食・移動)
福岡市周辺失踪者関連現場調査

5月26日(日)
 08:00 ホテル出発・芥屋大門(糸島市)に直行
 午前中 三浦さん・波多野さん失踪関連現場調査・尾上民公乃さん失踪関連現場(博多港)調査
福岡市周辺失踪者関連現場調査
(移動・途中昼食)
15:00〜17:00 報告会(天神ビル会議室 中央区天神2-12-1・地下鉄天神・西鉄福岡駅前)
※今回の調査の報告及び調査会の活動に関する報告を行います。近県の特定失踪者ご家族も参加予定。記者会見及び家族懇談会も兼ねて行います。


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2013年5月 7日

拉致「認定」とは(戦略情報研究所Sセミナー)

【調査会NEWS1340】(25.5.7)

 しばらくお休みしていましたが、戦略情報研究所「Sセミナー」第5回を開催します。4月6日の特定失踪者問題調査会理事会で決定した方針の中で、拉致認定の問題は大きな波紋を呼んでいますが、この問題は拉致問題の本質を考える上で重要な意味を持っています。なぜ調査会が「政府認定を求めない」という方針を決めたのか、代表荒木が本音を語ります。反論大歓迎。ぜひ奮ってご参加下さい。

日時:5月15日(水) 18:30〜20:30

会場 UAゼンセン会館2階会議室
(東京都千代田区九段南4-8-16 Tel03-3288-3549)
 ※JR・地下鉄市ケ谷駅下車3分 日本棋院斜向い

http://www.uazensen.jp/about/index.html

講師 荒木和博(戦略情報研究所代表・特定失踪者問題調査会代表)

テーマ 「拉致『認定』とはーー拉致問題の本質を考える」
 (前半1時間を講演、後半質疑を行います)

参加費 1000円(戦略情報研究所会員は無料)

※参加者には調査会の新ポスター1枚を差し上げます

※事前の参加申し込みは不要です。  

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2013年5月 4日

米国での行事が終了

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【調査会NEWS1339】(25.5.4)

 現地時間で3日午後6時15分(日本時間の4日午前5時15分)、ニューヨークでのシンポジウムが終了しました。日本でも報道されたようですが、小林七郎さんのスピーチもご家族の思いを切々と語る素晴らしいものでした。基調講演のスピーカーの一人、シェリフ国連人権高等弁務官ニューヨーク事務所副代表(正確な日本語訳はこれではないと思いますが)のスピーチは日本人拉致についてご本人が詳しく理解していることが分かるもので、強制失踪作業部会に申立をしている藤田進さんのことにも触れていました。

 小林さん、そして家族会の飯塚さん・増元さんと3人の家族からの訴えはとりわけ聴衆に強い印象を与えたようです。昨年のジュネーブのときもそうですが、「はじめて聞いた」という人も多く、家族の生の声は百の説明より効果があります。

 ところで、前にも書きましたが、国際的な啓発活動はどれだけやってもあくまで外堀を埋める作業です。それは無駄ということではなく、外堀を埋めてこそ本丸に攻め込めるわけで、役割を明確に考えるべきだと思います。

 もう少し話を広げて言えば、拉致被害者全員の最終的救出には北朝鮮の体制変更が必要不可欠であり、外交交渉で出来ることはその一部でしかありません。しかしこれまた外交交渉が無駄というのではなく、救出の手段の「一つとして」重要だということです。

 いったいどうすれば全ての拉致被害者を取り返せるかということから考えて戦略を練らないと、目的の達成はできません。戦略の過ちを戦術でカバーすることはできません。「オールジャパン」という意味では、少なくとも戦略的な目標だけはもう一度一致させておく必要があると、あらためて思いました。

 今までそれが不十分なまま外交交渉をやったり捜査をしたりしていることが、解決につながっていないことを再認識すべきだと思います。北朝鮮との国交正常化が目的になれば拉致被害者の救出は後回しになりますし、警察の捜査を基軸にして拉致問題に取り組もうとしても救出の前提に拉致認定という壁が立ちはだかる(つまり事実上救出が後回しになる)ということです。

