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2013年9月29日

加藤八重子さんについて

【調査会NEWS1414】(25.9.29)

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 加藤八重子さんは昭和53(1978)年9月22日に群馬県群馬町の自宅から失踪しました。

 当日朝、お嬢さんが八重子さんの部屋を見たら姿がなく、寝ていた掛け布団が真ん中だけ膨らみ、誰かに引っ張られて出されたという感じで残されていました。当時38歳。ご主人はその晩夜勤で不在でした。前夜は2人のお子さんとともにテレビを見ていて、お子さんたちは午後10時過ぎに就寝しています。部屋は変わった様子がなく、本人のパジャマを除いて現金、履物、衣類、鞄など全て残っていました。

 昨日お嬢さんとお会いし、あらためて色々お聞きしたのですが、お話ししていてふと気付いたことがありました。加藤さんのケースは大多数の特定失踪者と異なり、失踪直後から警察が事件性を察知して動いたケースだということです。

 子供を別にすれば、大多数の特定失踪者の場合は家族が届出をしても事件性なしと判断され、警察はほとんど動くことはありません。警察には年間10万人近い失踪者の届けがあるので、ある程度仕方ないことではあります。

 その意味で加藤さんの失踪事件は特異なケースなのですが、警察の視点は北朝鮮による拉致ではなく、一般の刑事事件としてでした。警察が最初に疑ったのはご主人で、さらに親族も含めてかなり厳しく調べられたとそうです。当時小学生だったお嬢さんですら取調室のようなところで事情聴取をされたとのことでした。しかし、結局何も出てこず、その後は音沙汰なしになっています。

 加藤さんの布団の状況からすれば自分から布団を出たとは考えられません。自分から出たなら布団を畳むかめくるかしているでしょうから。しかも履物もなくなっていないのですから、考えられるのは意識を失った状態で他人に引っ張り出され、そのまま連れ去られたということです。

 ところで加藤八重子さんは電電公社(現在のNTT)の職員でした。そしてご主人は国鉄(現在のJR)に勤めていました。どちらも労働組合は旧社会党系です。またご主人は1か月前、職場の野球大会のとき家の鍵を盗まれていました。

 失踪時に警察は事件性を考えてかなり綿密に調べているのですから、家族が犯人でないと分かった時点で、他に何がありうるかを考えたはずです。そのとき、北朝鮮とまでは思わなかったとしても、職場のことを考えなかったとは思えません。

 群馬県は金丸・田辺訪朝団で有名な田辺誠・元社会党委員長の地元でもあります。様々な意味で北朝鮮との関係も深く、後に原敕晁さんを拉致して成り代わる北朝鮮工作員辛光洙が高崎や前橋のパチンコ屋に身を隠していたこともありました。

 このところ色々な情報が出てくる中で、日本人協力者、特に社会党ないし社会党系労組にいた北朝鮮シンパの活動が注目されています。職場の野球で家の鍵が盗まれていること、ご主人の夜勤のときに奥さんが失踪していることからして、周囲にいる事情に詳しい人間が動いた可能性も少なくありません。

 加藤さんの失踪は35年前の事件ではあっても、未解決の刑事事件として警察に何らかの記録は残っているはずです。また当時盛んだった自民党・社会党の裏取引の中でこのような問題が握りつぶされたことはなかったのかとの懸念もあります。これまでただ一人の拉致実行犯も起訴できていない警察としては、「一所懸命やっている」というだけではなく、ぜひ結果を出して真相を究明していただきたいと希望する次第です。

 調査会としても今後日本人協力者の問題はさらに掘り下げていく予定です。情報をお持ちの方はご協力をお願いします。

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2013年9月24日

1万キロ現地調査(南房総)報告

【調査会NEWS1413】(25.9.24)

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 3連休の間、特定失踪者ご家族や支援者の皆さんによる『忘れないで、特定失踪者』〜知られざる拉致被害者〜全国一斉活動が開催され、14地域(9都県)で、集会や街宣、署名活動、チラシ配布やポスティング、パネル展示等の活動が行われました。これはすべて特定失踪者ご家族や支援者の皆さんのご努力によるもので、調査会としては側面からの支援しかしていませんが、拉致問題の理解を広げるために大きな一歩となったと思います。関係者の皆様ご苦労様でした。

 さて、遅くなりましたがさる15日に行われた1万キロ現地調査第17回(南房総)の報告です。調査会としては今後も情報収集及び発信に集中して活動を続けて参ります。今後ともよろしくお願い申しあげます。

 ◎特定失踪者問題調査会1万キロ現地調査 第17回(千葉南房総地区)結果

1、目的
(1) 現地調査により個々の事件及び北朝鮮による拉致・工作活動への認識を深める。
(2) 広報啓発活動を通し今後の工作活動を抑止する。
(3) 現地で特定失踪者家族・政府認定者家族他関係者から北朝鮮向け短波放送「しおかぜ」のメッセージを収録する。

2、参加者
調査会(荒木、岡田、村尾、杉野、曽田、中村)
特定失踪者家族(鵜沢幹雄さん妹・河野恵子さんご夫妻)
支援者(調査会を支援する会、予備役ブルーリボンの会)

3、日程
9月15日(日)御宿町〜館山市(前日飯田橋事務所から移動)
09:00 民宿『いしい荘』集合。
     御宿漁港周辺調査〜鵜原海岸〜鴨川市東江見〜館山市
17:00 館山市解散

4、調査対象者
  
(1) 氏名:鵜沢幹雄(うざわみきお・写真)

(2) 生年月日:昭和29(1954)年12月1日

(3) 当時身分:会社員

(4) 当時住所:千葉県長生郡睦沢町

(5) 失踪日 :昭和53(1978)年12月15日

(6) 最終失踪関連地点:千葉県夷隅郡御宿町

(7) 失踪前の状況

 鵜沢幹雄さんは昭和48(1973)年4月、高校を卒業と同時に『利根コカコーラ・ボトリング㈱』に入社し、茂原市の営業所で勤務し、主に営業を担当、飲料水をトラックで配達して廻っていた。仕事の営業成績はよかったが、将来を考え、知人のクリーニング業者から技術を勉強中で、店を持つ目標を持っていた。車を買い替える手続きもほとんど済んでいて近く納車の予定だった。

