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2013年9月 5日

7つの情報-吹上浜特別現地調査ー

【調査会NEWS1402】(25.9.5)

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 昨日市川さん・増元さんが拉致された吹上浜での特別現地調査が行われました。台風が直撃していたので実施が危ぶまれましたが、幸い早朝宮崎沖に抜けてくれたため、晴天の中現地調査と鹿児島市内での記者会見を行うことができました。(写真は証言5、Hさんの話に出てくる不審な船の目撃された場所でマスコミの質問に答える市川健一さん・増元照明さん・前山利恵子さん・村岡育世さん)

 調査にはご家族の市川健一さん・増元照明さん、県内在住特定失踪者家族の前山利恵子さん・光秋さんご夫妻(園田一さん・敏子さん夫妻の娘夫婦)と村岡育世さん(田中正道さんの妹さん)が参加されました。また、記者会見には支援する会の花牟礼薫会長・假屋達郎事務局長ら役員の方々も参加されました。調査会では荒木・杉野・森山が担当しました。

 吹上浜では情報5のHさんが現地に来て直接当時の状況を説明して下さいました。以上の情報についての評価は次の号で書きたいと思いますが、事件から35年して、このような大量の情報が出てきていることは極めて注目すべきと思います。あらためてご協力いただいた皆様に心より御礼申し上げます。

1、A氏(5月に発表した情報)

(1)A氏は昭和53年8月12日、実家のある吹上から県道22号線(伊作峠)を鹿児島市内へ向かっていた。

(2)駒田集落付近で単車10台くらいにからかわれている車とすれ違う。

(3)A氏は運転席で単車を見ながら「アホが」とつぶやく。

(4)それに気付いたのか1台のバイクがA氏の車をUターンして追いかけて来た。車の窓越しに何かを叫んでいる。A氏、無視。しばらくすると1台の単車は戻っていった。「谷山の馬鹿んしが(谷山の馬鹿者が)」と独り言を言ったことをはっきり覚えている。

(5)鹿児島市での用事を終え、吹上への帰路夕日を見に浜へ行く。A氏は夕日を見るのが小さい頃から好きだったようだ。駐車場ロータリーで市川さんの車の後ろに停車。「さっきのからかわれていた車だ」と直ぐに分かった。車には誰も居なかった。

(6)小道を抜け、海岸へ向かう。小道から14時の方向、50mの海岸にねずみ色した短艇(奄美沖工作船の後部におさめられていた船とまったく同じだった)があった。その手前に昔からある伝馬船があった。

(7)プレジャーボートが女性のトイレのため海岸に寄り、伝馬船の後ろで用を足しているものと思いその船とは逆方向へ(海正面左側)へ歩き出す。A氏は桜貝を集めるのも好きだった。

(8)小道から3,40メートル歩いたところで、浜のせり上がっている所に、海亀が移動したような跡を発見。幅1メートルくらい。浪打際から陸地(せり上がっている部分)へ続いているが、あまりにも急斜面すぎて亀が上るとは思えない。後から考えればあの急斜面をカメが登るわけがない。拉致疑惑が世間に出た後、A氏は友人達と急斜面で実験してみた。同じ跡が付いた。

(9)上まで上がってみると突然、やせ型、50歳前後、チヂミ、ステテコ姿、漁師のように日焼けした男が目の前に現れる。A氏をにらみつけるような感じ。A氏は(海亀の卵を取りに来た人だ)と直感。「亀が卵をうんじょっとごあんさ〜、あたいはいいもはんど(亀が卵を産んでますが私は要りませんよ)」とその男性に話す(このとき2人の距離は40〜50センチ)。

(10)しかしその男はA氏の言っている言葉が理解できない感じであった。男は「カメ?タマゴ?」と聞き返した。その表情に最初の気持ち悪い殺気を感じた。

※当時、海亀の卵は採取されており、最初に見つけた人が棒をその場所に刺し、自分の取り分であると印を付けていたらしい。精力剤として珍重されていた。今は保護対象。

(11)その後、男の後ろの方で砂のガサガサする音がした。A氏が「やっぱい亀が卵をうんじょっととな(やはり亀が卵を産んでいるのだな)」と視線をその方向に向けると男が視線を遮った。A氏は2度目の気持ち悪さを感じる。

(12)男が尋ねた。「これなに?」A氏の下駄履きを指さす。下駄履きを知らないはずはないのと、得たいの知れない殺気を感じたA氏は男の目から目線を外さずに「こいは下駄」と答える。

(13)男が「この辺、来るの?」と聞いたのでA氏が「よう犬を連れて散歩に」と言った瞬間男は「犬、どこ?なに?」と突然慌て出した。回りをキョロキョロして落ち着きのない様子。

(14)そこに地元の女性2人が小道から海岸へしゃべりながら入って来た。男はその方向を凝視。その時にA氏は身体を翻し「本当に卵はいいもはんで (本当に卵は要らないから)」と言って小道の方向へ向かった。この女性に聞いたところでは伝馬船の後ろにゴムボートがあったのを見ている(このゴムボートについては当時A氏は気付いていない)。

(15)市川さん・増元さん失踪から10日程して刑事がA氏に会いに来た。A氏と刑事は昔からの知り合い。A氏は途中ですれ違った暴走族の仕業だと主張したがK氏は「暴走族は関係ない。調べはついている」と言った。そして最後に「こいは北朝鮮の仕業じゃっとよ」と言った。A氏はこの時に警察は解っていたのに今現在まで何も進展していない事へ怒りを覚えている。

