横田早紀江さん拉致未遂?
【調査会NEWS1367】(25.7.2)
調査会では本日の記者会見で以下の通り発表しました。もしこれと類似した他の事件をご存じの方がおられましたら情報をお寄せ下さい。
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平成25年7月2日
「反物事案」について
特定失踪者問題調査会
横田早紀江さんがめぐみさんの拉致された翌昭和53(1978)年、拉致未遂に遭っていた可能性がある。
偶然ではあるが、ほぼ同時に和服の反物を売ろうとする不審な人物を過去に目撃したとの三つの情報が入ってきた。その一つは横田めぐみさんの母、早紀江さんである。もう一つは千葉県在住の男性とその母親である。これは拉致の手口の一つである可能性がある。詳細は以下の通り。
1、横田早紀江さんに関わる「反物事案」
昭和53(1978)年3月以降(3月〜5月あるいは11月?)頃、午前中(もしくは夕方の時間帯?)に、所用(PTAないし買い物?)で早紀江さんが新潟市水道町の当時自宅から大通りに出て出かけた際に、めぐみさんが拉致されたと思われる交差点付近より少し南側、当時あったホテル前付近で、海岸の方を向いて左に寄せた乗用車(色不明)が駐車している事に直前で気付く。
その車の側から1人の男が反物を2本手に持って「奥さん、反物の良い物が安く展示してあるので、見に来ませんか」と声を掛けて来た。近くにはもう一人の男がいた。
男達は、背広を着用し、30代前後、身長はそれほど高くなく、どちらかと言えば きゃしゃな感じ、髪型は普通の七三分け、メガネはかけていない。日本語に不審な点は無く、気さくな感じだった。
当時はめぐみさん失踪からまだ日も浅く、早紀江さんの心はどん底の状態でそれどころではなかった。また、早紀江さんは以前に呉服店に勤めた経験があり、展示会などを路上にて声をかけ誘う事はあり得ない、顧客には招待状を出すのが普通だという認識があり、非常に不審な感触を抱いた。めぐみさんがいなくなった直後から不審な電話などもあり、日常的に警戒心を持っていた。
早紀江さんは怖くなり、すぐに申し出を断って、新潟大学の交差点方向へ向かった。後を付けられていないか不安であったが、後ろを振り返る事は出来なかった。用事を後回しにし、そのまま新潟中央警察へ直行。不審な人物に声を掛けられた事について通報した。車のナンバーは記憶しておらず、警察は調べておきますと対応したと言う。その後、警察からは「あれ以来そのような不審者は現れず、何でも無いですよ」と告げられた。
2、千葉県における「反物事案」
Aさん(男性)と、その母であるBさんは、千葉県内に居住し、Aさんは昭和44(1969)年若しくは昭和45(1970)年に千葉市内で。Bさんは昭和50(1975)年の春に四街道市内で拉致未遂と思われる事象に遭遇されている。
(1) Aさん(現在60代・四街道市在住)
高校を卒業した昭和44(1969)年、若しくは翌年45年当時、受験勉強のため毎日、千葉市中央区の県立図書館に自宅の四街道市から電車で東千葉駅まで移動し、同駅から国道128号線沿いに徒歩で通っていた。図書館に通う時間帯は毎日同じ時刻で、図書館の開館時間前に到着する日課の繰り返しだった。
季節不明の某日、それまでの日課と同じく、東千葉駅から徒歩で図書館に向かって歩き、千葉市中央区本町3丁目に架かる「大和橋」まで来ると、大和橋の手前・左側路上に頭を図書館方向に向けた白いセダンの乗用車が右側後部座席ドアを開放した状態で停車し、脇に黒っぽいスーツを着用した20〜30代前半の男2名が立っていた。
男たちは、息子さんが車の位置に差し掛かると流暢な日本語で呼びとめ、「自分たちの勤めていた呉服店が倒産して現物支給として反物を貰った・・・その反物を買ってくれないか? 反物は車に積んであるので、乗って見てほしい」と話しかけてきた。
Aさんは反物を購入する気持ちは無かったが、誘われるままに車の方に近づいていったが、中に積載されているはずの反物が見えなかったため、「おかしい」と思い、「もう、いいよ!」と男たちの誘いを断り、そのまま図書館に向かった。
その後、このことを忘れていたが、4〜5年前に何かの拍子に昭和48(1973)年7月に千葉県市原市で失踪した古川了子さんのことを知り、「自分があの時経験したことは古川さんの拉致事件と関係があるのではないか?」と思うようになり、警察署にも話しに行ったが、警察では話を聞いてくれただけだった。
今回、別の警察の紹介で当調査会に情報を提供することになり、その旨を母Bさんに話したところ、Bさんも同じ経験をしていたことが判明した。
(2) Bさん(現在80代・四街道市在住)
昭和50(1975)年頃、季節は4月頃、昼食後に自宅から徒歩で買い物に向かう途中、自宅から約100mほどの路上に、濃紺色のバンが停車し、脇に濃紺色の上下服の30歳前後の男2名が立っていて、Bさんが近づくと「着物はどうですか?良かったら見てください」と呼びかけ、更に「見るんだったら中に入って見て下さい」と、勧めてきた。
バンの後部荷物室には確かに着物や反物が積載されているのが見えたが、「品物を見せるのなら、後部の扉を開ければ見せれるのに」と不審に思い、「(見なくても)いいです」と断り、その場から立ち去り買い物に向かった。男たちは2人ともロイド眼鏡をかけていたが日本語に違和感はなかった。買い物からの帰途、同じ道を通ったが、既に男たちの姿はなかった。
以上から推測されるのは次のようなことである。
(1)横田めぐみさんの拉致の後、本人の精神状態が安定しないため、早紀江さんを拉致しようとした可能性がある。これは1970年代にアベック・夫婦の拉致及び失踪が集中していることとも関連する。
(2)横田早紀江さんを狙って拉致をしようとしたとすれば、めぐみさんの拉致から9か月後の曽我ひとみさん・ミヨシさん母子についても、同様の目的で拉致が行われた可能性がある。アベック拉致が拉致対象者を北朝鮮に連れて行った後安定させるためだったとすれば、親子で連れて行くということも当然ありうるはずである。また、昭和49年7月に失踪した峰島英雄さん、関屋俊子さん、遠山常子さん3人の失踪も同じカテゴリーに該当する可能性がある。さらに、藤田慎さんと藤田進さん(川口)の関係も、叔父が先に拉致をされておりその関係で甥を拉致したという可能性も存在するということである。
(3)同様の話が全く離れた2箇所で出てきたということは北朝鮮工作機関のマニュアルに拉致対象者を誘引する手段として反物を使うことが記載されていた可能性がある。
(4)特定失踪者の中には何かの理由で誘引され、短時間家を空けるつもりで本人が出かけたまま失踪したと思われるケースが多数あるが、今回の反物事案はそれを解明するヒントになるものと思われる。当然反物以外の理由でも誘引しているはずであり、あらためて未遂事件を含めた手口の見直しを行いたい。
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