 同社は毎年暮れになると忘年会を一泊の予定で夷隅郡御宿町所在の『いしい荘』で開催しており、失踪日の昭和53(1983)年12月15日(金曜日)の忘年会も『いしい荘』で開催された。鵜沢さんは12月15日(金曜日)の当日、茂原市の営業所から退勤後、一度長生郡睦沢村(現睦沢町)の自宅に戻り、着替えも免許証も持たず小銭のみを持った状態で先輩の車で御宿海岸の『いしい荘』に向かった。

(8) 失踪の状況

 『いしい荘』での宴会は19:30から21:30頃まで約2時間開催され、近傍の置屋『雪村』から芸者3名が宴会場に派遣されていた。鵜沢幹雄さんは泊まりがけだったのでかなりの量の酒を飲み、一度裏口に近い自室に引き上げた後の22:00頃、同室者に「トイレに行く」と言って部屋を出た後、行方不明となった。

 この際、鵜沢さんは女物のサンダルを履いて『いしい荘』の外に出た模様で、宴会の後片付けをしている際にサンダルが無くなっていることに気付き、そのサンダルは翌日、行方不明の知らせを聞いて現地に来た鵜沢さんの父が『御宿漁港』の堤防のところでバラバラに脱ぎ捨てられているのを発見している。

 また、その近くで鵜沢さんが着用していたと思われるアーノルド・パーマーブランドの靴下(片方)も発見された。後日、その堤防近くで夜釣りをしていた人が、「旅館の方から一人でふらふらと歩いてくる人がいて、反対側から別な人が一人近寄ってきたので知り合いかと思った。気づいたら2人ともいなかった」と証言している。

 鵜沢さんの捜索は翌日12月16日(土曜日)から1週間前後続けられたが何も発見できず今日に至っている。

5、その他の調査対象

(1) N病院『うばら海の家』跡地 (千葉県勝浦市鵜原・鵜原海岸)
   北朝鮮に関係する都内の『N病院・うばら海の家』が所在した海岸地区。

(2) N病院『K実験農園』(千葉県鴨川市江見吉浦)
   上記同様、『N病院』関連施設と周辺海岸地帯。


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2013年9月16日

議連役員と特定失踪者家族の懇談

【調査会NEWS1413】(25.9.16)

 昨日は1万キロ現地調査の第17回が南房総で行われました。台風が接近しており、予定通りの実施が危ぶまれました。宇澤幹夫さんの失踪した御宿町の民宿いしい荘の中でご家族と状況確認をしていたときは暴風雨だったのですが、外に出ると雨は上がっており、その後は快晴になり、全ての日程を予定通り実施できました。報告は後日流しますが、ご協力いただいた皆様に心より御礼申し上げます。

 さて、本日開催された国民大集会はさらに台風が接近する中で行われましたが、幸い多数の参加者に恵まれました。そちらに関しては救う会からの報告があると思いますが、集会終了後平沼会長以下拉致議連役員と特定失踪者家族の懇談が行われました。

台風直撃のため、交通が寸断され特定失踪者家族も残念ながら地方からの方々の欠席が相次ぎ、懇談に参加できたのは生島孝子さんの姉・馨子さんと藤田進さん(川口)の弟・隆司さんの2人でした。議連は平沼会長・山谷事務局長・松原元拉致担当大臣・河村副会長・衛藤副会長・渡辺副会長・上田副会長・中山副会長ら役員の方々が出席されました。

 今回天候の影響でご家族の参加が少なかったのは残念ですが、生島さんからは新人議員にもこの問題を理解していただくようお願いしたい旨要請があり、藤田さんからも高校などで話をしても特定失踪者についてはまだほとんど知らないので多くの人に周知されるようにしていただきたいなどの話がありました。

 また、ちょうどお二人が先日の第二次人権救済申立の対象であり、荒木から日弁連の報告書をお渡ししてこの日弁連の報告について政府としての位置づけを明確にしてくれるよう要請しました。

 会場の都合もあり短い時間でしたが、有意義な話ができました。今回の懇談のもともとの提唱者である福井の澤香苗さん(宮内和也さんの義兄)も参加できなかったのは残念ですが、特定失踪者全体の問題についての理解は進んだものと思います。

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2013年9月15日

本日は台風の中1万キロ現地調査

【調査会NEWS1412】(25.9.15)

 現在千葉御宿は強い風が吹いていますがまだ雨は降っていません。東京都内はすごい雨のようです。

 台風に立ち向かうようなことになってしまいましたがこれから第17回の1万キロ現地調査をスタートします。最初は鵜沢幹雄さんの失踪の調査です。昨晩泊まった宿自体が鵜沢さんが失踪したところでもあります。

 この後天候もありどうなるか分かりませんが、まあ見通しがつかないなかでやること自体調査会には似合っているように思います。

 なお、昨日調査会では理事会を開催、平成26年の1万キロ現地調査の予定を決めました。

第19回(1月) 鹿児島県(大隅諸島)
第20回(3月) 四国(愛媛・高知)
第21回(5月) 北海道(道北)
第22回(7月) 山形
第23回(9月) 京都
第24回(11月) 広島・岡山

※次回18回は11月に山口県で実施の予定です。当然ながら一般の調査はこれと別途個別に実施します。

 今後とも積極的な情報収集に努めて参ります。ご協力をよろしくお願いします。

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2013年9月12日

1万キロ現地調査第17回(千葉県南房総)

【調査会NEWS1411】(25.9.12)

