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2013年8月15日

終戦

【調査会NEWS1390】(25.8.15)

 「終戦」、ある意味便利な言葉です。戦争に負けた悔しさとか絶望とか悲しみとか、そんな感情をいくばくかは誤魔化してくれます。

 そしてまた、自分の意志で戦争は避けられる、終わらせられるという幻想をも感じさせる言葉です。それは戦争に勝った側、日本中をそれこそ火の海にした上で2発の原爆まで落とし非戦闘員、要は女性も子供も年寄りも焼き殺した勝者の側にも都合の良いものだったかも知れません。

 以後私たちは思考を停止させてきました。占領軍がいつの間にか「進駐軍」になり、今は「日米同盟」と言われています。しかし、「同盟国」であるはずの米国が日本を守ることにはなっていても日本は米国を守る必要はありません。米軍の若者が日本を守るために命を落としかけていても自衛隊は助けてはいけないことになっています(まあ、「自衛」隊というくらいですからそんなものなのかも知れませんが)。

 そしてその「同盟国」に国の安全を委ね、「平和憲法があるから」と言い、またある人は「占領憲法が変わらない限りは」と言い、どちらにしても何もせず、され放題拉致をされて、その上に多数の拉致被害者を放置し続けてきたのです。

 発想が飛躍していると思われるかも知れませんが、私は東日本大震災の津波で大きな建物がいとも簡単に流され、倒壊したのを見て、結局人間のできることはこんなものなのかと痛感しました。人間の作る憲法とか法律というものもこんなもので、何でもないときならそれなりに機能しても、いざとなったら紙切れに過ぎなくなるのではないかということです。

 私たちはもっと本質的なもの、簡単に言えば常識とか素朴な感情とか、そんなものに忠実になる必要があるのではないかと思います。「終戦」の日に同胞を拉致された悔しさ、絶望、悲しみ、そんな感情にひたってみるのも意味のあることかと思います。

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