 時差ボケしてはいますが、私自身はこういうことを改めて頭の中で整理できたのも収穫の一つだったように思います。
(写真はニューヨークでのシンポジウム・小林七郎さんのスピーチ)


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2013年5月 3日

偽札

【調査会NEWS1338】(25.5.3)

 米国東部標準時では今5月3日の午前1時です。昨日午後(日本では3日の明け方)、ワシントンでのシンポジウム(意見交換会)が終わりました。明朝ニューヨークに移動し、ニューヨークでのシンポジウムに臨みます。

 今回特定失踪者(調査会認定拉致疑惑失踪者)のご家族の代表として小林七郎さんに行って戴いたわけですが、その最大の理由はお兄さんの榮さんが昭和40年代前半を中心におきた印刷関係者の失踪の1人であるからです。

 以下は会場で配布している英文資料の原稿を要約したものですが、小林七郎さんのスピーチでは榮さんが勤務していた印刷会社の社長が在日で、北朝鮮系ではなかったものの北朝鮮で印刷の仕事をしないかと総聯系の人間から何度も声をかけられたことなどが語られています。

 「印刷の仕事をしている人間を連れてこい」という指示があったとすればこれらの失踪が相次いだことは辻褄があいますし、また、それを命じた人間の理由が偽札であったことも容易に想像できます。

 なお、これは私の想像ですが、技術者の拉致というのも、完全に「この技術」と指定してやったものというより、もっといい加減なくくりで拉致をして、場合によっては北朝鮮で必要とする技術を習得させた場合もあるのではないかと思います。日本人の性格からすれば、向こうに行って、帰ることを無理だと悟ってしまえば、自分の仕事に没頭してしまうことも多々あったのではないでしょうか。ですから北朝鮮で拉致の目的とは全く違う仕事に就かされたりした場合もあるはずです。帰国した5人ですら、北朝鮮にいた24年間に何をしていたのかはほとんど分かっていないのですから、個々の拉致被害者が何をしてきたのかは、最後は北朝鮮が解放されない限り(場合によっては永遠に)分からないのでしょう。
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(英文パンフの元原稿要約)

印刷関係の失踪者

 1966年8月、東京都内から小林榮さん(当時23歳)、1967年9月に日高信夫さん(当時22歳)、1968年4月に早坂勝男さん(当時24歳)が失踪している。3人はお互いは面識がないが、皆地方から東京に出てきて1人で暮らし、印刷会社に勤めていた。

 今回米国を訪れた小林七郎さんは小林榮さんの弟である。榮さんは1966年8月21日、勤務先の印刷会社を体調を崩して休み、「医者に行く」と会社の者に言い残して外出後、行方不明となっている。失踪当時家族と離れていたため、詳しい失踪状況は分からない。この点は他の2人も同じである。同時期に同じような年齢の、同じような境遇の、そして同じ印刷工であった青年たちが失踪している。これは果たして偶然だろうか。

目撃証言

 3人のうちの1人、日高信夫さんについては平壌での目撃証言がある。

 2006年8月1日、日本の報道関係者より特定失踪者問題調査会に「日高信夫さんによく似た人物を、平壌で目撃したという脱北者と韓国で面会した」との報告があった。

 この脱北者は2003(平成15)年に北朝鮮から脱北した元朝鮮労働党の軍事教官であるが、身柄の安全を確保するため、氏名は公表されていない。脱北者によれば、

(1)1994年に、平壌の病院で会った。その人物は朝鮮語が下手だったので、朝鮮人ではないと思った。その時に、その人物は印刷に関係する朝鮮語の書物と日本語の書物(内容は不明)を読んでいた。何回も彼と会ったが、いつも何かの本を読んでいた。

(2)平壌にある印刷工場で働いているとのことだった。その工場は、平壌にある普通の印刷工場である。

(3)背が低く、眉毛が濃い人物だった。隙歯だった。

(4)(日高信夫さんの写真を見て)この人によく似ていると証言し、脱北者はさらに歩き方に特徴があること、胃の病気で入院していること、幽霊の話をしていたことなど、北朝鮮で面会した人物について詳細な証言をしている。