 以下の要領で第17回の現地調査を実施します。報道関係者等関係各位のご協力をよろしくお願い申しあげます。

1、目的

(1)現地調査により個々の事件及び北朝鮮による拉致・工作活動への認識を深める。
(2)広報啓発活動を通し今後の工作活動を抑止する。
(3)現地で特定失踪者家族・政府認定者家族他関係者から北朝鮮向け短波放送「しおかぜ」のメッセージを収録する。

2、参加予定者

調査会(荒木、岡田、村尾、杉野、曽田、中村)
特定失踪者家族(鵜沢幹雄さんの妹さんご夫妻)
支援者(調査会を支援する会、予備役ブルーリボンの会)

3、日程(当日の状況等により一部変更の可能性がありますのでご了承下さい)

9月15日(日)御宿町〜館山市
09:00 『いしい荘』前集合
(千葉県夷隅郡御宿町浜2164 0470-68-2021)

※『いしい荘』は、下記のように昭和53年12月15日夜、鵜沢幹雄さん(長生郡睦沢町)の会社が忘年会を行い、宿泊予定だった鵜沢さんが行方不明となった宿です。調査会役員は前日『いしい荘』に宿泊します。

 その後御宿漁港周辺調査〜鵜原海岸〜鴨川市東江見〜館山市

16:00館山にて現地調査終了予定・その後現地で解散

4、調査対象者
  
(1) 氏   名 : 鵜沢幹雄
(2) 生年月日 : 1954(昭和29)年12月1日
(3) 当時身分 : 会社員
(4) 当時住所 : 千葉県長生郡睦沢町
(5) 失踪日  : 1978(昭和53)年12月15日
(6) 最終失踪関連地点 : 千葉県夷隅郡御宿町
(7) 失踪前の状況

 鵜沢幹雄さんは1973(昭和48)年4月、高校を卒業と同時に『利根コカコーラ・ボトリング㈱』に入社し、茂原市の営業所で勤務し、主に営業を担当、飲料水をトラックで配達して廻っていた。仕事の営業成績はよかったが、将来を考え、知人のクリーニング業者から技術を勉強中で、店を持つ目標を持っていた。車を買い替える手続きもほとんど済んでいて近く納車の予定だった。

 同社は毎年暮れになると忘年会を一泊の予定で夷隅郡御宿町所在の『いしい荘』で開催しており、失踪日の1983(昭和53)年12月15日(金曜日)の忘年会も『いしい荘』で開催された。

 鵜沢幹雄さんは12月15日(金曜日)の当日、茂原市の営業所から退勤後、一度長生郡睦沢村の自宅に戻り、着替えも免許証も持たず小銭のみを持った状態で先輩の車で御宿海岸の民宿旅館に向かった。

(8) 失踪の状況
 『いしい荘』での宴会は19:30から21:30頃まで約2時間開催され、近傍の置屋から芸者3名が宴会場に派遣されていた。

 鵜沢幹雄さんは泊まりがけだったのでかなりの量の酒を飲み、一度裏口に近い自室に引き上げた後の22:00頃、同室者に「トイレに行く」と言って部屋を出た後、行方不明となった。

 この際、鵜沢さんは女物のサンダルを履いて『いしい荘』の外に出た模様で、宴会の後片付けをしている際にサンダルが無くなっていることに気付き、そのサンダルは翌日、行方不明の知らせを聞いて現地に来た鵜沢さんの父が『御宿漁港』の堤防のところでバラバラに脱ぎ捨てられているのを発見している。また、その近くで鵜沢さんが着用していたと思われるアーノルド・パーマーブランドの靴下(片方)も発見された。

 後日、その堤防近くで夜釣りをしていた人が、「旅館の方から一人でふらふらと歩いてくる人がいて、反対側から別な人が一人近寄ってきたので知り合いかと思った。気づいたら2人ともいなかった」と証言している。鵜沢さんの捜索は翌日12月16日(土曜日)から1週間前後続けられたが何も発見できず今日に至っている。

5、その他の調査対象

(1)N病院『うばら海の家』跡地 (千葉県勝浦市鵜原・鵜原海岸)
   北朝鮮に関係する都内の『N病院・うばら海の家』が所在した海岸地区。

(2)N病院『K実験農園』(千葉県鴨川市江見吉浦)
   上記同様、『N病院』関連施設と周辺海岸地帯。

6、参考事項

 現地調査当日、予備役ブルーリボンの会が館山市内の海岸で実施する「拉致シミュレーション」を見学する。

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2013年9月10日

法律家の会が声明

【調査会NEWS1410】(25.9.10)

 法律家の会(北朝鮮による拉致・人権問題に取り組む法律家の会 木村晋介代表)では第2次人権救済申立に関する昨日の日本弁護士連合会の発表を受け、次の声明を発表しました。声明文は明日の古屋大臣との面会時、同会事務局長である土田庄一弁護士より大臣に手渡される予定です。

           声 明

 平成24年3月23日木村かほるさんら8名の特定失踪者の家族らが申立人となり、日本弁護士連合会人権擁護委員会に対して人権救済を求めていた事件について、日弁連は結論を下し、内閣総理大臣兼拉致問題対策本部長、拉致問題担当大臣に対して平成25年9月3日、警察庁長官に対して9月9日それぞれ執行し、「要望書」と「調査報告書」を手渡した。

要望書等で日弁連は、本件8名について、詳細な調査をもとにいずれも北朝鮮当局によって拉致された相当の疑いが認められると認定し、日本政府に対し、被害発生以来長い年月が経過している事実を真摯に受け止め、早期解決のために北朝鮮政府に対して、本件8名の所在と身柄の返還を求めるなど、可能な手段を全て行使して一日も早く家族全員が一堂に会することが出来るよう努力すべきである、それが、自国民の自由と安全を保障すべき日本政府の責務であり、この問題に関し、国際法上、自国民の人権を保障するための国家の権利と認められた外交保護権の行使を積極的に求められて当然であるとし、警察庁に対し、「本件8名の方々にかかる事案について関係警察において捜査を行っています。」「事案の真相解明のため、全力で捜査・調査を行っているところです」といった回答に過ぎない対応に、至急捜査を遂げ、その真相を明らかにすることは当然のことである、と強く要望したものである。

