圭運丸引き揚げを検討--海保長官
【調査会NEWS1360】(25.6.18)
前号で失踪年の誤りを訂正(昭和43年→42年)した紙谷慶五郎さん親子の乗った圭運丸の事件について、本日の衆議院国道交通委員会において元調査会常務理事である三宅博議員が質問し、北村隆志海上保安庁長官が船体の引き揚げも検討するとの答弁をしました。
7月6日7日には調査会の1万キロ現地調査第15回(函館・札幌)が行われますが、7日の札幌での調査には紙谷さんのご家族も参加予定で、翌8日には小樽の第1管区海上保安本部への要請を行う方向で調整しています。
<6月18日 衆議院国土交通委員会質疑抜粋>
三宅議員:次に昭和42年に圭運丸、これは北海道なんですけどね。船は沈んでいるが船そのものは見つかっているんですね。海底に。こういったものも軍関係者による海上における拉致事件と断定してもいいという考えですが、船がもし見つかっているのなら非常に費用はかかりますが引き上げることはできないのか。その辺のところをお聞きしたいと思います。
北村海上保安庁長官:今先生ご指摘の圭運丸でございます。圭運丸は1967年、昭和42年11月に北海道の紋別郡にあります元稲府港という港を午前7時ごろに出港しました。乗っていた人は船長ほか3名、総トン数6トンあまりの小さな船でございます。午前7時ごろに出港した漁船が寄港しないという連絡を紋別にあります海上保安部が受けました。
紋別海上保安部では巡視船なり航空機を発動しまして漁船とともに捜索を実施しましたところ、元稲府の北4海里付近で圭運丸のものと思われるロープなどを発見しましたが、巡視船、航空機で専従捜査を実施しましたけれども、残る行方不明となった4名の方を発見するには至りませんでした。
今、先生おっしゃいましたように圭運丸は当時、漁業手配の水中テレビによって元稲府の北4マイル付近に転覆し沈没状態の船を発見したということであります。今実は水深が40メートルあるところでございます。昭和42年、1967年ですから46年前の話でございます。かつこの船木造船でありまして、先生ご指摘の、我々も北朝鮮の工作船を平成14年に引き上げたことがございます。水深90メーターでしたが鋼の船でありましたので、お金もかかりましたけれどもそういうこともできました。今回ご指摘の船、40メーターで46年前で果たしてちょっとどんな形になっているのか。鋼じゃないものですからもろくなっていることが当然予想されるわけで、まずどんなやり方があるのか検討をしていきたいと思っているところであります。
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