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2013年9月24日

1万キロ現地調査(南房総)報告

【調査会NEWS1413】(25.9.24)

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 3連休の間、特定失踪者ご家族や支援者の皆さんによる『忘れないで、特定失踪者』〜知られざる拉致被害者〜全国一斉活動が開催され、14地域(9都県)で、集会や街宣、署名活動、チラシ配布やポスティング、パネル展示等の活動が行われました。これはすべて特定失踪者ご家族や支援者の皆さんのご努力によるもので、調査会としては側面からの支援しかしていませんが、拉致問題の理解を広げるために大きな一歩となったと思います。関係者の皆様ご苦労様でした。

 さて、遅くなりましたがさる15日に行われた1万キロ現地調査第17回(南房総)の報告です。調査会としては今後も情報収集及び発信に集中して活動を続けて参ります。今後ともよろしくお願い申しあげます。

 ◎特定失踪者問題調査会1万キロ現地調査 第17回(千葉南房総地区)結果

1、目的
(1) 現地調査により個々の事件及び北朝鮮による拉致・工作活動への認識を深める。
(2) 広報啓発活動を通し今後の工作活動を抑止する。
(3) 現地で特定失踪者家族・政府認定者家族他関係者から北朝鮮向け短波放送「しおかぜ」のメッセージを収録する。

2、参加者
調査会(荒木、岡田、村尾、杉野、曽田、中村)
特定失踪者家族(鵜沢幹雄さん妹・河野恵子さんご夫妻)
支援者(調査会を支援する会、予備役ブルーリボンの会)

3、日程
9月15日(日)御宿町〜館山市(前日飯田橋事務所から移動)
09:00 民宿『いしい荘』集合。
     御宿漁港周辺調査〜鵜原海岸〜鴨川市東江見〜館山市
17:00 館山市解散

4、調査対象者
  
(1) 氏名:鵜沢幹雄(うざわみきお・写真)

(2) 生年月日:昭和29(1954)年12月1日

(3) 当時身分:会社員

(4) 当時住所:千葉県長生郡睦沢町

(5) 失踪日 :昭和53(1978)年12月15日

(6) 最終失踪関連地点:千葉県夷隅郡御宿町

(7) 失踪前の状況

 鵜沢幹雄さんは昭和48(1973)年4月、高校を卒業と同時に『利根コカコーラ・ボトリング㈱』に入社し、茂原市の営業所で勤務し、主に営業を担当、飲料水をトラックで配達して廻っていた。仕事の営業成績はよかったが、将来を考え、知人のクリーニング業者から技術を勉強中で、店を持つ目標を持っていた。車を買い替える手続きもほとんど済んでいて近く納車の予定だった。

 同社は毎年暮れになると忘年会を一泊の予定で夷隅郡御宿町所在の『いしい荘』で開催しており、失踪日の昭和53(1983)年12月15日(金曜日)の忘年会も『いしい荘』で開催された。鵜沢さんは12月15日(金曜日)の当日、茂原市の営業所から退勤後、一度長生郡睦沢村(現睦沢町)の自宅に戻り、着替えも免許証も持たず小銭のみを持った状態で先輩の車で御宿海岸の『いしい荘』に向かった。

(8) 失踪の状況

 『いしい荘』での宴会は19:30から21:30頃まで約2時間開催され、近傍の置屋『雪村』から芸者3名が宴会場に派遣されていた。鵜沢幹雄さんは泊まりがけだったのでかなりの量の酒を飲み、一度裏口に近い自室に引き上げた後の22:00頃、同室者に「トイレに行く」と言って部屋を出た後、行方不明となった。

 この際、鵜沢さんは女物のサンダルを履いて『いしい荘』の外に出た模様で、宴会の後片付けをしている際にサンダルが無くなっていることに気付き、そのサンダルは翌日、行方不明の知らせを聞いて現地に来た鵜沢さんの父が『御宿漁港』の堤防のところでバラバラに脱ぎ捨てられているのを発見している。

 また、その近くで鵜沢さんが着用していたと思われるアーノルド・パーマーブランドの靴下(片方)も発見された。後日、その堤防近くで夜釣りをしていた人が、「旅館の方から一人でふらふらと歩いてくる人がいて、反対側から別な人が一人近寄ってきたので知り合いかと思った。気づいたら2人ともいなかった」と証言している。

 鵜沢さんの捜索は翌日12月16日(土曜日)から1週間前後続けられたが何も発見できず今日に至っている。

5、その他の調査対象

(1) N病院『うばら海の家』跡地 (千葉県勝浦市鵜原・鵜原海岸)
   北朝鮮に関係する都内の『N病院・うばら海の家』が所在した海岸地区。

(2) N病院『K実験農園』(千葉県鴨川市江見吉浦)
   上記同様、『N病院』関連施設と周辺海岸地帯。


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