本件申立ては、平成16年1月29日に加藤久美子さんら16名の特定失踪者の家族による第1次申立てに次ぐ第2次人権救済申し立てである。第1次申立てにおいても日弁連は、今回と同様の要望を日本政府等に求めた。しかし、その要望の主旨が進展しない実情を踏まえて本件申立てがなされたものである。

日弁連による二度にわたる要望に対し日本政府及び捜査当局は、これを重く受け止め、本件8名のみならず先の16名及びすべての拉致被害者の救出に向けた一層の努力を強く求めるものである。

 申立以来1年余、日弁連人権擁護委員会の担当委員及び関係役員の方々が本件救済申し立てを真正面から受け止めて精力的に審査を行い、この度重要な意義を持つ要望書と調査報告書を作成し執行されたことについて、法律家の会として心より敬意を表し、感謝申し上げる次第である。

 法律家の会も、法律家としての職責を生かし北朝鮮による拉致・人権問題の全面的な解決に向けて引き続き活動する所存である。

  平成25年9月10日
   北朝鮮による拉致・人権問題に取り組む法律家の会

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日弁連が第2次人権救済申立について「拉致の疑いが極めて濃厚」と発表

【調査会NEWS1409】(25.9.10)

 昨日9日、日本弁護士連合会は記者会見を開き、昨年3月23日に人権救済申立を受理した7件8人(木村かほるさん・加瀬テル子さん・日高信夫さん・園田一さん・園田敏子さん・生島孝子さん・萩本喜彦さん・藤田進さん)について、すべて「北朝鮮当局によって拉致された疑いが極めて濃厚である」とし、3日に安倍晋三総理・古屋圭司拉致問題担当大臣宛・9日に米田壮警察庁長官宛の要望書を提出(執行)したと発表しました。

 要請文書は日弁連のホームページから全文ダウンロードできます。

http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/complaint/year/2013/130903.html

 会見には房川樹芳副会長・兼川真紀事務次長・秋山篤人権救済調査室嘱託が出席、この間の経緯を説明しました。房川副会長は「政府ができるだけのことをやっていることは認識しているが、進展がみえないことも踏まえこのような要望を出した。日弁連としても色々な機会に対応してきたい。拉致被害は人権侵害の最たるものだと思っている」と語りました。

 また副会長に申立人ご家族に対してのメッセージをお聞きしたところ、「できる限りの調査をしてまとめさせていただいた。ご家族の方には落胆せず、希望を持ち続けて被害に遭った方々の帰国を望んで欲しいと思っております。よろしくお伝え下さい」とのことでした。

 日弁連がこの7件8人について「拉致の可能性が極めて濃厚」であるとした今回の要望書は政府に対しても大きな影響を与えるものと期待されています。この要望書執行にあたり、ご家族が以下の予定で古屋圭司・拉致問題担当大臣に要請を行います。報道関係各位には積極的なご対応をよろしくお願い申しあげます。

日時 9月11日(水) 11:30〜 

場所 大臣室(内閣府)

参加予定者
 天内みどりさん(木村かほるさん姉・青森)
 藤田隆司さん(川口の藤田進さん弟・埼玉)
 前山利恵子さん・光秋さん(園田一さん・敏子さんの長女夫妻・鹿児島)
 仲條富夫さん(加瀬テル子さん親戚・千葉)
 法律家の会 土田庄一事務局長
 調査会役員 代表荒木・副代表岡田・専務理事村尾・常務理事杉野及び曽田

大臣面会後(概ね12時過ぎ)衆議院第1議員会館第6会議室で記者会見を行います。

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2013年9月 9日

第2次人権救済申立で日弁連が執行

【調査会NEWS1407】(25.9.9)

 昨年3月22日に7件8人の特定失踪者(いずれも調査会における「拉致濃厚」)についての人権救済申立を行いましたが、それについて去る9月3日、日弁連が政府等への執行(要望書提出)を行いました。申立していたのは下記の方々です。

天内みどりさん(昭和35年に秋田県秋田市で失踪した木村かほるさんのお姉さん)
仲條富夫さん(昭和37年に千葉県海上町で失踪した加瀬テル子さんの親戚)
日高シヅさん(昭和42年に東京都新宿区で失踪した日高信夫さんのお母さん)
前山利恵子さん・光秋さん(昭和46年に鹿児島県大崎町で失踪した園田一さん・トシ子さんの娘さん夫妻)
生島孝子さん・敦子さん(昭和47年に東京都渋谷区で失踪した生島孝子さんのお姉さんと妹さん)
萩本弘子さん・哲さん・明宏さん(昭和50年に兵庫県高砂市で失踪した萩本喜彦さんの奥さんとお兄さん)
藤田春之助さん・隆司さん(昭和51年に埼玉県川口市で失踪した藤田進さんのお父さんと弟さん)

 執行の内容につき本日日弁連はホームページに掲載し、15時から記者会見を行うとのことです。

 これにあわせ、明後日(11日水曜)11時30分よりご家族が古屋圭司・拉致問題担当大臣に面会し、要請を行います。詳細は追ってご連絡します。

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2013年9月 7日

調査会のビラ北朝鮮の空へ

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 先日ソウルに行ったとき、李ミンボクさん(対北風船団長)に200枚程調査会のビラを渡して風船を飛ばすとき混ぜてもらうようお願いしました。先程写真と共にメールが届き、早速飛ばしてくれたとのこと。このビラは通常日本国内で配るものなので一般の人には日本語であることくらいしか分からないでしょうが、拉致について知っている人が理解してくれればと思います。朝鮮語で書いた通常のビラで、日本のことを中心に書いたバージョンは現在新しいものを準備中とのこと。
 李さんの熱心な活動には本当に頭が下がります。彼が様々な困難をくぐり抜けてやり続けていることを考えたら私たちなどまだまだです。
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新しおかぜグッズ(付箋)