2、B氏(市川健一さん宛匿名手紙、7月1日付鹿児島中央郵便局のスタンプ。原文ママ)

市川様

 前略 私は南日本新聞の記事を読みました。そしてこれは私の知人の体験談をお伝えすべきだと思いました。あの時の事は当局が実情を把握されているものと思ってをりますが、何らかの参考になるかと思いまして知人の話を思い出しながら書いてみます。知人は存命してをれば80歳を過ぎてをります。話は次の通りです。

「当日、綱引きのため吹上へ言った。車を置いて海岸へ行く途中で茶色のゴム草履が片方放置されているのを見た。何故片方だけだ?と思いながら歩いて行く7〜8人の集団と出会った。上半身は白の半袖シャツ、下は黒の膝までのピッタリしたパンツ姿で全員が鍛え上げられた体格の集団であった。自分は思わず両手を握りしめ、全神経を殺気のように身中から発散させて集団の中を通り抜けた。

 そして海岸に出ると右手の沖合に大昔の船のような船尾の高い茶色の船が停泊しているように見えた。海岸にはエンヂンを積んだ黒いゴムボートがあって、そばに黒い潜水服にボンベを背負った人間が1人立っていた。そして砂浜の中程には何故か緑の葉を一杯付けた大きな木の枝が、何かを隠すように立ててあった。

 しばらく見てをったが振り返ると先程の集団の一人が、自分を見て取って、これは監視されていると直感した。その夜の放送で吹上方面に朝鮮総連の人物が来ていると言っていた」

 以上が知人の話でした。北朝鮮の組織的な大掛りな拉致事件であったのだと思ってをります。以上の話何らかのお役に立ちますかどうか。一応お知らせいたします。

 乱筆にて失礼いたします。

3、S氏(62歳・福岡在住)

 ※5月末に調査会事務所に情報提供

 昭和53年8月お盆前後(妻が妊娠していたのでよく覚えている)、吹上浜の海岸へ向かう道に車を駐車し、食事を取っている最中、前から3、4人の男たちが歩いてきた。年齢は30代?、厳つくヤクザ風、派手ではないがアロハのようなシャツ、スニーカータイプの靴、足音が揃っているのが印象的。自分の車の脇を通り過ぎたが、視線を合わせる事を避けたくなる雰囲気。この付近はアベックのメッカで、集団で男が歩いているのはちょっとおかしいと思った。

 市川増元事件が発覚し、情報提供を呼びかける報道があったので警察には話している。

4、I氏(61歳)

 救う会全国協議会への情報提供があり、こちらで対応した。

 当時20代に会社(ユニチカ・バークシャー・当時は九州・バークシャー)に勤務していた頃、会社の労働組合の教育・宣伝部の行事で、鹿児島の吹上浜に(会社のバス1台で)キャンプに行った。夜に肝試しをしようとカップルを組みキャンプ場から浜まで行って、私は浜に座っていた。闇の中、浜で人影と沖合にサーチライトでモールス信号(私はアマチュア無線・電話級を所持)を見た。当時は、自衛隊か夜間訓練をしているのか思っていた。自分が持っていた手持ちのライトでモールスのマネをして、イタズラをしたのを覚えている。

 記憶がハッキリしているのは、翌日の海水浴中に組合員が5・6人 離岸流で溺れかけたから。その数日後に、テレビで吹上浜で離岸流での死亡のニュースがあったので、記憶が鮮明だった。

5、H氏(77歳。市川健一さんに電話で連絡)

 現在いちき串木野市在住。35年前の8月11日、吹上高校の進路指導の先生と待ち合わせをしていたが、約束の時間に1時間ほどあるので吹上荘奥の海岸へ車で移動する。防波堤から20メートルくらい前に車を停めて徒歩で海岸へ。その時に黒っぽい鉄製のこのあたりでは見ない船を見た。

 そろそろ時間が迫って来たので車に乗りバックしてハンドルを右に切って転回しようとした時に6、7名の甚平か何か黒っぽい服装の男が車に近づいて来た。殺気を感じた同氏は何人かドアに当たった感じがあったがそのまま突進して逃げた。同氏の車はマークⅡの新車。

 同氏は県柔道連盟の役員だった。ただならぬ殺気は十分に感じた。

6、J氏(63歳・前山さんに連絡)

 串良町の飼料を運ぶ会社に勤務、トレーラーの運転手だった。吹上浜へ行った時期は不明。加世田へ女性事務員と仕事で出向く。仕事終了後、ついでに吹上浜へドライブする。車両は会社のカローラよりワンランク下の車。(白)

 市川・増元車両発見現場に車を停め、降りて浜へ行こうとした際に助手席側・運転手側からそれぞれ一人ずつ男が棒のようなものを投げながら近づいて来る。車両には傷が入った。急いで車に乗り、ロックをかけた。その様子は明らかに捕獲体勢であった。男は40歳前後、髪は刈上げ。

7、C氏(A氏の同級生)

 時期不明、お盆の頃、姉家族(子供も含む)と吹上浜へ行ったところ、浜辺(波うち際)を4人くらいで腰まで海に浸かり船を引き上げている男たちがいた。こちらを見つけると男連中がその家族に向かって走って来たので急いで車に戻った。とにかく気持ち悪かった。

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