 この報告を受けた調査会は、鹿児島市在住の申立人ら家族に当該の目撃証言について確認したところ、本を読むのが好きだったこと、身体的特徴が似ていることなど、様々な点で信夫の特徴と一致している。また信夫は子供の頃から胃が弱かったこと、怖い話をして弟を怖がらせていたことなど、家族以外知りえない事実においても一致する部分があることがわかった。

 8月4日、調査会は記者会見において目撃証言について公表すると共に、10月6日信夫の会社の同僚などから当時の信夫の特徴や趣味趣向などを聞きとった上で、韓国において証言した当該脱北者に面会を求め、信夫の別の写真を見せるなど確認作業を行った。

 その結果、多くの点で信夫の特徴と一致する点が見られたため、脱北者が面会した当該人物は信夫である可能性が極めて高いという確信を得て、調査会は10月13日、信夫を「拉致の可能性が高い」して発表した。

 北朝鮮の基礎技術水準は極めて低い。その水準で世界で最も精巧な偽札を作るためには機械だけでなく、それを操る技術者が必要である。

様々な違法行為をはたらく北朝鮮が拉致したのは印刷関係者だけだったのだろうか。

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2013年5月 2日

ワシントンにて

【調査会NEWS1337】(25.5.1)

 今ワシントンに来ています。報道されていますが政府主催行事のワシントンでの意見交換会及びニューヨークでのシンポジウムへの参加です。調査会認定拉致疑惑失踪者・小林榮さんの弟さん、小林七郎さんと一緒です。家族会からは飯塚代表と増元事務局長、救う会から西岡会長が参加、民主党から渡辺周・元防衛副大臣が参加し、明日古屋圭司・拉致問題担当大臣・木村審議官が合流します。村尾調査会専務理事も同じ便ですが、到着した日に意見交換会に参加して夜ニューヨークに移動するという弾丸ツアーです。

 こちらで山田公使から聞いたところでは一連の北朝鮮の大騒ぎについては「米国にミサイルを撃ち込む」などと勇ましいアピールがあったこともあり、かつてなく北朝鮮への関心が高まったとのこと。もっともボストンの爆破事件で一気にすっ飛んでしまったそうですが。

 今アメリカでは佐々江駐米大使・梅本国連代表部次席大使・山田公使と北東アジア課長経験者が揃っており、北朝鮮シフトと言えないこともありません。ぜひ結果を出してもらいたいと思いますし、私も明日明後日の行事をできるだけ効果のあるものにするため頑張ります。

 とは言え、アメリカや国際社会が拉致被害者を取り返してくれるわけではないので、国際的な活動はやはり外堀を埋めるだけでしかありません。拉致問題は根本的には主権の問題であり、日本がやるしかないことです。過剰な期待をするのではなく、外堀を埋めることに徹した方が効果はあるように思います。

 以下は私のワシントン及びニューヨークでのスピーチの草稿です。この通りに話すわけではありませんが御参考まで。
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○なぜ北朝鮮は拉致をしたのか

 北朝鮮は1945年の日本からの解放、1948年の政府樹立にあたって、自らの努力をほとんどしていない。
①朝鮮半島北部の解放はソ連軍の進駐によって行われ、その地域の指導者となったのはソ連軍の大尉だった金日成である。
②北朝鮮は1950年6月に韓国に侵攻する。当時人民軍は10個師団と1個戦車旅団を擁していたが、兵力の3割は中国の人民解放軍にいた朝鮮人将兵であった。武器はソ連軍が供与した。
③朝鮮半島は北半部が山が多く、1910〜1945の日本統治時代水力発電所が建設され、鉱山の開発、日本海側のコンビナート建設などが行われた。1937年朝鮮と満州国の間の鴨緑江に建設された水豊(Supung)発電所は最大発電能力約70万キロワット、当時世界第2位の発電所だった。このようなインフラは労せずして北朝鮮のものとなった。