【調査会NEWS1405】(25.9.7)

 前号でお知らせしたメールの主はさらに続いて次のようなメールを送ってきました。

「金正日将軍様も金正恩元帥様も選挙で公正な選挙で選ばれた議員が国防委員長(第一委員長)に推戴したものである。」

「2011年に亡くなられた金正日将軍様の最後の視察地は「光復百貨」というスーパー。
亡くなられた場所は視察に向かう野戦列車の中。
これらを見ると将軍様がどれだけ人民を愛していたかがよくわかります。
将軍様が人民を熱烈に愛されたからこそ人民も将軍様を敬愛したのだ。
その証拠が将軍様の国葬である。人民が地面にひれ伏し泣きわめいてた」

 何となく香ばしい感じです。金正日が視察に向かう列車の中で死んだなどと、信じている人間は北朝鮮にもいないでしょう。本人も草葉の陰で喜んでいると思います。

Fusen2320
 ところで、このように攻撃を受けて青息吐息の調査会ですが、その財政基盤を強め、拉致問題の広報に資するため、このたび新しいしおかぜグッズを発売しました。

 今回作成したのは多くの皆さんからご意見を頂き、ご要望の多かった付箋です。用紙を空色にし(別に青息吐息だからではありません)、ブルーリボンと「Shiokaze Project」ロゴ、おなじみの「RESCUE! Abductees by N.Korea」の文字を配置しました。

 サイズは横74mm×縦51mm×高さ20mmで、200枚綴り、左サイドがシールになります。伝言、ちょっとしたメモを残す時や大切なメッセージ、予定などを手帳やパソコンモニターなどに貼って管理するにも最適な大きさです。写真は調査会ホームページにあります。価格は1個¥500です。多くの皆さんに「しおかぜ付箋ブロック」をお使い頂き、日常的に拉致被害者救出のメッセージを広めましょう。さらに闘いを続けていくためにもご協力をよろしくお願いします。お問い合わせは調査会までお願いします。


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2013年9月 6日

将軍様・元帥様

【調査会NEWS1404】(25.9.6)

 小山修司さんのことがあったので北朝鮮の関係者やシンパが何か言うだろうなと思っていたら今日こんなメールが届きました。

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特定失踪者問題調査会が特定失踪者と認定した人が白骨遺体で見つかった。
特定失踪者は共和国に拉致された可能性が高い人が認定されるそうですね。
あなた方特定失踪者問題調査会は、新潟少女監禁事件の被害者も特定失踪者に認定していたと記憶しています。
これらの件について共和国や将軍様、元帥様、共和国人民に謝罪をするつもりはあるのですか?
また日本国内で見つかった2人を認定した関係者を処罰する気はありますか?
また二度とこのようなことが起こらないようにするため再発防止策を作成するつもりはありますか?
尚、金正日将軍様は拉致を認め謝罪をし、拉致をした 加害者を処罰した。
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 特定失踪者は拉致の可能性が排除できない失踪者であり、これまでも調査会のリストの中で生存死亡含めて49人の失踪者が日本国内で見つかっています。最初から拉致でない人が入っていることを想定しているので、今回のことで調査自体には特段の問題はありません(もちろん、小山さんの事件はご本人とご家族にとって悲惨な事件であり、また事件事故両面から解明する必要があると思いますが)。

 また、新潟少女監禁事件が発覚したのは平成12年、調査会ができたのは平成15年ですから、これも何の関係もありません。組織ができる3年前に国内での監禁だと分かった事件をわざわざ拉致だと「認定」したというのでしょうか。金日成が北朝鮮を解放したという「神話」よりよほど荒唐無稽な話です。

 「謝罪」とか「処罰」とか「再発防止」とか、よく言うよと思いますが、別に調査会が北朝鮮の人を拉致したわけではないですし、こちらはあの独裁体制を倒して北朝鮮人民も救おうと考えているのですから、誉められることはあっても非難される筋合いはありません。

 「将軍様」が拉致を認めて謝罪したのは認めた案件で一番古い横田めぐみさん拉致から25年後のことでした。そして認めるまで北朝鮮は「拉致は1件もやっていない。日本の反動勢力のでっち上げ」と言い続けてきました。しかも処罰すべき加害者の総元締めは「将軍様」ご本人です。

 このメールを送ってきた人物はもちろん匿名ですが、アドレスはdprk(北朝鮮の国名略称)0415(金日成の誕生日)_0216(金正日の誕生日)@yahoo.co.jp となっています。今時日本語で金正日や金正恩に「様」を付けるのも香ばしい感じですが、外国人拉致のみならず、自国民にも甚だしい人権弾圧や飢餓で苦しめている政権を支持していることがやがて自分にどう降りかかってくるか、よく考えてもらいたいものです。最近「倍返し」が流行語になっていますし。
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(追録)このメールニュースを流した後に同じ人物から次のメールが届きました。

「金正日将軍様も金正恩元帥様も選挙で公正な選挙で選ばれた議員が国防委員長(第一委員長)に推戴したものである。」
「2011年に亡くなられた金正日将軍様の最後の視察地は「光復百貨」というスーパー。
亡くなられた場所は視察に向かう野戦列車の中。
これらを見ると将軍様がどれだけ人民を愛していたかがよくわかります。
将軍様が人民を熱烈に愛されたからこそ人民も将軍様を敬愛したのだ。
その証拠が将軍様の国葬である。人民が地面にひれ伏し泣きわめいてた」

 結構行ってしまっている人のようです。

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2013年9月 5日

いったいどうなっているのか?

【調査会NEWS1403】(25.9.5)

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 前号ニュースでお知らせした特別現地調査の資料、どうお感じになられましたか。

 私たちは市川さん・増元さん拉致にかかわる情報は政府認定の事件でもあり、繰り返し報道されているのですからもう既にほとんど出尽くしたものと思い込んできました。ところが5月に発表した情報(前号ニュースの最初に出てくるAさんの証言)をきっかけに、その後6件の情報が寄せられました。情報を提供された方の中には当時のことがトラウマになっており、吹上浜に行くことができないという人もおられました。

 ここでそのような情報があるということは、おそらく日本全国で表に出ていない情報が山ほどあるということです。いったいこの国はどうなっているのでしょうか。

 今回に限らずこれまで私たちに情報を提供して下さった方の多くは警察にもその内容を知らせています。しかし、それが活かされたと思われるケースはほとんど聞いていません。

 警察はその情報を外に(民間だけでなく他省庁にも)出すことはほとんどありません。警察の性質上捜査にかかわる情報は出せないことは分かるのですが(まあ、自分たちに都合の良い情報はリークしたりしているので、どこまで本当に法に則っているのかは分かりません)、それなら情報を外部に出せない責任を、結果をもって果たしていただかなければなりません。しかし現実にはこの半世紀以上、日本国内で拉致を理由に実行犯や協力者が逮捕されたことは一度もありません。

 先日自民党拉致問題対策本部の会合で、出席した議員から「日本国内の協力者の摘発などについてはどうなっているのか」と質問されて警察庁の幹部は「一所懸命やっています」を連発していました。これを翻訳すれば「何も結果が出せていません」ということになります。結果が出ていないということは様々な情報が国民の安全のために活かされることなく埋もれてしまっているということです。

 このニュースをお読みいただいている皆様にぜひお願いしたいのですが、拉致に関する情報、北朝鮮工作活動に関する情報をお持ちの方は警察に伝えていただくのと合わせ、私たち調査会にもお寄せ下さい。先日の「反物事案」でもその後情報提供が続いており、そのような情報が集まれば集まる程真実に迫ることができます。もちろん中には間違いや思い過ごしもあるでしょうが、それも含めて材料が必要です。

 今回の現地調査では、2年前に行った1万キロ現地調査第4回の結論を再検討する必要性も感じました。自分たちのこれまでやってきたことを白紙にする覚悟でやっていきますので、重ねてご協力をお願いする次第です。

(写真は市川修一さんの自家用車が置かれていた吹上浜の駐車場で証言について説明する森山調査会理事)

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7つの情報-吹上浜特別現地調査ー

【調査会NEWS1402】(25.9.5)

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 昨日市川さん・増元さんが拉致された吹上浜での特別現地調査が行われました。台風が直撃していたので実施が危ぶまれましたが、幸い早朝宮崎沖に抜けてくれたため、晴天の中現地調査と鹿児島市内での記者会見を行うことができました。(写真は証言5、Hさんの話に出てくる不審な船の目撃された場所でマスコミの質問に答える市川健一さん・増元照明さん・前山利恵子さん・村岡育世さん)

 調査にはご家族の市川健一さん・増元照明さん、県内在住特定失踪者家族の前山利恵子さん・光秋さんご夫妻(園田一さん・敏子さん夫妻の娘夫婦)と村岡育世さん(田中正道さんの妹さん)が参加されました。また、記者会見には支援する会の花牟礼薫会長・假屋達郎事務局長ら役員の方々も参加されました。調査会では荒木・杉野・森山が担当しました。

 吹上浜では情報5のHさんが現地に来て直接当時の状況を説明して下さいました。以上の情報についての評価は次の号で書きたいと思いますが、事件から35年して、このような大量の情報が出てきていることは極めて注目すべきと思います。あらためてご協力いただいた皆様に心より御礼申し上げます。

1、A氏(5月に発表した情報)

(1)A氏は昭和53年8月12日、実家のある吹上から県道22号線(伊作峠)を鹿児島市内へ向かっていた。

(2)駒田集落付近で単車10台くらいにからかわれている車とすれ違う。

(3)A氏は運転席で単車を見ながら「アホが」とつぶやく。

(4)それに気付いたのか1台のバイクがA氏の車をUターンして追いかけて来た。車の窓越しに何かを叫んでいる。A氏、無視。しばらくすると1台の単車は戻っていった。「谷山の馬鹿んしが(谷山の馬鹿者が)」と独り言を言ったことをはっきり覚えている。

(5)鹿児島市での用事を終え、吹上への帰路夕日を見に浜へ行く。A氏は夕日を見るのが小さい頃から好きだったようだ。駐車場ロータリーで市川さんの車の後ろに停車。「さっきのからかわれていた車だ」と直ぐに分かった。車には誰も居なかった。

(6)小道を抜け、海岸へ向かう。小道から14時の方向、50mの海岸にねずみ色した短艇(奄美沖工作船の後部におさめられていた船とまったく同じだった)があった。その手前に昔からある伝馬船があった。

(7)プレジャーボートが女性のトイレのため海岸に寄り、伝馬船の後ろで用を足しているものと思いその船とは逆方向へ(海正面左側)へ歩き出す。A氏は桜貝を集めるのも好きだった。

(8)小道から3,40メートル歩いたところで、浜のせり上がっている所に、海亀が移動したような跡を発見。幅1メートルくらい。浪打際から陸地(せり上がっている部分)へ続いているが、あまりにも急斜面すぎて亀が上るとは思えない。後から考えればあの急斜面をカメが登るわけがない。拉致疑惑が世間に出た後、A氏は友人達と急斜面で実験してみた。同じ跡が付いた。

(9)上まで上がってみると突然、やせ型、50歳前後、チヂミ、ステテコ姿、漁師のように日焼けした男が目の前に現れる。A氏をにらみつけるような感じ。A氏は(海亀の卵を取りに来た人だ)と直感。「亀が卵をうんじょっとごあんさ〜、あたいはいいもはんど(亀が卵を産んでますが私は要りませんよ)」とその男性に話す(このとき2人の距離は40〜50センチ)。