 以上のように、朝鮮民主主義人民共和国という国はその成立にあたって権力・軍隊・インフラという重要な要件をすべて他からもらってできている。「幼児体験」はその後も続き、足りないものは人からもらえば良いという性格を形成した。
 足りないものが金であれば偽札を作ろうが偽煙草や偽洋酒を売りさばこうが密輸をしようが構わない。ものであれば、金で買えれば買う、変えなければ盗む。そして足りないものが人であれば拉致をすることになる。したがって、北朝鮮という国にとって拉致は当然のことであり、拉致をしない状態の方が異常であると言える。

○誰が拉致されたのか

 今回参加しているご家族の一人、小林七郎さんは兄の小林榮さんが1966年、東京から失踪した。当時23歳で印刷会社に勤務していた。この翌年日高信夫さん(22歳)、さらにその翌年早坂勝男さん(24歳)が東京から失踪している。二人とも印刷会社に勤務していた。三人は皆地方から家族と離れ東京に出てきていた独身者であった。

 北朝鮮の基礎技術は極めて遅れている。しかしその一方で偽札の精巧さは世界一と言われる。このギャップはどうして起きるのか。自力で作った技術ではなく、外部から持ってきた技術以外に考えられるだろうか。そして偽札を作るために印刷の技術を持った人間を拉致するとすれば、それ以外の様々な分野、例えば農業とか、工業とか、どのような分野でも
人を連れてきた可能性があるのではないだろうか。

 もちろん、拉致の目的は様々であり、工作員が拉致被害者に成り代わったケースや、拉致した人を工作員にしようとしたケース、工作員に日本語や日本の風習を教えて海外で日本人として活動させようとしたケースなど様々である。いずれにしても北朝鮮にとって拉致は「当然」のことだった。

○なぜ日本人拉致が頻繁に行われたか

①地理的な問題
 日本と北朝鮮は日本海を挟んで向き合っており、日本の海岸線は非常に長い。入る側は入りやすく、守る側は極めて守りにくい。ちなみに日本の海岸線の総延長は約34000キロあり、これはアメリカ合衆国の海岸線の約2倍にあたる。

②日本国内の工作基盤
 日本には現在約50万人のKoreanがいる(日本国籍を持ったKoreanをのぞく)。彼らの大部分は日本国内で普通の市民として生活しているが、一部の北朝鮮にシンパシーを持った人間は今も工作活動に従事している。さらに、北朝鮮に帰国した親族を持っているKoreanはその親族を人質に工作活動への協力を強要されたり、献金を求められたりしている。日本人と日本に居住するKoreanはお互い同士もほとんど見分けがつかないので工作活動をするには極めて便利である。

○日本と米国の立場の違い

 日本近海で北朝鮮の工作機関の船舶は数十年にわたって頻繁に目撃されてきたが、2001年に九州南西の海岸で海上保安庁の巡視船に追われて逃走しようとした北朝鮮工作船は巡視船と銃撃戦をしたあげく、自爆沈没している。1996年には韓国の東海岸で北朝鮮の工作用潜水艦が座礁しているが、このときも約半数の乗組員はその近くで自決し、残りの乗組員も一人が逮捕されただけで誰も投降していない。
 自らが死ぬことを覚悟して日本に入ってくる工作員にとって日本人を拉致したり殺害するのは何ら良心の呵責を感じない。

 米国は核大国であり、強大な抑止力を持っている。北朝鮮がいくら騒いでも米国に核ミサイルを撃ち込むことはない。また、北朝鮮の工作船が米国の海岸に侵入することもない。しかし日本は以上のような脅威にさらされている。

 一度立場を置き換えて考えていただきたい。日米が同盟関係のままで、米国が核を持たず、日本が核を持っていたとして、キューバが核武装し、米国民を拉致し続けていたらどうするだろうか。我が国が「日本の核の傘があるから安心して欲しい」と言ったとして信じられるだろうか。

 いうまでもなく日本人拉致被害者は日本の手で取り返すのが当然である。その前提で日本の立場にご理解をいただければ幸いである。

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