(10)しかしその男はA氏の言っている言葉が理解できない感じであった。男は「カメ?タマゴ?」と聞き返した。その表情に最初の気持ち悪い殺気を感じた。

※当時、海亀の卵は採取されており、最初に見つけた人が棒をその場所に刺し、自分の取り分であると印を付けていたらしい。精力剤として珍重されていた。今は保護対象。

(11)その後、男の後ろの方で砂のガサガサする音がした。A氏が「やっぱい亀が卵をうんじょっととな(やはり亀が卵を産んでいるのだな)」と視線をその方向に向けると男が視線を遮った。A氏は2度目の気持ち悪さを感じる。

(12)男が尋ねた。「これなに?」A氏の下駄履きを指さす。下駄履きを知らないはずはないのと、得たいの知れない殺気を感じたA氏は男の目から目線を外さずに「こいは下駄」と答える。

(13)男が「この辺、来るの?」と聞いたのでA氏が「よう犬を連れて散歩に」と言った瞬間男は「犬、どこ?なに?」と突然慌て出した。回りをキョロキョロして落ち着きのない様子。

(14)そこに地元の女性2人が小道から海岸へしゃべりながら入って来た。男はその方向を凝視。その時にA氏は身体を翻し「本当に卵はいいもはんで (本当に卵は要らないから)」と言って小道の方向へ向かった。この女性に聞いたところでは伝馬船の後ろにゴムボートがあったのを見ている(このゴムボートについては当時A氏は気付いていない)。

(15)市川さん・増元さん失踪から10日程して刑事がA氏に会いに来た。A氏と刑事は昔からの知り合い。A氏は途中ですれ違った暴走族の仕業だと主張したがK氏は「暴走族は関係ない。調べはついている」と言った。そして最後に「こいは北朝鮮の仕業じゃっとよ」と言った。A氏はこの時に警察は解っていたのに今現在まで何も進展していない事へ怒りを覚えている。

2、B氏(市川健一さん宛匿名手紙、7月1日付鹿児島中央郵便局のスタンプ。原文ママ)

市川様

 前略 私は南日本新聞の記事を読みました。そしてこれは私の知人の体験談をお伝えすべきだと思いました。あの時の事は当局が実情を把握されているものと思ってをりますが、何らかの参考になるかと思いまして知人の話を思い出しながら書いてみます。知人は存命してをれば80歳を過ぎてをります。話は次の通りです。

「当日、綱引きのため吹上へ言った。車を置いて海岸へ行く途中で茶色のゴム草履が片方放置されているのを見た。何故片方だけだ?と思いながら歩いて行く7〜8人の集団と出会った。上半身は白の半袖シャツ、下は黒の膝までのピッタリしたパンツ姿で全員が鍛え上げられた体格の集団であった。自分は思わず両手を握りしめ、全神経を殺気のように身中から発散させて集団の中を通り抜けた。

 そして海岸に出ると右手の沖合に大昔の船のような船尾の高い茶色の船が停泊しているように見えた。海岸にはエンヂンを積んだ黒いゴムボートがあって、そばに黒い潜水服にボンベを背負った人間が1人立っていた。そして砂浜の中程には何故か緑の葉を一杯付けた大きな木の枝が、何かを隠すように立ててあった。

 しばらく見てをったが振り返ると先程の集団の一人が、自分を見て取って、これは監視されていると直感した。その夜の放送で吹上方面に朝鮮総連の人物が来ていると言っていた」

 以上が知人の話でした。北朝鮮の組織的な大掛りな拉致事件であったのだと思ってをります。以上の話何らかのお役に立ちますかどうか。一応お知らせいたします。

 乱筆にて失礼いたします。

3、S氏(62歳・福岡在住)

 ※5月末に調査会事務所に情報提供

 昭和53年8月お盆前後(妻が妊娠していたのでよく覚えている)、吹上浜の海岸へ向かう道に車を駐車し、食事を取っている最中、前から3、4人の男たちが歩いてきた。年齢は30代?、厳つくヤクザ風、派手ではないがアロハのようなシャツ、スニーカータイプの靴、足音が揃っているのが印象的。自分の車の脇を通り過ぎたが、視線を合わせる事を避けたくなる雰囲気。この付近はアベックのメッカで、集団で男が歩いているのはちょっとおかしいと思った。

 市川増元事件が発覚し、情報提供を呼びかける報道があったので警察には話している。

4、I氏(61歳)

 救う会全国協議会への情報提供があり、こちらで対応した。

 当時20代に会社(ユニチカ・バークシャー・当時は九州・バークシャー)に勤務していた頃、会社の労働組合の教育・宣伝部の行事で、鹿児島の吹上浜に(会社のバス1台で)キャンプに行った。夜に肝試しをしようとカップルを組みキャンプ場から浜まで行って、私は浜に座っていた。闇の中、浜で人影と沖合にサーチライトでモールス信号(私はアマチュア無線・電話級を所持)を見た。当時は、自衛隊か夜間訓練をしているのか思っていた。自分が持っていた手持ちのライトでモールスのマネをして、イタズラをしたのを覚えている。

 記憶がハッキリしているのは、翌日の海水浴中に組合員が5・6人 離岸流で溺れかけたから。その数日後に、テレビで吹上浜で離岸流での死亡のニュースがあったので、記憶が鮮明だった。

5、H氏(77歳。市川健一さんに電話で連絡)

 現在いちき串木野市在住。35年前の8月11日、吹上高校の進路指導の先生と待ち合わせをしていたが、約束の時間に1時間ほどあるので吹上荘奥の海岸へ車で移動する。防波堤から20メートルくらい前に車を停めて徒歩で海岸へ。その時に黒っぽい鉄製のこのあたりでは見ない船を見た。

 そろそろ時間が迫って来たので車に乗りバックしてハンドルを右に切って転回しようとした時に6、7名の甚平か何か黒っぽい服装の男が車に近づいて来た。殺気を感じた同氏は何人かドアに当たった感じがあったがそのまま突進して逃げた。同氏の車はマークⅡの新車。

 同氏は県柔道連盟の役員だった。ただならぬ殺気は十分に感じた。

6、J氏(63歳・前山さんに連絡)

 串良町の飼料を運ぶ会社に勤務、トレーラーの運転手だった。吹上浜へ行った時期は不明。加世田へ女性事務員と仕事で出向く。仕事終了後、ついでに吹上浜へドライブする。車両は会社のカローラよりワンランク下の車。(白)

 市川・増元車両発見現場に車を停め、降りて浜へ行こうとした際に助手席側・運転手側からそれぞれ一人ずつ男が棒のようなものを投げながら近づいて来る。車両には傷が入った。急いで車に乗り、ロックをかけた。その様子は明らかに捕獲体勢であった。男は40歳前後、髪は刈上げ。

7、C氏(A氏の同級生)

 時期不明、お盆の頃、姉家族(子供も含む)と吹上浜へ行ったところ、浜辺(波うち際)を4人くらいで腰まで海に浸かり船を引き上げている男たちがいた。こちらを見つけると男連中がその家族に向かって走って来たので急いで車に戻った。とにかく気持ち悪かった。

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2013年9月 4日

思い込み

【調査会NEWS1401】(25.9.4)

 今鹿児島のホテルにいます。今日は吹上浜での特別現地調査なのですが、ちょうど台風とぶつかりました。外は大荒れです。まあ、朝になってどうなるか、文字通り運を天に任せるしかありません。

 ところで、何度も書いていますが小山修司さんのことが頭を離れません。探していた人が失踪当初に亡くなっていたという話は小山さん失踪の3か月前にあった山本美保さんに関する山梨県警の発表のときと同じ感覚でした。もっとも山本美保さんの場合はほどなく山形の遺体が別人だと分かったのですが、それでも当時ご家族の受けたショックは計り知れないものがありました。

 小山さんの場合遺体がご本人であることが確認されているので、事実は認めざるをえません。しかし返す返すもなぜ失踪当時分からなかったのか、残念でなりません。状況からすると他殺の可能性も考えられ、海保はなぜこのようなことが起きたのかを徹底して究明するよう望みます。

 私たちにとって、もはや小山修司さんとご家族のためにできることはほとんどないのですが、せめて今回のことを教訓にだけはしたいと思います。これまで分かっていたと思いこんできたことが、本当にそうだったのか、何か見落としはないか…。記者会見で発表する予定の証言は福岡現地調査での報告会で発表したもの以外に6件もあります。ここには1398号に書いた昭和36年前後の失踪は入っていません。

 これまでさんざん報道され、捜査もされて分かるべきことは分かっていたと思っている市川さん・増元さん拉致関連についてもこれだけ情報が出てくるのですから、実は全国に様々な情報が埋まっているはずです。私たちももう一度固定観念を捨て去ってその掘り起こしをしていかなければならないと思っています。

 このメールニュースを読んでおられる皆様にもお願いします。北朝鮮による拉致は半世紀以上にわたって全国で起きています。何か情報がありましたら「日本海側ではないから」「時期が違うから」と切り捨てずに、調査会までお寄せ下さい。私は今後、われわれの想像をはるかに絶するような事実が次から次へと出てくると思っています。その事実に向き合う覚悟と、曇りのない目で見ることは国民全体に必要です。あらためてご協力をお願いする次第です。

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2013年9月 1日

小山修司さんの死亡確認について

【調査会NEWS1400】(25.9.1)

■小山修司さんの死亡確認について

 すでに確認されていますが、前号ニュースで書いた小山修司さん(平成16年新潟沖で失踪)について、本日千葉県警は山武市の中古船舶輸出入会社が保管していた漁網から見つかった遺体と確認されたと発表しました。

 本件について北朝鮮との可能性は薄いと考えられるため、調査会としては本日付で特定失踪者のリストから外します。これによって全体の数は次のようになります。

 現時点での公開者 270名
    拉致濃厚(通称1000番台リスト) 77名
    拉致疑惑(通称0番台リスト) 193名
これまで公開した人(第1次〜48次) 295名
    うち国内での消息が確認された人 22名(うち2名死亡)
    うち政府認定(警察断定を含む)された人 3名
    うち公開から外れた人 1名
非公開者 約430名(うち調査会独自リスト約200人、警察発表の公開リスト約230人)
    国内での消息が確認された人 27名(うち2名死亡)
現時点での特定失踪者総数 約700名

※警察発表の公開リストは調査会からご家族に直接連絡をとってないため調査会のリストでは非公開扱いになっています。

■数字
                荒木和博

 本件については、上の報告だけで人数の変化をお伝えして終わらせるわけにはいきません。さりとてどのように書いたら良いのか、煩悶しながら1日が過ぎてしまいました。

 失踪がご家族にとって、ときに死別より辛いもであることを私たちは調査会設立以来10年間、身に染みて感じてきました。しかし小山さんの場合9年間の失踪の辛さに死別という辛さが加わるのですから、ご家族には筆舌に尽くしがたい思いであろうと思います。

 最初から海に落ちたという先入観にとらわれたことが9年間も遺体を放置することに繋がったのですから、海保は事件当時漁網をなぜ調べなかったのか、なぜ小山修司さんが漁網に巻き込まれたのかについて、もう一度事件事故の両面から先入観を捨ててしっかりと検証し、ご家族の納得のいく説明をしてもらいたいと切に希望する次第です。

 特定失踪者でこれまで日本国内での所在が確認された人は公開非公開合わせて49人。うち45人は日本国内で生存されていたことが確認されています。拉致でなく、日本国内で見つかってくれればそれに越したことはないのですが、拉致をされている方でももう高齢の方も少なくないはずです。失踪の理由がどうであれ時間は間違いなく過ぎていきます。今後北朝鮮におられるのか日本国内におられるのかにかかわらず、このような思いをすることを覚悟しなければなりません。小山さんがそれを教えてくれたのではないかということでせめて気持ちを納得させている次第です。

 あらためて、謹んで小山修司さんのご冥福をお祈り申し上げます。

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